思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

28年間生きてきて最も幸せだった日が教えてくれた、人生で必要な2つのこと

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今日は僕が28年間生きてきて人生で最も幸せだった日の話をしたいと思います。

 

僕はあまり涙腺が弱くないらしく、例えば映画を見て感動しても絶対に泣くことはないのですが、

(ここで言う〝泣く〟は、〝感動する〟ではなく、文字通り〝涙がこぼれる〟の泣くです)

 

そんな僕でも、今まで28年間生きてきて、「嬉し泣き」というものを二度したことがあります。

この二度の嬉し泣きから、「人生で必要なものはたったの2つだけ」ということがわかりました。

そのことを今回この記事でお伝えしたいと思います。

 

 

―――――
過去二度した嬉し泣きのうち一度目は、遡ること約8年半前、19歳のときでした。

この頃、僕は浪人生で、第一志望の「慶應義塾大学」に合格を目指して来る日も来る日も勉強をしていました。

 

昔から僕のことを知っている人は知っているかもしれませんが、僕は本当に勉強が苦手で、

例えば、高校受験では、兵庫県にある「白陵高校」という高校が第一志望だったのですが、その頃通っていた塾で白陵を受験したのは28人いて、合格したのはこのうち27人。

そう、落ちたのは僕だけ、でした。

白陵高校の募集人数が約40人で、うち27人が同じ塾から出たので、逆によく僕だけ落ちたなというレベルです。

 

他受けたところもほぼ全滅で、結局、入学する高校が決まったのは中学3年の3月20日くらいでした。

もう来週には高校の入学式がある、という近々のスケジュールで、何より親がひやひやしていたのを覚えています。

当時、まだほぼ無名校だった「須磨学園」という学校に「今伸びている高校だから」という理由だけで入学することにし、この高校の特進クラスに入ることが決まったのですが、

3月下旬の合格発表の日に、学年主任みたいな人に呼び出され何かと思ったら、

 

「君は特進クラスで最下位の合格だ。だから、来年、普通科に落ちないようにしっかり勉強しなさい」

 

と言われたくらいでした。

 

当時、反抗期真っ只中だったので、

「こいつまじでうるせぇえええええ」

となり、

「入試寝てたから点数悪かっただけだからな!もう勉強なんて二度とするか、ボケ!」

となりました。

 

 

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ちょうど前回の記事で、中学の頃通っていた塾の話を書きましたが、

通っていた塾は当時、日本一、偏差値の高い人たちが集まる塾で、かなりのスパルタ詰め込み教育でした。

そして、その中で中学3年間おそらく誰よりも勉強したと自信を持って言えるくらい勉強したのですが、それでもまるでだめで、

実際、もともと好きでやっていたわけではなかったので、これを機に高校に入ってから勉強することを完全にやめることにしました。

 

高校に入ってから「なんで勉強せなあかんの?」と聞いても、誰も「勉強する意味」を教えてくれる教師は一人もおらず、「そんなこといいから、早く宿題出しなさい」「出していないの君だけよ」の一辺倒でした。

 

「うっさいボケ!大学なんか行くか!」

と、あらためて勉強なんて二度とするかと固く誓うことになりました。

 

 

では、なぜ19歳の頃、再び勉強していたかと言うと、きっかけはひょんなことでした。

高校3年になるまで、僕は漠然と美容師になろうかなぁと思っていました。

 

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当時、高校生だった僕は趣味はもちろんのこと、やりたいことが一切なく、毎日くそつまらない生活を送っていました。(人生で一番鬱屈としていました)

そんな中、唯一興味があったことが髪の毛をいじることでした。

 

毎朝毎朝、鏡の前で髪の毛をwaxでしっかりセットしては、学校で生徒指導の先生に注意され、トイレで髪洗ってこい!とよく怒られていたのですが、

なのでいつも美容院には好きな読者モデルの切り抜きを持っていっていて、「この髪型にしてください!」と言っていました。

 

その頃、僕やその仲間うちで、一番憧れられていた読者モデルが「江口亮介」さんという方で、

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(この人。当時よく持って行っていた切り抜き)


ある日、家で髪の毛の雑誌を見ていたら、ある重大なことに気が付きました。

 

それは、

 

なんとこのイケメン読者モデル、慶應生だったのです!!!!

 

これがわかった後、すぐに学校で友達に、

「江口くんがいるこの慶應ってなんかかっこよくね?」

と話し、気づけばすぐに「俺も江口くんのいる慶應いくわ」と言っていました。

 

この頃、ほとんどDQNみたいなやつだったので、ほんとにこんな軽いノリで受験勉強をすることになりました。

慶應の受験教科を調べたら、英語、日本史、小論文の3教科しかなく、僕が特に苦手だった理系教科が一切必要ないことがわかり、「あ、これなら俺でもいけんじゃね?」となり、

高校生の頃、いつも一緒にいた北條と寺田という友達と、高校のそばにあるラーメン屋「赤無双」で「慶應入って、東京いったらまじ2年半は遊び倒すわ~」と話したら、「いや3年は遊ぶっしょ」と北條に言い返され、「せやな」と言ったのをすごくよく覚えています。

 

 

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そんなひょんなきっかけで、受験勉強をすることになったのですが、当然、私大トップの壁は厚く、現役では不合格でした。

それでも行きたい大学は慶應しかなかったので、河合塾大阪校で浪人することに決めました。

 

かなり長くなるのでここではもう詳しく書きませんが、浪人生の頃に恩師とも言える予備校講師に出会い、

(河合塾の現代文講師・宗慶二さんと、元東進の英語講師・横山雅彦さんです)、

 

生まれて初めて「勉強する意味」を教えてもらい、生まれ初めて「勉強の楽しさ」を知ることになります。

気付けば「東京行ったら2年半は遊び倒すわ」と言っていた僕が、「勉強するために大学へ行く!」と言うようになっていました。

一浪したおかげで、そんな志の変化もあり、人間として大きく成長した浪人の受験一週間前。

 

 

あろうことか僕は、盲腸になり、入院することになりました。

 

「あぁもう終わった」

そう思いました。

(神様はどれだけ俺の合格を遠ざける気なん……)

 

盲腸になりしばらく熱でうなされていたのですが、うまく薬でちらすことができ、幸運なことに手術せずにすみました。

当時、不幸中の幸いとはまさにこのことを言うのかと思ったのですが、手術をしなかったおかげで1週間ほどで退院でき、本当にギリギリ受験しに行くことができました。

 

そして、いろいろありましたが、ついに迎えた慶應義塾大学 文学部の合格発表の日。

慶應の合格発表は電話して合否を聞くスタイルなので、恐る恐る電話しました。

すると、








「受験番号10848、モリイユウタさんは……」

 

 

 

 

 

 












































「補欠Cです」

 

 











いやいやいやいやいやいやいやいやいや

補欠ってなんやねん!!!!

しかも補欠Cて!!!!!!!

補欠AでもBでもなく、補欠Cて!!!!!!!

高校受験は最下位やったのに、大学受験は最下位ですらないやん!!!!!!

めっちゃ勉強したのに、俺どんだけ勉強できんの!!!!!バカなの!?!?!?

 

 





(つまり、ほぼ不合格ってことか……)

すぐに不合格だと悟りました。

このとき初めて知ったのですが、補欠にもランクがあり、補欠Aが最も合格に近く、いわば不合格者の中のトップですね。そこからB→C→Dとランクが落ちていくわけです。

 

この頃、今では考えられないくらい尖っていて、僕は慶應しか受けたくなかったのですが、親に他の大学も強制的に受けさせられ、いくつか受けることになったのですが、

こんなことを言うと、人によっては気分を害される人もいるかもしれないですし、バカにされたと思ってしまう方もいらっしゃるかもしれないので、10年前の若気の至りだと本当に聞き流していただきたいのですが、

関学の合否通知が入っている封筒が家に届いた際は(関学は封筒が届き、その中を見るまで合否がわからない)、合否を見る前に、封筒をそのままゴミ箱にぶちこんだり、

同志社を受けた際は、どの教科かは忘れましたがあまりに入試問題が簡単に感じ、だんだんとこの簡単な問題を解いている自分に腹が立ってきて、「俺の行きたい大学はここじゃない」と、最後まで受けずに途中で帰ったりしていました。

 

今思うと、

 

「ただのドアホ」

 

以外なにものでもありませんが、

そんなこともあり、唯一行きたかった慶應が不合格という結果は、僕にとってほとんど「人生終わった」状態でした。

 

 

高校時代、目標や夢がなく、本当に毎日がつまらなく、張りのない生活を送っていました。

遊び以外にやることがなく、しかし、遊びにも飽きていました。

神戸にある三宮という都会でいくら遊んでも、手応えの無さのようなものしか掴めず、僕が望んでいた充実した日々は一切手に入りませんでした。

 

手に入ったのは、

 

三宮のゲーセンで取ったアニメのフィギュアと、ジャンカラでのレパートリーの曲数

 

だけでした。

いじめられていたというわけではありませんが、今まで生きてきて一番辛かった時期でもありました。

 

 

そんな中、やっと見つけた大きな目標。

慶應に入って東京へ行く!」という目標ができてから、僕の高校生活は毎日がカラフルに色づいて見えるようになったくらいでした。

つまらない毎日を、どうしようもない自分を変えたくて、「慶應に行きたい!」「東京に行けば、人生が変わるかもしれない!」

ずっとそう思って大変な受験勉強も頑張ってきました。

 

 

それなのに……

それなのに、だめだった。

やっぱりだめだった。

 

 

しばらく何も考えられず、気づいたら入学する大学が決まらないまま3月の中旬くらいになっていました。

そろそろどうするか決めないとなぁと、自分の部屋で一人思っていたら、ものすごい足音を立てて、母親が僕の部屋に入ってきました。

「なんやねん、うっさいなぁ」と思いながら、見ると、手にはある書類を持っていました。

 

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「これ……これ見て……合格……合格した……慶應合格したよ!!!!」

 

耳を疑いました。

 

そして何度も何度も見直しましたが、速達で送られてきたその封筒には慶應義塾大学の「入学手続書類在中」という文字がしっかりと刻まれていました。

 

母親が僕の部屋から出ていってから、初めて嬉し泣きをしました。

(嬉しくても涙って出るんだ……)

手を天まで高く振り上げ、今まで一度もしたことがなかったような力強いガッツポーズをしながら、声を潜めて泣きました。

 

補欠Cからの奇跡の補欠合格を果たし、僕にとって生まれて初めて自分の力で掴みとった大きな成功体験でした。

 

 

勉強が得意だった人や苦労せずにすんなり志望校に入れた人、そこまで受験勉強に思い入れがない人がこれを読んだら、「何をそんな受験勉強くらいで泣いてんねん」と思うかもしれません。

確かにそうかもしれません。

ただ、それでも僕にとって、中学の3年間と高校3年から浪人の2年間、計5年間という若干19歳にとってはとてつもなく長く膨大な積年の想いが、この月日に詰まっていました。

「何も持たざるものとして生まれてきた僕は、何をしても絶対にうまくいかない側の人間なんだ」とほとんど思いかけていたくらいで、

だからこそ、思わず嬉し泣きをしてしまったのでした。

 



________
このような形で僕の受験戦争は幕を閉じることになったのですが、

受験生の頃は大変なことばかりでしたが、良いこともありました。

 

(ここから人生二度目の嬉し泣きの話になっていきます)

 

それは生まれて初めて〝夢らしきもの〟が見つかったことでした。

 

その夢とは「本を出すこと」でした。

 

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今まで最も苦手なことのうちの一つが読書感想文であり、唯一受験教科で最後までできるようにならなかったのが国語であったのですが(なので早稲田には落ちています)、

浪人生の頃に、受験教科の小論文の勉強を始めてから、初めて「書くこと」に目覚めました。

 

そして、受験勉強そっちのけで読書にはまります。

模試の現代文の問題で使われていた文章の出典を調べては、買いに行き読むようになっていきました。

 

(ちなみにその甲斐あってか、僕が受けたときの慶應文学部の小論文で使われていた文章は水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』という本から出題されていたのですが、

偶然にもこの本を読んだことがあったので、どう考えても一度読んだことがあった文章だったおかげで僕は慶應に合格することができたのでした)

 

僕は受験勉強を通じて人生が変わり、もっと言うと、その頃、現代文や小論文の問題に使われていた文章を読むことで、人生が変わりました。

そういった理由から、浪人生の頃から「いつか将来、受験の入試問題で使われるような本を出せたらいいなぁ」と漠然ではありますが、思うようになっていきました。

 

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そんな想いを抱えながら、受験が無事に終わり、初めての一人暮らしと大学生活で、慌ただしく月日は流れ、

そして、大学1年の夏、ついに転機が訪れます。

 

同じクラスだったよしひろ君に「これ一緒に出してみない?」と一枚のリーフレットを渡されました。

 

そこには「出版甲子園」という文字が書かれていました。

 

 

ついに次の目標が決まった瞬間でした。

 

 

本を出してみたいと思っていましたが、それまでどうやって出したらいいのかなんてまったくわからず僕は途方に暮れていました。

そんなときよしひろ君から「出版甲子園」というものがあることを知らされ、聞くところによると、

出版甲子園では、自分で企画を考え書き、厳選なる複数回の審査を通過し、決勝戦まで勝ち進むことができれば、

集英社講談社小学館といった大手出版社から、ダイヤモンド社やDiscover21といったビジネス系の出版社まで、そうそうたる面々である編集者の前でプレゼンすることができ、そこで編集者の目にとまれば出版することができるという、

いわば、本を出したいと思っているがその出し方がまるでわからなかった二十歳の僕にとって、まさにうってつけの夢のような話でした。

しかも、ここで受賞された企画で映画化までされた本もあると言うではないですか!

 

出版甲子園の唯一の参加資格は「学生であること」であり、

なので、大学4年になったら必ず出版甲子園でグランプリを受賞し、本を出版するという目標がこのとき決まりました!

 

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出版甲子園の決勝戦は毎年11月に行われるのですが、大学生が編集者にプレゼンする勇姿を、まず観客として観に行きました。

 

圧巻でした。

 

プレゼンしていた人は10人ほどだったのですが、二十歳の僕とは比べ物にならないくらい本当に様々な経験をした人たちばかりで、魂が震えました。

特別審査員として来ていた元Amazonのカリスマバイヤーであり、ビジネス書業界では知らない人はいないビジネスブックマラソンの編集長・土井英司さんの辛口コメントも本当に素晴らしく、「絶対に最高学年になったらここでプレゼンするんだ!」という覚悟が決まりました。

 

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(2010年に行われた第6回出版甲子園から、2013年の第9回までの決勝大会は全て見に行き、研究しました) 

 

かなり長くなってきたので、出版甲子園までの道のりは大幅に割愛させてもらいますが、

 

結論から言いますと、大学5年目にして、第10回 出版甲子園の決勝戦に進むことができ、準グランプリを受賞することができました。

 

何をやってもだめだめだった日々、何もうまくいかない大学生活の話をはしょってしまったので、あまり共感していただけないかもしれませんが、ここに辿り着くまでには本当に様々な苦労と苦悩の連続でした。

受験勉強のことからもわかるように、人よりも不器用で、しかも一つのことしかできず、結果を出すまでに膨大な時間のかかる僕が出版甲子園で受賞を果たすために、まずしたことは、

 

「〝キラキラとした楽しい大学生活〟は全て捨てる」

 

でした。

 

そうしなければ絶対に無理だと僕の直感が言っていました。

冗談でもなんでもなく、僕の大学生活は、この出版甲子園のためだけにありました。

大学4年の就活が終わってから3ヶ月間だけ浮かれて遊びましたが、それ以外はほとんど遊ばず、大学生がしそうな楽しいことは、ほぼ全てしませんでした。

サークルや大学の飲み会にはほとんど行かず、誰とも会わずに家で本を読みふける日々。

 

しかし、これはとても不安でした。

 

 

ちょうど僕が大学1年生のときからTwitterがはやりだし、嫌でもキラキラしたリア充から、スーパー大学生の情報が僕の目に飛び込んできていたからです。

 

 

俺だってほんとはもっと遊んで、いわゆる楽しいキャンパスライフを送りたいし、

そもそもこんな家にいるだけの生活で本が出せるのか?

周りはみんなカンボジアでボランティアしたり、世界一周とか、有名な企業でインターンをしている。

ずっと憧れてきた読者モデル・江口亮介さんは、慶應のミスターコンで、大学1年生にしてミスター慶應グランプリに選ばれ、当時日本一有名な学生団体の代表をやっていた。

そんな中、俺は何をしてるかって?

BOOK・OFFで本を買っては、クーラーの効いていない暑い部屋で読んでいるだけ。

お金が無かったので、本が買えないときは何時間もBOOK・OFFで立ち読みしていた時期もあった。

本当にこんな地味な生活で本が出せるの?

 

 

自問自答の日々でした。

しかもこの生活は大学1年から大学5年までまったく変わらずで、5年生になっても1年生の頃とほとんど同じ生活を送っていました。

渋谷のジュンク堂か家の近所のBOOK・OFFで読みたい本を探しては、家に帰ってから読み、ときどき書く。

以上。これの繰り返し。ほんとにこれだけ。

 

1、2年生の頃、遊んでいた人でも学年が上がるに連れて、意識が変わり、やるべきことが大きく変わっていく人も周りにたくさんいただけに、二十歳の頃と何も変わらない自分にとても不安と焦りを感じていました。 

もともと今まで受験の小論文でしか文章を書いたことがなかったので、まともに普通の文章を書いたことが一切なく、

大学生になってサークルでフリーペーパーを年に2度だけ作っていたのですが、僕より文章がうまい人はいくらでもいて、

当然サークルの先輩からも「出版甲子園がどうとかって言ってるわりに、森井、文章下手やな」と思われているのは痛いほど伝わってきていました。

「俺の方が本読んでるから」
「森井よりあいつの方が文章うまいからな。それで作家目指してるってやばくね?」

バカにされたこともありました。

 

 

でも、そんな中、最後までやめなかったのは僕だけでした。

出版甲子園で準グランプリを取れたのは、僕に才能があったわけでも、人より文章がうまかったからではありません。

一人、また一人と〝舞台〟から降りていく中、僕は最後まで降りなかった。

気付けば、最後に舞台に残っていたのは僕だけで、

だから、選ばれたのでした。

 

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出版甲子園の決勝進出が決まったとき、「あなたの大学生活はこれで良かったんだよ」と言ってもらえた気がしました。

5年間、この道で合っているのかずっとずっとずっーーーと不安で、

いろんなものを犠牲にしながら、出口の見えない暗いトンネルの中をひたすら一人で走っている感じだったのですが、やっと「このままでいいんですよ」と肯定してもらえた気がしました。

だから、嬉しかった。だから、泣けたんです。

 

決勝進出が決まったとき、大学の「コミュニケーション学」という授業中だったのですが、大教室で人目をはばからず泣きました。

人生二度目の嬉し泣きでした――

 

 

 



________

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さて、ここからが本題なのですが、

今回この記事を書いたのは、別に僕のことを知ってほしいわけでも、僕のうまくいった話を自慢したいわけでも一切なく、伝えたいことはこれからです。

 

ここまでは前振りというかネタ振りみたいなもので、過去二度した嬉し泣きについて書いてきましたが、

では、僕はどちらの方が幸せだと感じたでしょうか?

 

慶應に合格したとき?それとも出版甲子園で決勝進出が決まったとき?

どちらだと思いますか?

そしてそれはなぜでしょう?

 

 

結論から言うと、28年間生きてきて最も幸せだと感じたのは、出版甲子園で決勝進出が決まった日の方でした。

それではなぜ、二度目の嬉し泣きをした方が幸せと感じたのか?

一度目と二度目には明確な違いが一つありました。

 

それは、

「僕の成功を自分のことのように喜んでくれる「友」の存在の有無」です。

 

もちろん慶應に合格したときはめちゃくちゃ嬉しくて、生まれ初めての成功体験だったので、

これから死ぬまでにいろいろと成していくかもしれませんが、

それでもおそらくもうこれ以上嬉しいことは今後ないと思います。

「初めて」という体験はそれほど大きいものなのです。

しかし、このときは自分のことのように喜んでくれる人が一人もいなかった。

仲良い友だちはいたので「おめでとう!」とはすぐに言ってくれはしたものの、周りもあまり受験にうまくいっておらず、やはりどこか上の空というか、ちょっときまずい感じだったのです。

 

一方で、二度目の嬉し泣きの日は違いました。

出版甲子園決勝進出が決まると知るや否や、いの一番に駆けつけてくれて祝ってくれた友達がいました。

 

親友の〝あおちん〟です。

 

この日のあおちんの行動は本当に素晴らしかったので、少しあおちんの話をさせてください。


―――――

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あおちんとは大学4年の春に、内定先だった「リクルート」の内定者飲み会で知り合いました。

同じ内定先で、同じ大学ということもあり、すぐに仲良くなり、毎週のように飲みに行くようになりました。

大学4年という知り合ったタイミングは遅かったものの、お互い大学での一番の親友になるまでに時間はかかりませんでした。

それなので、僕がどんな想いを抱え、この出版甲子園に挑んでいたのかを知っていました。

2014年10月16日に、出版甲子園の審査に残っている20名の中から決勝に進める10名が選ばれるということももちろん知っていました。

 

決勝進出が決まった直後、僕が真っ先にしたことは、あおちんに電話することでした。

あおちん聞いてくれと、ついに出版甲子園の決勝進出が決まったぞ!と。

 

しかし、あおちんは電話には出ませんでした。

「ごめん今カテキョのバイト中!」

とすぐにLINEが返ってきました。

あおちんには、LINEではなく直接伝えたかったので、何事もなかったかのように、

「おけ!バイト何時に終わる?今日飲みいけたりしない?」

とLINEすると、「17時からならいける!飲も!」と返ってきました。

 

このとき、あおちんはまだ何も気づいていないようでした。

しめしめ、驚かしてやろうと、早くあおちんに会いたいなぁーと思いながらも、平然を装い、17時に横浜へ向かいました。

「お疲れ!3日ぶりやな!」

と僕が言うと、「ゆうたまじ会いたかったわ~お店もう予約しといたからそこで語ろ」

と言われました。

 

ついさっきまでバイトしてたというのにもうお店の予約までしていて、あおちんさすがの仕事の早さやなぁ~と思いながら、

もういてもたってもいられなくなって、お店に着くまでの道のりで、

 

あおちん聞いてくれ、前に出版甲子園の話したやん?実はそれの決勝大会に進めるかどうかの発表がさっきあってさ、俺がその10人に選ばれることになった!!!!

 

と、あおちんを驚かせたい一心で話しました。

 

すると、あおちんは、まったく驚く様子はなく、ただただ本当におめでとう、本当に良かったと涙ながらに言ってくれました。

 

そう、あおちんは僕が電話した時点で全てを気づいていたのでした。

 

出版甲子園の決勝に進めるかどうかの日にちが今日であるということを。

そして、僕の性格上、もし準決勝で落ちていたらまず間違いなく電話なんてしてこずに、一人で落ち込むであろうということを。

 

なので、バイト中だったから出られなかったものの、僕から電話があった瞬間、ゆうたの出版甲子園の決勝進出が決まった!!!!!!と気づき、

すぐにその場で祝うためのお店とサプライズケーキを予約してくれて、

それでいて、平然と何事もなかったかのように振る舞ってくれていたのでした。

 

このあおちんの気遣いには本当に感動しました。

そこには嫉妬や妬み、羨望といったようなものは一切無く、純粋に僕のことを祝いたい一心で駆けつけてくれていたのでした。

 

その後、21時までゼミだったにも関わらず、リクルートの同期で早稲田の友達のりさも来てくれて、本当に最高で楽しく、幸せな一日を過ごすことができました。

 

生きてきて、この日が一番幸せでした。

 

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(その日のあおちんとりさ。もっと楽しそうなはしゃいでいる写真もありましたが、自重(笑)このとき僕の髪の毛があまりに明るいため3人で写っている写真も自重(笑))

 

慶應合格」や「出版甲子園でグランプリを受賞する」という目標(または夢と言っていいかもしれません)ができてからというもの、僕の人生は輝き出しました。

それまでは本当に毎日くそみたいな生活を送っていて、鬱屈とした日々でした。

それが「夢」のおかげで、急にカラフルに色づくようになったのです!

そして、そんなカラフルな日常を、より豊かなものにしてくれたのが「友」の存在でした。

 

(何年も何年も膨大な時間かけてきたことで、にも関わらず、ずっとうまくいかなかったことに対して、僕はちょうど5年おきに嬉し涙を流しているみたいで、

あと1年ちょっとで前回から5年が経つので、そろそろ三度目の嬉し涙を流したいと思っていて、そのために日々頑張っているわけですが)

 

よく夢を叶えた人が、いやもっと言うと、億万長者の経営者や全てを手に入れたかのようなTVスターが、

「お金も地位も名誉も何もなくて何者でもなかった頃が一番楽しかった」
「もしあなたと代われるなら、10億円払ってでも代わってほしい」

というようなことをインタビューで答えているのをたびたび耳にしていて、それに対して、

 

「いや、うそつけ」
「それ美人の女優がブスの女芸人を見て、かわいぃ~って言ってるようなもんだからな」

 

とずっと思ってきましたが、

やっと気づくことができました。

 

彼らの言うことはおそらく本当で、

何も大きな結果を出せず、仮に夢を叶えられなかった人生だったとしても、自分の人生を最も輝かせ、カラフルに、楽しく、幸せで、充実したものにしてくれるのは、

お金や地位や名誉なんてものではなく、

人生で必要なものは、

 

「夢と友」

 

この二つなんじゃないかなぁということにやっと気づくことができました――

 

 

 

 

 

 




______

僕がどうしても伝えたかった話はこれでおしまいなので、ここでこの記事を終わらせても良かったのですが、

最後にもう少しだけあおちんの話をさせてください。


――――

f:id:yuyu413:20180722144859j:plain(左が森井、右があおちん)

大学4年のその頃、僕とあおちんは本当に仲が良く、

19時から会うと話が盛り上がり過ぎていつもオールしてしまうことになってしまい、しかし毎回オールはしんどいということで、17時から会うことにしていました。

終電まで7時間喋りたおすと、さすがにちょっと疲れてきて終電で帰ろうか、となるからです。

ちなみに、19時ではなく17時から会うことをあおちんの名字である青野からとって、〝青野時間〟と呼んでいました(笑)

 

当然、決勝進出を祝ってもらった日は〝青野時間〟(17時)に集合していたわけですが、

りさも来てくれたこともあり、いつも以上に盛り上がり、

終電間際になったとき「今日は青野時間の集合だったけど、オールしちゃおうぜ!」と僕が言うと、

いつもなら絶対に断ることのないノリの良いあおちんが、急に真顔でこう言いました。

 

「ゆうた、今日は終電で帰った方がいいと思う」

 

え?

という顔をするとこう続けました。

 

「もうすぐで5年越しの夢が叶いそうなんだ。ワイワイ過ごすのも楽しいけど、今日という大切な一日の残りの時間は一人で噛み締めた方がいい気がするんだ」

 

言われてみれば、出版甲子園の運営者へのメールも返していなかったし、一ヶ月後に控える決勝大会に向けてこれからが本番であり、本当の勝負はこれからでした。

 

そのことをあおちんは思い出させてくれて、確かに一人の時間も必要かと思い、

「うん、わかった。今日は本当にありがとう」と言い、

酔っぱらいのりさを電車までしっかりと送り届けた後、解散することにしました。

 

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「なんて幸せな一日だったんだ」とあらためて噛み締めながら、帰りの電車でなんとなくTwitterを開いたら、たまたまあおちんのこんなツイートが目に飛び込んできました。



「友達の成功を心の底から祝福できるって、当たり前だけどとってもいいこと!

親友の5年越しの夢が叶いそうで、自分のことみたいに嬉しかった!本当におめでとう!おれももっと努力します!」



再び、涙がこぼれ落ちそうになり、僕は抱え込むように両手でぎゅっと携帯を握りしめました。 

 

 

 

 

 

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