26の夏。体調を崩した。
お盆休みに青春18きっぷを片手に、東京から地元・兵庫まで帰ることにした。鈍行を乗り継いで約10時間。人はこれを時間の無駄だとかしんどいでしょと言うけれど、周りの人が思ってるよりずっと楽しい。
「書を捨てよ、町へ出よう」という寺山修司の言葉があるが、好きな書を持って旅に出て、楽しくないわけがない。
JR普通列車一日乗り放題。途中下車こそ青春18きっぷの醍醐味だ。
東京から兵庫までには、熱海などといった有名な地名を通るけれど、そんな駅は見向きもせず、誰一人降りないような駅に降りたった。
誰も知らない場所に行ってみたかったからだ。自分のことを知る人が誰もいないような場所に行ってみたかった。
降りた駅は、今時珍しいくらい情緒溢れる古民家が立ち並び、その先には真っ青な海が見えるまるで映画のワンシーンに出てきそうなところだった。
その日は最高気温37℃の暑い日だった。しばらく民家を歩いてから、近くにあった駄菓子屋へ入った。70歳近くのおばあちゃんがやっているお店で、アイスを買い、一人ホームのベンチで食べることにした。
半分も食べる前にアイスは溶け、地面にこぼれ落ちた。足元に目を向けると蟻がむらがっていた。
蟻を見たのはいつぶりだろうか。
蟻が餌を巣に持ち帰ろうとあくせく働いている姿をボーっと見ていたら、気付けば小一時間近く経っていた。
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そういえば、働かない働き蟻がいると聞いたことがある。
実は全体の3割くらいしか働いておらず、残りの7割はボーッとたたずんでいたり、自分の体を掃除しているだけ。しかも一時の休息ならまだしも、一ヶ月間労働とみなせる行動をほとんどしない蟻もいる。
ではなぜ働かないのか。
全体で働いた方が短期的な生産量は大きいにも関わらず、蟻はなぜ必ず働かない個体が出現するようなメカニズムを持っているのか。
研究者達が頭を悩ませた末、わかったことは「蟻も疲労する」ということだった。
全員で一斉に働いた方が確かに時間あたりの仕事量は増えるが、そうすると全ての蟻が疲れて誰も働けなくなってしまう時間が生じる。
蟻は卵を一ヶ所に集めて常にたくさんの働き蟻がそれを舐めることで、卵にカビが生えるのを防ぐのだそうだ。ほんのちょっと放置しただけで全滅してしまうらしい。
この絶対にこなさなければならない仕事を、疲れはててしまい誰も担えなくなってしまうというリスクを回避するために、「働かない働き蟻」が存在していると考えられているのだ。
「俺はまだ本気を出してないだけ」とはよく言ったものだが、もしものときのために働かない働き蟻は力を温存している。
短期的生産量が少なくても、長期的存続性を保証するために蟻は適応し、このように進化したのである。
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最近忙しくしていたからか、足元に目を向ける時間がまるでなかった。嫌でも前を向いて歩くしかなかった。
そんな足元の蟻たちがせっせと働く姿を見ていたら、今まで26年間やってきたことが走馬灯のようによみがえってきた。
今年の夏、体調を崩してしまった。気付いたらご飯が食べられなくなり、朝目が覚めても布団から出られなくなった。初めて精神科に通った。
僕はビジネスポジティブだ。皆の前では明るく振る舞い、マイナスなことネガティブなことは極力言わず、基本笑顔でいるように心掛けている。
だからか周りから「悩むこととかないっしょ?」とよく言われる。
ポジティブブランディングという意味では成功しているのかもしれないが、もちろん人一倍悩むし、相談できない分、分が悪いかもしれない。
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分が悪いと言えば、人は未来が見えなくなると駄目になる生き物らしい。
第二次世界対戦中、ナチスによって捕えられたユダヤ人強制収容所で、一番死者が出たのはクリスマスの日だった。
これはクリスマスまでには強制収容所から解放され、無事に家に帰れるだろうという希望が潰えたのが原因だ。
希望のある未来があるうちはどんなに辛く過酷な状況でも人は頑張れる。しかし、クリスマスが近づいてきて、解放される可能性はないという現実を目の当たりにすると、希望を失い、多くの人が急に病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
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鈍行の旅は、前しか向いていなかった自分をいやでも立ち止まらせてくれる。どんなに急ごうとしても各停でゆっくりとしか進まない。
そうすると、そこに余白が生まれる。
小学生の頃、国語のテストで穴埋め問題があったが、あれは実に人間の心理をついていると今になって思う。空白があると人はそこを埋めずにはいられないのである。
余白が生まれると、普段考える余裕がなかったことを考えるようになる。
毎年ビル・ゲイツは年に2回ほど1週間の「考える週」を実行しているらしい。
この間、通常の仕事はせず、社員や友人、さらには家族であっても、彼と連絡を取ることは禁止されている。
これによって、気持ちをリセットし、自分の目標や夢について効果的に考え直すことができるのだそうだ。
ビル・ゲイツの「考える週」とは僕にとってまさに「鈍行の旅」だ。
ゆっくり考える時間を、そして普段考えなかったことを考える機会を与えてくれる。
生きるって?幸せとは?頑張って働いた先には何があるの?
そんなことを考えさせられた。
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アイスを買うときに駄菓子屋のおばあちゃんと立ち話をした。ここで降りる人は滅多にいないから驚いたと言われた。
僕のことを誰も知らない街で、そして二度と会わないだろうという気の緩みから、普段なら絶対に話さないだろうということまで話してしまった。今の僕の悩みや不安、今までやってきたことややりたいこと。洗いざらい全て打ち明けていた。
何かをアドバイスするということなく終始微笑みながら話を聞いてくれた。
おばあちゃんと僕とでは生きた時代が違う。なのでもしかしたら半分も僕の話は伝わっていなかったかもしれないが、最後に一言にこんなことを言われた。
「3年前を思い出してみぃ。今が苦しくても、3年前の自分からしたら今の自分は夢が叶っていたりする。やりたいことができてたりするもんじゃ。
未来が見えなくて苦しかったら、立ち止まったらいい。
そして1年後、3年後、5年後。振り返ってみてあのとき苦しかったけど「昔の自分からしたら、今の自分はまさに夢が叶っているわ!」と言うために、またゆっくり歩きだしたらいいんじゃ。ここからリスタートすれば」
そう言われてふっと肩の荷が軽くなった。
確かに3年前思い返してみると、今の自分は夢や目標はいくばくか叶っている。
そしてもし未来が見えなければ立ち止まればいい。そこでまた考えてゆっくりと歩き出せばいいのだということを見ず知らずのおばあちゃんに教えてもらった。
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冒頭の蟻の進化の話に戻すが、進化はそんなにすぐ起こるものではない。何世代に渡って少しずつ「環境に応じて生物は適応し進化する。」
しかしこの進化について、少し意味は違ってくるが「成長」と置き換えるとわかりやすくなるかもしれない。
そして成長するためには、環境に適応すること、ここでは立ち止まること、ぐっとしゃがむこと(と言い換えてみる)が必要なのかもしれない。
「環境に応じて人間は立ち止まり、そして成長する。」
半ば無理矢理そう思うと、体調を崩したことが意味のあることだった気がしてきた。この途中下車ですら非常に価値のあるものな気がしてくる。
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ホームのベンチに座ってから、何度、目の前で電車が通り過ぎたことだろうか。溶け落ちたアイスに群がっていた足元の蟻は気付けばいなくなっていた。
もう途中下車した駅の名は思い出せない。たぶん二度と来ることもないだろう。
何か答えが出たわけではない。できないことができるようになったわけでもない。
でもそれでいい気がした。確実に意味のある途中下車だった。それで十分。それで十分なのだ。
僕はきっぷを強く握りしめ、ちょうど来た鈍行電車へと駆け足で飛び乗った。
僕の夏は、これからだ。
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- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
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