思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

乳がんが再発したお母さんのどうしても伝えておきたい話

僕はこれまでありがたいことに自分自身はもちろんのこと、僕の周りでもほとんど不幸にみまわれず、これまで元気に生きてこられました。

しかし、ちょうど1年前、僕の知る限り、最も絶望的状況を目にしてしまいました。

その話はぜひとも皆さんにも知っておいてほしい、いや、生きていく上で絶対に誰もが知っておかなければならない教訓が含まれていると思ったので、少し長くなるかもしれませんが、今日はその話をさせてください。

 

 

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1年半前、友人が自分の胸に〝しこりのようなもの〟があることに気が付きました。

ちょうどその頃、小林麻央さんが乳がんで亡くなったばかりで、世間的にも乳がんについての話題で持ちきりでした。

 

乳がんは遺伝性があると言われています。

そのことを知っていた僕の友人は、すぐに乳がん検査へ行くことにしました。

 

というのも友人のお母さんは、15年前に一度、乳がんになっていたからです。

自分が小学生の頃、乳がんで苦しんでいた母を見ていただけに、すぐに乳がん検査を受けに行くことに決め、でも一人で行くのは怖かったので、友人は母を連れて地元の病院へ行くことにしました。

 

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結果から言いますと、友人の胸のしこりのようなものはまったくの気のせいで、問題ありませんでした。

ところが、娘の乳がん検査の後、お母さんであるTさんも念の為に受けたら、あろうことか検査にひっかかってしまったのです。

 

来週、すぐに大きな病院で再度検査を受けることになり、お医者さんからは「詳しくはその検査結果がないとわからない」と言われました。

Tさんは、心配そうな顔をする娘に「大丈夫よ」と言いながらも「大丈夫と思ってて結果が悪ければ落ち込むから、結果は悪いと思っておくね」「髪の毛、抜けるの嫌だなぁ」とぽつりと笑いながら言いましたが、Tさんの目は笑っていませんでした。

 

 

「きっといつかは大切な人がいなくなる現実が必ず来る。その時、私は乗り越えていけるのだろうか。

今、母は元気で普通に生活してるけど、それでも、本当に、いつでも、いつ何があるかわからないから。私にとって、お母さんはたった一人の本当に心から繋がってる家族で。

いつか離れる時がくること、それが近い将来だろうと遠い未来であろうと、一人になることを想像すると、ものすごく怖くなる」

「とりあえず来週の月曜日!!!それまで何をどう考えたって仕方がない。何があったって、幸せな時も辛い時も、いつだって、大切な人のことは大切にすべきなんだ」

 

このどうしようもできない、もやもやしているだけの時間が、一刻も早く過ぎて欲しいと、娘は強く思っていたそうです。

 

そして、最初の検診から2週間後、やっとTさんの検査結果が出ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


結果は、陽性。

残念ながら、再発でした。

Tさんが乳がん治療を終えてから14年後のことでした。

 

 

Tさんは、大きな病院に「(治療を終えて)もう10年以上経っているので、自覚症状がない限りは、今後ここではなく市の定期検診に行ってください」と病院から断られていました。

 

「私が新しい病院で乳がん検査をしたから、お母さんはそのついでに受けてみただけ。私と一緒に検査していなかったら、乳がんの発見は、もっともっと先延ばしになって手遅れになっていたかもしれない。見つかって良かった、本当に……」

 

 

 

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その日の晩、Tさんは声をあげて泣きました。

手術が怖いからではありません。

大好きな人たちと大好きな仕事ができなくなるからです。

 

 

それからTさんは再度検査を受けることになりました。乳がんが悪性の時のことを考えて、癌が全身に転移していないかどうか調べることになったのです。

万が一、癌が全身に転移していたら、手術はできません。

その代わり、死ぬまで一生、治療が続くことになります。

なぜなら、目に見える状態で転移していることがわかれば、もう全身に癌が散らばっていることになります。胸を手術しても意味がなく(全部取れない、キリがない)、体に負担がかかるだけだからです。

 

 

「今は50%の確率。どうにか転移だけはしていないことを祈ってる。お母さんの髪の毛はもう生えてこないかもしれない。余命を言われる可能性だって。10年とか長く生きられる可能性もあるけど、どちらにしても転移していたら寿命が尽きるまで病気と闘うことになる。

もう実感がわかない。

心がついていってない。

でも好きな仕事(ベビーシッター)を手放すことになって、泣いている母を見て、すごく当たり前だけど、本当に全ての幸せって健康から始まるんだなって思った」

  

 

________

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僕は今までありがたいことに自分自身はもちろんのこと、僕の身内でもほとんど不幸という不幸に遭遇することなく、これまで生きてきました。

そんな中、最初この話を聞いたとき、僕の知る限り、最も「絶望に近い状況」だと思いました。

 

だって、そうですよね。次から市の定期検診に行ってくださいと病院から断られたくらいで。

乳がんは、10年経って再発しなければ、ほぼ完治」と言われています。

14年経って、やっと病気のことを忘れていられるようになったのに。

それに愛する娘が乳がんではないことがわかり、ほっと胸をなでおろし安堵したところ、まさか自分が再び癌になっていたとは。

 

ずっと健康に生きてこられた僕には想像を絶するくらいの状況でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところがです!

Tさんは乳ガンが再発していることを知って、その日は泣きはしたものの、「もうだめだ」「なんで私ばっかり……」と後ろ向きになるのではなく、

「仕事ができない代わりに時間はできたから、次の新たな仕事のために子育て関係の資格をとって勉強をする」と言い出したのです!

今まではずっと忙しくて、それを理由に先延ばしにしてきたから。子育てアドバイザーになり、子育てに悩むお母さんの力になりたいんだ、と夢を語り始めました。

 

そして、15年前、抗がん剤で髪の毛が抜けた時にかぶっていたカツラを、押入れからひっぱりだしてきて、

「ついにまたこれを使う時が来たか……!」

と、まるで〝最終兵器〟を出すみたいな言い方で病気を笑い飛ばしたのです!

 

 

 

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「せっかく仕事していないのだから、将来のことを考えると言っていたの。母はもう避けられない運命を受け入れていた。険しい運命に抗おうとするのではない。私より先に、前を向いていた。「母は偉大だ」と思った」

「お母さんね、こんな時でも、ちゃんと前を向いてる。こうならないと気づけない大切なことが絶対あるんだって。きっと人生の中で大きく変われる瞬間なんだって。本人がそう思うのなら、私もちゃんと同じ方向を向いて、しっかり母と生きる未来を描こうって誓うよ」

 


________

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それからしばらくして辛くて苦しい「抗ガン剤治療」が始まりました。

15年前はずっとバケツを抱えてないといけないくらい副作用がひどかったらしいのですが、Tさんはまだ一度も吐いてないと言っていました。

もちろんピークの時は、一日中寝込んでいたり、元気ではないみたいですが、医学の進歩が凄すぎると驚いていました。

「「しょろしょろ髪の毛抜けるぅ〜」ってお母さんが私に言うの。言い方軽すぎでしょ、やめて」

と娘はふっと笑いながら僕に話しました。

 

 

 

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Tさんの癌の悪性レベルは中間でした。

2年前に検査を受けたときは何ともなかったので、この2年間のどこかで再発。

しこりの大きさ的には3センチくらい。1センチ越えたらあっという間にすぐ大きくなっていくそうです。

あと半年遅かったら、確実に全身に転移してるようなレベルだったようで、本当に不幸中の幸いでした。

 


「お母さんね、抗ガン剤治療中、子育てアドバイザーの資格を取るために講座も受講して勉強し始めたの。

始めるのは何歳からでも遅くないってこと、やっぱり精神的に前向きでいることはすごく大事ってこと、今のお母さんの姿から学ぶことはとても多い。

病気を理由に落ち込む人もいれば、それをきっかけに前に進む人もいるから」

 

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「お母さん、ベビーシッターをやっていて、指名入りまくりで大人気みたいなの。それで辞めるってなった時、お客さんみんな泣いてたらしくてね。「あなたがいなければ、私たち家族の今はありません。いつでも、帰ってきて下さい」って。職場の社長さんや社員さんにも、「何年先でもいいから、ずっと待っています」って言ってもらえたみたいで。

それだけ母は、仕事先の子どもを大切にして、その家族の人たちにも愛されるような人だったんだなぁって。改めて、尊敬したよ。お仕事だけど、お仕事だと思ってない、ちゃんと愛があるんだと思う。

今日はサプライズで、お母さんに「ベビーシッターお疲れ様」のケーキを買って帰るんだぁ〜喜んでくれるかなぁ~~」

 

 

 

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数日後、Tさんから娘にLINEが届きました。

「私は今まで雇われることしか頭になかったけど、よく行く楽器屋さんが移転の時に、店探しから内装とか自分色になっていく過程を見てきていいなぁと思ってん。

遠い夢やと半分諦めていたけど、今回こういうことになって、あとどれぐらい生きられるかわからんと思ったら、夢は今実現せなあかんねやわと思った。

小さくてもいいから自分の仕事場を持って、あなたの絵を飾って癒しの空間を作りたい。二人の事務所として。そこであなたは絵を描いたらいいし。なーんてね。

私はあなたに救われた。だから今ある命を大切にして前を向いて生きていきたい」
(Tさんの娘はイラストレーター)

 

 

 

(やっぱりお母さんは病気と闘いながらも、夢に向かってがんばっているんだ)  

 

 

 

お母さんの口から「辛い、嫌や、しんどい」といったネガティブワードを一度も聞いたことがない。もちろん内心思っているのかもしれないけれど、私たちが元気にサポートできているのも、周りが明るくいられるのも、全部お母さんのおかげ。

ガン患者になってできないことは増えたけど、ガン患者になる前よりも、きっと「ありがとう」は増えた。身近な幸せに気付けるようになったから。それは本人だけじゃなく、周りの私たちも気付けた大事なこと」

 

「お母さん、〝子育てに悩むお母さんの心のケア〟をしたいんだって。どちらかというと子ども相手ではなく、親のサポートね。ベビーシッター先で、一人で悩んで苦しんでいるお母さんが多かったみたいで。

しっかり体を治して、新しいスタートをきってほしいなぁ。私、お母さんの夢、応援する!!!」

 

 

 

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「……、でね、乳がんだけだったから、片方の胸は摘出して無くすことになるの。髪の毛も全部無くなる。抗がん剤とかその他にもいろいろと治療に関しては〝フルコース〟。これから1~2年かけて治していく感じかな」

「ところで、〝フルコース〟って誰が言い出したと思う?」

「お医者さんやねん」

「いや、そんなフレンチのコース料理出てくるぅ、みたいな言い方せんとって。そんなええもんちゃう!」

と娘もまるで母のように病気を笑い飛ばした。

 

 



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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Tさんが乳がんの手術をしてから、先月でちょうど1年が経ちました。

辛くて苦しい抗がん剤治療も無事に終わり、現在は、分子標的薬(がん細胞だけをやっつける薬)を3週間ごとに18回点滴中で(来年の2月に全て終了予定)、それに並行してホルモン剤(ホルモンを抑える薬)を5年間毎日服用していくそうです。

不幸中の幸いではありますが、発見が早かったということもあり、今では治療を続けながら、夢に向かって毎日元気に過ごしていると言っていました。

 

 

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このTさんの話は、生きていく上で大切なことが本当にたくさん詰まっている気がします。

母と子の家族愛、待っていてくれる人がいるという幸せ、避けられない運命をいかに受け入れるか、ないものではなく恵まれているものを数えるなど、本当に様々なことが挙げられますが、その中でも特に僕はTさんの「逆境の乗り越え方」にいたく感動しました。

Tさんは、癌になったことを嘆き、自暴自棄になるのではなく、絶望的状況でさえもいいきっかけだと現実を捉え直し、今までできなかったことをやろうとする、この前向きな姿勢に、僕は震えるほど感動しました。

この絶望の乗り越え方は、絶対に誰もが身につけておくべきことだと強く強く思いました。

 

僕は今まで、片手で数えられるほどですが、人生のところどころで、人生観を揺さぶられるほどの極度の挫折を経験してきました。(このことを「トラウマ」と言ってもいいかもしれませんが、僕は〝圧倒的挫折〟と呼んでいます)

そして、しばらく後になって気付いたのですが、その〝圧倒的挫折〟を乗り越える度に、僕は大きな成長を遂げていたのです。

なので、この〝圧倒的挫折〟は大きく成長するために必要不可欠とさえ思うようになり、ある時から僕は、何かで挫折する度に「はぁ……もうだめだ……」と落ち込むのではなく、「よっしゃ!!!」と思うようになりました。

なぜなら、これを乗り越えれば、また一つ強くなれるとわかっているからです。

 

〝圧倒的挫折〟は、成長するための代償であり、大きな成功とは切っても切り離せません。

何かが人よりできるようになって天狗になり、でもその後、挫折して。

この天狗と挫折を繰り返すことで、人は強く逞しくなる。そして、挫折を味わい、乗り越える度に、その人の魅力はどんどん増していく。

 

そんな風に考えていました。

ただ、これはあくまで僕の経験則であり、他の人には当てはまるかどうかわかりませんでしたが、

つい最近知ったのですが、それがなんと科学的に証明されていたのです!

昨年、Tさんの乳がん発覚後からの対応が本当に素晴らしいと思っていて(友人にも熱く語ったことがあるくらいでしたが)、そのことは心理学的にしっかり説明できるもので、「逆境下成長」または「心的外傷後の成長」と言うらしいのです!

 

おそらく大学か何かで心理学をかじったことのある人なら「心的外傷後のストレス障害(PTSD)なら聞いたことがあるかもしれませんね。

戦争から帰ってきた兵士の中で、精神的に病んでしまった人が続出して深刻な問題となった心の病です。

本か授業でかは忘れましたが、僕自身、「心的外傷後のストレス障害」(PTSD)のことなら大学1年生くらいのときから知っていました。

 

しかし、その真逆の「心的外傷後の成長」(逆境下成長)のことはまったく聞いたこともありませんでした。

今まで戦場に向かう兵士たちは、「正常な状態」で戻ってくるか、または「PTSD(心的外傷後のストレス障害)」を伴って帰ってくるかのどちらかだと言われていました。

しかし、実際はその二つの道よりもさらにいい「第三の道」があることが明らかになったのです!

それが「心的外傷後の成長」(逆境下成長)という道でした。

 

ハーバード大学の心理学者ショーン・エイカー教授はこう言います。

「最初にこれらの研究を知ったとき、私は憤慨した。なぜもっと早く世の中に知らされなかったのだろう。多くの人の人生をよりよくできる驚くべき研究が、人々の目から隠されていたのだろうかとさえ思った」

この文章を読んだとき、本当に驚きました。そして、嬉しくもなりました。なぜなら、僕がこの記事を書こうと思ったときのテンションと熱量がまったく同じだったからです!

近年わかったこの研究のおかげで、「重大な苦しみやトラウマは、様々な面において、非常にポジティブな変化をもたらす」ということを、格言としてではなく、確信を持って言えるようになりました。

 

 

また、ショーン・エイカー教授こう続けます。

乳がんと診断された女性の大半にも同じようなポジティブな成長が見られた。精神性が向上し、他者への共感が増し、心がオープンになり、最終的に人生全体に対する満足度さえも増したという。また、トラウマ後、性格的強さと自信が増して、周囲の人々に対する感謝と親密度も増大したという報告もある」

 

もちろん、全ての人にこういう現象が起こるとは限りません。

それでは、辛い経験の中で成長していく人と、そうでない人とではどこが違うのでしょうか?

 

これに対して、一番重要なことは、「その人のマインドセット」「心の持ちよう」だと教授は言います。

上方に向かう道を見出す能力は、自分が引いたカードの「手」をどうとらえるかによります。

「逆境下成長」に続く道を見つけるには、状況や起きたことをポジティブに再解釈し、楽観性を失わず、現実を受け入れ、問題を避けたり否定したりすることなく、真正面から見つめることです。

 

ある研究グループによると、「心的外傷後の成長に影響するのは、その出来事がどういうものかではない。むしろその出来事の主観的経験である」と言います。

「言い換えると、挫折からうまく立ち上がることのできる人というのは、何が起こったかによって自分を定義せず、その経験から何を得るかによって自分を定義する人である。そういう人たちは逆境を利用してそこから進む道を見つける。逆境からただ「立ち直る」のではなく、「起き上がってさらに上に伸びる」のである」

 

 

もうTさんの乳がんの話をまんまされてる気しかしません。ほんとにこういうことがあるのか、と本当に驚きました。

多くのベンチャー投資家は、ビジネスの大失敗を経験したマネージャーしか雇わないと言われています。

それは傷一つない履歴書を提出する人は、失敗と成長の軌跡を示す履歴書の持ち主と比べて見込みがないからです。

だからこそ、「何かでうまくいかなかったから、なりたい職業に就けなかったから、癌になったから、私は幸せになれない」なんてことは一切ないのです!

 

 

こんな素晴らしい心理学の研究のことをもっと知りたいと、他の文献にも目を通したのですが、なんとカリフォルニア大学の心理学教授であるソニア・リュボミアスキーさんは、常にこの図を手元に置いていると言っていました。

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研究者として今まで何百もの様々なグラフを見てきた中、唯一いつも手元に置いているのが、この「心的外傷後の成長」(逆境下成長)のグラフだそうです。

この図は大きな問題に直面したときに選ぶことのできる3つの道を表したものです。

トラウマを経験した直後は、後遺症に苦しむかもしれませんが、ついにはもとに戻るばかりか、それ以上に成長することができるのです。

 

 

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また文筆家のナシーム・ニコラス・タレブはこういう表現をしています。

「風はろうそくの火を消すが、炎を燃え上がらせもする」

ここで風とは辛くしんどい出来事のこと。火が消えるとは絶望的になるということ。そして、炎を燃え上がらせるとは、辛い出来事は起きたものの、それを糧に成長するということと言い換えることができます。

風で火が消えてしまう人もいるが、一方で、それをきっかけに炎を燃え上がらせる人もいると。

 

 

これらの文献を読んだとき「やっぱりそうだったか……!!!」と思わず唸りました。

案の定と感動と衝撃が入り交じった感情で、震えました。

だからこそ、「これは絶対に多くの人に伝えなければいけない」と改めて強く思いました。

 

なぜなら、僕たちは苦境に立たされた時、その恐怖に圧倒され、前を向くことを諦め、可能性を閉じてしまいがちだからです。

多くの人が〝圧倒的挫折〟を一度、または何度も味わうことで、無力感に襲われ、二度と幸せになれないんじゃないだろうかと、生きる気力を無くしてしまうからです。

 

しかし、乳がんで今まさに苦しんでいる人もいるでしょうし、悲しいことに身近な人が癌で命を落としてしまったという方もいるかもしれません。

どう書いても、そんな人たちがこの記事を読んだら不快に思ってしまうんじゃないだろうか、不謹慎だと思われるんじゃないだろうかと、やっぱりUPするのをやめようとも考えました。

挫折の後、必ずしも全員がポジティブな成長ができるわけではないということも、もちろん知っているからです。

 

 

でも……それでも、僕は今まで「実用書」に書いてあることを実践することで、自分の人生を切り開いてきました。

二十歳の頃に実用書に出会い、それらを読むことで人生が変わりました。

借り物の人生から、自分の人生こそが24時間エンターテイメントだと言えるようになりました。

実用書に救われたのです。

だからこそ、今度は、より良く生きるための「実用知識」を伝える(書く)ことで、返していきたいと思っています。

「変わりたいという強い意志さえあれば、どんな状況からでも、努力で人は変われる」ということを、僕は実用書を書くことで証明したい。

それは僕の使命であり、僕の生きる意味みたいなものです。

なので、不謹慎だと思われようと、まずはしっかりとこの記事を書ききり、たくさんの人に読んでもらおうと思いました。

 





そこで、今この文章を読んでくださっている〝あなた〟にお願いがあります。

ぜひ周りに、特に今生きることに苦しんでいる人に、このTさんの話を、そして「逆境下成長」(心的外傷後の成長)の話をしてあげてほしいのです。

「逆境の後にこそ、幸せが待っている」というこのまごうことなき事実を知っているというだけで、気持ちが違ってくると思ったからです。

険しい困難という名の試練に直面した時、押しつぶされにくくなると思うのです。

「逆境こそ好機」なのだから。

この記事をシェアしてほしいと言っているわけではありません。

例えば、明日、学校や会社へ行ったとき、悩んでいる友人に一言、声をかけてあげるだけでいいのです。

だから、僕は書きました。

きっと救われる人がたくさんいると思ったからです。

 

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【最後に】

今回、Tさんのとても前向きな話を書かせてもらいましたが、Tさんは手術後、抗がん剤治療を3週間ごとに合計6回やってきました(無事終了)。この記事を書くにあたって改めて治療の話を伺ってそこで初めて知ったのですが、

当初、Tさんの趣味であるピアノが弾けなくなるかもしれない、お茶碗も持てなくなるかもしれないと言われていました。また、抗がん剤投与後、度々、白血球の数値が下がり、お医者さんに「治療継続が難しい」と告げられたこともあったそうです。

「治療の副作用はもちろん辛かったけど、それよりも白血球が下がり、治療継続が難しいと言われた時の方が辛かった」と話してくれました。

「その時に、治療が出来ることのありがたさを感じることができた」と。

 

自分がもし、そんな険しく困難な道にぶちあたったなら、こんな前向きでいられるだろうか……と思わず考えさせられました。

今回、「Tさんの逆境下成長」についての記事を書かせてもらい、本当に様々なことを学ばせてもらいましたが、何より〝生きる勇気〟をもらった気がします。

今後、もし僕が何か大きな壁にぶち当たることがあったとしても、このTさんの話をお守り代わりに頑張って乗り越えていきたいと思いました。

 

こんな最後の最後まで読んでくださりありがとうございました!