思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

初めての世界は、何気ない一言から始まるのかもしれない

もう年の暮れですね。

年を取ってくると、初心というものを忘れてしまうもので。忘年会で後輩に会うと、当時大学生だった頃の熱い想いみたいなのを思い出すわけですよ。

そんな初心で一番想い出に残っている話があるので、それを書いて、2016年のブログ納めとしようと思います。

こっそりでもいいので、森井のブログを読んでくださった方ありがとうございました!

2017年もどうぞご贔屓よろしくお願いいたします!


――――――

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大学生になって初めてのアルバイトでのことだ。
本好きが高じて、本屋さんで働くことになった。

緊張で震えながら行ったアルバイト初日、店長にまず店内を案内された。
ここはこういうジャンルの本が置いてあって、あそこは受験参考書ねと。

「あ、ちなみに書店員の特権として、発売よりちょっと早く本が買えるから欲しい本があったら言ってね。」

「この前、フジタさんなんて発売前に『株式取引』なんて本買っていてね、インサイダー取引やってるんじゃないのって話題になってたんだから」

と陽気な店長の軽快なトークが披露された。これが書店員さんのつかみの鉄板ネタみたいだ。

初めてのアルバイトでうまくやっていけるかすごく心配だったのだが、なんだか楽しくやっていけそうだと「はい、じゃあ僕も株の勉強しときますね!」と緊張しながら、元気良く返した。
____

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次にレジ打ちについて教えてもらった。
「本屋さんはまずはレジ打ち。本の後ろにあるバーコードをここにかざしてピッとすれば読み取れるからね。

あと最後に「客層」のボタンを押すの。お客さんが男性か女性か、そしておおよそでいいから20代前半なのか後半なのか年齢のところを押してね」

あぁこうやって本屋さんはマーケティングしているのかと、消費者だと知り得なかったことを知った。

次から次へと入ってくる新しい情報に置いて行かれないように、店長から聞いたことを必死にメモしていく。

「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました!」
「またどうぞお越しくださいませ~」

そんなことメモしなくてもいいだろうということまでメモをしていた。僕はバイト先に電話するときは、話す内容を必ず先に紙にメモし、内容を一字一句違わずそのまま電話で震えながら話すようなやつだった。

だから、これはオトナになるための必要な通過儀礼だったんだなぁと今になって思う。
____

その後、社員さんに横で付いてもらいながら、実際にレジをやらせてもらうことになった。

いつも身近にあった本に囲まれていたからか、レジ打ちにはすぐに慣れた。周りが見えるようになってきたおかげで、いろいろと気づいたことがある。

そのうちの一つに「買う本を見れば、その人の心理状態がわかる」ということがある。

例えば、この4冊を買っていった人がいた。

『ストレスがたまった人が読むための本』
『人付き合いが嫌いな人へ』
『性格は捨てられる』
俺の妹がこんなに可愛いわけがない

上3冊からあぁこの人仕事で病んでいるのかなぁと、でも前向きに問題を解決しようという意思が、

それでもだめだった時のために、最後の4冊目のラノベでアニメの世界に現実逃避できるようなラインナップだと見てとれる。

本は読む人の悩みを解決するためにあるのかなぁと意外と忘れがち大切なことをレジ打ちをしながら学んだ。
____

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この日は、日曜日でお客さんがたくさん来ていた。ラッシュ時間が過ぎ落ち着いてきた頃合いで、ある社員さんに何気なくこんなことを言われた。


「さすが慶應生、やっぱり優秀なのね」

僕が初めてのレジ打ちに一度もミスをすることがなかったことや、妙に落ち着いていたように見えたからだろうか。

深い意味は特になかったのだろうけど、そう言われてとても変な、もどかしい気分になった。

というのも、大学に入り出会う人は増えたけれど、それでもそれは似たような人ばかりで、今までずいぶん狭い世界で生きてきたんだなぁと気付いたからだ。

周りは慶應生ばかりになっていて、そしてそれが普通だと思っていて。確かにあくまで一般的に見たら、慶應生=頭が良い、と思っている人がいるということも知らなくて。

例えば、最近クイズ番組でお笑い芸人のカズレーザーが大活躍だ。同志社卒のインテリ芸人としてもてはやされている。

世間一般的には同志社は勉強ができるとされているのだが、(別に嫌みでこんなことを言っているわけではまったくないので勘違いしてほしいのですが) たぶん東大生はもちろんのこと、慶應生もそうだが、同志社の人を勉強ができるとは思っていない。しかし、世間一般から見たら同志社は頭が良いとされている。

自分のいるカテゴリーは少数派なのか、それとも多数派なのか。おそらくその相場感というか市場感覚というものを見失うと、売れる本は作れないんだろうなぁとその時なんとなく思った。

少数派なのに周りみんな慶應生だと思っていた自分がもし本を作ったとしたら、慶應生に向けて作ることになるのだが、慶應生は少数派なので買ってくれる人のパイはもちろん少なくなる。よって売れない本になってしまうかもしれないということだ。

市場感覚を見失ってしまっていたこと、まったく知らなかった本があること、買う本でその人の置かれている立場がわかること、客層ボタンでマーケティングしていること。

身近にあったはずの本だったが、知らないことだらけで、今までずいぶん狭い世界で生きてきたんだなぁと気づかされて、「さすが慶應生、やっぱり優秀なのね」の一言にどうしようも無くもどかしくなった。
____

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すぐに覚えなければならないことや、いろんな気付きで学んだメモを何ページも使って書き、見直していたら、もう閉店の21時間際になっていた。

最後にやってきた女性は髪の長いとても綺麗な人だった。

僕の作業の手際の悪さが目立ったのか、それとも胸にでかでかと"研修生"と書かれた名札に気づいたのか、

「丁寧に本を包んでくれてありがとう。今日が初めて?とてもいい笑顔をするね。頑張ってね。お姉さん応援してます」

と、とても丁寧に一言添えて本を受け取ってくれた。

人はこういう一言を忘れないし、何気ない一言を然るべきタイミングで言える人は本当にすごいと思った。

こういった圧倒的に影響力のある何気ない一言が初心を思い出させてくれる。

お店で"研修生"と名札を貼っている人を見るとよくその女性のことを思い出すくらいに、このアルバイト初日に受けた感動は今でも覚えている。

早く一人前の仕事ができるように頑張ろうと、今日一日聞いて書き留めたメモ帳を力強く握りしめた。

 

そして、初めて年上の女性が美しいと思った瞬間だった。この人とはもう一生会わないかもしれないが、それでもこの行き場のない想いをどうしても伝えたくて。

その女性はおそらく30代 後半なんだろうけど、そんな素敵な一言を添えることのできるあなたはとても綺麗で、若さが溢れていますと、感謝の気持ちを込めて、

客層のボタンを「女性 20代 後半」とポンッと弾くように、優しく押した。

 

 

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比喩男

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神様は世の中を平等に作ってくれたのだろう。

男には欠点があった。

高身長でイケメン、それでいて大企業の御曹司。言い寄ってくる女はたくさんいた。

ただどれも長くは続かなかった。

男は、現代の言葉で言う、ボキャ貧だった。

まぁ簡単に言うとバカだったのである。


口癖が「やばい」だった。

美味しい料理を食べては「やばい」
感動する映画を観ては「やばい」
彼女からプレゼントをもらっても「やばい」

「あなたには知性をまるで感じられない」

それが原因で男は女に振られたばっかりだった。男はバカなりに考えて、知性を身に付けることにした。

村上春樹に学ぶ、知性の身に付け方。女にモテる男は、喩え上手!」

といううさんくさい雑誌の特集を読んで、「これだ!」と思ってしまったのである。

思い立ったらそれをやらずにはいられない。

まず、「やばい」を使わないことを誓った。そしてそれ以来、男は女を口説く時には、必ず何でも喩えるようになった。

「まるで壊れ物に触れるみたいに、君に優しく触れたい」

たまに言うのならまだ博識がありそうでいいかもしれない。

しかし、この男_比喩男とでも言おうか_は、大事な場面になると必ず喩えてしまうのである。比喩男はそれがかっこよく、粋だと思っているのだろう。

女とレストランへ行って、しめのデザートを見て、比喩男は言った。

「まるで芳醇な果実のような……」

また出たよ。女はそう思った。

これは何も外でだけではない。家でテレビを見ているときもそうだ。

「この最近人気の女優、まるで薬師丸ひろ子のような端整な顔立ちをしてるな」

芸能人を芸能人で喩えるな。
女はそろそろ口に出しそうだった。

 

「雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた」

比喩男はこういった村上春樹かと思わせるような喩えは一切言わない。いや正確には言えないのだ。理由はご存じ、バカだからである。

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こんな男でも、高身長でイケメン、大企業の御曹司ときたら、女は寄ってくるみたいだった。

比喩男の周りには本当に様々な女性が寄ってきた。

とても清楚な、志乃。
聡明な、聡美。
天真爛漫な、晴夏。
料理の上手な、桜子。

しかし、比喩男にとってそれが全て仇となっていったのである。

「君は、まるで志乃のように清楚で、聡美のように聡明で、晴夏のように天真爛漫。そして……」

別れるときに言われることはいつも同じだった。
女は言った。

「わたしを二度と昔の女で喩えるな」

それは乾いた冬の日に起きた、"まるで春の暖かさを一度も感じたことのない海氷のように"冷めきった別れ話だった。 

 

 

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1Q84 BOOK 3

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 比喩と言えば、村上春樹
「雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた」

比喩の説得効果についての分析を行ったメンフィス大学のソポリーは、比喩を使ったほうが、普通に話すより、確実に説得力が上がることを実証したみたいです。比喩うまくなりたいですね。。

 

トータルテンボスの「例えが下手」の漫才。面白い。

14歳

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14歳だった頃の僕はどこか少し冷めていて、ずっと手応えの無さのようなものを感じていた。

早く大人になりたかったのに、周りと一緒になって14歳らしいことをし、笑い、はしゃぐ。それに気づいて苛立ち、不安になる。


____
中学生の頃、野球部でフレッシュマン大会というものがあった。試合に出れるのは1年生だけ。

「この大会で優勝できなかったら、全員坊主な」という監督のきまぐれの一言で、決勝戦で負けてしまった僕たちは生まれて初めて坊主をすることになった。

それから1週間後、床屋で「坊主にしてください」とお願いすると「長さは?」と言われた。

結論から言うと、1㎝でいいところを、言い間違えて1㎜と言ってしまった。

家に帰って「髪、短くない?」と母親の一言がぐさりと突き刺さる。
髪の毛が1㎜になった頭がまぁ青いこと。

何を1000円カットの床屋のサービスで、散髪終わりにハイチュウをもらって喜んでいるんだと、自分に苛立つ。

周りの友達の髪が伸びきる頃に、まだ髪が伸びきっておらず、一人だけ取り残されて不安になった。


____
野球部の試合終わりに初めて行った1000円の焼き肉食べ放題でもそうだ。

26歳の僕が、焼き肉に行って食べる量の3倍は食べたと思う。「1000円の元を取らねば!」と歩けなくなるくらい食べた。

帰りの夜道、14歳はこんな食べなきゃ良かったと自分に苛立つ。

 

ただ当時はそれが全てだったのも確かで、初体験の連続と膨大な時間だけが14歳を覆っていた。

食べ放題で無茶しなくなるまでには
1000円の価値が変わるまでには

果てしない時間が14歳には必要だった


____

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それから少しして「トライヤルウィーク」がやってきた。
1週間の職業体験だ。おのおのいろんな職場へ行き、職業体験をする。

14歳は保育園へ行った。
14歳が子どもたちのお世話をした。

一緒に遊び、遊び、遊び、たまに悪さをする子どもを叱り、また遊び、寝かしつける。この繰り返し。

いつまで続くかわからないこの繰り返しが14歳を不安にさせた。

子どもと大人の狭間にいる「時間」の門番のようなヤツが、14歳の前に現れては消え、現れては消える。

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いつになったら大人になれるんだろう

㎜と㎝の単位を間違えなくなったら?
ハイチュウをもらっても喜ばなくなったら?
焼き肉食べ放題で無茶しなくなったら?

大人になりたい 大人 大人 大人

狭い井の中で声を張り上げる

オトナってなに?

オトナ
おとな
大人
大と人?


自分の人生の半分も生きていない子どもたちに囲まれ、自分だけ遊具の大きさと不釣り合いの体を小さく丸めながら、幼稚園にある滑り台の上から空を見上げると、

そこにはとてつもない世界が、茫漠とした時間が広がっていた。

 

 


 

こちらも子ども論。高3まで美容師になろうとしていて、美容院にはすごく思い入れがあります。

 

 

子どもの頃、よく「あぁ、もう僕の人生終わった…」と思う瞬間がたびたびありました。
その正体がなんだったのか、今になってやっとわかったので書きました。

 

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ミライの授業

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 未来を担う14歳に瀧本さんが「ミライの授業」として書いて珠玉の一冊。瀧本さんの著書はどれも面白いが、その中でも良書だと思います。オススメ。

 

14歳 (幻冬舎よしもと文庫)

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『14歳』読んでからいつか14歳について書きたくて、「14才」聞きながらやっと書けました。満足。

 

14歳からの哲学 考えるための教科書

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十四才/フルコート

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M-1グランプリで生まれる「笑いの爆発」の正体とは

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ある芸人は言う。

M-1はお祭りではない、戦だ。誰が一番強いのか。魂と魂のぶつかり合い」


M-1グランプリは他のお笑いの賞レースとは違う。まったく仕事のなかった芸人が一夜にしてスターへの階段を駆け上がることのできる、まさにアメリカンドリーム。芸人達は、たった4分間に人生を懸けて挑む。お笑い番組ではない、芸人達のドキュメンタリーなのである。

そのことをお客さんもわかっている。笑いにきているだけではない。審査員同様、お客さんも審査しにきている。そしてどの芸人がスター街道を駆け上がるのかを刮目しにきているのだ。

よく審査員が「今年やった仕事の中で一番緊張している」とコメントしているが、審査員も緊張するのが聖地M-1グランプリなのだ。

その緊迫した空気感は、もちろんお客さんにも伝わってしまい、会場の空気がなかなか温まらず、笑いづらい雰囲気で始まる。

それだけにトップバッターはスベる可能性が高く、不利と言われている。それを考慮して審査員は最初のコンビに何点か上乗せして審査している人もいるくらいだ。2005年のトップバッターを務めた笑い飯に、松本人志は5点サービスして付けていた。

 

さて、ここからが本題なのだが、元審査委員長・島田紳助はよく「誰が会場を爆発させるのか」という言葉を使っている。

2006年のM-1でこうコメントしていた。
「エネルギーがこのスタジオに溜まっている気配がする。誰がどこで爆発させるのか。みんな面白いんやけど、みんな爆発しきれてない。どっかでこの空気が変わって爆発するんでしょうね」


「笑いの爆発」を起こしたコンビが優勝する。おそらくそれは間違いないだろう。

しかし、この「笑いの爆発」とはいったい何なのか。会場の空気が温まっていない緊迫した状態から、どうしたらこの「笑いの爆発」が起きるのか。


「笑いの爆発」の正体らしきものを掴んだので、一M-1ファンとしてぜひ読者の皆様と共有したい。

ただ、そのためにはまず「ネットワーク理論」について順を追って説明する必要があり、聞きなれない言葉でかつ少し長くなってしまったのですが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

1.ネットワークの性質「三次の影響のルール」

ネットワークにはいくつかの性質があり、そのうち4つ紹介する。

ネットワーク理論で広く知られているのが、六次の隔たりだろう。6人介せば、世界中の誰とでもつながれるという仮説だ。例えばオバマとつながるためには、平均6人たどっていけば、誰でもオバマと知り合うことができるということだ。

一方で、一般的に知られていないのが「三次の影響のルール」

これは、「友人の友人の友人が私たちに影響を及ぼす」ということだ。

ある研究によれば、直接つながっている人(一次の隔たりにある人)が幸福だと、本人も約15%幸福になるという。しかし、幸福の広がりはそこでは止まらない。
二次の隔たりのある人(友人の友人)に対する幸福の効果は約10%、三次の隔たりのある人(友人の友人の友人)に対する効果は約6%あるそうだ。この幸福の影響は、四次の隔たりまでいくと消滅する。


つまり、友人の友人の友人の体重が増えると、自分の体重も増える。友人の友人の友人がタバコをやめると、自分もタバコをやめる可能性があるということだ。


例えば、今はまっている好きな歌手を思い浮かべてほしい。個人的な話になるが、高橋優の「福笑い」にはまっている。今まさに聞いているくらいだ。

ちょっと前に、地元の友人Aに高橋優の「明日はきっといい日になる」が名曲だからと言われ、聞くようになった。それから過去の曲である「福笑い」を聞き、はまった。その後、僕はよく飲みに行く友人Bにオススメし聞いてもらった。


友人Aから見た今の状況を整理するとこうなる。
関西の友人A→森井(一次の隔たり)→東京の友人B(友人の友人=二次の隔たり)


友人Bが誰かに薦めたかは聞いていないので知らないが、少なくとも現在の時点で、友人Aのオススメは友人の友人まで影響を及ぼしたことになる。しかも、地元兵庫から東京という地域差を飛び越えてである。

このように僕たちは実は出会ったことのないような人からも影響を受けているのだ。

 

2.カンニングは伝染する

このようにネットワークを通じて、幸福や肥満を始め、細菌、お金、暴力、ファッション等は、伝染していくのである。

このネットワークの性質の一つ「伝染」の悪い例は、思春期に学校で経験したことがある人が多いのではないだろうか。

高校入学当初、真面目だった人が、急に不良になるという現象を目撃したことがあるはずだ。

これは何も思春期だからそうなったとは片付けられない。その子の周りのネットワークがそうさせた影響が大きいのだ。ネットワークを通じて、負が伝わっていってしまった結果なのである。

「類は友を呼ぶ」とは言うが、似た人を引き寄せることももちろんあるが、それと同じく「意識」すら伝染するので、一緒にいることで似たような人間になっていく。

長年連れ添った夫婦が似てくるとはそういうことだ。お互いがお互いに影響し合っているから似てくるのである。


「学生がカンニングを目撃すると、みずからもカンニングを始めた。またカンニングする者に学生がつながりを感じている場合、カンニング行為はさらに増加した」という恐ろしい実験結果も出ているほどだ。

このようにマイナスな影響も含め、様々なものがネットワークを通じて伝染する。

 

3.笑いも伝染し、そして「同調性」を高める

人の行動の大部分は、ネットワークから影響を受けた上で成り立っている。そしてそれらはさざ波のように広がる。

上記で見てきたように、「感情」も伝染する。感情が伝染するということは、もちろん「笑い」も伝染するのである。

なんと1962年、タンザニアのある学校で笑いの伝染で起こった。159人の生徒のうち95人が感染し、笑いがとまらなくなり、学校は閉鎖に追い込まれるという異様な出来事が起こったくらいだ。

身近な例だとTVの「誘い笑い」を思い出してほしい。ディレクターが「ここは笑うところですよ」と編集で誘い笑いを入れることによって、視聴者に「笑い」を伝染させようとしている。


特にこの「笑い」という性質は特殊で、伝染する(笑いが共有される)と、人々の交流は同調性が増し、一体感を生み出すのである。


被験者にあらかじめお金を持たせておき、それを別の人に分けさせるという実験がケント大学で行われた。普通なら赤の他人よりも、自分の友達に多くのお金を提供するのだが、コメディビデオを一緒に見て大笑いをした後、実験を行うと違いが無くなったのである。

笑いには他人を友人に変える力があるのだ。

 

4.ネットワークそれ自身が命を持つ

最後に、「ネットワークそれ自身が命を持つ」という話で、ネットワーク理論の説明は終わりにしたい。(ここまで読んでくださってありがとうございます!)

その分かりやすい例が、スポーツイベントで見られるウェーブだ。観客が次々に立ち上がっては腕を上げ、すばやく着席する。

一度動き始めたウェーブは、スポーツイベントで「超個体」(複数の個体から形成されながら、一つの個体であるかのように機能する集団)と化し、それ自身が命を持ち始め、個人がやめようと思ってもとまらない。

このウェーブは、誰かが指揮を取っているわけではなく、ウェーブ自身が命を持ってしまっているのである。

 

■「笑いの爆発」の正体とは

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ここまで書いてきたことを簡単にまとめるとこうなる。

  1. 人は三次の隔たり、つまり友人の友人の友人まで影響を及ぼす。
  2. 意識、犯罪、肥満、幸福など様々なものがネットワークを通じて伝染する。
  3. 笑いは共有されると、人々の交流は同調性が増し、一体感を生み出す。
  4. ネットワークそれ自身が命を持つ。


長々と書いてきたが、話をM-1グランプリ「笑いの爆発」に戻すことにしよう。

審査員が満場一致で完全優勝を果たした2006年のチュートリアルの「チリンチリン」のネタ(個人的に一番好きなネタ)を見ていただければわかるが、「ゆきずりの女と寝たよ」で会場全体が笑いの渦に包まれ、大きな笑いが起きている。

(上に貼ってあるYouTubeM-1グランプリの時のものではないので、「ゆきずりの女と寝たよ」は出てこないので申し訳ないです。ちなみにどのネタも、他の番組で見るよりM-1の方が圧倒的に面白い。4分という短い時間の中に、無駄な言葉は一切なく、セリフが極限まで研ぎ澄まされているからだ。DVDの方が面白いので、ぜひDVDで見てほしい)


チュートリアルが繰り出すボケとツッコミでできた笑いによって、一人また一人と笑う人が増え、笑いが隣の人の笑いを伝染させる。笑いによって生まれた連帯感によって、観客同士がつながり合い、緊張感がなくなり、同調性が増す。それによって会場が一つの「超個体」と化すのである。


小さな雪玉が転がって大きくなっていくように、始めは小さかった笑い声も、ネタを進めていくうちに徐々に大きくなり、審査員はもちろんお客さんも審査しているなんてことは忘れ去り、一観客として、そして一お笑いファンとして、目の前の芸人に没頭し、夢中となり、気づいたら大爆笑させられている。もっと笑わせてくれ、もっと笑わせてくれ!と。

その瞬間、「笑いの爆発」が生まれる。

ここまでくるともう個人ではどうすることもできない。
大きなウェーブの動きが自分達にはどうすることもできないように、会場にいる観客達はどうすることもできない。 


笑いが伝染し、会場全体の一体感が増し、その結果生まれた「超個体として意志を持った会場」が笑うと、大きな爆発のような笑いが起きるのである。

これが島田紳助の言う「笑いの爆発」の正体だ。

 

※簡単に図式にするとこうなる

■緊張感のある会場→笑う→伝染する→一体感、同調性が高まる→緊張感が無くなる→誰かが笑えばまた誰かが笑う→会場は一つの超個体と化す(笑いが少ないとここまで辿り着かない)→超個体が笑う=笑いの爆発(会場全体がつながり合った超個体が笑うこと)

 


M-1はお祭りではない。戦だ。

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M-1グランプリ 2016

アキナ
カミナリ
相席スタート
銀シャリ
スリムクラブ
ハライチ
スーパーマラドーナ
さらば青春の光
敗者復活戦勝者

 

果たしてこの中から「笑いの爆発」を起こし優勝するのはどのコンビなのだろうか。それとも、元審査委員長・島田紳助の無き今、盛り上がりに欠けたまま終わるのだろうか。

その結果はぜひ自分の目でしかと確かめていただきたい。


たった4分で人生が変わる。ただその4分のために、人生を懸けてきた漫才師達の闘いが今始まろうとしている。

「ただ証明したい。俺たちが一番面白いと」

 

 

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20歳の渋谷系ギャルが教えてくれた大切なこと

10年くらい前だっただろうか、何気なくニュースを見ていたら、喋りのプロフェッショナルである某キー局のアナウンサーが信じられない言い間違いをしていた。

大リーグのレッドソックスのことを〝レッドセックス〟と言ってしまったのである。

当時ちょうど思春期真っ盛りだった中学生は「アナウンサーがテレビでセックスって言っちゃたよー」と学校ですぐにこの話題をネタにし、盛り上がっていた。

その時、高嶺の花の象徴であるアナウンサーは住む世界が違い、どこか遠い人だと思っていたのだが、なぜだがミスをしたことでどこか親近感を感じた。


_____

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学生の頃、芸能事務所のスカウトマンのアルバイトをやっていた。

スカウトを始めたばかりのあるすごく寒い日、派手な顔だが、おめめぱっちりでとても綺麗な顔をした渋谷系ギャルが、ハチ公前で誰かと待ち合わせをしていた。

この人は「ぜひうちの芸能事務所へ!」と思い、話しかけた。


「芸能事務所、興味ないですか?」
「どこかすでに事務所入られたりしています?」
「今日はどこかお出かけですか?」

スカウトをやっていたらよくあることなのだが、僕の存在がまるで見えていないかの如く、まるで微動だにせず、言ったことは全て無視され続けた。

「このあま何無視してんねん……」

あ、言葉が悪かったですね、いや、もう、たいへんなお姉さんで。

全然僕の話を聞いてくれない。しかも、あまりの寒さにろれつが回らなくなり、思わず言葉を噛んでしまったのである。

話は聞いてもらえないわ、言葉を噛んでカッコ悪いところを見せてしまい、もうさすがにダメだと思った。


渋谷系ギャルに対して、万事休す。八方塞がり、万策尽きたかと思われた、その時である。

先ほどあんなに断固として話は聞くまいという様子だったギャルは、くすりと笑い出したのだ。

しかも、向こうから「寒い日なのに、本当にお疲れ様です。風邪には気を付けてくださいね」と優しく声をかけてくれたのであった。

その後、親切な言葉をかけてくれただけでなく、僕の話も聞いてくれて連絡先を教えてもらい、後日事務所に来てもらえることになったのである。


1週間後、事務所の説明会に来てくれたギャルのKさんに、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。

「最初、あんなに話を聞いてくれなかったのに、急にどうして僕と話をしてくれたのですか?」

すると一言だけこう言った。

「噛んだからですよ」

噛んだから?
正直、この時は何を言っているのかわからなかった。無視していたかと思ったら急に話してくれたり、噛んだから話してくれたとか言うしで、情緒不安定な気まぐれなお姉さんなのかと思った。ギャルとコミュニケーション取るのってやっぱり難しいなぁと。

しかし、これはどういう意味だったのかたまたま心理学を勉強して後になって知ることができた。

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心理学用語で「アンダードック効果」、またの名を「負け犬効果」と呼ばれるものがある。

不利な状況にあるものに手を差し伸べたくなる人間の心理の表れだ。

この心理によると、相手から善意を引き出すためには、まず自分の弱さや失敗談を曝け出した方がいいということらしい。


今まで僕は人と話をするとき、自分を良く見せようとしたり強く見せようと、ついつい肩書きや自慢話をしてしまっていた。自己顕示というやつだ。

だって同世代なのに自分よりすごい経歴を持った人なんて山ほどいたから。

学生団体〇〇代表
メンズノンノ専属モデル
電通インターン△△期生
起業
世界一周経験者

当時ちょうどTwitterがはやっていて、そんなすごそうなヤツらの情報が地方から出てきたばかりの田舎者の僕の目にいくらでも飛び込んできた。

浪人もしてるし、もっと頑張んないとって。強がって、強がって、空回りして。

ミーハーで強がりの僕は、すごそうなヤツら〟の仲間入りがしたくて、同じようにTwitterのプロフィール欄に無いに等しい肩書きをあたかもすごいかのように並べ立てていた。それで嫌なやつだと思われたこともあったかもしれない。

そんな時に一人の女の子にこんなこと言われたもんだから、すぐには受け止められなかったけれど、数年の時を経てやっと理解することができた。徐々に肩の力も抜けるようになってきた。なんだ素の自分でいいのかもしれないんだって。

 

レッドソックス〟のことを〝レッドセックス〟と言い間違えてしまったアナウンサーに、完璧でどこか近づき難いイメージから親近感がわいたように、シカトし続けた渋谷系ギャルが僕が噛んでから急に話を聞いてくれるようになったみたいに、

自慢話ではなく、相手より先に弱みを見せ、自己開示することで、相手に心を開いてもらえるんだなぁと学んだ。 

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この女性とはもう二度と会うことはないだろう。連絡先も知らない。
しかし、人と対話する上ですごく大切なことに気づかせてくれたギャルのKさんに今更ながらありがとうと言いたい。

そしてできることならあの頃の自分に、東京に出てきたばかりの20歳だった頃の自分に言ってやりたい。


強がんなくていいんだ、と。


だからこれから人と話す時は〝ソックス〟を〝セックス〟と噛んでいこう!(それは違う)

今ではこんな冗談も言えるようになったんだ!強がる必要なんてないんだぞって。

失敗談はかっこ悪いとは思わずに、これからは勇気を持ってどんどん自分の弱みを話していこうと思う。

あの頃の強がっていた自分より、きっと少しだけ前に進める気がする。

 

 

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■オススメ書籍

その話し方では軽すぎます!  エグゼクティブが鍛えている『人前で話す技法』

その話し方では軽すぎます!  エグゼクティブが鍛えている『人前で話す技法』

 

スピーチコンサルタントの矢野香さんの著書。
アナウンサーを経て、大学院で心理学の見地から「話をする人の印象形成」を研究した矢野さんの話には説得力があり、話し方についてとても勉強になります。

18禁コーナーに入りたくなる心理を考察したら、ある一つのことがわかった

■屋上から飛び降りようとした女子大生

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あれは確か、僕が大学2年生だった頃の話。年の暮れに、慶應の協生館という建物の屋上から、泣きながら飛び降りようとした女子大生がいた。

いじめられていたわけではない。慶應の授業についていけなくなったわけでもない。理由を聞いてみたが、なんてことはない。ただの失恋である。

付き合っていた彼氏に別れ話を切り出され、「別れるなら、ここから飛び降りる」と言って、自殺しようとしたのである。その女の子は、女友達はおろか他の男子とは友達になろうとすらせず、彼氏しか見ていなかったそうだ。

当時、この話を聞いて「若いな」と正直一笑に付しただけであったが、今となって思えば、この話に他人事ならない人間の心理が詰まっている気がしてならない。


■試験前に、勉強以外のことがしたくなる理由

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こんな話がある。

フロリダ州のある町で、環境保全のために、リン酸を含む洗濯洗剤やクリーニング洗剤の使用と所有を禁じる条例が制定された。

この条例に対する反応は、もはや手に入らないものを手に入れたいという傾向に拍車がかけられ、この町の大部分は、以前にも増してリン酸洗剤を良い製品だと見なすようになったのであった。

この条例が適用されていない隣町と比べて、この町の市民はリン酸の洗剤を穏やかで、冷水でも汚れがよく落ち、白さが戻り、しみ抜き効果が強いと評定したほどであった。

 

何かを所有する自由が制限されたり、ある品物が手に入りにくくなると、私たちはそれをより欲するようになるのである。

身近な例で言うと、試験前に勉強以外のことをしたくなる理由がこれにあたる。

試験直前になり、勉強をしようと思っていたにも関わらず、気付いたら今までまったくやるつもりがなかった部屋の掃除に没頭していた、または今まで読まないで何ヶ月も放置していたはずの本に夢中になっていた、という経験はないだろうか。

「試験勉強をしなければならない」という確立された自由を失った反動で、試験勉強以外の行為が急に輝き始めるのである。

中学生や高校生の思春期による反抗期もそうだ。

親に禁止された、夜の外出、オール、友達との外泊。今となって見れば何でもないはずのことが、当時の自由を制限された思春期の子どもからしたらどれもかけがえのない行為となったのである。

自由な選択が制限されたり脅かされたりすると、自由を回復しようとする欲求によって、その自由を以前より欲するようになる。

それゆえ、希少性が増して、ある対象にこれまでのように接することができなくなると、以前よりもその対象を望んだり所有しようとすることで、妨害に反発するのである。


■冴えない男子が、なぜ女子に振られるのか

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『LOVE理論』という本をご存知だろうか。これは『夢をかなえるゾウ』で一躍有名となった水野敬也氏が恋愛マニュアル本200冊以上読破し、より実践的な内容を書いた、業界では有名な幻の恋愛バイブルだ。

様々な独自の恋愛理論が紹介されているのだが、そのうちの一つに「執着の分散理論」がある。この理論を簡単に言うと、「同時に何人もの女を口説け」ということである。


「冴えない男子が、なぜ女子に振られるのか」

著者によれば、ほとんどの男に共通する振られる理由は「余裕がなかった」からだそうだ。

 

お前にもこういう経験があるだろう。好きでもないどうでもいい女の前ではいつもの自分でいられるし、そういう女からはホレられたりする。しかし、好きな女の前に出るとどうしても緊張して余裕がなくなる。

だから会話がぎこちなくなる。女はそういうお前を見て気持ち悪いと思うのだ。

しかしお前は余裕を取り戻すことができない。むしろ好きになればなるほどテンパって、どうしようもなくなって、そうした状況に耐えられなくなったお前は玉砕覚悟で告白する。こんな告白がうまくいくわけがない。こうしてお前は「好きになった女に限って」フラれていくのである。

 

好きな女性の前で緊張してしまう理由は、「たった一人の女性に惚れ、その女性しか口説いていないから」である。同時に複数の女性を口説くことによって、好きな女性の前でもテンパらずに常に余裕を保つことができると、著者は力説している。


何年か前のクリスマス直前に、サークルの後輩の大学2年生の女の子に恋愛相談をされた。同じサークル内に好きな男子がいる。でも、恋愛に奥手で緊張して話せないし、向こうも自分のことをどう思っているのかまったくわからないから、どうしたらいいかわからないと言われた。

そこでこの「執着の分散理論」をアドバイスしてみたら、「え、それチャラくないですかー」とすぐに一蹴されてしまい、困惑した。(確かにチャラい)

しかし、今なら意中の相手に対してこう言えと、アドバイスするだろう。


「私、同じ大学のイケメンの先輩から口説かれてて…


数少ない資源を求めて競争をしているという感覚は、人々にとって強力に動機づける性質を持っている。ライバルが現れた瞬間、冷えた恋心にも情熱が渦巻くようになったりするのである。


■思春期の18禁コーナーへの憧れ

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この心理を利用したセールスが「数量限定」「期間限定」である。


よくアメ横の商店街で「15分限定売り尽くしセール」と声高々に叫んでいる店員さんがいる。15分限定なんてことは真っ赤な嘘で、本当は一日中やっているし、毎日のように営業している。

しかし、「15分限定」という言葉に乗せられて、気付けば欲しくなかったような物まで買ってしまっているのである。

人々は、機会を失いかけると、その機会をより価値のあるものとみなしてしまうからだ。


冒頭に書いた彼氏に振られ屋上から飛び降りようとした女子大生もおそらくそういう心理が働いていたのだろう。

他の男友達はおろか、女友達も作らず大学では彼氏とばかりいた。彼氏がいなくなると、この世界にぽつりと一人取り残されてしまう。
そのため彼氏への価値が異常に高まり、どうしても別れたくなくなってしまったのだろう。


ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の笑ってはいけないシリーズもそうだ。
お笑い番組なのに、「笑う」という日常的な生理現象を禁止することによって、より一層笑いたくなってしまう。今なお視聴者から愛され続ける所以はそこにあるのではないだろうか。


中学生の思春期だった頃、あれほどまでに「18禁コーナー」に対して興味を抱いたのは、そういうことだったのかと、今になってやっと理解することができた。

〝見る〟という自由を奪われたことに対しての抗い。



Hな雑誌の袋とじを開けたくなるという行為は、純粋な人間的心理であり、何の恥ずべき行為ではないのだ!

 

 

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影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

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半年くらいかけて実践しながら読んだ森井のバイブル的一冊。人間的心理ここから学びました。 

 

LOVE理論

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 業界では有名な幻の恋愛バイブル。

 

恋愛論 (新潮文庫)

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恋愛について書かれた古典的名著。
スタンダールは、恋愛によってその対象を美化させてしまう心理を「結晶作用」と名付ける。

関西人はツッコミでいつも忙しい

それってツッコミ待ちですか?ということがよく起きる。
そんな時、関西人の性で思わずつっこんでしまう。


僕の住んでいるそばの駅に「センター北」という駅がある。

センター北て、センターなのか北なのかどっちやねん。センターよりの北か?それとも北よりのセンターか?え?

とまぁ簡単に言うとこんな感じである。
ヘンテコな駅名を見付けたらつっこまないといけないから、電車の中は忙(せわ)しい。

_____

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レストランへ行くと、もっと忙しくなる。

まずメニューだ。
メニューに「子羊の軽い煮込み」とかいうものがあれば、

「何軽いって?軽いって何」
「しっかり煮込んで。じっくりコトコト煮込んでや。手抜かんといて~」


〇漁師風オムライス 980円

「漁師風ってなんやねん。シーフードとか魚介ならわかるけど、漁師風ってなんやねん。漁師さんはオムライス作らへんからな!」


容赦ない。そろそろ一緒にいる男友達が呆れている。


メニューを見ていたらずっとつっこんでいそうなので、店員さんを呼ぶ。
そこでオススメを聞くとまた問題が起きる。

「そうですね。特にこちらの梅水晶(サメの軟骨と梅肉を和えた珍味)が、女性に人気です!」

男性や。男性二人で来てんねん。女に見えたか?え?男性に人気なの教えんかい。

これは完全に店員さんのツッコミ待ち。関西人への当て付け。陰謀だ。
いざ尋常に受けて立とう。


やっとこさチーズインハンバーグを頼んだら、店員さんが"ハンバーグインチーズ"お待たせしました」と言って出してきたことがあった。

「逆!逆!それやとチーズの中にハンバーグ入ってもうてる!」

戦慄した。
もうつっこまざるを得ない。
半分に切ったら、とろーっと流れ出るチーズ……ではなく、ハンバーグがどんっと出てくることになる。

 

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「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へしばかりに、おばあさんはレストランへ行きました。

おばあさんはメニューを選んでいるとチーズが運ばれてきました。
「おや、これは立派なチーズなこと」
おじいさんに半分持って帰ってあげようとチーズを切ると、なんと中からとても元気で芳ばしいハンバーグが出てきました。
ハンバーグは大きな声で「ジュージュー」と産声をあげていましたとさ。」

 

桃太郎もびっくりだ。確実に鬼とシェアしたくなる。後世代々語り継がれることになるであろう。世代交代が甚だしい。

もはや桃太郎ではなくハンバーグ太郎だ。

いや、ハンバーグは洋風なので、ハンバーグマンか。

「日本昔話 ハンバーグマン」

日本昔話の歴史が塗り替えられた瞬間だ。

もしくは
「日本昔話 ハンバーグ イン チーズ」

もちろんこの場合の"イン"はミドルネームやけどな。


あぁ、ツッコミで忙しい。関西人の性を恨む。

_____

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関西人は日本昔話の歴史を塗り替え、そして神様にも容赦なくつっこむ。怖いものなしだ。
最後にその話をさせてほしい。

そのためにはまず、愛すべき親友・まさやの話をしなければならない。

まさやは男3兄弟の次男。
地元では「油断したらまさや家みたいになるよ~」と言われる。

というのも、まさや家の長男は一度受験に失敗し一浪している。
次男のまさやは、一浪した長男を見て育ったからだろうか。ちょっとくらいは大丈夫だろうという油断からか、二浪してしまった。

「背中を見せる」とはよく言ったもので、そんな二浪したまさやを見て大きくなった三男は、やはり気を抜いてしまったのだろう。まさかの三浪してしまったのである。

男三兄弟で足して六浪。まさや家は足して六浪。大事なことなのでもう一度言う。足して六浪なのである。

親が子に「遊んでばっかりいたらまさや君ちみたいになるわよ」と言われるレベルである。

足して六浪の時点で面白いのだが、2浪した末、センター試験の国語が200点満点中ちょうど100点だったという奇跡的な読解力を持つ愛すべき親友・まさやが、受験前に初詣で引いたおみくじはこちらだ。

 

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「国語の実力が足りぬ」

神様、ようわかっとるやん。

 

 

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聞き間違い=やってはいけないミス、のようなものだと思っていたんだけど、誰も傷つけない「平和なキキまちがい」というものがあって、それによってほっこりするようなハプニングが起こる。聞き間違いも捨てたもんじゃないなぁという話です。

 

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まにまに

まにまに

 

 これめちゃめちゃ面白いです。活字だけでこんなに笑ったのは初めてなんじゃないかってくらい面白い。西さんの関西弁がキレキレ。

風俗嬢は彼氏にただでセックスさせるのか

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風俗嬢の友達に、彼氏とのセックスについて悩んでいると相談されたことがあった。

悩んでいると聞いて、彼氏とうまくいっていなくてセックスレスなのかなくらいに思っていたら、そうではなかった。


「普段お金をもらって仕事として、セックスをしている。
それなのに家に帰っても彼氏とセックスをするとなると、なんかおかしな感覚になるの」
「もちろん彼氏だからお金なんて取らないけど、それでもなんで無償でセックスしているのかわからなくなってきて、そんな卑しい自分が嫌なの」

そう言われた。聞くところによると、この悩みは風俗嬢あるあるらしく、周りの風俗嬢の子達も彼氏とのセックス事情で悩んでいると言っていた。

これを聞いたとき、よくある恋愛相談とは違い悩みがぶっとびすぎていて、正直話を聞くくらいしかできなかったのだが、

この風俗嬢のもやもやとした悩みの本質とはいったいなんだったのか、行動経済学の観点から説明できるじゃないかと思い、かつその悩みの正体は僕たち一般人にも知っておくべき大事なことなんじゃないかと感じた。

 

■社会規範と市場規範の世界

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行動経済学者であるダン・アリエリー曰く、僕たちは二つの異なる世界に同時に生きている。

「社会規範」が優勢なほのぼのとした世界と「市場規範」に支配された世界だ。

(聞きなれない言葉でわかりにくいかもしれませんが、この記事の肝となる部分なので、読み飛ばさないでいただけたら嬉しいです!)

一つ目の世界、「社会規範」には、友人同士の頼み事が含まれる。

旅行に行くから愛犬を預かってくれない?書くものがないからボールペンを貸してくれない?といったように。

社会規範は、僕たちの共同体の必要性と切っても切れない関係にある。たいてい穏やかでのほほんとしている。
電車でお年寄りに席を譲るといった、相手のためにする行為のようなものだ。どちらもいい気分をなり、すぐにお返しをする必要がない。

 

一方で二つ目の世界、「市場規範」に支配された世界では、まったく雰囲気が違う。

のほほんとしたものは何もない。賃金、価格、賃貸料、借金など、やりとりは非常にシビアだ。
このような市場の関わり合いが必ずしも悪いというわけではなく、対等な利益や迅速な支払いという意味合いもある。

市場規範の世界では、支払った分に見合うものが手に入る。そういう世界だ。

(2つの世界の説明、ご理解いただけましたでしょうか…!)

社会規範と市場規範を別々に隔てておけば、人生はかなり順調にいく。
しかし、この二つの規範が衝突するとたちまち問題が起こってしまう。

 

■社会規範を市場規範に切替えてしまうと恐ろしいことが…

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例えば、こういうことだ。面白い例があるので引用する。

あるイスラエルの託児所は、子どもの迎えに遅れてくる親に何度注意しても時間通り来ないので、遅れてくる親に罰金を科すことにした。

そうしたらなんと遅刻してくる親が多発したという。罰金を払っているのだから、その分長く子どもを預かってくれよというのが親の言い分だった。

これはまさに社会規範を市場規範に切替えてしまった例である。

罰金が導入される以前、先生と親は社会的な取り決めのもと、遅刻に社会規範をあてはめていた。

そのため、親たちはときどき時間に遅れると後ろめたい気持ちになり、その罪悪感から今後は時間どおりに迎えにこようという気になった。


ところが、罰金を科したことで、遅刻した分をお金で支払うことになると、親たちは状況を市場規範で捉えるようになった。

つまり、「罰金を払ってるのだから遅刻してもいいだろう」と、親たちは迎えの時間に遅れるようになったのである。

市場規範が託児所に入り込んで、社会規範が押し出されてしまったのである。

と、ここまでは心理学の本などに載っている有名な話なので知っている人もいるかもしれないが、この話は本当はここから始まる。

最も興味深いのは、数週間後に託児所が罰金制度を廃止してどうなったかである。

託児所は社会規範に戻った。では、親たちは社会規範に再び戻り、遅刻に対する罪悪感は復活しただろうか。

答えは否である。
罰金制度はなくなったのに、親たちの行動は変わらず、迎えの時間に遅れ続けた。むしろ、罰金がなくなってから、子どもの迎えに遅刻する回数がわずかに増えてしまったくらいだ。

社会規範が市場規範と衝突すると、社会規範が長いあいだどこかへ消えてしまう。一度崩れた社会的な人間関係はそう簡単に修復できない。

社会規範は一度でも市場規範に負けると、まず戻ってこないのだ。

 

■風俗嬢の悩みの正体とは

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自分のこと以上に相手のことを考えることが愛であると聞く。相手のことを考えるのは無償(の愛)だが、

「お金じゃ愛は買えない」とはよく言ったもので、お金を出した瞬間、社会規範が市場規範とぶつかり、愛は消しとんでしまうのである。

これは何も風俗嬢に限った話ではない。
もし、この記事を読んだ人は、彼女にプレゼントをあげるとき決して値段を口にしない方がいい。

「愛のあるプレゼント」が、「××円のプレゼント」へと変わり、二人の関係は市場規範の領域へ移ってしまう可能性があるからだ。

振られた腹いせに「お前にいくら使ったと思ってるんだ」なんて捨てセリフで言った暁には、永遠の別れが待っている。


僕たちは異なる二つの世界に生きている。
一方は社会的交換の特徴を持ち、もう一方は市場的交換の特徴を持つ。

これからも僕たちはこの二種類の人間関係にそれぞれ違った規範を当てはめながら生きていく。


もやもやしたものが、やっと輪郭をはっきりとさせて現れてきた気がする。

風俗嬢があのとき抱えていた悩みの正体は、「社会規範の世界」に「市場規範の世界」が紛れ込みそうになっていたからなのだろうなとやっと理解することができた。

本来なら愛情に満ちているセックスが、売り買いされるセックスと混同し、衝突しかかってしまっていたのである。

さて、悩みの本質がわかりこれでやっと風俗嬢の友達の悩み相談に乗れる土俵に立てた気がする。
ただだからと言って、悩みの解決策は相変わらずわからない。

「彼氏とセックスするのにお金を取ったらだめだよ」なんて言ったとしても、「そんなの当たり前じゃん」と一蹴されるだけだ。
この社会規範と市場規範の話をしても「ふぅん。なんだか難しくてよくわかんない」くらいにしか言われないかもしれない。

この悩みが解決されるまで僕はブログをやめられない。

今日も「思考を整頓」し、"もやもやしたもの"に輪郭をあたえていく。

 

 

 

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カブト虫の雌に角がない理由と、汚い川にホタルが住むようになったワケ

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夜中、目が覚めると天井が光っていた。

正確には小さな光が点滅していた。

当時中学1年生の怖がりだった僕は、「(幽霊が) ついにでてしまった……」と震えた。

電気を付けさえすればこっちのもんだと、なんとか布団にくるまりながら、幽霊(のようなもの)にばれないように電気を付ける。

恐る恐る光っていた天井を見上げると、そこにはなんと一匹のホタルがとまっていた。

「なんだ、ホタルかよ」と心の底から安堵したと同時に、「なんでホタルおるん!?」と疑問に思う。

いちお言っておくと、実家は兵庫県宝塚市にあり、ホタルが出てもおかしくないような田舎というわけではない。

その日はもう夜中だったのであまり深く考えず、ホタルを外に逃がして眠ることにした。


それから数年後。

家にホタルが入ってきたことも忘れてしまい、幽霊なんてまるで怖くなくなった頃、周りの住民の間で、夏にホタルが出ると話題になった。

そのときになってやっと「ホタル幽霊と見間違える事件」のことを思い出した。

あれは偶然誰かが逃がしたホタルが家に入ってきたわけではなく、家のすぐそばを流れるどぶにホタルが住んでいたことを知る。

夏に窓を開けていたらホタルが入ってくるとは。なんて風流で、粋なことをしてくれるじゃないか、ホタルよ。

しかし、これにはさすがに驚いた。
ホタルと言えば、田舎のキレイな川にしか住めないと聞いていたからだ。

それがあの家のそばに流れるどぶ川にいるなんて。

 

■夏の風物詩・ホタルと、男のロマン・カブト虫

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相変わらずホタルが人気みたいだ。夏の風物詩といったところか。

ちょうど今年の7月、後輩の女の子が「今からホタル祭りに行くんですよ!」と言っていた。山形県庄内町からゲンジボタルが東京にやってきて、無料で鑑賞することができるそうだ。

都会に住む8割の子どもがホタルを見たことないという。
子どもの頃に見た幻想的な光を今の子どもたちにも見せてあげたいという理由からこのホタル祭りが開かれることになったみたいだ。


ホタルも良いが、子どもの頃、僕はカブトムシに魅了されていた。

あの大きな武器である角、黒光りした羽、そして何よりあの力強さ。男のロマンだ!

毎年夏になる山へカブトムシ採りに出掛けていた。特に角の大きいカブトムシを捕まえてはカゴに入れて四六時中見ていられた。

一方でせっかくカブトムシを見つけたのにメスだった時はすごくがっかりしたのを覚えている。

「なんでメスにはあのカッコいい角がないんだ」と子どもながらに思っていたのだが、メスに角がない理由とオスの角が大きい理由が、最近たまたま読んだ本に書かれていて興奮した。


■カブトムシが巨大な角を持つようになった理由

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まずオスの角が大きい理由から簡単に。

角が短い個体と角が長い個体が生まれると、喧嘩の際に有利な角の長い個体が餌場を独占し、角が長い個体ばかりが生き残って、角の長い子孫が残る。

その結果カブトムシは巨大な角を持つようになったのである。


そして意外なことに、カブトムシはよっぽど力が拮抗していない限り、闘わない。

カブトムシのオス達は顔を合わせると相手の力量(角の大きさ)を瞬時に判断し、自分が劣っている場合は激しい闘いになる前に勝負を降りるのである。

これはカブトムシが、自ら傷つくリスクを最小限に抑え、勝ち目のない勝負を避けるように進化してきたからだと考えられている。

■メスに角がついていないワケ

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次になぜメスには角がついていないのかについて。

雌雄で異なった姿形に進化することを、生物学の用語で「性選択」と呼ぶのだが、唯一決定的にオスとメスで根本的に異なる行動を取るのが、繁殖する相手を見つけるときだ。

自然界では、オスはメスに対して求愛行動をとったり、メスを巡ってオス同士が激しい争いをする。

一方で、メスはオスに対して気を引くような行動をしたり、オスの取り合いでメス同士が喧嘩をするようなことはない。

なので力を示す武器を大きく進化させる必要がメスにはなかったである。


ちなみに大きな角を持つカブトムシは、他の個体に比べて羽が小さい。これはカブトムシに限った話ではないが、生物の巨大な武器はトレードオフの関係にある。

戦闘能力と引き換えに、高い視力、敏捷な飛行能力、嗅覚などを犠牲にしている。武器を作るためにもかなりの代償を払っているということだ。

例えば、牙が異常に長いサーベルタイガーはチーターのような跳躍力はない。そのため獲物を仕留めるときは草陰に隠れ、待ち伏せして一撃必殺を狙う。

わざわざそんな武器のコストを払ってまで、カブトムシのメスは角を進化させる必要がないので、オスみたいな立派な角がないのである。


■進化は今も身近なところで起きている

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世界中の海でタラ、サケ、タイなどの魚が小さくなりつつある。漁網の網目より小さいと捕らえられないので、成長を止める魚たち。

牙が大きいものから密猟者に狩られるため、牙が小さくなり、また密漁の激しい地域では牙の持たなくなった象。

進化というとどこかすごく昔のことのようであったり、何百年かけて起こることのように感じられるが、実は今も僕たちの身近で起こっている。


おそらくあのとき部屋に入ってきたホタルは、何年かかけて汚い川でも生きられるように「進化を遂げた」のであろう。

ホタルが部屋に入ってきた背景に、粛々と進化の歯車が回っていたとはと、数年のときを経てやっと腑に落ちることができた。

ホタルとカブトムシ、子どもの頃の謎が二つも解けたことで、知的好奇心が満たされとても嬉しくなった。


しかし、そんなことを考えていたら、悲しいかな、ほとんど夏らしいことをせずに気づけば今年の夏が終わっていた。もう立派な秋だ。

来年の夏こそは、女の子とホタルを観に行こうと思う。

 

 

 

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働かない働きアリがいることを知っていますか?
そんなアリが教えてくれた大切なこと。
2年ぶりにブログを再開するにことになって、「リスタート」をテーマに最初に書いた記事でもあり、個人的にすごく思い入れのある文章。

 

 

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フィンチの嘴―ガラパゴスで起きている種の変貌 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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動物たちの武器

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"鼻くそ学級会"と電通社員の自殺について思うこと

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地元に帰って同窓会をすると、必ず話題になる昔話がある。

"鼻くそ学級会"の話だ。
小学校低学年の頃、僕のクラスで"鼻くそ学級会"が開かれた。

「クラスのしんじ君が鼻くそをほじるのをやめてくれません」と、ある女子グループが先生に訴えたのである。

そこで急遽、"鼻くそ学級会"が放課後に開かれた。

女子の言い分は、汚いので学校で鼻くそをほじってほしくないということ。
しんじ君の言い分は、どこでほじろうが俺の勝手だろということだった。

1時間みんなで真剣に話し合った末、最終的にしんじ君は「鼻くそは家でほじってきます」と言い、話は丸くおさまった。

このとき訴えた女子やしんじ君、そして他の生徒や先生も皆、非常に真剣だった。

この"鼻くそ学級会"の話が、同窓会をすると必ずと言っていいほど昔話の話題にあがる。

「鼻くそ学級会ってなんやねんwww」
「鼻くそは家でほじってきますってwww」
「そもそもしんじ何を訴えられてんねんwww」

とみんな爆笑である。もはや鉄板の笑い話だ。
当時女子に訴えられた本人も今となってはネタにするくらいである。

今年のお盆に地元兵庫に帰ったときも例外なく鼻くそ学級会の話になり、ここで僕は二つのことを思っていた。

一つは、「怒りと笑いは表裏一体」ではないかということ。
もう一つは、「人生は寄りで見ると悲劇なことでも、引きで見ると喜劇になりうる」ということ。

______
僕はお笑い芸人の千原ジュニアが大好きなのだが、ジュニアがある番組でこんな話をしていた。

久しぶりに実家に戻ったら、飼っていた犬が死んでしまっていたと。

そこで「最後はどんな感じやった?」と聞くと、ジュニアの母が「食事中に、そんな話すな!」と怒って、台所に行ってしまった。

それを見ていた父が、ジュニアの耳元でこっそりと「カッチカチ」と言ったのである。
カッチカチ。最後は、カッチカチ、である。

番組にいたビートたけしは、「叙情的だし、最後がカッチカチってさ~。バカで凄く面白い」と言い、番組内でも盛り上がっていた。

"カッチカチ"と言われたジュニアも、父にそう言われたときは、おそらく笑わなかっただろう。母が怒ってしまったくらいだ。もちろん父も笑わす気なんてさらさらなかっただろう。

しかし、笑いが起こったことからわかるように、「笑いと怒りは、紙一重」で、愛犬が死んだということに対してクローズアップで見るととても悲劇的な話なのだが、一歩引いてロングショットで見ると喜劇へと変化するのである。

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ダウンタウン松本人志の人気番組「人志松本のすべらない話」のスピンオフ番組で「人志松本のゆるせない話」が生まれたのもおそらくそういうことなのだろう。

この番組を制作していたスタッフが意図的か無意識かはわからないが、「ゆるせない(怒りの)話は笑える!すべらない!」と会議でなったのでだろう。

ちなみにこれも千原ジュニアが言っていたのだが、ホラー映画の撮影現場は、爆笑の渦になるらしい。

呪怨』では「この子の顔、白すぎだろ!?ワッハッハ」と。
貞子も冷静に考えたらテレビから出てきて「何してんねん!」って話である。

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最近電通の新入社員の女性が自殺してニュースとなっている。

今もどこかで苦しんで死にたいと思っている人はたくさんいると思うが、もし今の自分の環境がどんなに悲劇的なものであって、逃げ出してもいいので頑張って生きてほしいと願う。

冒頭に挙げたしんじ君が当時女子に訴えられた"鼻くそ学級会"について数年後にしっかりと笑い飛ばせるようになったみたいに、千原ジュニアが飼い犬の死を乗り越え、しっかりと自分の仕事場で活かすことができたように、

きっと何年後かにあのとき大変やったけど今思えばおもろかったな~と、あのときの挫折が今の自分に活きているなぁとなる日がきっと来る。きっとだ。

辛かったあの時を、不運な世の中を皆で笑い飛ばしてやろう。
人生は、クローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇なのだから。

 

 

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このたび、便所は宇宙である

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