神様は世の中を平等に作ってくれたのだろう。
男には欠点があった。
高身長でイケメン、それでいて大企業の御曹司。言い寄ってくる女はたくさんいた。
ただどれも長くは続かなかった。
男は、現代の言葉で言う、ボキャ貧だった。
まぁ簡単に言うとバカだったのである。
口癖が「やばい」だった。
美味しい料理を食べては「やばい」
感動する映画を観ては「やばい」
彼女からプレゼントをもらっても「やばい」
「あなたには知性をまるで感じられない」
それが原因で男は女に振られたばっかりだった。男はバカなりに考えて、知性を身に付けることにした。
「村上春樹に学ぶ、知性の身に付け方。女にモテる男は、喩え上手!」
といううさんくさい雑誌の特集を読んで、「これだ!」と思ってしまったのである。
思い立ったらそれをやらずにはいられない。
まず、「やばい」を使わないことを誓った。そしてそれ以来、男は女を口説く時には、必ず何でも喩えるようになった。
「まるで壊れ物に触れるみたいに、君に優しく触れたい」
たまに言うのならまだ博識がありそうでいいかもしれない。
しかし、この男_比喩男とでも言おうか_は、大事な場面になると必ず喩えてしまうのである。比喩男はそれがかっこよく、粋だと思っているのだろう。
女とレストランへ行って、しめのデザートを見て、比喩男は言った。
「まるで芳醇な果実のような……」
また出たよ。女はそう思った。
これは何も外でだけではない。家でテレビを見ているときもそうだ。
「この最近人気の女優、まるで薬師丸ひろ子のような端整な顔立ちをしてるな」
芸能人を芸能人で喩えるな。
女はそろそろ口に出しそうだった。
「雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた」
比喩男はこういった村上春樹かと思わせるような喩えは一切言わない。いや正確には言えないのだ。理由はご存じ、バカだからである。
こんな男でも、高身長でイケメン、大企業の御曹司ときたら、女は寄ってくるみたいだった。
比喩男の周りには本当に様々な女性が寄ってきた。
とても清楚な、志乃。
聡明な、聡美。
天真爛漫な、晴夏。
料理の上手な、桜子。
しかし、比喩男にとってそれが全て仇となっていったのである。
「君は、まるで志乃のように清楚で、聡美のように聡明で、晴夏のように天真爛漫。そして……」
別れるときに言われることはいつも同じだった。
女は言った。
「わたしを二度と昔の女で喩えるな」
それは乾いた冬の日に起きた、"まるで春の暖かさを一度も感じたことのない海氷のように"冷めきった別れ話だった。
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比喩と言えば、村上春樹。
「雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた」
比喩の説得効果についての分析を行ったメンフィス大学のソポリーは、比喩を使ったほうが、普通に話すより、確実に説得力が上がることを実証したみたいです。比喩うまくなりたいですね。。
トータルテンボスの「例えが下手」の漫才。面白い。