思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

誕生日を祝ってもらえる人と、祝ってもらえない人のたった一つの違いとは

昔々、ある遠い国に、どんなことでも「科学」で悩みを解決することのできる神様がいました。その神様のもとには、悩める老若男女が夜な夜な通い、人生相談をしに来ていました。

そして今宵も……。

コンッ、コンッ。ノックの音が聞こえた。

あなたがどんな悩みも科学で解決できる神様ですか?

あぁ、そうじゃ。わしが神じゃ。

ただの噂だと思っていましたが、ほんとにいるんですね……。早速ですが、私の悩みを聞いてくださいますか?

もちろんだとも。お前さんの納得がいくまで人生相談乗ってやろう。さぁ、部屋へお入り。

  

■悩み:友達から誕生日をあまり祝ってもらえないこと(相談者:女子大生・22歳)

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悩みの神様が長椅子に腰掛けると、ゆっくりと口を開いた。

深刻な顔をしとるが、どんな悩みを抱えておるのじゃ。見た感じ、今どきの女子大生って感じで、容姿も整っておる。何一つ不自由にしとらん気がするがなぁ。

そんなことはありません。

私は4年前に東京の大学に通うために上京してきました。つい先日、22歳の誕生日を迎えました。しかし、私はあることに気付いてしまったのです。周りの大学生よりも、あまり誕生日を祝ってもらえないことに……。

ほほぉ。友達から誕生日を祝ってもらえないことが悩みというわけじゃな。

はい、そうなんです。大学生最後の今年の誕生日こそは、盛大にやってみたくて、でも周りが計画してくれるわけもなく、自分で企画しようとしたんです。でも、それすら人数が集まりそうになくて、結局、「誕生日は家族と過ごすことになった」って嘘付いて、誕生日会を中止にしたくらいなんです。

それなのに、周りの友達たちがSNSで頻繁に「サプライズで誕生日祝ってもらいました(^O^)/」みたいな投稿をしているのを見て、すごく羨ましいし切なくって……。

本来なら楽しみであるはずの自分の誕生日なのに、祝われないで一人で過ごす自分の誕生日が来るのが怖いです。明るい性格ではないし、友達も多くないので、祝われないのは当然なんですかね。こんな悩みですが、解決できるでしょうか……。

うむ。もちろんじゃ。わしの言うことを聞いて実践すれば、必ずしっかりと祝われるようになるぞ。 

 

◆誕生日を祝ってもらえる人と、祝ってもらえない人のたった一つの違い

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ところで、お嬢ちゃん。最近いつ友達の誕生日を祝った?

友達の誕生日ですか?

うーん、そうですね……そういえば、もうしばらく祝ってないですねぇ。かれこれ2年前くらいですかね。

やはりな。祝ってもらえない原因はそれじゃ。

どういうことですか?

何か勘違いしとるかもしれないから言っておくが、誕生日を祝ってもらえる人はな、その人が周りから好かれるキャラだから、輪の中で中心にいる人気者だからとか思ってはおらんか?

え?違うんですか?

私はクラスの中心でも人気者でもないから祝ってもらえないんだと思っていたのですが……。

「誕生日を祝ってもらえない原因は、友達の誕生日を祝っていない」からなんじゃ。 

 

◆今の自分の環境は、自分の心を映す鏡

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お嬢ちゃんが「誕生日を祝ってもらえない」ということは、お嬢ちゃんが「誰か大切な人を祝わずに生きている」ということ。

現実の出来事は、一つの結果なんじゃ。その結果には必ず原因がある。その原因がどこにあるかと言うと、お嬢ちゃん、あんたの心の中にあるんじゃよ。

つまりだな、お嬢ちゃんの人生は、お嬢ちゃんの行動を映し出した鏡なんじゃ。相手は自分の鏡。これを鏡の法則というんじゃ。

鏡の法則

うむ。世の中に起こる出来事の結果には、必ず原因がある。原因をしっかりと見つめ直すことで、未来に起こる出来事、つまり結果を変えることができる。

お嬢ちゃんに起きている結果は、「大切な人から誕生日を祝ってもらえない」ということ。考えられる原因は、お嬢ちゃんが「大切な人を祝っていない」ということなんじゃ。

 

思い返してみたら、最近友達の誕生日を祝った記憶がなかった。正直、他人の誕生日に興味がなかった。自分にとって自分の誕生日はとても大切なかけがえのない日だが、自分にとって相手の誕生日はとるに足らない日。そんな風に思っていた。だから祝ってなかったのであった。

 

◆利他意識は伝染する

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鏡の法則以外に「好意の返報性」という法則も知っておくべきじゃな。

あ!それは大学の心理学の授業で聞いたことがあります!

うむ。好意の返報性とは、「他人がこちらに何らかの恩恵を与えたら、似たような形でそのお返しをしなくてはならない」と無意識で思ってしまう心理のこと。

そこでお嬢ちゃんの悩みの解決策の一つはこれじゃ。

「友達にひと月に1回「お誕生日おめでとう!」としっかり祝うこと」

まずは見返りを求めないで、祝い、与える。そして、してもらったことは覚えておいて、いつか必ず返す。

お嬢ちゃんが憧れる誕生日を祝ってもらっている人というのは、自分から祝ったり、とにかく人に何かを与え続けている人じゃ。いわゆるギブギブギブと言われるやつじゃな。それが、鏡の法則や返報性の原理などによって、回り回って返ってくるから、結果的にギブ&テイクになっているだけで、もとはギブし続けているだけなんじゃ。 

「どれだけ普段から人に与えているか」を肝に銘じておくことじゃな。仮にクラスの人気者であっても与えていなかったら、誕生日を祝ってもらえる確率は低くなる。

一方で、普段から利他行為をしている人は、利他意識が伝染し、周りにいる人達も利他行為をするようになる。その結果、回り回って自分の誕生日になったとき周囲からたくさん祝われるようになるだけじゃ。ギブギブギブが良いと言われるのはそういうことじゃな。

社会的ネットワークの性質上、そういった周囲から受ける恩恵というものは、クラスの人気者といったような「ネットワークの中心」にいる人の方が、「ネットワークの周縁」にいる人よりも享受できる。

そのためクラスの中心人物が頻繁に祝われているように見えるかもしれないが、元は普段から与え続けているだけの話なのじゃ。

普通の人は、人から、もらえるものにしか興味がない。一方で、誕生日を祝ってもらえる人は、与えることばかり考えている。

決して〝いい人〟が誕生日を祝ってもらえるわけではない。普段から「誕生日を祝う」という「与える」行為をしている人が、祝ってもらえるのじゃ。

ただ、こう言うと、「私は、誕生日を祝っているのに、祝ってもらえない」と言う人がたまにいる。確かに誕生日は多少祝っているのかもしれないが、一つ重大な考え違いをしている。

それは、「祝ったんだから、私は祝ってもらって当たり前」と思ってしまっていることじゃ。要するに、その人は、見返りを求めているんじゃな。そのため、祝ってあげた人に対して、「見返りが足りない」という不満を持つ。

「祝う」という利他的な行為のはずが、実は自分のためにしていたことになる。ある意味、物々交換の要求をしているかの如くな。つまり、それは、利他ではなく、利己であり、人に与えたことになっていないんじゃ。だから、祝った本人は、「祝ってもらえない」と思ってしまうんじゃ。誕生日は結果的に祝ってもらえるようになるのであって、等価交換ではない。

 

◆大事な仲間の人生を懸けた挑戦の時は、必ず立ち合い、応援する

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自分の誕生日会に友達を誘ったのに、誰も来てくれなかったと言っておったな。

はい、悲しいことに。

また思い返してみぃ。最近、友達の誘いに断ってばっかりではなかったか?

そういえば、確かに……。ついこないだもダンスサークルの仲の良い友達から引退イベントに誘われていたのですが、あんまり興味がなくて、本当は空いていたのに「バイトがあって行けない」と言って結局行かなかったんです。今までも何度か誘われたこともあったのですが、「行けたら行くね」と言って流してしまうことばかりで……。

そうじゃろうな。お嬢ちゃんに起きていることを見れば、お嬢ちゃんの心の中を覗くことができるわい。

いいか、よく聞きぃ。ただの飲み会や遊びの誘いなら断ってもそこまで支障はないかもしれない。しかし、本当にこれからも仲良くしていきたいと思っている相手の「ここぞ!という大事な誘い」だけは絶対に断ってはいけない。

今まで何か月も何年も、ずっと努力して積み上げてきた集大成の場。そんな誘いに来てくれないということは、「その友達のことなんてどうでもいい」と間接的に言っているようなもんじゃからな。

それなのに自分の誘いは来てほしい?

そんな人の誕生日会に誰が来るんじゃ。お門違いにもほどがあるわい。ここぞ!という時に来てくれない友達は、本当の友達ではないからな。

言われてみれば、おっしゃる通りです……。ということは私が今までしてきたことは、「もうあなたとは仲良くする気はないです」という合図にもなっていたのですか……。私はなんてことをしてしまっていたんでしょうか、うぅ。。

だからな、そんな時はどんなに忙しくても、ちょっとでもいいから顔だけでも出すんじゃ。どんなに忙しくたって5分くらいは行けるだろう?

仮に友達の出番がほとんど見られなくても、「わざわざ忙しい中、自分のために顔を出してくれた」ということが相手を喜ばせるのじゃよ。

「友達に会いに行く」ということは、自分の時間を相手に割くという素敵な贈り物。

こう言うとどこかテクニックのように聞こえてしまうかもしれないが、要は相手のことや状況、立場をどこまで気遣えるか、想像できるかだと思ってくれてええじゃろう。

自分にとってはたかだが1時間のイベントでも、相手にとっては何百時間の積み重ねの上にできた1時間なんじゃ。この相手の背景をどこまで想像できて行動できるかが、人付き合いがうまくいくかの分かれ道じゃ。

そんな自分の集大成の場に来てくれた人は一生忘れないし、ずっと感謝し、次何かあったら絶対に返そう!と思うもんじゃからのぉ。

確かに、そうですよね。先日、第一志望の会社から内定をもらうことができ、無事に就職活動を終えることができました。すごくお世話になった先輩がいたので、内定報告を電話でしたんです。そうしたら、「直接おめでとうを言いたいから、すぐに今日祝わせてくれ」と言われ、内定した日に内定祝いをしてくれたんです。

内定祝いを「来週やまた今度」ではなく「内定した今日」しようと言ってくださったことが、すごく嬉しくって、思わず泣いちゃうくらい感動しました。今でも思い返すと、嬉しいですし、きっとこれからも一生忘れないと思うんです。

そうじゃろう。大事な仲間の人生のターニングポイントや、人生を懸けた挑戦の時は、必ず立ち合い、応援すべき理由がわかったじゃろう。 

 

◆まずは身近な人から、150人

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お嬢ちゃん、ダンバー数という言葉を聞いたことはあるか?

いえ、まったく。何ですかその数?

ダンバー数と言って、一人の人間が関係を結べるのは約150人までと言われておるのじゃ。

お嬢ちゃん、大学でサークルか何か入っているか?

はい、茶道サークルに所属していました。

では、そんなサークルで、メンバー全員の顔がわかるレベルで仕事ができるのは、150人くらいまでと言われておるのじゃが、今までまったく周りの人達とうまく関係を築いてこなかったやつが、いきなり毎日いろんな人を祝うは少ししんどいかもしれない。

だから、まずは本当に仲良くしたいと思うこの大事な150人の中にいる人から、コミュニケーションの仕方を変えてみてはどうじゃろうか。誕生日を祝うだけでなく、それこそ後輩の内定を祝ってやるのもよし、自分の内定を祝ってくれた先輩を大事にするのもよし。

ただ、すぐに結果を期待するではないぞ。与えたことは、全て忘れることにするのじゃ。返してくれないからといって、関係を切ってはならんぞ。そして、与えてもらったことは、全て覚えておいて返すのじゃ。

一年から二年、意識を変えて接すれば、きっと自分の誕生日が楽しみになる日もそう遠くはないじゃろうな。幸せの連鎖が続くことを祈っておるぞ。 

 

_________

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今日はありがとうございました!

自分の誕生日を祝ってもらえない本当の理由がやっとわかりました。なんだがすっきりしたし、来年以降の誕生日が楽しみです。言われたことをやってみますね!

正直、始めは悩みの神様とかうさんくさいと思っていたけど、親身に相談を乗ってくださり、私の悩みに対して多くの気付きをもらった気がします!

ということで、来年の私の誕生日の時にまた顔を出しに来ます!誕生日プレゼント待っていますね!

与えてもらいたかったら、まずは与えることですよね?ねぇ、神様♡

 

 

■悩み:友達から誕生日をあまり祝ってもらえないこと(相談者:女子大生・22歳)

■解決策

1.友達にひと月に1回「お誕生日おめでとう!」としっかり祝う。

2.大事な仲間の人生を懸けた挑戦の時は、必ず立ち合い、貢献する。

■科学の法則

1.鏡の法則:現実に起きる出来事は、自分の内面を映し出した鏡であること。

これは、心理学用語で「投影」というメカニズムが働いていて、自分の心の状態を人やモノに映し出すことを言います。

例えば、夜に桜の木を見ていたとしましょう。ある人は「綺麗で、なんて良い日なんだ」と思うかもしれませんが、ある人は「不気味で、今にも枯れそうな寂れた木だ」と思うかもしれません。同じ木を見ていても、人によって感じ方が違います。自分の内面が幸せな時には、輝いているように見え、一方で寂しい時には寂しそうに見える。このように、自分の心をモノに映し出すことを「投影」と言います。

2.好意の返報性:人から好意を受けた場合、それを相手に返そうという感情が抱く心理。

3.ネットワーク理論:ネットワークを通じて、利他意識や幸福を始め、肥満、細菌、お金、暴力、ファッション等、様々なものが伝染する

4.ダンバー数:一人の人間が関係を結べる人数は約150人。

■理論の補足説明(実験結果)

1.募金をしてほしければ、まず先に花を渡すべき?

「好意の返報性」の心理を利用して、莫大な資金を集めた宗教団体がありました。信者達の主要な財源は、公共の場所での通行人から得る寄付金です。始めは、大した効果を上げることはできませんでした。そこで、彼らは、寄付金を募る前に、狙いをつけた人に花をプレゼントしました。勧誘者は「私達からの贈り物です」と無理やり何も知らない通行人のジャケットにピンで花を留めました。

このように好意の返報性の心理を、その場に持ち込んだ上で、寄付をするよう要求します。これが恐ろしいほどうまくいき、募金を募ることに成功をおさめたのでした。返報性の心理は、要請者への嫌悪感さえ凌駕して力を発揮するので、注意が必要でもあるのです。

 

2.肥満は、友人の友人の友人まで伝染する?

ネットワークを通じて、幸福や肥満を始め、細菌、お金、暴力、ファッション等、様々なものが伝染します。

ある研究によれば、直接つながっている人(一次の隔たりにある人)が幸福だと、本人も約15%幸福になるという。しかし、幸福の広がりはそこでは止まりません。
二次の隔たりのある人(友人の友人)に対する幸福の効果は約10%、三次の隔たりのある人(友人の友人の友人)に対する効果は約6%あるそうです。この幸福の影響は、四次の隔たりまでいくと消滅します。

例えば、もし自分が肥満になると、友人の友人の友人まで肥満になる可能性が上がるのです。なんとネットワークを通じて、三次の隔たりまで私たちに影響を及ぼします。

 

3.組織の規模は何人以上になると、さぼりや病欠が増える?

組織の規模が、150人くらいまでなら、全員の顔がしっかりとわかる状態で仕事ができますが、それ以上になったら、序列構造を導入しない限り、仕事の能率は落ちると言われています。150人を超えると、さぼりや病欠が一気に増えるのです。

これはビジネスの世界だけでなく、学問の世界でも同じです。サセックス大学教育学部のトニービーチャーが理系・文系の12分野を対象に調べたところ、研究者同士が注目し合えるのは、100~200人の規模であることがわかりました。研究者の数がそれより多くなると、その学問分野はいくつかの領域に分裂する傾向にあるという実験結果が出ています。

  

 

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 この記事では、「利他意識」ではなく「笑い 」が伝染するという話を「ネットワーク理論」を使って詳細に書いています。良かったらこちらもどうぞ!

 

 

■オススメ書籍

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

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なぜ与え続けたら回り回って自分に返ってくるのかをネットワーク理論で説明されています。 この本ほんと面白い。

 

友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学

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本文で紹介したダンバー数のダンバーさんの著書。 

 

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

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 好意の返報性について詳しく書かれています。

 

鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール

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 鏡の法則について。

なぜ正義の味方は、みんな〝イケメン〟なのか?

佐藤健瀬戸康史福士蒼汰菅田将暉飯島寛騎

この羅列を見て、ピンときた人はなかなかの重症だ。

共通点は、もちろん「イケメン」。そして、仮面ライダーの主人公を演じたことがある俳優である。

仮面ライダーは、子ども向けであるにも関わらず、子どもと一緒に見ていたお母さんが甘いマスクのイケメン主人公にはまってしまい、今では奥様人気もすごい。

それを聞き、正義の味方は皆〝イケメン〟であることに対して、少し疑念を抱くようになった。


■イケメンが得をする「ハロー効果」

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小学生の頃、「足が早い」というだけでモテたように、美男美女の周りには自然と人が集まってきて、人気者になったりする。

ある人が望ましい特徴を持っていることによって、その人に対する他者の見方が大きく影響を受けることを、心理学の専門用語で「ハロー効果」と言う。

簡単に言うと、外見の良い人は、才能、親切心、誠実さ、知性といった望ましい特徴をもっていると、自動的に思われる傾向があるそうだ。

こんな恐ろしい研究結果がある。

刑事裁判が開始されるときに、 74人の男性被告の身体的魅力を評定しておいた。そして、後で研究者がこれらの裁判の判決記録を調べたところ、ハンサムな男性の方がずっと軽い判決を言い渡されていることがわかった。実際、魅力的な被告で刑務所に入れられたのは、魅力的でない被告の半数しかいなかったのである。

 人は本能的に「美しい」ものに惹かれる性質がある。見た目が美しい人は、他の要素も良いと思われがちで、それだけで人から好意を抱かれるのである。

 

イケメンではない方、朗報です。

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残念ながらイケメンに生まれなかった方、安心してほしい。魅力的な容姿と同じくらい、人から好意を抱いてもらう方法がある。

社会心理学的に人から好意を持たれる理由は4つある。

「身体的魅力」「近接性」「類似性」「好意」の 4つである。

1つ目の「身体的魅力」は上記で挙げた通り。

2つ目の「近接性」は、簡単に言うと、人は何度も会えばその人に好意を抱き始めるということ。

例えば、同じクラスにすごいチャラ男で嫌いな男がいるとする。その男と特に交流があったわけではないのに、学期終わりには、その男に対しての嫌いな感情が薄れていたという経験はないだろうか。これは近接性ゆえ。

そして、3つ目の「類似性」と4つ目の「好意」がここで取り上げたい重要なポイントだ。

僕たちは自分に似ている人を好む。この事実は、意見や性格、経歴、ライフスタイルなど、どのような領域の類似性においても当てはまるそうだ。

初対面の相手と共通の友達がいたら、心の距離感がぐっと縮まって、すぐに打ち解けられたという経験をしたことがある人もいると思う。それが「類似性の効果」である。

僕は、学生時代、渋谷にある芸能事務所のスカウトマンをやっていて、いろんな人に声をかけていたのだが、この「類似性の効果」が本当に使えるかどうか実験をしてみたことがあった。

話しかけた相手に対して、出身を聞いてみたら、僕と同じ兵庫県出身です」と言われた。そこで、すかさず「僕も兵庫出身なんですよ!」と言ったらその瞬間、「あ、ほんまに?」と相手は僕に対して「敬語からタメ口」に切り替わったのである。

その後も話が盛り上がり、さっきまであんなに敬語でよそよそしかったにも関わらず、「類似性の効果」によってすぐに仲良くなることができたのであった。

それくらい「兵庫出身の上京組」という類似性によって、僕とその相手の心の距離を縮めることができたのである。

 

しかし、この事例はたまたまかもしれない。再現性を持たないと実証したうちには入らないので、就活生だった頃、就職活動の場でも「類似性の効果」の検証してみることにした。

某企業の就職活動の説明会は、学生がその場にいる社員さんと名刺交換やOB訪問することを禁じられている。理由は、一人に対応したら全員に対応しなければならなくなり、収拾がつかなくなるからだ。

就活生だった当時、説明会は社員さんとコネを作るために行っていたので、この禁止された名刺交換をなんとかくぐり抜けられないだろうかと考えた。そこで僕はある仮説を立てることにした。

説明会が終わった後、社員さんに話しかけた際、共通の話題を振り「類似性の効果」によって距離を縮め、「人事と就活生」という関係を「先輩と後輩」という関係に切り替えることができたなら、OB訪問に応じてくれるのではないだろうかと仮説を立てた。

というのも、もし自分のサークルの後輩がやってきて「また今度、お茶でも飲みながらお話を聞かせてください!」と言われたら断れないと思うからだ。

仮説を立てたら、あとは検証あるのみ。

まず1人目。とても人当りの良さそうな男性の人事Oさんに、説明会終わり「類似性の効果」を使わずに普通に話しかけてみた。

「説明会ありがとうございました。大変参考になり勉強になったのですが、もっと詳しく会社のことを知りたいので、後ほどOB訪問させていただけないでしょうか?」

結果は、もちろんNOだった。

連絡先すら教えてもらえず、「禁止されているので、説明会でではなく、自力でここまで辿り着いてください」と言われてしまった。

しかし、ここまでは想定内。

そして、2人目。ちょっと怖そうな女性人事の Rさんに今度は「類似性の効果」を使い、話しかけてみた。

共通の知り合いの人事や営業の方たちの話を出し、さらに仲が良いアピールをし、最後に「Rさんのお話も聞いてみたいので、ぜひ今度OB訪問させてください!」と。

結果は、かなりうまくいった。

名刺を切らしていたので、わざわざ紙に電話番号とメールアドレスを書いてくださり、教えてくれたのであった。

おそらく僕の仮説は正しかった。

「類似性の効果」によって距離が縮まり、「人事と就活生」という関係を「先輩と後輩」という関係に切り替えることができたのである。それくらい「類似性」は人との距離を縮め、好意を抱いてもらうために必須なのだ。


■すぐに好きと言うべき理由

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最後、4つ目の「好意」について。僕たちは、相手から好意を伝えられると自動的に望ましい反応をしてしまう。

世界で最も偉大な自動車セールスマン、ジョー・ジラードは、自分の成功の秘密はお客さんが自分を好きになるようにしたことだ、と述べている。彼はその目的のために、一見すると馬鹿らしくコストが大きいと思われることをやってのけた。毎月、一万三千人以上のお得意さんの一人ひとりに、メッセージを印刷した挨拶状を送ったのであった。挨拶状の種類は毎月異なっていたが (新年、バレンタインデー、感謝祭など )、それに印刷されたメッセージは常に同じだった。「あなたが好きです」と書かれていたのである。

人は他者から好きだと言われると好きになってしまう生き物なのである。(※恋愛だけは例外で、好きと伝えても好きになってもらえない)

 

個人的な話になるが、通称「ほっこり会」という定期的に集まる 同じゼミだった5人グループがある。

大学3年のときのゼミ合宿で、夜中に深夜のテンションで、「お互いの良いところを 1人ずつ誉めていこうぜ」という謎の褒め合いが始まった。

「○○ちゃんの周りを俯瞰して見れるのは素晴らしい」
「△△くんの引きの強さは目を見張るものがあるね」
「◆◆ちゃんを初めて見たときから可愛いと思っていた」

など最初はみんな照れていたものの、途中から真剣にお互いの良いところを誉めていった。普段言えないお互いの良いところを誉め合う「ほっこり会」は想像以上に盛り上がり、終わるまでに数時間以上経っていた。

5人で誉め合っていたのだが、正直、仲が良い人ばかりではなかった。そこまで話したことがなかった人から、そんなに好きではなかった人まで。

しかし、この「ほっこり会」が終わる頃には、あろうことか僕は全員のことを好きになっていたのであった。

「この人、俺のことをこんな風に良く思ってくれていたんだ」
「あの子は、こんなところを良いと言ってくれた」

好意を抱いていなかった相手から好意を寄せられて、気付けばその人に対して好意を持つようになってしまっていたである。

それくらい、好意を伝えると相手は自分のことを好きになってくれるものなのだ。

初対面の相手とすぐに打ち解けたかったら、「好意を伝えて、類似性アピール」をしてみるべきだ。声を大にしては言えないが、これが恐ろしく効くのだ。


■〝イケメン〟ではない正義の味方

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古田新太大泉洋阿部サダヲ森山未来ムロツヨシ

仮面ライダーのその後の話として、こちらの俳優を使って描いてみてはどうだろうか。

そして、俳優としてはもちろん一流だが3枚目と言われる俳優が、お互いを誉め合うというのはどうだろう。

「あの悪役に対しての、あの蹴り最高だったねぇ」
「絶対負けると思ったのに、ちゃんと倒しちゃうあたり、さすがだよねぇー」

高視聴率は期待できないものの、少なくとも一定層からは共感してもらえるはずだ。

ハロー効果がどうとか、類似性や好意がどうだとか、散々いろいろなことを言ってきたが、結論はやはりこれに尽きる。

 

 

あぁ、イケメンに生まれたかった。

 

 

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■オススメ書籍

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

 

人間の心理を知るためのバイブル。 

女の子に「学ランを返して」と言えない

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世界からはみ出してしまっている人がすごく気になる。

・合コンに来ているのに何もしゃべらない人。
・すごくキラキラしたリア充集団のイベサーにいるのに、はじっこでぽつんとしている人。
・ボウリングでストライクを取ったのに誰ともハイタッチすることになく冷静に帰ってくる人。

世界からはみ出さないようにギリギリで生きている人が気になってしまう。というのもぼくも世界からはみ出さないように生きてきたからだ。(しかし、はみ出してしまっていたと思う)

大学生になって初めて飲み会というものを知った。

飲み会が苦手だった。
両隣の人が反対を向いて話し始めてしまったら、もう世界から取り残されてしまう。前に座っている人の話に入ろうとしても入れない。すぐにゲームオーバーだ。

この世界からはみ出し、マイナスの輝きを放ってしまうことになる。
_____

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中学3年生だった頃の話。
秋になりみんなが学ランを着始める頃、ぼくだけカッターシャツのままだったことがあった。

理由は、なに大したことではない。貸した学ランが返ってきていなかったのだ。

夏に行われた体育祭で応援団をする人は、学ランを着て応援することになっていた。当然、学ランを持っていない女子は男子に借りることになる。そこでぼくは同じクラスのちひろちゃんに貸した。

それが返ってきていなかったのである。当時、内気な性格だったぼくは「学ランを返して」とは言えなかった。

体育祭が終わり、秋がやってきた。みんなが学ランを着ている中、ぼくだけシャツのままで、周りの皆から「寒ないん?」「なんで学ラン着ぃひんの?」と言われて初めてちひろちゃんに、学ラン貸したままでさ……」とやっと言うことができたのであった。

「あ!ごめん!!!クリーニングに出したままで取りに行ってなかった!!!!」

世界からはみ出した者は、マイナスの輝きを放ってからやっと気づいてもらえる。
学ラン一つ着るのにも、不自然さが漂う。
_____

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そんなぼくだが、最近は少し世界に触れるようになってきた気がする。飲み会も少しずつ克服できるようになってきた。

去年の年末にTwitter「年賀状が欲しい」とつぶやいたら、「年賀状書くから住所教えて!」と言ってくれた女の子がいた。

就活生だった頃のバレンタインデイでは、

「内定よりチョコがほしい。
※ただしバレンタインデイに限る」

とつぶやいたら、「チョコあげるから会いたい」と言ってくれた子がいた。

SNSのおかげで、やっと少し世界に触れるようになった気がする。

チョコが欲しいと言って、チョコがもらえるなんて、なんて良い世の中なのだ。

あぁ、今年はチョコがほしいなぁ(誰か)

 

 

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眉毛をいじられて世界に触れる

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子どもの頃、よく世界からはみ出してしまっていた。

2人1組になる類いのものが苦手だった。中学生の頃、野球部で、毎朝いつも決まった相手とキャッチボールをする。

しかし、そのキャッチボール相手が風邪で休んだ日にはもうパニックだ。代わりにキャッチボールしようよと周りを見渡しても誰とも目が合わない。

あぁまた世界からはみ出してしまった、と思う。

____

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お土産も苦手だ。

15枚入りのお煎餅。せっかく買ったものの、ほんとに仲の良い友達2、3人にしか渡せず、結局残り全部自分で食べることになる。

もちろん回転寿司で好きな物なんて頼めなかった。

店員さんに話しかけることができない。
「マグロください!」なんて言うもんなら、「あいつマグロ食べたいんだ」と思われる。何より目立ってしまい、隣にいるお客さんにさえもマグロを食べたいのがばれてしまう。

僕みたいなもんがマグロを食べていると思われるのが恥ずかしかった。だから、自分のところに欲しいお寿司が回ってくるのを永遠待っているしかないのである。

なんて不条理な世界だ。誰にも取ってもらえず回り続けている皿みたいな人生だ、なんて思っていた。
____
しかし、そんな僕でもごくたまに世界に触れられる瞬間があった。

眉毛をいじられる時だ。

中学生の頃、ワンピースのサンジの眉毛にそっくりのぐるぐる眉毛だった。

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イケてる男子と可愛い女子がわいわい話しているところに呼ばれ、「森井、眉毛がサンジみたいなんやで」といじられる。

「ほんまや~かわいい~♪」

イケてる女子の象徴である上履きと学生鞄に落書きをしている女子からそう言われる。

一瞬でもイケてるグループの会話の中心にいられるのが嬉しかった。

世界に触れた瞬間だった。

____

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先日、雰囲気の似ている友達にそんな昔話をしたら、すごく共感してくれた。

「その話すごくよくわかる!」

わたしも人の輪に入るのって本当に苦手で、、、

そして最近後輩が入ってきて、仕事を全然しないから怒りたいんだけどなかなか注意できないと言っていた。

「でも今度、勇気だして話してみるね!」

ここまでは良かったのだが、後日あらためて話を聞いたら、「ちゃんと仕事せなあかんよ!」と注意したら後輩にこう返されたらしい。

 

「え!先輩、関西弁なんですねっ!可愛い~!」

 

やはり世界は触れそうでなかなか触れない。

 

 

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「ドッジボールが地獄だった」と女の子に言われてハッとした話

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小学生の頃、僕にとって「ドッジボールが強い」ことは正義だった。

毎日毎日、休み時間はドッジボール

体育の時間にドッジボールをするとなったときは、飛んで喜んだ。敵チームの相手に向かってボールを力強く投げつけ、いかに誰よりも長くコートにい続けられるか。

今思えばよくあんなに飽きずに同じことばかりできたなぁと思うけれど、それくらい夢中で楽しかった。

それから学年が上がり、中学生になり、いつの間にかドッジボールをしなくなっていった。

 

そんなことすら忘れていた最近、Twitterを何気なく見ていたら、同じゼミだった先輩がドッジボールは地獄だった」とつぶやいていて、思わず首を傾げた。

ドッジボールが地獄?あんなに楽しかったドッジボールが?

即座にそのツイートに返信した。ドッジボールが地獄ってどういう意味ですか?と。するとこう言われた。

 

「ボールに当たるのが痛いのに、ボール当てるゲームとかほんとに怖さしかなかった……人にボールを当てて何が楽しいのよ」

 

これを聞いて愕然とした。

仲良くなるために強制的に参加させられる男女混合のドッジボール大会。特に運動が苦手な女の子は足がすくみ、ただただ怯えた時間を過ごす。

いかに弱いボールで外野に出るか、または気配を消してゲームに参加していない空気を出すかで必死になる。

逃げ回ったら逃げ回ったで、恐怖が続く。ゲームの終盤は早いボールを投げる人しか残らないから、地獄が待っているのだ。

 

僕はドッジボール強者だったのでまるで気づかなかった。ある女の子にとってドッジボールは地獄だったと知って、思わず言葉を失ったのだった。


■無差別殺戮か、救済か

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前に『ねずみに支配された島』という生物多様性について書かれた本を読んだことがあったのを思い出した。

捕食者のいない島の生物は、大陸で進化した捕食者が侵入すると瞬く間に絶滅の危機に追い込まれてしまうらしい。

地球の片隅の島で絶滅に向かっているそんな動物たちを救い、捕食者を殲滅しようとする人たちの物語。

オセアニアでは、人間が連れてきたネズミのせいですでに2000種類近くの動物が消えたと書かれている。

そんな捕食者であるネズミを殲滅させるため、ネズミ駆除作戦が実行される。人間たちが連れてきたのに、いざ問題が起こると駆除するというなんとも自分勝手な話だが、考えさせられるのはここからだ。

 

絶滅に向かっている動物にしてみたら「救済」かもしれないが、ネズミにとってみればただの「殺戮」なのである。

それでも、ネズミを駆除しなければ、島は絶滅する。ネズミだらけの島になってしまうのだ。

保護活動家は、新しい殺鼠剤で、一匹残らずネズミを殲滅しようとする。 そしてそれを〝聖戦〟と言って。

 

ネズミを殺戮することは、はたして本当に聖戦なのか。どこまでが救済で、どこからが無差別殺戮なのだろうか。

 

僕たちはどんな社会にいかに生きたいのか

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何が正義で、何が悪なのかわからなくなってきた。

自分がやっていることは本当に正しいのかを考えさせられる。正義だと思っていたことが、違う人からしたら悪な場合があるからだ。

小学生の僕にとっての「ドッジボールが強いこと」は正義だったが、本当に正義だったのだろうか?

数学の試験みたいに、これが正解!ときっぱりと答えを出せないのがとてももどかしい。

バトル漫画で、すごい悪いヤツだと思っていた敵キャラが、敵キャラは敵キャラで自分の正義にのっとって、自分の信じる道を進んだ結果であって、本当は悪いヤツではなかったのかもしれない、と倒した後になって気づくあのもどかしさにすごく似ている。

 

これから死ぬまでにこのもどかしさに何度か出会う日が来るかもしれない。

貫き通さねばならない正義とは、大切にすべき価値観とは。

 

子どものドッジボールから、戦争という大きな問題まで、社会のいたるところで意見の分かれる〝正義〟が起きている。

正解のないこの問いに答えるためには、僕たちはどんな社会にいかに生きたいのかを考えておく必要があるのかもしれない。

時に意見をぶつけ合い、折り合いをつけ、差異を受け入れる。

きっとどこかに共通善が存在すると信じて。

 

 

__________

【※追記:2018/4/18】

このとき「何が正義で何が悪なのかわからない」と悩んでいましたが、1年少し経った後、冷静に考え直したのが↓↓下記の記事です。

今の僕にとっての「正義と悪」の結論のようなものをやっと出すことができました。ドッジボールの話が少しでも面白かったと思っていただけたのなら、楽しんでもらえるかもしれません。

 

 

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■オススメ書籍

ねずみに支配された島

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 生物多様性について考えさせられる名著。

捕食者なき世界 (文春文庫)

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同じ著者ならこちらもオススメ。

それをお金で買いますか――市場主義の限界

それをお金で買いますか――市場主義の限界

 

 「結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにして共に生きたいかという問題なのだ。」

1週間で1記事300pvから1万pv!自分にしか書けない文章術の極意8ヶ条


 ここ2週にわたって大好きな本や文章、ブロガーさんについて書いてきまして、3部作今回でラスト。今回は文章を書く上での仮説・検証の仕方や市場の見極め方についてがメインですが、文章を書き始めてからこの約7年間で培ったものを詰め込みました。本記事16000字の超大作となっているので目次を作っておきます。

 

1.「こういうのを書きたい!」かつ「自分でも書けそう!」という文章の教科書を見つける
2.「今、ネットで何が求められているのか?」を分析する
3.自分が扱える「バズの公式」を作る
4.仮説が外れたときにすべきこと
5.無理にバズらせるより、魂をこめた記事
6.マーケット感覚を身につけよう
7.「バズの公式の作り方」ではなく「公式そのものの作り方」を学ぶ
8.マーケット感覚を養うべき本当の理由

  

自分にしか書けないウケる文章=「自分の書きたいかつ書けること」×「市場を見極める力」

この記事で言いたいことはこちらです。記事の前半では「自分の書きたいかつ書けること」について、中盤から「市場を見極める力」の話をしていきます。


■ 1.「こういうのを書きたい!」かつ「自分でも書けそう!」という文章の教科書を見つける

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文章上達の秘訣は、ずばり「真似」である。自分がいいと思う文章を見つけて、それを模倣する。それに自分の色を足していくことで、オリジナルな文章が生まれる。おそらく何をするにしても大切だと思うが、こと文章に関しても模倣が大事だと断言できる。

そのためにまず模倣すべき「自分の文章の教科書」となるものを探すべきだ。

そんな教科書となる1冊を見つけるためにはまず100冊読む。座右の書となるであろう1冊を見つけるために残りの99冊があるのである。がつんと殴られたかのような衝撃的な一冊とは、そうやって出会うもの。

では、具体的にどんな文章がいいかと言うと「こういった文章を書きたかったんだ!」「これは俺のための本なのか!」と思わされるような文章である。

しかし、ここが大事なところなのだが、読んでいて仮に面白かったとしても、それが自分に書けそうにない文章なら、それは自分の文章の教科書にしてはいけない。

「お手本とする文章なんだけど、なんか自分でも書けそう」というところがポイントだ。

「こういうのを書きたい!」かつ「自分でも書けそう!」という文章を見つけるところから始める。

「知的でウィットに富んだ文章」が好きな人もいれば「自分の体験談を赤裸々におもしろおかしく暴露するスタイルの文章」が好きな人もいる。ここはなんでもいい。

「読んでいて目から鱗で、こんな文章書きたかったのだ!」かつ「この人が書く文章のリズムや構成、内容が、なんとなく自分がいつも書いている文章と似ている」と思える文章が、自分の文章の教科書にすべきである。

「すごいと思うし読んでいて面白いんだけど、これは俺には書けないなぁ」と思ったら、その文章の流派には入門できない。

僕でいうと、オモコロのARuFaさんが書くおもしろ記事が好きだ。読んでいて笑える。ただ、全力で体を張って笑いを取りにいく記事は読む分には良いけど、そこまで自分をネタにできないので、いくら研究してもあんな風には書けるようにはならない。なので「全力で体を張ってボケる」土俵では戦ってはいけない。 


次に、お手本となる作家を見つけたら、「その人の書いた本は全部読んで研究する」。それらの着眼点・構成・リズム・言葉をひたすら模倣して書けば、文章は自然とうまくなっていく。自然とその人の文体が自分に乗り移り、「自分は作家の〇〇なんじゃないか」と思えるまで模倣できれば合格だ。

仮に構成などの入れ物というか枠組みを真似したとしても、中身が自分の体験談であればそれは決してぱくりではない。ただ、これをやると、乗り移っているので仕方がないのだが、好きな作家の文章にあまりにも似てくることがある。書いた文章は正真正銘、自分の文章なのに、見る人が見たら「あの作家のパクリではないか?」または「あの作家にインスパイアされ過ぎて、既視感がある」となってしまう。

 

そこですべきなのが、「お手本となる師匠を複数見つける」ことだ。

コラムの書き方ならこの人、エッセイならあの人、学術的な話なのにわかりやすく書く方法は××、情緒的な文章は▲▲さん、オチの書き方はいつも笑える〇〇さん、という風にである。

「この部分を真似したい、身につけたい!」という箇所を習得していくことで、自分の書ける幅が広がっていく。

そして、研究し尽くしたお手本を、複数見つけて、組み合わせる。ここまでくると自分だけのオリジナリティが文章に滲み出てくるはずだ。 

 

いろいろと組み合わせて出来上がった僕のオリジナルで、得意な文章スタイルのうちの一つは、「エロ×学問」だ。

 

前回に記事でマルコム・グラッドウェルという作家を文章の師匠の一人としていると言ったが、マルコム・グラッドウェルから、学術的な内容をわかりやすくストーリー仕立てで書く方法を取り入れた。

 

そしてこれは前々回の記事で好きと言った水野敬也さんの文章から「エロ」要素を取り入れた。ただ僕は水野さんのように赤裸々に自分の経験談を暴露できないし、しようとも思えないので、あくまでエロは外側だけだ。以下、3記事が「エロ×学問」。

 

 

読んでもらったらわかると思うが、中身は一切エロくない。外側だけエロをまぶしたポジティブ心理学行動経済学社会心理学といった学術的な内容となっている。

あとで詳しく書くが、Web上の文章はまずクリックしてもらわなければならない。そのためにはWEBでウケるいくつかの要素が必要なのだが、僕は「芸能」とか「猫」はまったく興味がないので、たくさんの方に読んでもらうために行き着いたのが「エロ」であった。

このように、マルコム・グラッドウェルと水野敬也さんから取り入れた「学問」と「エロ」を組み合わせることで僕だけのオリジナルな文章が出来上がるのである。 

 

以上、簡単にまとめるとこうなる。

①とにかくたくさん読んで、文章の教科書となる「こういうのを書きたい!」かつ「自分でも書けそう!」な文章を探す(ここが一番のポイント!)
②見つかったら、徹底的に研究する
③模倣して書く
④お手本となる師匠を複数見つける
⑤師匠から学んだ要素を組み合わせる 

⇒自分にしか書けない、オリジナルな文章の出来上がり


2.「今、ネットで何が求められているのか?」を分析する

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この記事で伝えたい、自分にしか書けないウケる文章=「自分の書きたいかつ書けること」×「市場を見極める力」の前半の説明をしたので、これから後半部分である「市場」について書いていきます。(本文16000字と大変長くなっていますが、特に■3.以降の後半が内容濃いのでどうぞ何卒最後までお付き合いくださいませ…!)

先に断っておくと、決して「バズる記事の作り方」を書くわけではない。今までバズった数なんてしれているし、そこは僕よりも語るにふさわしい人がたくさんいる。

ここではあくまで、仮説・検証の仕方と市場の見極め方について(もちろんこれも僕なんかよりも語るべき人は山ほどいますが汗)、成功事例と失敗事例を交えて、僕の経験を書くことで読者の方々にこうやって考えればいいのかと追体験してもらえるように書いていきます。 

ネットでウケる文章と自分が好きな文章は違う。僕はエッセイが好きなのだが、そんなエッセイをブログで書いてupしてもまずクリックされずほとんど読まれない。(エッセイが読まれない理由は後述しています)

自分の書きたいことをそのまま書いてたくさんの人に読んでもらえたら最高だけど、そんなことなかなかない。広く読まれるためには、その都度ちゃんと市場(時代が求めているもの)に合わせて変化させていく必要がある。

そのためまず今のネットで広く読まれる記事を書きたい!という人は、どんな文章がウケるのかを分析して、どういった要素があればバズるのか、「仮説・検証」をする必要がある。

その上ですごく参考になるのが、中川淳一郎さんの『ウェブで儲ける人と損する人の法則』に出てくる「ネットでウケる11ヶ条」だ。

 

1.話題にしたい部分がある、突っ込みどころがあるもの
2.身近であるもの、B級感があるもの
3.
非常に意見が鋭いもの
4.
テレビで一度紹介されているもの、テレビで人気があるもの、Yahooトピックスが選ぶもの
5.
モラルを問うもの
6.
芸能人関係のもの
7.
エロ
8.
美人
9.
時事性があるもの
10.
他人の不幸
11.
自分の人生と関係した政策、法改正など

これぞ「ネット文脈に合ったネタ」であり、これらの要素が一つでも入っていない限り、今のネットでは読まれないし、拡散もされないと中川さんは断言する。

前置きが長くなったが、では具体的に僕がブログでどう仮説・検証を繰り返し、ネットでウケる文章を探っていったのかを書いていく。 

 

3.自分が扱える「バズの公式」を作る

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成功事例1.

まずネットでウケる文章を書くためにすべきことは、冒頭で書いたことと同じで、「バズった記事の研究・分析」である。バズった文章をたくさん読み込む。そうしたらなんとなく見えてくるものがあるはずだ。

タイトルにエロが入っているとか、感情に訴えるストーリー性がある、サムネイルが「猫」だとか。モテる人モテない人の特徴について書いた記事やまとめ記事、韓国やガリガリ君など。

このバズった記事の共通原則である「バズ要素」を探す。

見つかればあとは実際に「バズ要素」として合っているのか、検証作業だ。まず僕は「エロ」と「ストーリー」を検証することにした。

中川さんの言う「ネットでウケる11ヶ条」の一つである「エロ」は「バズ要素」だと知っていたが、これも後述するが「知っている」のと「実感として理解している」とでは雲泥の差なので、本当に「バズ要素」なのか、試してみることにした。

そこで、「感動的なストーリー性のある記事はシェアされやすい」と、さらにこれに「エロ要素を加えるとさらに拡散されるのでないか?」と、仮説を立てた。

出来上がった記事がこちらである。

 

 

タイトルに書いた通りの話なのだが、中身は幸せ(ポジティブ心理学)について書いていて、「ワンチャンしまくり」と「エロ」要素を入れ、最終的には「彼女一筋になる」という「感情に訴えるストーリー」仕立てにした。

この記事は、ブログ開設してから更新7回目足らずのまったくの無名ブログだったが、バズ要素が二つも入っていたからか、1万pv以上読まれたのであった。

 

そこで次にしたことは、「ストーリー」要素を取ってみることにした。ストーリーのある記事とストーリーのない記事ではどう変わるのかを検証した。 

先ほどの記事が、2つのバズ要素(エロ+ストーリー)×着眼点(ポジティブ心理学)=1万4000pv だったので、ここから物語性を取ってしまい、バズ要素(エロ)×着眼点=??? を試してみることにした。これでもしアクセス数が変わらなければ、ストーリー性はバズ要素ではないことになる。

そこで書いた記事がこちらだ。

 

 結果は、前回の半分の約8000pvだった。おそらく仮説は当たっていて、内容はみんなが興味ありそうな行動経済学についてでなかなか濃い内容だったにも関わらず、ストーリー性がなかったがゆえ、前回と比べそこまでシェアされきらずに終わってしまったのであった。

(ストーリーについて少し触れたが、ストーリーについて詳しく知りたい人は、『アイデアのちから』の中に出てくる「物語性」の部分を読むことをオススメする。アイデアを考える人にとって必読の一冊)

 

このように検証していき、自分が扱える「バズの公式」を作り上げていく。 

・バズ要素(エロ+ストーリー)×着眼点(ポジティブ心理学)=1万4000pv
・バズ要素(エロ)×着眼点(行動経済学)=8000pv


この着眼点という部分がコンテンツ力だと思ってもらっていい。仮にバズ要素をいくつも押さえていたとしても、内容が伴っていなければ拡散なんてされないので、決して内容を蔑ろにしてはいけない。

ちなみにpv数は、これに「自分の影響力」と「シェアしてくれる人の影響力」が掛け算されるので、当たり前だが同じ内容を書いても人によってpv数は違ってくる。同じ内容でも自分より影響力のある人が書けば、1万pvが、3万pvにも5万pvにもなりうる。


「バズ要素」×「着眼点」(コンテンツ力) ×「自分の影響力」=pv

よってこういう式が出来上がる。

 

成功事例2.

僕はエッセイが好きなので、趣味でこういうエッセイを書いている 。

 内容はそこまで悪くないはずなのだが、これが本当に読まれない。ものによっては1万pv以上読まれたのに、これは500pvくらいしか読まれなかった。20倍も違う。20倍面白さが違うのかと言われれば、決してそういうわけでもない。

最初、不思議で仕方がなかった。そこでこんな仮説を立ててみた。

ブログという場(ネット)では、エッセイはウケない(多くの人に読まれない)。なぜなら、主張がはっきりとしていないからだ。タイトルを見て何について書かれるかが明確ではなく、一行目に結論が書かれていない。最後まで読まなければ、言いたいことが全部伝わらない。 

おそらく隙間時間になんとなく読んでいる人の多いネットでは、繊細な表現の文章はブログ(ネット)には向いていないのである。

そこで、「主張がはっきりしていない文章」を裏返すと、「断定的な主張が明確な文章」になる。何が言いたいかというと「断定的な文章はネットでウケるのではないか?」と考えた。

個人的にあまり尖った文章を書くのが好きではないのだが、初めて断定した記事がこちらだ。 

ブログではないが、去年書いたインタビュー記事「ディスカヴァー・トゥエンティワン 干場弓子社長が語る、若者を不幸にしている嫌いな言葉とは」(2016/03/13)では、嫌いな言葉が3つあると干場社長は言う。それが若者を不幸にしているのだ!と語気を強めて言い切っている。

干場社長の影響力や内容が時代とマッチしたのももちろんあるが、記事の意見が非常に鋭かったため、約7万pvも読まれたのであった。ネットでは「意見の鋭い、断定的な文章」が刺さりやすく「バズ要素」の一つなのである。

このようにネットでウケる文章を書きたかったら、「今のネットでは何が求められているのか?」を見極める必要がある。 

 

市場について書かれた名著『マーケット感覚を身につけよう』の著者・ちきりんさんはこう述べる。

「世の中を生き抜く力と言えば、英語力や財務知識、技術や資格など手に職系のスキルを挙げる人が多いのだけど、私はそれらより前に「マーケット感覚」を身につけるコトが、何より大事だと思ってます。

だって今や 20代から 70歳近くまで 50年も働く時代だというのに、そんな長い期間(半世紀も!)役立ち続ける技術や資格なんて存在しないんです。

だから大事なのは、「今、何が求められているのか?」を見極める力なのであって、それこそが「マーケット感覚」と呼ばれるものなのです」

この「マーケット感覚」こそ、「自分にしか書けないウケる文章」を書く上で必要不可欠な力である。


4.仮説が外れたときにすべきこと

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バズるためには共通原則はあっても、必ずバズる公式なんてものはない。次に、これは広く読まれるかなと思ったのに、仮説が外れてしまった時の話をする。

◆失敗事例1.

この記事を見てほしい。

Webでウケるバズ要素の一つに「つっこみどころがある」というのがある。

思わずつっこみを入れてしまうような話題がWEBではウケると言われている。

この記事はタイトルからもわかるように、関西人はことあるごとにつっこんでしまうという内容だ。そのためもちろん文中に「ボケ」がいくつも出てくる。そのボケを綺麗に全部拾ってつっこんでいく。読んでいただいた方達にも「特に最後のオチで思わず笑ってしまった」と言っていただけて、評判も良かった。

なのでつっこみどころのあるこの記事は、少なくとも3000pv、うまくいけば5000pvくらいはいくかなぁと思っていた。しかし、いざ蓋を開けてみたら500pvくらいしかいかなかった。

理由は単純で、つっこみどころがなかったのである。僕は仮説を誤っていた。ボケは各所に散りばめられていたが、自分で全て回収し、最終的に「つっこみどころのないおもしろエッセイ」となっていたのである。

有名人ではない限り、つっこみどころのないエッセイなんてまずネットでは読まれない。つっこみどころの認識を誤っていたと、upしてみてやっと気づくことができた。

 

◆失敗事例2.

その後、改めて仮説を立て直し、「つっこみどころ」のある文章を書いたのがこちらだ。

 こちら先に最後のオチを言ってしまうと「Hな雑誌の袋とじを開けたくなるという行為は、純粋な人間的心理であり、何の恥ずべき行為ではないのだ!」と書いた。

「わろたwwww」と思わずつっこみたくなるようにして、「エロ×つっこみどころ」とバズ要素が二つも入っているので今度こそ1万pvくらいいくかなと思っていた。これは間違いなくバズるぞ!と。

しかし、これがまったくはねなかったのである。

これに関しては本当に衝撃だった。つっこみどころもエロも入れているのになぜ!?と。読んだ人からも面白い!とLINEがきたりもしたのにだ。

このときは仮説が外れたというより、バズの共通原則が狂ってしまった天変地異かのような感覚に襲われたので、UPした次の日すぐにWeb文章について書かれた本を読みあさった。

そうしたら前述した中川淳一郎さんの著書『ウェブで儲ける人と損する人の法則』が出版された3年後に中川さんが書かれた『ネットのバカ』に答えは見つかった。

3年の時を経て、ネットでウケる11ヶ条になんと1ヶ条追加されていたのである。

それは「ジャズ喫茶理論に当てはまるもの」という項目だった。

ジャズ喫茶とは「互いの自己顕示欲がぶつかり合う場所」。ジャズ喫茶に行くような人は自らのセンスの良さを誇りたいという欲求があると中川さんは言う。超メジャーなジャズミュージシャンのアルバムをリクエストすると、「この素人め」とバカにされ、玄人好みのミュージシャンのアルバムをリクエストすると「おぉ!こいつわかってる!」と他の客から思われる。

これが意味することは、「衆人環視の下では、人々は〝イケてる人〟と思われたい」ということである。

この心理が顕著に出るのが、実名制のFacebookだ。匿名であれば、誰からどう思われようがあまり関係がない。匿名なSNSでは、バカげた記事がシェアされがちである。しかし、Facebookのように実名が伴うとそうも言っていられない。

そこで、もう一度僕が書いた記事のタイトルとサムネイル画像を見てほしい。 

 

 

「エロ」は、確かにクリックされる。しかし、Facebookでは拡散されにくい。なぜなら、他人の視線が気になり、人々は〝イケてる人〟と思われたいからである。

例えば、綺麗なお姉さんのハレンチな画像をクリックして、自分にとってドストライクな画像だったとしても、それをシェアするだろうか?と考えてみたら一目瞭然である。家で一人でにやにやしているだけである。

実名でやっている限り、露骨に怪しいタイトルだと誰もいいねしたがらないのである。しかも、この記事のサムネイル画像は実際に「18禁コーナー」の写真を使っている。

これにいいねをすると卑猥だと、周りからバカだと思われるかもしれないと、おそらく読者はひいてしまったのである。

 去年の夏にブログを始めて以来、必ず毎回母親からいいねされるのだが(笑)、現にこの記事だけはいいねされなかったくらいだ。

ちなみに僕のブログはいつもほぼFacebookから読まれている。Facebookで拡散されなかったらまず広く読まれない。そんなFacebookで「いいね」されないので、バズるわけがなかった。

人は、他人の視線が気になる実名制だと、途端に礼儀正しい好青年となるのである。

この記事でただ「エロ」をタイトルに入れればいいというわけではないことを知った。このへんのさじ加減は打席に立って自分で見定めるしかない。 

 

これら2つの失敗事例での学びは、先に仮説を立てて検証したからこそ気付くことができたということだ。

そして、仮に仮説が外れても、その失敗から得た知見でまた仮説を立て直せばいい。「仮説→検証→仮説外れる→情報収集→再び仮説を立てて検証→→(この繰り返し)→→大成功」と、そうすればいつか市場とマッチして、大成功(バズ)が生まれる日が来るはずだ。それまで試行錯誤して打席に立ち続ければいい。 

 

まとめると、

①バズった記事の分析
「バズ要素」を探し出す
バズ要素を入れて、文章を書いてみる
バズらなかったら、仮説を立て直す
再度、検証するため記事制作
自分の扱えるバズの公式を作り上げる 

⇒この繰り返しで、ネットでウケる文章が出来上がる

 

(この記事で散々、仮説仮説言ってきたが、仮説について詳しく知りたい人は『仮説思考』がオススメ。また「バカボンド」「ドラゴン桜」「宇宙兄弟」と数々の人気漫画を担当してきた敏腕編集者である佐渡島庸平さんの『ぼくらの仮説が世界をつくる』も良書。仮説について書かれているのは最初の60ページくらいだが、佐渡島さんが繰り返してきた仮説・検証を追体験できるのですごく面白い)

 

5.無理にバズらせるより、魂をこめた記事

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どうやったらより多くの人に見てもらえるか、仮説の立て方や市場の見極め方について書いてきたが、勘違いしてはいけないが、決してバズることがいいことであるというわけではない。

炎上でもとにかくバズればいいのであれば、バズの可能性を高めることはできるので、その公式をあてはめてやればいい。

しかし、無理にバズらせるよりも、本当に良い記事を魂こめて書いたほうが自分のためになる。

編集プロダクションであるプレスラボ代表の梅田カズヒコさんがこんなわかりやすい例えで、バズる記事について説明していたので引用させてもらう。

芸人で言うと、バズる記事を書く人は、エンタ芸人だと。エンタの神様に出ている人たち、波田陽区ダンディ坂野etc。ただ当然そうなると、一発屋になってしまい寿命が縮まってしまう。なので名前を売るためには早道ではあるけど、あまりいい方法ではない。

逆に長く愛される芸人は、バナナマンおぎやはぎetc。後者の方が視聴者から長く愛される。

このように、本格派芸人になりたければ、良い記事、価値のあると思ったことを発信した方がいい。1つの記事がハマらなくても、やり続けることが大事。

梅田さんは、以前、エレベーターの本を書いたらしい。これはバズりようがない。しかし、テレビがエレベーターの企画を組んだ時、声をかけられるのは梅田さんかエレベーター協会の会長しかいないから、仕事が回ってきたという。

得意ジャンルがあったらそれをやり続け、自分が面白いと思ったものを書く。最初は広く読まれなくても、わかっている人だけに届けばいい。本当に実力がある人は必ず浮かび上がってくるし、必ず評価される。有名になりたいという方は、小手先でバズる記事を書くよりも、長く愛される記事を書く方がいいと言う。


「良い記事」と「バズる記事」は必ずしも同じというわけではないので、自分にしか書けない記事を書くべきだ。 

・「バズ要素」×「着眼点」(コンテンツ力) ×「自分の影響力」=pv

・自分にしか書けないウケる文章=
「自分の書きたいかつ書けること」×「市場を見極める力」

 

この二つの式の、「コンテンツ力」の部分と「自分の書きたいかつ書けること」の部分を決して蔑ろにしてはいけない。むしろここを追究し続けるべきだ。

たった数回のバズで有名になって一発屋で終わってしまわないためにも、文章の基礎体力、地力をつける必要がある。

 

前々回の記事でも書いたが、本当に面白いと自分が思える記事を魂こめて書いたほうが読者には伝わるし、長い目でみたら自分のためにもなるのである。

 

6.マーケット感覚を身につけよう

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そして、マーケット感覚を身につけ、「自分のできること」と「時代が求めているもの」にうまくマッチさせることができるようになれれば、長く活躍し続けることができる。

第一線で売れ続けている芸人さんは、おそらくこれがしっかりとできている芸人なのだろう。一発屋で終わってしまう芸人は、たまたま自分のネタが「時代」(が求めているもの)とぶつかっただけ。意図的に当てたわけではないと、二発目を当てることができずに一発屋で終わってしまう。

そういう意味で、冒頭でこの記事は「バズらせ方の記事」ではないと書いたが、バズで一発屋にならないための、長く売れ続け、長く愛され続けるための「自分にしか書けないウケる文章の書き方」の記事なのである。

いつも炎上しているイメージのはあちゅうさんだが、この市場を見極める力が半端なく鋭いのだろう。だから、自分のできることと時代が求めているものとをぶつけることができ、よく話題になっても一発屋で終わらず、常に時代の最先端に君臨し続けている。

また芸人のオリエンタルラジオは、武勇伝に始まり、チャラ男とインテリ芸人、ラッスンゴレライ武勇伝ver.、PERFECT HUMANと現在までに4回ブレイクしたと言われている。

デビューしてすぐ売れてしまった芸人がどんどんと消えていく中、マーケット感覚を身につけているオリラジ(著書やインタビュー記事などをいろいろと読ませてもらったが、あっちゃんがこの感覚を兼ね備えていて、「次はこれが来る!」と毎回仕掛け、うまく相方の藤森氏を操っているみたいだ)は、一発屋で終わるどころか、何度もブレイクできるのである。

「今の時代、これが求められている!次はこれが話題になるはず!」と市場を見極める力が飛び抜けているオリエンタルラジオ

一方で、時代や視聴者が求めているものではなく、自分が本当に面白いと思ったお笑いを追究しようとする松本人志

www.youtube.com

(松本人志オリエンタルラジオのPERFECT HUMANに一言。この動画を見ると、同じお笑い芸人でも二人がジャンルの違うところにいることがよくわかる)

コンテンツを追究する松本人志と、マーケット感覚が優れているオリエンタルラジオ

(この両者を比べるのはナンセンスかもしれないが) いきなりコンテンツ力とマーケット感覚を両方意識するのは難しいので、どちらが得意かをまず読者は考えたらいいと思う。

自分は時代や流行に敏感で、例えば新しいWebサービスができたら使わずにはいられず、また実際に自分で新しいものを作ったり発信したい。オリエンタルラジオのように、時代が求めているものに、自分のできる得意なことをマッチさせて、話題を作りたいタイプなのか。

それとも広く一般にはウケないかもしれないが、職人的に自分の好きものについて深く掘り下げて極めたい。松本人志が撮る映画のように、視聴者から「よくわからない」と言われる可能性はあるが、それでも自分が本当に面白い!と思ったものをとことん作っていきたいタイプなのか。


自分にしか書けないウケる文章=「自分の書きたいかつ書けること」×「市場を見極める力」

「自分の書きたいかつ書けること」のコンテンツ力をひたすら極めるのか、「市場を見極める力」を上げて時代とマッチしたものを作っていくのかは、ここは得意不得意があると思うので自分と向き合った上で、楽しんで好きに書ける方をまずは選んだらいいと思う。

 

7.「バズの公式の作り方」ではなく「公式そのものの作り方」を学ぶ

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「バズ要素」×「着眼点」(コンテンツ力) ×「自分の影響力」=pv

先ほどこの公式を紹介したが、書く記事書く記事バズらせる凄腕WEBライターのよっぴーさんが言う、

「広さ」×「深さ」×「距離感」=pv

というバズるコンテンツの方程式も、WEBで文章を書く上でかなり参考になる。これも組み合わせて考えるべきなので、よっぴーさんのインタビュー記事を簡単にまとめておくので参考にしてみてほしい。


「広さ」とは「どのくらいの人たちのためのコンテンツなのか」。

例えば、山梨に取材に行って記事を作ると、それを読んで嬉しいのは、基本的に山梨の人だけ。しかし、そこに「東京から一時間で行ける!」と書くと、東京の人も巻き込める。そうやって記事の対象を広くする。

「深さ」はそのコンテンツに対して、「どれだけ思い入れ、熱量があるか」。

仮にごく少数の人にしか興味を持たれないことでも、その人たちにとってめちゃくちゃ深く刺さると、局所的に数字が取れる。よっぴーさんが書いた「Windows95ノマドする」という記事の対象は狭いが、Windows95を使っていた世代はみんな思い入れが強いから深く刺さる。

最後に「距離感」について。受け手に感じさせるコンテンツの「距離感」で、感情の動きや共感の度合いがまったく変わってくる。

近いと感じられる方が関心を持ってもらえる。例えば、テロの報道。レバノンよりフランスのテロの方が日本では話題になる。日本人にとって、レバノンよりフランスの方が心理的距離が近いのである。

他には、ユーチューバーのHIKAKINさんは、この式だと「広さ」も「深さ」もそんなにない。しかし、距離感がめちゃくちゃ近い。カメラの前で話してくれる。ニコ生主とかも。だからウケるのだと言う。


1.自分にしか書けないウケる文章=「自分の書きたいかつ書けること」×「市場を見極める力」

2.「バズ要素」×「着眼点」(コンテンツ力) ×「自分の影響力」=pv

3.「広さ」×「深さ」×「距離感」=pv

いくつか公式を紹介してきたが、こういう公式を自分で作れるようになれれば、おそらく何をやってもある程度の結果がついてくる気がする。

そういう意味で、狭い範囲で「バズの公式の作り方」ではなく「公式そのものの作り方・考え方」を紹介できたらなと思って本記事を書くに至った。こういう公式を自分で作り上げるために、まずちゃんと打席に立って仮説検証すべきだ。

もしかしたらこの式は間違っているかもしれない。しかし、仮に間違っていたとしても、それが間違っていたとわかるのはあらかじめ仮説を立てて検証したからであって、その時はまた情報収集して再度仮説を立てればいい。そうしたらより正確な公式ができあがる。

前述したオリエンタルラジオの「PERFECT HUMAN」も曲を出していきなり話題になったわけではなく、リリース6曲目だということ知っておくべきだ。全然話題にならなかった過去5曲での失敗からの得られた学びを無駄にしなかったのだろう。すべては失敗から始まり、仮説・検証を繰り返していくことで、少しずつ成功に近づいていくのである。 

 

8.マーケット感覚を養うべき本当の理由

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1.「こういうのを書きたい!」かつ「自分でも書けそう!」という文章の教科書を見つける
2.「今、ネットで何が求められているのか?」を分析する
3.自分が扱える「バズの公式」を作る
4.仮説が外れたときにすべきこと
5.無理にバズらせるより、魂をこめた記事
6.マーケット感覚を身につけよう
7.「バズの公式の作り方」ではなく「公式そのものの作り方」を学ぶ
8.マーケット感覚を養うべき本当の理由

(再度、目次)


自分にしか書けないウケる文章=「自分の書きたいかつ書けること」×「市場を見極める力」

ネットでウケる文章を書きたかったら「今、ネットで求められているもの」を理解する必要があると書いた。そして「マーケット感覚」と「自分のできる好きなこと」とをマッチさせることで長く愛され続けることができると説明してきた。

では最後に、なぜこのマーケット感覚を養った方がいいのか、僕が思う本当の理由について書かせてもらう。そのために改めて少し市場について書かかせてほしい。

市場が求めるものとは、突き詰めれば時代が求めているもの。前述した『マーケット感覚を身につけよう』の著者・ちきりんさん曰く、時代が変わり、所属していた組織が沈み、人生が100年になっても、マーケット感覚を身につけることができたら一生生きていくのに苦労しないと言う。「ブログでアクセス数を集める」というのも典型的な市場型の経験であると。 

ブログで文章を書くだけで、例えば、自分の書いた記事をシェアしてくれている層から判断すると、男性ウケする文章と女性ウケする文章の違いがわかってくる。

 

 僕が書いたブログの中で、この二つが特に女性ウケが良かった記事だ。

二つに共通していることは、「ストーリー」で「感情」に訴えているということ。

もちろん女性の方が感情的だと知っている人は山ほどいる。しかし、単に「知っている」のと、経験に基づいて「実感として理解している」とでは雲泥の差である。

女性には感情に訴えた方がいいと知っている人でも、じゃあ実際に「女性に刺さる文章を書いて」と言われると、実感として理解していないなら書くのは難しいだろう。

 

一方で男性ウケの良かった記事はこちらだ。 

 この二つに共通しているのは「学術的」な内容であるということ。ストーリー性はなく、非常に論理的な文章である。

一時期、『錯覚の科学』や『選択の科学』といった『〇〇の科学』といったタイトルの本が多く出版されていたが、これはおそらく圧倒的に男性の方が売れているのだろうと予測できる。(調べていないので間違っていたらすみません) 

一方で、女性は「科学」よりも「心理学」の方が好むし、女性層を取り込みたかったら『錯覚の科学』よりも『誰からも「気がきく」と言われる45の習慣』のようなタイトルがいいのかもしれない。 

また一般的に、女性は「恋愛・美容」に関心が強く、男性は「仕事・成功・お金」に興味があると言われている。

女性ウケした「"ワンチャン"しまくり100人斬りした慶應ボーイが、彼女一筋になった話」 (2016/10/10)は「恋愛」の話でもあるし、男性ウケが良かった「風俗嬢は彼氏にただでセックスさせるのか」(2016/11/07)は「お金」の話でもある。

「ブログでアクセス数を集める」という典型的な市場型の経験をすることで、単に知っているではなく、やっと実感として理解することができた。

僕が3年前に書いていたブログは、感情に訴えることが多かった。そのためか女子大生からファンレターをもらったこともあった。

一方で、学術的な内容である「風俗嬢は彼氏にただでセックスさせるのか」(2016/11/07)の記事で、女子大生からファンレターをもらうことはまずありえない。なぜなら、若い女性に刺さる内容ではないからだ。

この記事をUPした後、▲▼会社の代表取締役といった人には何人かありがたいことにフォローしていただけ、年齢層の高めのビジネスマンのウケは非常に良かったが、若い女性からの反響はほとんどなかった。

こんな風に何回か文章を書くだけで、どんな層にどんな文章が刺さるのかが見えてくる。もし、セールスマンがセールスレターを書かなければならなくなったとき、この男女や年齢の違いを理解していれば、層に応じて刺さる文章を書き分けることができる。より多くのお客さんに想いを届けることができるかもしれないのである。

 

◆「ブログくらい好きなことを書かせてくれよ」と思うあなたへ

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しかし、マーケットのことを考えないで、ブログくらい好きなことを書かせてくれよと思うかもしれない。先ほど本格派芸人になりたければ、良い記事、価値のあると思った好きなことを発信した方がいいと言ったばかりではないかと。

プロブロガーではない限り、確かにそれはもちろんそうだ。しかし、ブログに自分の想いなり主張を書く以上、人の目に触れるし、人に見てもらいたいからブログで書いているはずだ。人に見てもらいたくないのなら日記でいいのだから。

人に見てもらう以上、より多くの人に自分の書いた文章が読まれ、もっと言うと自分が書いた文章によって、人を感動させたり、より良い方向へ読者の行動を促すような文章であるべきだと思う。

『ヤフー・トピックスの作り方』(奥村倫弘)に、セルビア共和国コソボ自治州が、同共和国からの独立を宣言したとき、ヤフーニュースはこれを取り上げたと書いていた。

しかしこの記事は、バズ要素が入っていなかったから、ほとんど読まれなかったそうだ。ヤフー・トピックス編集部内では、読まれていないからコソボは独立しなかった」と揶揄されたと言う。

これは非常に身につまされる話で、他人事とは思えなかった。というのも僕もコソボが独立しなかった」ことがあったからだ。

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大学1年生の頃、サークルでフリーペーパーを制作していた。そこで生まれて初めてコラムを書いた。個人的に初めてにしてはよく書けたと思っていた。なので当然、周りからの反応はいいものだと思っていた。

しかし、いざ蓋を開けてみるとサークルの身内ですらほとんど誰も読んでいなかったのである。僕の書いた文章なんて誰も読んでくれてないんだってことに気づいて、悔しく悔しくて涙が出そうになった。コソボが独立しなかった」ように、誰も読んでいなかったゆえ、僕の初めてのコラムデビューは事実上なかったことに、「コラム童貞」とされてしまったのであった。

それから文章に対する考え方が変わった。ちゃんと読者を意識するようになった。書き終えたから「はい、終わり!」ではなく、読者にちゃんと届くまでが仕事であると。

具体的にどう変えていったかは割愛するが、これが僕の文章を書く上での原点だ。今でも「自分の書いた文章なんて誰も読んでくれない」と思って書くようにしている。

これが市場を意識するようになったきっかけだ。周りが何を求めていて、どういった文章がより読まれるのかを考えるようになり、少しずつだが読んでくれる人が増えてきた。 

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文章を書き始めて7年が経つ。今までに自分より面白い文章を書く人を腐るほど見てきた。毎日毎日、山ほど出版される書籍の数々。本屋へ行って新刊を手にする度に「わざわざ僕が文章を書く意義なんてないんじゃないか」と思って書くのをやめてしまおうかと思ったことは何度もあった。

しかし、こんな僕でもある年の暮れに便箋7枚ものブログのファンレターをもらったことがあった。そこには「今年は辛いことばかりで何もうまくいかなかったのですが、森井さんのブログを読んで元気になれました。来年は諦めかけていた夢を掴みにいこうと思います!」と書かれていた。

嬉しく嬉しくて、こんな風に読んでくれている人が一人でもいる限り、どんなことがあっても書き続けようと誓った。

「自分にしか書けないウケる文章」に必要な「自分の書きたいかつ書けること」と「市場を見極める力」について今回長々と書かせてもらったが、

「読者」を意識することによって、読者がプラスの方向へ進むことのできるような文章になるかもしれない。それは読者にとって、忘れられない宝物のような記事になるかもしれない。 

そうなれば、読者にとってだけでなく、自分にとってもとてもかけがえのないことになる。これがマーケット感覚を身につけるべき本当の理由だと僕は思っている。

そんな文章を書いて、読者から感謝された時はすごくすごく嬉しい。それはいつまで経っても慣れることのない喜びであり、何より文章を書いていて本当に良かったと思う瞬間なのだ。 

 

 

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■オススメ書籍

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

 

 仮説の立て方について詳しく知りたい方はこれがオススメ。

ぼくらの仮説が世界をつくる

ぼくらの仮説が世界をつくる

 

 最初の60ページくらいだが、佐渡島さんがどうやって仮説を立てて検証してきたのか追体験できる良書。

 本文でも紹介したちきりんさんの市場について書かれた本。

アイデアのちから

アイデアのちから

 

 人の記憶に残るアイデアを6つの法則で説明する本書。これは本当にオススメ。アイデア考える人は必読の一冊。

ネットのバカ (新潮新書)

ネットのバカ (新潮新書)

 

 ここに書かれている「ネットでウケる12ヶ条」はぜひ知っておきたいところ。

ブランド「メディア」のつくり方―人が動く ものが売れる編集術

ブランド「メディア」のつくり方―人が動く ものが売れる編集術

 

本文では紹介しなかったが、この本もかなり良書。中川さん直伝の「PVの取れるニュースの方程式」が書かれている。 

ヤフー・トピックスの作り方 (光文社新書)

ヤフー・トピックスの作り方 (光文社新書)

 

 「コソボは独立しなかった」

1000冊以上読破した僕が〝文章の教科書〟として薦めるとっておきの9冊

前回こちらで、大好きなブロガーさんや良記事を紹介しながら、自戒をこめて名文とはこういうものだ!という記事を書きましたが、今回は僕が文章の教科書としている本を紹介します。

■文章の師匠が見つかれば、半分成功したようなもの

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1.毎月新聞 (佐藤雅彦)

毎月新聞 (中公文庫)

毎月新聞 (中公文庫)

 

まず紹介する一冊目は、佐藤雅彦さんのコラム集『毎月新聞』

趣味で文章を書き始めたばかりの大学1年の春、BOOKOFFたまたまこの一冊を見つけた。

「僕が書きたかったものこれだったのか…!」と衝撃を受け、文章の書き方のイロハをまったくわかっていなかった僕は「こうやって文章を書けば、面白くなるのか!」と大興奮だった。

 ちょうどその日、家でむさぼるように読んでいたら、東日本大震災が発生した。地震から数時間後、夜がやってきた。

停電していたので家の中は真っ暗闇だったが、この『毎月新聞』をどうしても読みたくて、初めて〝月の光〟で本を読もうとしたのだ。「蛍雪の功」という慣用句があるのを思い出して、蛍の光で勉強できるなら!と意気込んだが、暗くてまったく読めなかった。月の光ではまず本は読めないことを悟ったのだった。

佐藤雅彦さんの本では『考えの整頓』もオススメ。僕のブログ名「思考の整頓」はここから拝借したくらい影響を受けている。

 

「20代のうちに、師匠が見つかったら人生半分成功したようなもの」と聞いたことがあるが、文章を書き始めたばかりの頃、佐藤雅彦さんの本に出会えてから、めきめき文章が書けるようになった。

中学生でもわかるような平易な日本語で、それでいて何度読んでも発見のある鋭い着眼点。6年前から今でも変わらず僕の師匠だ。

 

佐藤雅彦さんに影響されて書いた記事↓↓
「幸せの閾値と、子どもの世界が終わるとき」(2016/09/12)
「"鼻くそ学級会"と電通社員の自殺について思うこと」(2016/10/24) 

 

2.絶叫委員会 (穂村弘)

絶叫委員会 (ちくま文庫)

絶叫委員会 (ちくま文庫)

 

歌人穂村弘さんのエッセイ集。穂村さんの本に出会うまでは、一切エッセイを読んだことがなかった。まるで興味もなかったのだが、そんな僕のエッセイ観を変えてくれたのがこの一冊。芥川賞作家・又吉さんも、この穂村さんのエッセイを読んで、エッセイに対する見方が変わったと著書で絶賛していた。

「そうそう、それ俺のことだよ!」と代弁してくれる穂村さんの文章で、初めてエッセイが面白いと思った。僕のエッセイの師匠は穂村弘さん。『整形前夜』などもオススメ。

 

↓↓こういうエッセイを書くきっかけになった人。
「平和なキキまちがい」(2016/09/19)
「美容院は、子どもを大人にする通過儀礼のようなものだ」(2016/09/26)


3.天才! (マルコム・グラッドウェル)

天才!  成功する人々の法則

天才! 成功する人々の法則

 

ビジネス書一冊書くのにいったんどれだけの取材をしているのだろうと唸らされた一冊がこちら。本作りの鏡だ。

本書は、どんな才能や技量も、一万時間練習を続ければ“本物”になれる「一万時間の法則」など、「成功」の要素を“個人の資質”だけでなく、周囲の環境や文化的な側面から考察した、いわば「21世紀の成功論」である。

一見とっつきにくい学術的な話を、わかりやすくストーリーに載せて語る著者の筆致は凄まじい。学術的な内容で本来なら読みにくいだろうところがものすごく面白く仕上がっている。

学術的な内容をストーリー仕立てにしている文章に憧れて、よく僕も研究結果を引き合いに出してブログを書かせてもらっている。それはこのマルコム・グラッドウェルの影響。3人目の文章の師匠だ。

他にも『逆転!』『第1感』『急に売れ始めるにはワケがある』もオススメ。 

 

マルコム・グラッドウェルに影響を受けて書いた記事↓↓
「風俗嬢は彼氏にただでセックスさせるのか」(2016/11/07)
「18禁コーナーに入りたくなる心理を考察したら、ある一つのことがわかった」(2016/11/21)
「M-1グランプリで生まれる「笑いの爆発」の正体とは」(2016/12/03)


■文章の面白さ=体験×思考力~体験の極限は命を懸けるということ~

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4.詐欺の帝王 (溝口敦)

詐欺の帝王 (文春新書)

詐欺の帝王 (文春新書)

 

 5.謎の独立国家ソマリランド (高野秀行)

謎の独立国家ソマリランド
 

普段文章を書いていない人で、おぼつかない文章にも関わらず、読んでいて面白い!と思う記事に出会うことがある。それはたいていその人の体験がぶっちぎりに面白い場合だ。その人が体験したことが稀有な体験なので、仮に文章技術がなくても、それをそのまま文章にしただけで興味深くなる。 

文章の面白さ=「体験」×「思考力」×「文章力」

だと思っているのだが、仮にはっとさせるような着眼点で切り込む「思考力」や、何気ない日常の話を最後まで読ませる「文章力」がなかったとしても、「体験」が今まで見たことも聞いたこともないようなことだったら、自然と文章は読みたくなる。つまり、人がしない体験をすることで、思考力を補えるのである。

その「体験」の究極形、行き着く先が「命を懸ける」ということだと思う。命を懸けて書いた文章が面白くないわけがない。

 

前置きが長くなったが、上記の二冊、ノンフィクション作家の溝口敦さんと高野秀行さんはまさに命懸けで取材を行っている。 

溝口敦さんといえば、泣く子も黙る極道取材の第一人者。その溝口さんが、裏社会について取材を進めるうちに、つい六年前まで詐欺業界の周辺で「オレオレ詐欺の帝王」といわれていた人物に出会う。その人物から現代社会の闇を暴く一冊が『詐欺の帝王』だ。

また暴力団山口組の組長交代をめぐる記事の執筆を続けたことで、激怒させ、溝口さんの長男が刃物で刺されるという事件が起きた。それでも闇を暴き続ける姿勢は脅威すら感じる。

 

一方、終わりなき内戦が続き、無数の武装勢力や海賊が跋扈する「崩壊国家」ソマリア。その中に、独自に武装解除し十数年も平和に暮らしている謎の独立国があるという。それが「謎の独立国家ソマリランド」だ。 

ソマリアは有名な話だが、海賊がでる。その海賊に身ぐるみをはがされないために、海賊を雇わなければならないらしい。高野さんは、「先にお金を取られるか後で取られるかだけの違いだ」と笑いながら語っていた。なんだ、このリアルワンピースの世界は。

もう一度言うが、危険を顧みず行った取材が面白くないわけがない。 

 

あとノンフィクションなら『理系の子』『紙つなげ!』も好きだ。

(ブログでノンフィクションを書いたことはないので今回は関連記事なしです) 

 

■流派の違う師匠に弟子入りする

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6.秒速5センチメートル (新海誠)

これは個人的な好みの話になるが、新海誠さんの『秒速5センチメートル』の小説からモノローグや情緒的な文章の書き方を勉強させてもらった。「君の名は。」とは違った面白さがある。

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5年前にインタビューさせてもらったときのサイン。学生の頃、好き過ぎて自分で事務所に電話し、想いの詰まったメールを送りつけ、インタビューさせてもらった。「何があっても生き続けよう」と思う。

 

関連記事↓↓
「"ワンチャン"しまくり100人斬りした慶應ボーイが、彼女一筋になった話」 (2016/10/10)

「 20歳の渋谷系ギャルが教えてくれた大切なこと」 (2016/11/28) 

 

7.まにまに (西加奈子)

まにまに

まにまに

 

西加奈子さんのおもしろエッセイ集。

人に本を紹介するときは、当然〝面白い本〟を紹介するわけだけど、僕の中で〝面白い本〟の一段上があって(ドラゴンボールで言うスーパーサイヤ人を超えたスーパーサイヤ人)、誰にも教えたくないとっておきの一冊のことだ。

でもさらにその上があって(ドラゴンボールで言うスーパーサイヤ人を超えたスーパーサイヤ人のさらに上のスーパーサイヤ人3)、そこまでいくと感動で誰かに伝えずにはいられなくなる。

それがこの一冊で、これが本当に面白い!

こんなに読んでいて声を出して笑ったのは初めてかもしれない。この『まにまに』から何気ない日常を笑いに変える文章の書き方を学んだ。

 

西さんに影響されて書いた記事↓↓
・「右足と私、どっちが大事なの。」 (2016/10/17)
・「関西人はツッコミでいつも忙しい」 (2016/11/14) 

 

僕は小説をほとんど読まないので小説のことはよくわからないけれど、コラムやエッセイ、ノンフィクションならこういう本が好きだ。

僕のブログをよく読んでくださっている方なら気付いているかもしれないが、書く文体がよく変わる。これは流派の違う文章の師匠が何人かいて、それぞれに合わせて書いているからだ。

コラムなら「佐藤雅彦流」で、エッセイは「穂村弘流」、笑ってほしいような文章を書きたい時は関西弁バリバリの「西加奈子流」といった感じになる。

だから書く内容によって文体が変わる。そうやっていろんな流派の文章を取り入れて組み合わせることで、自分だけのオリジナルの文章になっていくのだ。


■文章術の本30冊以上読んで、本当にオススメする2

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8.20歳の自分に受けさせたい文章講義 (古賀史健)

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

 

 9.早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣 (近藤勝重)

早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣

早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣

 

文章を書き始めて7年くらい経つが、最近はまったく文章術の類の本を読まなくなっていた。文章術本は腐るほど出ているが、結局、書き方の本をいくら読んだところで、文章はうまくならないからだ。

ただ、この記事を書くにあたって、もう一度自分の文章をゼロから見つめ直そうと数十冊読んでみた。昔読んだのも入れると今までで30冊以上読んだことになる。

ライターの学校のようなものには通ったことがないので、すべて本から独学で学んできた。どの本もオリジナルな部分は全体の1割くらいで、他は似たようなことが書かれているのでさくさく読めてしまうのだが、読むのが2回目にも関わらず『20歳の自分に受けさせたい文章講義』だけは途中で読めなくなってしまった。

考えさせられてしまったからだ。

「あのとき書いた文章、どう書いたらもっと良くなったか」「ここまでしっかりと考えて書けていなかった」と反省させられてしまった。

書いていること自体はとても平易で読みやすいが、いつもの3倍くらい読むのに時間がかかってしまった。そんな本なかなかない。文章の心構えはこの一冊で決まりだ。

あと上阪徹さんの『書いて生きていくプロ文章論』『いますぐ書け、の文章法』(堀井憲一郎)も良書。

 

ただ、心構えを聞いたところで文章はうまくならないので、1、2冊これは!というのを読めば、あとは実践あるのみ。 

実践で一番役立った本は、近藤勝重さんの『早大院生と考えた文章がうまくなる13の秘訣』

「書き方の本をいくら読んだところで、文章はうまくならない」と言ったが、唯一読んだだけで(読んでちょっと実践するだけで)文章がうまくなった本がこれだ。衝撃だった。

エッセイを書きたい人ならこれは絶対に読むべきだと思う。近藤さんの著書だと『書くことが思いつかない人のための文章教室』もオススメだ。これを読むだけで、本当にエッセイが上手に書けるようになってしまう。正直のところ紹介したくない一冊だ。

 

また、最近生まれて初めて手紙を書いた。手紙の書き方がまったくわからなかったので、水野敬也さんの『たった一通の手紙が、人生を変える』を読んでみた。

水野さんの徹底的な相手を喜ばせるという姿勢を学んだ上で書いたからか、手紙を送った相手から「たった一通の手紙であんなに笑えて感動できることってなかなかない」とすごく喜んでもらえた。手紙を書こうと思っている人はぜひこの本を参考にしてみてほしい。きっとより伝わる、相手に喜んでもらえる文章になると思う。


■文章力を上げるためには「読む、書く、体験する」

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いくら文章術の本を読んだところで、結局は書かないと文章はうまくならないし、前回「こんな読んだ人の血肉となるような魂のこもった文章を僕は読みたいのだ」(2017/01/09)こちらで、本当にこれを書きたい!という想いがあれば名文になると書いた。

あとすべきとしたら、ガツンと殴られるような感覚を与えてくれるここで紹介したような良書を読むことだと思う。

特にどんな本を読むと良いかと言うと、「みんなが読まない本」がいい。みんなが読まないというだけで、その本に書かれている情報に希少価値が上がり、優位性が生まれるからだ。

では「みんなが読まない本」とは、どんな本かと言うと、「高価で分厚い本」、つまり「翻訳書」だ。しかも翻訳されて日本にやってきている時点である程度内容は保証されているので、良書である可能性がかなり高い。

人は「知らなかったことを知る」とき面白いと思う。そして知らなかったことを知ったとき、人は何かが変わった感じがする。

読者の貴重な時間をいただいて自分の書いたものを読んでもらうなら、読んだ後、読む前と比べていい意味で「何かが変わった」と思ってもらわなければならない。そのためにもみんなが読まない本を読んで、みんなが知らない情報を知っておく必要があるのだ。

①「みんなが読まない本を読む」
②「ひたすら書く」
③「人がしないユニークな体験をする」

文章上達はこの3つに尽きる。近道はない。  

 

 

■関連記事

こちらの記事では、本ではなく大好きなブログを紹介しています。こちらもどうぞ!

 

 

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こんな読んだ人の血肉となるような魂のこもった文章を僕は読みたい

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新年一発目のブログということで、大好きなブロガーさんや記事を紹介しながら、今回自戒を込めて、大変恐れ多いのですが失礼承知で、「こういった文章が読みたい!」と「文章」について書かせてもらおうと思います。

 

昨年末、DeNAWELQ騒動がありましたが、最近どうも魂の込もっていない記事が、イケダハヤトさんやはあちゅうさんの劣化版みたいなブロガーが増えた気がします。

無駄にタイトルで煽られた魂の込もっていない文章は、確かにクリックしてしまうかもしれないけれど、一度読まれたらそれっきり。二度と読まれません。

毎日、読者のことを意識されていない似たような記事が作られ、消費される。誰が書いても同じような記事になるなんて、そんなの文章じゃない。

イケダハヤトさんもはあちゅうさんもおそらく今まで数千冊という読書量と経験値があります。そんなバックボーンのある人達が書くから面白いのであって、ただの素人が変に煽って書いても何も心動かされません。

今まで何百何千と読んできたバックボーンを感じさせるような、そんな深みのある文章を魅せてほしいし、僕は読みたいです。いろんな背景が成せるはっとさせられるような着眼点が、読んだ人の血肉となるような一文が欲しいのです。

まずそんな凄まじい筆力のブロガー3人を紹介します。


■数千冊のバックボーンをひしひしと感じるブロガー3選

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1.β2

「フェンスを外す人」(2012/02/27)
「パチンコとアバクロの類似点」(2011/04/20)


一人目はβ2さん。着眼点と説得力のある文章が凄まじい。

確か5年前にこのブログの存在を知って、こんな鋭い着眼点の文章を書けるようになりたくて、ブログの記事を印刷して構成や文章のリズムを必死に研究していた。

ここ最近の記事は、数年前と比べたら切れ味が落ちている気がするが(上からでほんとすみません…)、ものすごく影響を受けた、憧れであり目標のブロガーさんの一人。


2.真顔日記 (上田啓太)

 こう毎週毎週ブログを更新していると、ネタが無くなってくる。何かのハプニングで起きたそのまま文章にしても面白いことって、実際なかなか起こるもんじゃなくて。

だからこそ誰もが見ている何気ない日常をいかに「面白く切り取れるか」「そんな見方・切り口あったのか」と提供できるかにかかってると思っていて。真顔日記の上田啓太さんのなんてことない日常を、ふざけたテンションでここまで書ききる文章力に脱帽。

先週SP番組でやっていた文筆系トークバラエティ「ご本、出しときますね?」朝井リョウさんが、「世の中には、いろんなことが起きていることを面白く書く人と、何にも起きていないのにその人が書くだけで何も起きていない世界を美しくできる人の2種類いる」と言っていたが、真顔日記の上田啓太さんはまさに後者。例えば、同居している女性とのスーパーでのなんでもない買い物風景が上田啓太さんの手にかかればぱっと輝き出す。

そして何よりただ面白いだけではない。一見なんとなく読むと最近流行りのおもしろおかしく書けるライターさんなのかなと思われがちだが、この方の文章からは何千冊という読書量のバックボーンを感じさせられる。だからオススメなのだ。


3.「ウケる日記」 (水野敬也)

僕が紹介するまでもないと思うが、一番好きなブログの一つでもあるので改めて紹介させてほしい。

水野さんと言えば、下ネタでおもしろおかしく赤裸々に自分を曝け出している文章を書いている。これももちろんめちゃくちゃ笑えるのだが、水野さんの真骨頂は「これだけは伝えたい!」という凄まじい熱量のある文章にこそあると思う。

どうやったら天才を倒せるか、天才と本気で闘ってきた水野さんだからこそ書ける文章。説得力はもちろん、感動すら覚えた。

これなんかピクサーのジョンラセター愛がすごい。熱量のある文章はどんな長文でも最後まで読んでしまう。


■死ぬまでにこれだけは伝えたい!という想いが名文とする

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では何百冊、何千冊と読んだことない人は文章を書く資格はないのか、とここまで読んできた人は思うかもしれないが、もちろんそんなことはない。

「その人にしか書けない」文章を読みたいのだ。

仮にそこまで膨大な知識がなかったとしても、その人にしか書けない、魂を注ぎ込んで、死ぬまでにこれを伝えたい!という想いさえあれば、文章のプロじゃなくても自ずと名文となる。

そこで、今度は、これは名文だ!というものを、あえて著名人ではなく、身近な僕の友人や先輩が書いた記事を選ばせてもらった。なので必ずしも文章を書くプロというわけではない。しかし、熱い想いがこもっているので、その人にしか書けない名文なのは間違いない。


◆思わず嫉妬し唸らされた記事4選+α

1.「自分の声との向き合い方」(2015/11/17)

まず埼玉でアナウンサーをやっている塩原桜さんの記事。

内容は、コンプレックスである自分の低い声から一時は逃げようとするも、あるきっかけを経て、しっかりと自分と向き合うことを決意した時の話だ。

彼女が書く文章をこのとき初めて読んだ。何気なく読み始めたのだが、思わず衝撃を受けた。いや、正確には嫉妬した。非常に力のある筆致で、なんて魂がこもっているんだと唸らされた。

この文章は、自分にしか書けない自分の心で感じたことを、借り物ではない自分の言葉で、かつ誰にでもわかる言葉で書いてあるから伝わるのだろうなぁと思った。

 

2.「高尚な散歩道」(2013/5/13)

2人目は、学生時代一緒にフリーペーパーを制作していた先輩のブログから。
子ども頃に遊戯王カードは、お金持ちが勝つゲームだ」と気付き、興が醒めたと言う。一方で、地元の友達の高校に行かない理由が、お金がないからだと知り、悲しくなる。大学に行く余裕がない、行く必要がない。理由はいくらでもあるが、それぞれに、本当にそれぞれの事情がある。だからこそ、歯痒さを感じてしまったという話。

今さらこんな記事引っ張り出しくるなよと怒られそうだが(笑)、考えさせられるすごくいい文章だ。


3.「おおかみこどもと腹式呼吸。」(2012/09/19)

3人目は、某大手広告代理店でコピーライター(Facebookを見ていると、ヤングカンヌの日本代表として選ばれたりと大活躍されているみたいです)をやられている大学の先輩。武田さとみさんの学生時代に書かれたブログ。

これまただいぶ前の記事で勝手に紹介して怒られそうですが(汗)、僕は好きな記事をEvernoteに保存していて、この記事を書くにあたってあらためていろいろと読み返してみたが、やっぱりいい文章だなぁと思ったのがこの武田さんのエッセイ。

映画「おおかみ子どもの雨と雪」を観ていない人には少しわかりにくいかもしれないが、自分が弟と喧嘩した日のことをこの映画になぞらえて書いている。これ以上は何も言わないので、とにかく読んでみてほしい。

何度も何度も読み返したくなる。声に出して読みたくなるようなこんなに綺麗な日本語は久しぶりに読んだ。

  

上記で紹介した3つの記事はどれもネットでバズりそうにない記事で、実際ほとんど身内にしか読まれていないと思うが、想いが伝わってくる素晴らしい文章だと思う。


4.「【漫画】大学受験編/アルファベット乳の今まで言えなかった話。①②」(2016/11/20) (山科ティナ)

女子大生漫画家の山科ティナさんの昨年末話題になっていたブログ。

知り合いではないが、想いのこもったブログ(漫画)を書く人だなぁと最近知って、急遽4人目に追加させてもらった。 

タイトルにあるアルファベット乳とは、A~Jカップの女の子を主人公にした4コマ漫画。その誕生秘話が書かれている。↓↓から読めます。

 漫画家志望で、自伝的マンガを描きたい人は多くいるが、大半はこういうところを見られたいと過去を美化して描いてしまって失敗すると聞く。自分の一番知られたくない恥ずかしいところを描かなければ読者には響かない。

この記事はまさに山科ティナさんが、読者に知られたくないであろう大学受験に失敗し、周りを羨んでいた頃の話が赤裸々に描かれている。自分の知られたくない過去を曝け出しているからこそ、その時の感情がまざまざと伝わってきて、思わず引き込まれる。 

あらゆるコンプレックスは、漫画や文章を書くにあたって大きな財産になると、この山科ティナさんのブログを読んで気付かされた。

 

[番外編]

5.絵描き きしおかみさ子

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最後は番外編としてブログではないが、友人のきしおかみさ子さんの絵を紹介する。

女子中高生(大学生も?)を中心に圧倒的に支持されているハートウォーミングな絵を描くきしおかみさ子さん。本人の人柄の良さが絵に滲み出ていて、思わずほっこりさせられる。絵はもちろん素晴らしいのだが、ブロガー目線で言うと、きしおかみさ子さんの言葉も注目すべきだと思う。

(「頑張ることも、頑張らないことも、大切。まえ、うしろ、した、うえ。どこを向いてもきみがそれを前だと信じることが大切。きみの頑張りは伝わってます」個人的にこれが好き)

WEBで文章を書くにあたって「タイトル、サムネイル画像、一行目、オチ」の4つの部分を特に力を入れるべきところだが、まず読者が最初に目にするところがサムネイルの画像だ。

2000字の文章が、一枚の絵と一言に負けるときがある。一瞬でたくさんの人に響く言葉を、きしおかみさ子さんの絵から学べる。

それは何より絵と言葉にたくさんの想いが詰まっているからだ。ただ可愛い絵を描いているからバズっているのではない。「だれかの明日を変えたい」「弱っている人に手を差し伸べてあげたい」というきしおかみさ子さんの想いの強さこそが、人気の秘訣であり、他のバズっている絵描きと一線を画すところだ。


■生涯の宝物としての文章

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作家・井上靖氏がこんなことを言っていた。

「自分の心を揺さぶられた文章がある。骨董品のように、それを大切にしている。私の集であるから、私だけにその価値と美しさが判り、他人には通用しないものかも知れない。心を揺さぶられた文章を生涯の宝物としてしまわれたい」


きっと魂のこもった文章とは、そういうことなんだと思う。

ここで紹介した文章は、何かの折りに触れた瞬間思い出すことがある。

アナウンサーの友人が書いた「自分の声との向き合い方」(2015/11/17)では、自分のできないことに向き合わなければならないとき、逃げそうになるときに思い出す。そして、いつも僕を前へと押し進めてくれる。

何かのタイミングで思い出せるような文章は素敵だ。一回読んだら忘れるような記事なんていらない。

この記事を書くにあたって、紹介した7人のブログの過去記事は全部読み返してみたが、

読んでいて「これだけは伝えたい!」と思って書いているであろう記事は、熱量が違う。魂や愛がこもっているとすぐにわかる。その圧倒的な熱量が、人を感動させるんだと気づかされた。

先ほど紹介した水野敬也さんの「昨日、TSUTAYAで号泣しました。」(2014/06/22)では本当にピクサーのジョンラセターが、真顔日記さんの「スラムダンクの深津をほめるおじさんについて」(2016/07/28)では、スラムダンクの深津が本当に好きなんだろうなぁというのがひしひしと伝わってくる。その熱量が人を感動させるのだ。

 

大好きな文章について年始一発目のブログで書こうと決めてから、ここ数ヶ月ずっといい文章ってなんだっけと考えていたが、いい文章とは「魂のこもっている文章」のことだと自分の中で一つ結論が出た。

それは、書き手が本当に大事にしている「これを伝えたい!」という気持ちがこもっている文章のことであり、それゆえ読んだ読者の行動をプラスの方向へ促すことができるのである。だからこそ、漫画ではなく、文章だけで勝負するのなら、一文一文に圧倒的な熱量で魂を注ぎ込まなければならない。


■魂のこもった長文で、心を揺さぶられたい

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滔々(とうとう)とこんなこと書いといてお前何様なんだと言われそうだし、えらそうなこと言える立場ではないことは百も承知だ。また今まで「文章で人を傷つけない」をポリシーにやってきて、人やものを批判しないで褒めることにしていたのだが、

それでも「魂のこもった文章を書く人がもっと増えてほしい!」「何よりそんな文章が読みたいのだ!」と一重にその想いから書かせてもらいました。

また自分が思ういい文章とは何かを考えることによって、いつも以上に文章と向き合うことができ、非常に勉強にもなりました。もし良かったら「自分が思ういい文章とは」や、あなたが大切にしている「魂のこもった記事」を教えていただけたら嬉しいです!

ネットの記事でこんな読むのに時間のかかる長文がウケないのはわかっている。時事や芸能、ネコの写真をサムネイルにしたり、つっこみどころのある記事の方が、ネットでウケるのはもちろん知っている。

しかしそれでも僕は、一年後でも、三年後でも覚えておいてもらえるような文章を書きたい。心の糧や支え、血肉となり、読者を前へと行動を導くような、これだけは伝えたい!という魂のこもった長文で心を揺さぶられたいのだ。

それは、骨董品のように大切にされ、生涯の宝物のように--

 

 

 

 

_____

最後にお前の魂込めた文章なんぼのもんじゃいと言われそうなので(もちろんこの記事も魂こめて書きましたが)、晒しておきます。こういったブログを書いています。良かったら御高覧くださいませ!!! 

 

  

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初めての世界は、何気ない一言から始まるのかもしれない

もう年の暮れですね。

年を取ってくると、初心というものを忘れてしまうもので。忘年会で後輩に会うと、当時大学生だった頃の熱い想いみたいなのを思い出すわけですよ。

そんな初心で一番想い出に残っている話があるので、それを書いて、2016年のブログ納めとしようと思います。

こっそりでもいいので、森井のブログを読んでくださった方ありがとうございました!

2017年もどうぞご贔屓よろしくお願いいたします!


――――――

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大学生になって初めてのアルバイトでのことだ。
本好きが高じて、本屋さんで働くことになった。

緊張で震えながら行ったアルバイト初日、店長にまず店内を案内された。
ここはこういうジャンルの本が置いてあって、あそこは受験参考書ねと。

「あ、ちなみに書店員の特権として、発売よりちょっと早く本が買えるから欲しい本があったら言ってね。」

「この前、フジタさんなんて発売前に『株式取引』なんて本買っていてね、インサイダー取引やってるんじゃないのって話題になってたんだから」

と陽気な店長の軽快なトークが披露された。これが書店員さんのつかみの鉄板ネタみたいだ。

初めてのアルバイトでうまくやっていけるかすごく心配だったのだが、なんだか楽しくやっていけそうだと「はい、じゃあ僕も株の勉強しときますね!」と緊張しながら、元気良く返した。
____

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次にレジ打ちについて教えてもらった。
「本屋さんはまずはレジ打ち。本の後ろにあるバーコードをここにかざしてピッとすれば読み取れるからね。

あと最後に「客層」のボタンを押すの。お客さんが男性か女性か、そしておおよそでいいから20代前半なのか後半なのか年齢のところを押してね」

あぁこうやって本屋さんはマーケティングしているのかと、消費者だと知り得なかったことを知った。

次から次へと入ってくる新しい情報に置いて行かれないように、店長から聞いたことを必死にメモしていく。

「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました!」
「またどうぞお越しくださいませ~」

そんなことメモしなくてもいいだろうということまでメモをしていた。僕はバイト先に電話するときは、話す内容を必ず先に紙にメモし、内容を一字一句違わずそのまま電話で震えながら話すようなやつだった。

だから、これはオトナになるための必要な通過儀礼だったんだなぁと今になって思う。
____

その後、社員さんに横で付いてもらいながら、実際にレジをやらせてもらうことになった。

いつも身近にあった本に囲まれていたからか、レジ打ちにはすぐに慣れた。周りが見えるようになってきたおかげで、いろいろと気づいたことがある。

そのうちの一つに「買う本を見れば、その人の心理状態がわかる」ということがある。

例えば、この4冊を買っていった人がいた。

『ストレスがたまった人が読むための本』
『人付き合いが嫌いな人へ』
『性格は捨てられる』
俺の妹がこんなに可愛いわけがない

上3冊からあぁこの人仕事で病んでいるのかなぁと、でも前向きに問題を解決しようという意思が、

それでもだめだった時のために、最後の4冊目のラノベでアニメの世界に現実逃避できるようなラインナップだと見てとれる。

本は読む人の悩みを解決するためにあるのかなぁと意外と忘れがち大切なことをレジ打ちをしながら学んだ。
____

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この日は、日曜日でお客さんがたくさん来ていた。ラッシュ時間が過ぎ落ち着いてきた頃合いで、ある社員さんに何気なくこんなことを言われた。


「さすが慶應生、やっぱり優秀なのね」

僕が初めてのレジ打ちに一度もミスをすることがなかったことや、妙に落ち着いていたように見えたからだろうか。

深い意味は特になかったのだろうけど、そう言われてとても変な、もどかしい気分になった。

というのも、大学に入り出会う人は増えたけれど、それでもそれは似たような人ばかりで、今までずいぶん狭い世界で生きてきたんだなぁと気付いたからだ。

周りは慶應生ばかりになっていて、そしてそれが普通だと思っていて。確かにあくまで一般的に見たら、慶應生=頭が良い、と思っている人がいるということも知らなくて。

例えば、最近クイズ番組でお笑い芸人のカズレーザーが大活躍だ。同志社卒のインテリ芸人としてもてはやされている。

世間一般的には同志社は勉強ができるとされているのだが、(別に嫌みでこんなことを言っているわけではまったくないので勘違いしてほしいのですが) たぶん東大生はもちろんのこと、慶應生もそうだが、同志社の人を勉強ができるとは思っていない。しかし、世間一般から見たら同志社は頭が良いとされている。

自分のいるカテゴリーは少数派なのか、それとも多数派なのか。おそらくその相場感というか市場感覚というものを見失うと、売れる本は作れないんだろうなぁとその時なんとなく思った。

少数派なのに周りみんな慶應生だと思っていた自分がもし本を作ったとしたら、慶應生に向けて作ることになるのだが、慶應生は少数派なので買ってくれる人のパイはもちろん少なくなる。よって売れない本になってしまうかもしれないということだ。

市場感覚を見失ってしまっていたこと、まったく知らなかった本があること、買う本でその人の置かれている立場がわかること、客層ボタンでマーケティングしていること。

身近にあったはずの本だったが、知らないことだらけで、今までずいぶん狭い世界で生きてきたんだなぁと気づかされて、「さすが慶應生、やっぱり優秀なのね」の一言にどうしようも無くもどかしくなった。
____

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すぐに覚えなければならないことや、いろんな気付きで学んだメモを何ページも使って書き、見直していたら、もう閉店の21時間際になっていた。

最後にやってきた女性は髪の長いとても綺麗な人だった。

僕の作業の手際の悪さが目立ったのか、それとも胸にでかでかと"研修生"と書かれた名札に気づいたのか、

「丁寧に本を包んでくれてありがとう。今日が初めて?とてもいい笑顔をするね。頑張ってね。お姉さん応援してます」

と、とても丁寧に一言添えて本を受け取ってくれた。

人はこういう一言を忘れないし、何気ない一言を然るべきタイミングで言える人は本当にすごいと思った。

こういった圧倒的に影響力のある何気ない一言が初心を思い出させてくれる。

お店で"研修生"と名札を貼っている人を見るとよくその女性のことを思い出すくらいに、このアルバイト初日に受けた感動は今でも覚えている。

早く一人前の仕事ができるように頑張ろうと、今日一日聞いて書き留めたメモ帳を力強く握りしめた。

 

そして、初めて年上の女性が美しいと思った瞬間だった。この人とはもう一生会わないかもしれないが、それでもこの行き場のない想いをどうしても伝えたくて。

その女性はおそらく30代 後半なんだろうけど、そんな素敵な一言を添えることのできるあなたはとても綺麗で、若さが溢れていますと、感謝の気持ちを込めて、

客層のボタンを「女性 20代 後半」とポンッと弾くように、優しく押した。

 

 

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比喩男

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神様は世の中を平等に作ってくれたのだろう。

男には欠点があった。

高身長でイケメン、それでいて大企業の御曹司。言い寄ってくる女はたくさんいた。

ただどれも長くは続かなかった。

男は、現代の言葉で言う、ボキャ貧だった。

まぁ簡単に言うとバカだったのである。


口癖が「やばい」だった。

美味しい料理を食べては「やばい」
感動する映画を観ては「やばい」
彼女からプレゼントをもらっても「やばい」

「あなたには知性をまるで感じられない」

それが原因で男は女に振られたばっかりだった。男はバカなりに考えて、知性を身に付けることにした。

村上春樹に学ぶ、知性の身に付け方。女にモテる男は、喩え上手!」

といううさんくさい雑誌の特集を読んで、「これだ!」と思ってしまったのである。

思い立ったらそれをやらずにはいられない。

まず、「やばい」を使わないことを誓った。そしてそれ以来、男は女を口説く時には、必ず何でも喩えるようになった。

「まるで壊れ物に触れるみたいに、君に優しく触れたい」

たまに言うのならまだ博識がありそうでいいかもしれない。

しかし、この男_比喩男とでも言おうか_は、大事な場面になると必ず喩えてしまうのである。比喩男はそれがかっこよく、粋だと思っているのだろう。

女とレストランへ行って、しめのデザートを見て、比喩男は言った。

「まるで芳醇な果実のような……」

また出たよ。女はそう思った。

これは何も外でだけではない。家でテレビを見ているときもそうだ。

「この最近人気の女優、まるで薬師丸ひろ子のような端整な顔立ちをしてるな」

芸能人を芸能人で喩えるな。
女はそろそろ口に出しそうだった。

 

「雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた」

比喩男はこういった村上春樹かと思わせるような喩えは一切言わない。いや正確には言えないのだ。理由はご存じ、バカだからである。

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こんな男でも、高身長でイケメン、大企業の御曹司ときたら、女は寄ってくるみたいだった。

比喩男の周りには本当に様々な女性が寄ってきた。

とても清楚な、志乃。
聡明な、聡美。
天真爛漫な、晴夏。
料理の上手な、桜子。

しかし、比喩男にとってそれが全て仇となっていったのである。

「君は、まるで志乃のように清楚で、聡美のように聡明で、晴夏のように天真爛漫。そして……」

別れるときに言われることはいつも同じだった。
女は言った。

「わたしを二度と昔の女で喩えるな」

それは乾いた冬の日に起きた、"まるで春の暖かさを一度も感じたことのない海氷のように"冷めきった別れ話だった。 

 

 

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1Q84 BOOK 3

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 比喩と言えば、村上春樹
「雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた」

比喩の説得効果についての分析を行ったメンフィス大学のソポリーは、比喩を使ったほうが、普通に話すより、確実に説得力が上がることを実証したみたいです。比喩うまくなりたいですね。。

 

トータルテンボスの「例えが下手」の漫才。面白い。