思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

初めて見た幽霊の記憶と、物語の発現性

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僕は、プリントに書かれた「おばけを見た」欄に、堂々とチェックをつけていた。

これは、確か幼稚園に通っていた頃の話である。

夏休みに家族でおばあちゃんちへ泊まりに行った。おばあちゃんちは、阪神淡路大震災で崩れてしまったのでそのあと新しく立て直したが、それまではけっこう古い木造で、いわゆる"おばあちゃんち"という感じの家だった。

泊まりにいった二日目の夜中、廊下からラップ音が聞こえて目を覚ました。

何かの気配がして、横になったまま部屋の入口を見ると、幽霊らしきものがゆっくりと階段から上がってくるのが見えた。すぐに隣を確認したが家族はみんな寝ていて、階段からあがってくるものはおばあちゃんでもなかった。

その頃の僕は、とにかくおばけが怖かったのだが、両隣には父と母、そして姉が寝ていたので、その日だけは不思議と怖くならなかった。

それにその当時、頭まで布団をかぶって隠れていれば、おばけに連れていかれないと思っていた。だから、もしこっちに近づいて来れば、すぐに布団をかぶれば大丈夫だとなぜか少し強気でいた。

何より、オバケというみんなの知らない世界の秘密を一つ知ってしまったかのようで、すごく嬉しかった。

次の日、目を覚ますと、すぐに鞄から夏休みの宿題を取り出した。

夏休みの宿題で「夏休みにできたことを確認するプリント」があったことを思い出したからだ。

そのプリントにはいろんな欄があった。

・ひまわりに水をやった
・一人で歯磨きをした
・おばあちゃんちに行った
・スイカを食べた

そのうちの一つに「おばけを見た」があった。

鞄からぐしゃぐしゃになって出てきた、夏休みにできたことを確認するシートを真っすぐに伸ばし、僕は「おばけを見た」に力強くチェックをした。

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それからしばらくして学年が上がり、中学生になった。

この頃にはもうおばけなんていないと思うようになっていて、幽霊が怖くなくなっていた。

しかし、新しく怖くなったものができた。

〝人の目〟だ。

クラスの席替えでとにかく避けたかったことは、席が一番前になることだった。

なぜなら、自分の背後から、陰口を言われているような気がしていたからだ。

「隠れて勉強し過ぎじゃない?そういうやつないわー」
「かっこよくないくせして、なんかかっこつけてるよな。うざーい」
「よくどや顔で「俺、おもろいやろ!」みたいな話し方してるけど、全然見るに堪えないわ」

時には、雑木林の「森」のことを話しているだけなのに、僕の名字の「森井」と言われているようで、

たぶん陰口なんて言われてないんだろうけど、気にし過ぎてしまい、ほんとに陰口を言われたら嫌だと思ったことは口に出せなかった。


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なんで今となってこんな話をしたかと言うと、最近、フリッツ・ハイダーという心理学者のこんな実験を知ったからだ。

ハイダーは、2つの三角形と1つの円が画面を出たり入ったりするだけのシンプルで短いアニメーションを制作した。

この意味のない映像を被験者に見せた後、内容を聞くと、1人を除き全員が、図形の動きから恋愛やいじめを描いたドラマだと説明した。

円は小さな三角に恋をしているが、大きな三角が円をさらって行こうとする。だが小さな三角が奪い返し、小さな三角と円はめでたく結ばれる、といったように。

www.youtube.com

(その映像がこちらです。1分間で、音声はなく外にいても見られますので、良かったら見てみてください)

ハイダーは、この研究を通じて物語を作ることの重要性を明らかにした。人間はストーリーを欲する傾向があり、それがない場合には自ら作り出そうとすることがわかった。

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僕たちは無意識に「物語」を作り上げている。

女の子がディズニーランドで一人で写っている楽しそうな写真をSNSにあげているのを見て、同性の友達と行っただけかもしれないのに「あぁ、これは彼氏と行ったんだな」と解釈し、

合コンで知り合った金髪の大学生が、イベサーだと知ると「やれやれ、どうせ毎日飲み歩いているチャラ男だな。勉強とかしたことないんやろなー」と、勝手にその人の背景を作り上げる。

今になって思うと、初めて見たおばけは、自ら作り出してしまっていただけなのだろう。

たまたま家の壁の木材がきしむ音がした。掛けていた服が暗くて人影に見えた。窓から風が吹いていた。

一つ一つ見ればなんてことはない無意味な出来事である。

しかし、そこに物語性を付与してしまうことで、〝幽霊〟が生み出されてしまうのである。

世の中の心霊体験は、たいていそういうものなのかもしれない。僕たちの単純で、賢い脳の仕業なのである。


学校でもそうだ。悪口なんて言われていないのに、後ろから聞こえてきた断片的な情報を勝手に組み合わせて、自分の悪口を言われていると作り上げてしまっていたのだろう。

「夏休みに田舎のおばあちゃんに行ったんやけど、近くに森があって。そのせいで、虫がめっちゃいてほんま気持ち悪かった」

背後から聞こえてきた「森」と「気持ち悪かった」だけが耳に入り、「森井、気持ち悪い」となり、

「かっこよくないくせして、なんかかっこつけてるよな。うざーい」
「よくどや顔で「俺、おもろいやろ!」みたいな話し方してるけど、全然見るに堪えないわ」

というまた別の友達グループのお笑い芸人に対しての会話がつながり合い、さも自分の陰口を言われているかのような「ストーリー」を作り上げてしまっていたのである。

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中学生の頃におばけを克服し、人の目も高校にあがり、ウソみたいにあまり気にしなくなった。

さて、大人になった今、怖いものはなんだろう。

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先月、お盆に地元を歩いていたら、前から両手にぱんぱんに詰まったスーパーの袋を持った女性が歩いてきた。

昔、好きだった女の子だった。

「わぁ、久しぶり!」「成人式ぶりやんな!」なんて声をかけながら、ふとスーパーの袋に目を移すと「甘口のバーモンドカレー」が目に飛び込んできた。

僕は怖くて、はっきりと相手の指を確認できなかった。

「今日は甘口カレーなんや」「もしかしてもう結婚して、子どもおるん?」なんて絶対に聞けなかった。

その子のことは、別に今も好きというわけではない。でもどこか切なくて、音をたてて寂しさが込み上げてきた。

「あぁ、もうこの子とは一生付き合うことはできないのかもしれない」と思うと、

今回も、あの時に見たオバケのように「自分が作り出した虚構」であってくれと、僕はゆっくりと空を見上げた。

蝉の声がうるさいくらい鳴り響いていた。

 

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