思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

風俗嬢は彼氏にただでセックスさせるのか

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風俗嬢の友達に、彼氏とのセックスについて悩んでいると相談されたことがあった。

悩んでいると聞いて、彼氏とうまくいっていなくてセックスレスなのかなくらいに思っていたら、そうではなかった。


「普段お金をもらって仕事として、セックスをしている。
それなのに家に帰っても彼氏とセックスをするとなると、なんかおかしな感覚になるの」
「もちろん彼氏だからお金なんて取らないけど、それでもなんで無償でセックスしているのかわからなくなってきて、そんな卑しい自分が嫌なの」

そう言われた。聞くところによると、この悩みは風俗嬢あるあるらしく、周りの風俗嬢の子達も彼氏とのセックス事情で悩んでいると言っていた。

これを聞いたとき、よくある恋愛相談とは違い悩みがぶっとびすぎていて、正直話を聞くくらいしかできなかったのだが、

この風俗嬢のもやもやとした悩みの本質とはいったいなんだったのか、行動経済学の観点から説明できるじゃないかと思い、かつその悩みの正体は僕たち一般人にも知っておくべき大事なことなんじゃないかと感じた。

 

■社会規範と市場規範の世界

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行動経済学者であるダン・アリエリー曰く、僕たちは二つの異なる世界に同時に生きている。

「社会規範」が優勢なほのぼのとした世界と「市場規範」に支配された世界だ。

(聞きなれない言葉でわかりにくいかもしれませんが、この記事の肝となる部分なので、読み飛ばさないでいただけたら嬉しいです!)

一つ目の世界、「社会規範」には、友人同士の頼み事が含まれる。

旅行に行くから愛犬を預かってくれない?書くものがないからボールペンを貸してくれない?といったように。

社会規範は、僕たちの共同体の必要性と切っても切れない関係にある。たいてい穏やかでのほほんとしている。
電車でお年寄りに席を譲るといった、相手のためにする行為のようなものだ。どちらもいい気分をなり、すぐにお返しをする必要がない。

 

一方で二つ目の世界、「市場規範」に支配された世界では、まったく雰囲気が違う。

のほほんとしたものは何もない。賃金、価格、賃貸料、借金など、やりとりは非常にシビアだ。
このような市場の関わり合いが必ずしも悪いというわけではなく、対等な利益や迅速な支払いという意味合いもある。

市場規範の世界では、支払った分に見合うものが手に入る。そういう世界だ。

(2つの世界の説明、ご理解いただけましたでしょうか…!)

社会規範と市場規範を別々に隔てておけば、人生はかなり順調にいく。
しかし、この二つの規範が衝突するとたちまち問題が起こってしまう。

 

■社会規範を市場規範に切替えてしまうと恐ろしいことが…

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例えば、こういうことだ。面白い例があるので引用する。

あるイスラエルの託児所は、子どもの迎えに遅れてくる親に何度注意しても時間通り来ないので、遅れてくる親に罰金を科すことにした。

そうしたらなんと遅刻してくる親が多発したという。罰金を払っているのだから、その分長く子どもを預かってくれよというのが親の言い分だった。

これはまさに社会規範を市場規範に切替えてしまった例である。

罰金が導入される以前、先生と親は社会的な取り決めのもと、遅刻に社会規範をあてはめていた。

そのため、親たちはときどき時間に遅れると後ろめたい気持ちになり、その罪悪感から今後は時間どおりに迎えにこようという気になった。


ところが、罰金を科したことで、遅刻した分をお金で支払うことになると、親たちは状況を市場規範で捉えるようになった。

つまり、「罰金を払ってるのだから遅刻してもいいだろう」と、親たちは迎えの時間に遅れるようになったのである。

市場規範が託児所に入り込んで、社会規範が押し出されてしまったのである。

と、ここまでは心理学の本などに載っている有名な話なので知っている人もいるかもしれないが、この話は本当はここから始まる。

最も興味深いのは、数週間後に託児所が罰金制度を廃止してどうなったかである。

託児所は社会規範に戻った。では、親たちは社会規範に再び戻り、遅刻に対する罪悪感は復活しただろうか。

答えは否である。
罰金制度はなくなったのに、親たちの行動は変わらず、迎えの時間に遅れ続けた。むしろ、罰金がなくなってから、子どもの迎えに遅刻する回数がわずかに増えてしまったくらいだ。

社会規範が市場規範と衝突すると、社会規範が長いあいだどこかへ消えてしまう。一度崩れた社会的な人間関係はそう簡単に修復できない。

社会規範は一度でも市場規範に負けると、まず戻ってこないのだ。

 

■風俗嬢の悩みの正体とは

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自分のこと以上に相手のことを考えることが愛であると聞く。相手のことを考えるのは無償(の愛)だが、

「お金じゃ愛は買えない」とはよく言ったもので、お金を出した瞬間、社会規範が市場規範とぶつかり、愛は消しとんでしまうのである。

これは何も風俗嬢に限った話ではない。
もし、この記事を読んだ人は、彼女にプレゼントをあげるとき決して値段を口にしない方がいい。

「愛のあるプレゼント」が、「××円のプレゼント」へと変わり、二人の関係は市場規範の領域へ移ってしまう可能性があるからだ。

振られた腹いせに「お前にいくら使ったと思ってるんだ」なんて捨てセリフで言った暁には、永遠の別れが待っている。


僕たちは異なる二つの世界に生きている。
一方は社会的交換の特徴を持ち、もう一方は市場的交換の特徴を持つ。

これからも僕たちはこの二種類の人間関係にそれぞれ違った規範を当てはめながら生きていく。


もやもやしたものが、やっと輪郭をはっきりとさせて現れてきた気がする。

風俗嬢があのとき抱えていた悩みの正体は、「社会規範の世界」に「市場規範の世界」が紛れ込みそうになっていたからなのだろうなとやっと理解することができた。

本来なら愛情に満ちているセックスが、売り買いされるセックスと混同し、衝突しかかってしまっていたのである。

さて、悩みの本質がわかりこれでやっと風俗嬢の友達の悩み相談に乗れる土俵に立てた気がする。
ただだからと言って、悩みの解決策は相変わらずわからない。

「彼氏とセックスするのにお金を取ったらだめだよ」なんて言ったとしても、「そんなの当たり前じゃん」と一蹴されるだけだ。
この社会規範と市場規範の話をしても「ふぅん。なんだか難しくてよくわかんない」くらいにしか言われないかもしれない。

この悩みが解決されるまで僕はブログをやめられない。

今日も「思考を整頓」し、"もやもやしたもの"に輪郭をあたえていく。

 

 

 

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カブト虫の雌に角がない理由と、汚い川にホタルが住むようになったワケ

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夜中、目が覚めると天井が光っていた。

正確には小さな光が点滅していた。

当時中学1年生の怖がりだった僕は、「(幽霊が) ついにでてしまった……」と震えた。

電気を付けさえすればこっちのもんだと、なんとか布団にくるまりながら、幽霊(のようなもの)にばれないように電気を付ける。

恐る恐る光っていた天井を見上げると、そこにはなんと一匹のホタルがとまっていた。

「なんだ、ホタルかよ」と心の底から安堵したと同時に、「なんでホタルおるん!?」と疑問に思う。

いちお言っておくと、実家は兵庫県宝塚市にあり、ホタルが出てもおかしくないような田舎というわけではない。

その日はもう夜中だったのであまり深く考えず、ホタルを外に逃がして眠ることにした。


それから数年後。

家にホタルが入ってきたことも忘れてしまい、幽霊なんてまるで怖くなくなった頃、周りの住民の間で、夏にホタルが出ると話題になった。

そのときになってやっと「ホタル幽霊と見間違える事件」のことを思い出した。

あれは偶然誰かが逃がしたホタルが家に入ってきたわけではなく、家のすぐそばを流れるどぶにホタルが住んでいたことを知る。

夏に窓を開けていたらホタルが入ってくるとは。なんて風流で、粋なことをしてくれるじゃないか、ホタルよ。

しかし、これにはさすがに驚いた。
ホタルと言えば、田舎のキレイな川にしか住めないと聞いていたからだ。

それがあの家のそばに流れるどぶ川にいるなんて。

 

■夏の風物詩・ホタルと、男のロマン・カブト虫

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相変わらずホタルが人気みたいだ。夏の風物詩といったところか。

ちょうど今年の7月、後輩の女の子が「今からホタル祭りに行くんですよ!」と言っていた。山形県庄内町からゲンジボタルが東京にやってきて、無料で鑑賞することができるそうだ。

都会に住む8割の子どもがホタルを見たことないという。
子どもの頃に見た幻想的な光を今の子どもたちにも見せてあげたいという理由からこのホタル祭りが開かれることになったみたいだ。


ホタルも良いが、子どもの頃、僕はカブトムシに魅了されていた。

あの大きな武器である角、黒光りした羽、そして何よりあの力強さ。男のロマンだ!

毎年夏になる山へカブトムシ採りに出掛けていた。特に角の大きいカブトムシを捕まえてはカゴに入れて四六時中見ていられた。

一方でせっかくカブトムシを見つけたのにメスだった時はすごくがっかりしたのを覚えている。

「なんでメスにはあのカッコいい角がないんだ」と子どもながらに思っていたのだが、メスに角がない理由とオスの角が大きい理由が、最近たまたま読んだ本に書かれていて興奮した。


■カブトムシが巨大な角を持つようになった理由

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まずオスの角が大きい理由から簡単に。

角が短い個体と角が長い個体が生まれると、喧嘩の際に有利な角の長い個体が餌場を独占し、角が長い個体ばかりが生き残って、角の長い子孫が残る。

その結果カブトムシは巨大な角を持つようになったのである。


そして意外なことに、カブトムシはよっぽど力が拮抗していない限り、闘わない。

カブトムシのオス達は顔を合わせると相手の力量(角の大きさ)を瞬時に判断し、自分が劣っている場合は激しい闘いになる前に勝負を降りるのである。

これはカブトムシが、自ら傷つくリスクを最小限に抑え、勝ち目のない勝負を避けるように進化してきたからだと考えられている。

■メスに角がついていないワケ

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次になぜメスには角がついていないのかについて。

雌雄で異なった姿形に進化することを、生物学の用語で「性選択」と呼ぶのだが、唯一決定的にオスとメスで根本的に異なる行動を取るのが、繁殖する相手を見つけるときだ。

自然界では、オスはメスに対して求愛行動をとったり、メスを巡ってオス同士が激しい争いをする。

一方で、メスはオスに対して気を引くような行動をしたり、オスの取り合いでメス同士が喧嘩をするようなことはない。

なので力を示す武器を大きく進化させる必要がメスにはなかったである。


ちなみに大きな角を持つカブトムシは、他の個体に比べて羽が小さい。これはカブトムシに限った話ではないが、生物の巨大な武器はトレードオフの関係にある。

戦闘能力と引き換えに、高い視力、敏捷な飛行能力、嗅覚などを犠牲にしている。武器を作るためにもかなりの代償を払っているということだ。

例えば、牙が異常に長いサーベルタイガーはチーターのような跳躍力はない。そのため獲物を仕留めるときは草陰に隠れ、待ち伏せして一撃必殺を狙う。

わざわざそんな武器のコストを払ってまで、カブトムシのメスは角を進化させる必要がないので、オスみたいな立派な角がないのである。


■進化は今も身近なところで起きている

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世界中の海でタラ、サケ、タイなどの魚が小さくなりつつある。漁網の網目より小さいと捕らえられないので、成長を止める魚たち。

牙が大きいものから密猟者に狩られるため、牙が小さくなり、また密漁の激しい地域では牙の持たなくなった象。

進化というとどこかすごく昔のことのようであったり、何百年かけて起こることのように感じられるが、実は今も僕たちの身近で起こっている。


おそらくあのとき部屋に入ってきたホタルは、何年かかけて汚い川でも生きられるように「進化を遂げた」のであろう。

ホタルが部屋に入ってきた背景に、粛々と進化の歯車が回っていたとはと、数年のときを経てやっと腑に落ちることができた。

ホタルとカブトムシ、子どもの頃の謎が二つも解けたことで、知的好奇心が満たされとても嬉しくなった。


しかし、そんなことを考えていたら、悲しいかな、ほとんど夏らしいことをせずに気づけば今年の夏が終わっていた。もう立派な秋だ。

来年の夏こそは、女の子とホタルを観に行こうと思う。

 

 

 

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"鼻くそ学級会"と電通社員の自殺について思うこと

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地元に帰って同窓会をすると、必ず話題になる昔話がある。

"鼻くそ学級会"の話だ。
小学校低学年の頃、僕のクラスで"鼻くそ学級会"が開かれた。

「クラスのしんじ君が鼻くそをほじるのをやめてくれません」と、ある女子グループが先生に訴えたのである。

そこで急遽、"鼻くそ学級会"が放課後に開かれた。

女子の言い分は、汚いので学校で鼻くそをほじってほしくないということ。
しんじ君の言い分は、どこでほじろうが俺の勝手だろということだった。

1時間みんなで真剣に話し合った末、最終的にしんじ君は「鼻くそは家でほじってきます」と言い、話は丸くおさまった。

このとき訴えた女子やしんじ君、そして他の生徒や先生も皆、非常に真剣だった。

この"鼻くそ学級会"の話が、同窓会をすると必ずと言っていいほど昔話の話題にあがる。

「鼻くそ学級会ってなんやねんwww」
「鼻くそは家でほじってきますってwww」
「そもそもしんじ何を訴えられてんねんwww」

とみんな爆笑である。もはや鉄板の笑い話だ。
当時女子に訴えられた本人も今となってはネタにするくらいである。

今年のお盆に地元兵庫に帰ったときも例外なく鼻くそ学級会の話になり、ここで僕は二つのことを思っていた。

一つは、「怒りと笑いは表裏一体」ではないかということ。
もう一つは、「人生は寄りで見ると悲劇なことでも、引きで見ると喜劇になりうる」ということ。

______
僕はお笑い芸人の千原ジュニアが大好きなのだが、ジュニアがある番組でこんな話をしていた。

久しぶりに実家に戻ったら、飼っていた犬が死んでしまっていたと。

そこで「最後はどんな感じやった?」と聞くと、ジュニアの母が「食事中に、そんな話すな!」と怒って、台所に行ってしまった。

それを見ていた父が、ジュニアの耳元でこっそりと「カッチカチ」と言ったのである。
カッチカチ。最後は、カッチカチ、である。

番組にいたビートたけしは、「叙情的だし、最後がカッチカチってさ~。バカで凄く面白い」と言い、番組内でも盛り上がっていた。

"カッチカチ"と言われたジュニアも、父にそう言われたときは、おそらく笑わなかっただろう。母が怒ってしまったくらいだ。もちろん父も笑わす気なんてさらさらなかっただろう。

しかし、笑いが起こったことからわかるように、「笑いと怒りは、紙一重」で、愛犬が死んだということに対してクローズアップで見るととても悲劇的な話なのだが、一歩引いてロングショットで見ると喜劇へと変化するのである。

______
ダウンタウン松本人志の人気番組「人志松本のすべらない話」のスピンオフ番組で「人志松本のゆるせない話」が生まれたのもおそらくそういうことなのだろう。

この番組を制作していたスタッフが意図的か無意識かはわからないが、「ゆるせない(怒りの)話は笑える!すべらない!」と会議でなったのでだろう。

ちなみにこれも千原ジュニアが言っていたのだが、ホラー映画の撮影現場は、爆笑の渦になるらしい。

呪怨』では「この子の顔、白すぎだろ!?ワッハッハ」と。
貞子も冷静に考えたらテレビから出てきて「何してんねん!」って話である。

______

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最近電通の新入社員の女性が自殺してニュースとなっている。

今もどこかで苦しんで死にたいと思っている人はたくさんいると思うが、もし今の自分の環境がどんなに悲劇的なものであって、逃げ出してもいいので頑張って生きてほしいと願う。

冒頭に挙げたしんじ君が当時女子に訴えられた"鼻くそ学級会"について数年後にしっかりと笑い飛ばせるようになったみたいに、千原ジュニアが飼い犬の死を乗り越え、しっかりと自分の仕事場で活かすことができたように、

きっと何年後かにあのとき大変やったけど今思えばおもろかったな~と、あのときの挫折が今の自分に活きているなぁとなる日がきっと来る。きっとだ。

辛かったあの時を、不運な世の中を皆で笑い飛ばしてやろう。
人生は、クローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇なのだから。

 

 

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このたび、便所は宇宙である

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右足と私、どっちが大事なの。

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片想いの子との初デートの日。事件は起こった。

集合場所へ向かう途中で異変に気づいた。

何かがいつもと違うと、家を出るときから直感で気づいていたのだが、それが何なのかすぐにはわからなかった。

家を出るときに靴紐が切れる、不吉な出来事の前触れ、そんなアニメに出てくるワンシーンのような感覚。

「痛っ…」

たぶん石ころを踏んだ。いやでもなんだろうこのダイレクトに足に伝わってくる感覚は。

そう、デート当日、僕の右靴の踵部分に穴が開いてしまった。

絶望した。

なんでこのタイミングで。よりにもよってずっと楽しみにしていた片想いの女の子とのデートの日に。

僕は考えた。このことを正直に彼女に話すべきかどうかを。


今日どこかいつもより心此処に在らずだったら、ごめん。すべては靴に穴が開いてしまったせいなんだ。今、俺の全神経は、右踵にある。

そうでもしないと、もし少し段差のあるところから飛び降りたときに、釘的なものが上向きで置いてあったら一大事だろ。

そのまま右足に突き刺さる。もはや突き刺さるというより、貫くといったほうがいいかもしれない。

いずれにせよリスクしかないのである。歩いて行動しているにも関わらず、右踵だけ守られていない。武器を持たずに戦場にいくようなものだ。

交通事故は、運転手より後ろに座っている人の方が危ないと聞く。運転手は事故の瞬間気を引き締めるが、後ろ座っている人は気づいたときにはすでに事故っていて、受け身を取れないからだ。

だからこそ、僕は靴に穴が開いた今、全神経は右踵に集中させているのだ。


そんなことを、彼女にどう伝えるかで迷った。

昔、付き合っていた彼女といるときに、「昨日徹夜したから、眠いわ~」と言ったら怒られたことがあった。

「あたしと一緒にいるのが、そんなに楽しくないのね」って。そんなつもりはなかったわけだけど、彼女の前で眠いとか言っちゃいけないことを学んだ。

次会ったとき、「今日、楽しみ過ぎて昨日寝れなかった。眠そうにしてたらごめんね」と言ったら、なんだか少し嬉しそうに笑っていた。

同じ「眠たい」を伝えるにも、伝え方一つで、伝わり方がこんなにも違うのかと衝撃を受けたことがあった。

だからこそ、右足の靴に穴が開いていた今、どう伝えるかでとにかく悩んだ。

_____

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結局打ち明けられないまま、彼女と合流し、映画館へ向かうことになった。

その道中、彼女に「「言の葉の庭」観た?」と言われた。

ギクッとした。

僕は彼女に、これから観に行く予定の映画、「君の名は。」の映画監督である新海誠さんが好きだという話を前々からしていたからだ。

4年前に好き過ぎて自分で事務所にインタビューさせてもらえないかと電話し、実際に新海さんにインタビューさせてもらったことがあったという話もしていた。

それなのに「君の名は。」の前作である「言の葉の庭」を僕が観ていないわけがない。

言の葉の庭」は靴を題材にした映画。

つまりだ。彼女はいつもと違う僕の異変に薄々気づき始めていたのかもしれない。

僕の靴の右踵に穴が開いてしまっているということを。

「「言の葉の庭」観た?」の返答次第では完全に勘づかれてしまうかもしれない。

「あれ、こいつ、もしかして右足の靴に穴開いてるんじゃね?」と。

そしてもしその疑惑が確信に変わるとき、彼女は僕を試してくるかもしれない。


わざと足場の悪いところでキャッチボールしようよと言ってくるかもしれない。
わざと財布を盗まれて、犯人を走って追いかけてくれるのか試してくるかもしれない。
はたまた2階からのダイブを強要されるかもしれない。(もちろん飛び降りた先は足場の悪いところで)

この男は付き合っても信頼における男なのか。
何かあったとき守ってくれるような男らしいやつなのか。

「右足と私、どっちが大事なの。」という質問に対して、右足を捨ててでもお前を取ると言ってくれるのかと。


この究極の二択を迫られた僕はしっかりと彼女を取ることができるのだろうか。

正直、自信がなかった。

ひったくり犯を捕まえるべく、走り出したはいいもののもしそこで釘的なものを踏んでしまったら。ひったくり犯は逃がすわ、捕まえてないのに怪我するわで、名誉の勲章どころではない。

その過程でもし右足を失うことになったら。
「タッチ」の達也が死んだ和也に向かって言った名シーン「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜ」ばりの「きれいな足してただろ、足ないんだぜ」なんて周りから言われたら、立ち直れない。

こんなリスクを背負うくらいなら、この一人の女の子を諦めた方がましなのかもしれない。


ひとまず冷静を装おうと思った。僕は深く深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

そんなことをしていると、「ねぇ、ちょっと!右足と右手一緒に出てるよー」と言われた。

いや漫画かよっ、とあわてながら「き、緊張してるからさ!」と言うと、「ふーん、女慣れしてると思ったけど、意外と可愛いとこあるんだね!」

なんて言うもんだから、あぁなんだ、まだ気づかれていない、気のせいかと平静に戻ることができた。

まだいける。まだばれてないぞ。

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そのまま映画館に入り、2時間あっという間に過ぎ去った。

しかし、右足の踵に穴が開いていると思うと、今は座っているから無事だが、歩き出した時、残酷すぎる未来が待っているかもしれないと思うと、まるで内容が入ってこず、2時間まるまるホラー映画を観ているような気分だった。

そのため「君の名は。」の上映が終わった時、主人公の瀧が、ヒロイン・三葉の体に入れ替わった時に、胸をやたらと揉んでいるシーンしか覚えていなかった。(このシーン4、5回出てくる)

瀧が三葉に向かって「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」なんてロマンチックなセリフを口にしているときに、僕の全神経は右踵にあったのだ。


(なんて情けないんだ……)

そう思った。

このままだと完全にデートを棒に振ってしまう。

_____

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朝家を出る前に、この子のためだったらなんだってやる、この命捧げたって、と思っていたことを思い出した。

それなのに右踵のことで悩むことがバカらしくなってきた。

もうどうとでもなれ。

右足の一本や二本くれてやる。デートを棒に振るくらいなら、安いもんさ。(右足をかばって歩いたせいで左足はもう棒になっているけどな!)


映画館のエレベーターを降り、外に出たら正直に全部話すことにした。今日のこの葛藤を洗いざらい打ち明けて、謝ることにしよう。

右足の靴に穴が開いてしまったことを。
彼女ではなく右足を取ろうとしたことを。
全神経右踵にあったため、心此処にあらずだったことを。
そして可能であれば、可能であれば、好きだということを伝えよう。


僕は何かがふっきれたかのように清々しい気持ちで、靴に穴が開いている右足から力強く地面を蹴り、エレベーターに飛び乗った。

その瞬間である。
考え事で回りが見えていなかったこととエレベーターが満員だったこともあり、彼女の胸が僕の右腕に軽くあたってしまったである。

それからというもの、靴のことなんてすぐに忘れさり、僕の全神経は右腕に集中した。

 

 

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君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

 光葉のお父さんが最後説得された理由がここに。

 

 新海さんは小説も面白い。

"ワンチャン"しまくり100人斬りした慶應ボーイが、彼女一筋になった話

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彼と出会ったのは大学3年の夏。某ベンチャー企業のサマーインターンの面接の時だった。

会ったその時から異彩を放っていた。面接には不釣り合いな赤のTシャツにネックレス。明け方まで飲んでいたらしく、オール明けの眠そうな顔。ダンスサークルで、彼女は3人。いわゆるチャラ男だった。

「なんてやつだ」

これが僕が抱いた、そして誰もが感じるであろう最初の印象だった。


当時、僕はアルバイトで芸能事務所のスカウトマンをやっていて、サマーインターンの面接でもその話をした。半ばナンパみたいな仕事内容だったため、彼に終わってから興味津々で話しかけられた。

「今度、麻布十番のお祭りで一緒にナンパしない?」
「この前○○事務所所属の可愛い子引っかけてさ」

確かそんなことを言われた気がする。ナンパみたいなアルバイトをしておきながら、ナンパはしたことがなく、かつする気もなかったのだが、

その場のノリで「ナンパ?いや行くっしょ!一緒に一夏の思い出作ろうぜ!」と適当に話を合わせて連絡先を交換して駅のホームで別れた。

次の日、インターンの面接の合否よりも先に彼から電話がかかってきた。

彼「もう次の面接の連絡きた?」

森井「いやまだだけど」

彼「じゃあさ、今度飲み行こうよ」

何がじゃあなのかわからないが、このときすでに僕は彼に少し興味を持っていたのかもしれない。


就活経験者ならわかるかもしれないが、一緒に面接を受けると相手のやってきたこと、考えや価値観、幼少期の原体験などかなりのその人の情報を知ることができる。

彼は遊び人だが、根は悪いやつではないことはわかっていたので、二つ返事で飲みに行こうと返事をした。

_____

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彼はやると決めたことは必ずやりきる男だった。

喧嘩で相手を病院送りにしてしまい退学になった高校。バカにされた教師を見返すために偏差値40から猛勉強し大検を取り、現役で慶應合格。
大学から始めたダンスでは関東1位になった実績があった。

ただ怪我をしてしまい、プロのダンサーになることは諦め、今は就職活動をしながらやりたいことを探しているとのことだった。また、数ヵ月後に開催される慶應の学園祭で、ミスターコンに出ることが決まっていた。

面接ぶりの彼との飲み会では相変わらずナンパの話になり、彼はこんなことを言っていた。

「学生の間で今が一番〝俺の市場価値〟高いんだよねー」

俺の市場価値?

つまりこういうことだった。ミスターコンの活動期間が終わってしまったら、もうミスター慶應ブランドは使えない。だからこそミスターコンのある学園祭が終わるまでの今の時期が一番女の子にミスター慶應ブランドを使ってモテることができる。市場価値の高い今だからこそナンパするんだ、と。


倫理的な観点は置いといて、多少むちゃくちゃなところはあるが、自分の市場価値を見極めた上で行動するという点は、ちょっと賢いなと思わされてしまった。

_____

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夏が終わり肌寒くなってきた頃、就活が本格的に始まり、それからしばらく彼とは会わなかった。

風の噂で、第一志望だった某キー局のテレビ局から早々に内定をもらったと聞いた。

彼の建前ではない本音のテレビ局の志望理由は「アイドルを一番抱けそうな職業だから」であった。

それくらい彼はSEXの快楽主義者だった。ナンパや合コンで知り合った子とSEXするのがもはや日課みたいなものだった。


_____
大学3年の夏に出会ってから2年後。

たまたま僕のFacebookの投稿を見た彼から連絡があり、久しぶりに飲みに行くことになった。

テレビ局に入り、相変わらず遊んでいて彼女も何人もいるのかと思ったら、なんと1年以上付き合っている彼女がいて、しかも一度も浮気をしていないとのことだった。

さらに言うと、第一志望だったテレビ局も内定を辞退し、起業していたのである。

僕は心底驚いた。あの「自分の市場価値が高いうちにナンパすべきだろ」発言をしていた彼が、気づけば一途のただのイケメンになっていたのである。

そして彼はこう言い放った。

「今まで相当な数の女の子とヤッたけど、思い返してみてあぁあのときのSEXは良かったなぁとはなかなかならないんだよ」

「もちろんそのときは気持ちいいんだけどね。でもやっぱり、今の彼女一人と過ごす日々が大切で。京都で食べた八つ橋は美味しかったなぁとか、去年一緒に見たホタルは綺麗だったなぁとかはたくさん思い出せるんだ」


「そんなことを今の彼女が気付かさせてくれた」

久しぶりに会った彼は安易な快楽主義者ではなくなっていたである。

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人はどんなときに幸せだと感じるかと聞くと、それこそSEXをしたり、美味しい食事をしたりお酒を飲んだり、好きなアニメを見たりというものが挙げられたりする。

しかし、そういった「快楽」は生活の質を構成する重要な要素ではあるが、実はそれ自体は幸福をもたらさない。

幸せには、「快楽」と「充足感」というまったく異なる二つの状態を内包している。

 

「快楽」とは、感覚そのものと強烈な感情からなる喜びのことで、それには絶頂感やスリル、オーガズム、歓喜、心地よさなどがあり、「生の感情」と呼ばれたりもする。これら一過性のものであり、ほとんど思考が伴わない。


「充足感」とは、「生の感情」を必ずしも伴わないことが多い。人はそれに没頭し、浸り切り、我を忘れる。楽しい会話、夢中になれる本、ダンス、ダンクシュートの成功。このような活動の中で人は、時間を経つのを忘れ、自分の技能と挑戦の対象とがうまくマッチし、自分の力量を感じることができる。

充足感は快楽より持続するが、思考力などを駆使する必要があるので、たやすく身に付くものではなく、自分の力や価値の裏付けがあって初めて獲得できる。 

 

大学生の頃、サークルの皆でよくカラオケオールをしていた。カラオケではしゃいでるときは楽しいのだが、終わった後の始発の電車を待っているとき、無性に虚しさを感じることがあった。

「お酒を飲みながらカラオケで騒いで楽しむ」という快楽は一過性のものだから、その感情は持続せず、終わった後「なんでこんな無意味なオールをしてしまったんだ」と虚しさだけが残ってしまったのだろう。

快楽は束の間のものでしかないので、外からの刺激がなくなると、急速に消え失せる。しかもこの手の快楽はすぐに慣れてしまい、初めて経験したときのような感動を得るには、より大きな刺激が必要になる。

おそらく薬物にはまる人にはこういった心理が働いており、また「遊びに飽きた」とは、この一過性の快楽に満足できなくなったということだ。

そこで、幸福を感じるためには「快楽」ではなく「充足感」を得る必要がある。


この充足感は、必ずしも心地良いというものではなく、痛みやストレスが伴う場合がある。

自分の体を痛めつけながら鍛え上げた登山家が、凍死寸前になり、疲労困憊し、クレバスの奈落に墜落する危険にさらされながら、それでも山に登り続けるのは、山頂に着いたときに感じる喜びやそれまでの過程の充足感が、他の何よりも比べ物にならないくらい最高のものだからだろう。

  

彼は、明らかに「快楽」ではなくこの「充足感」を求め始めていたのである。

セックスという「快楽」ではなく、お互いを高め合い、良い思い出も辛い思い出も共有できるパートナーとだからこそ生まれる「充足感」を。

痛みを伴いながら時間をかけて追い求めて得られる充足感がいかに幸せなものなのかを理解したのだろう。

そしてそれを気付かせてくれたのが今の彼女だったというわけだ。

(これが俗に言う〝一周回った〟というやつか。チャラ男が散々可愛い子と遊び回った末、真面目になり、辿り着くあの境地) 

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ちなみにこの話にはまだ続きがある。

さらに彼はこう言った。

「そんな大好きな彼女と別れようと思っている」

なぜ?
単純にそう思った。あんなに一途に愛してきたのに。また浮気でもしたくなったのか。

否。聞くと、起業してインドネシアで仕事をすることになったらしい。そこに彼女を連れていけないし、連れていったとしても自分は仕事に集中できなくなるかもしれない。なので本当に悲しいが、別れることにしたと言っていた。

充足感には痛みが伴う。まさに彼の今の状況がそうな気がする。

 

「フロー体験」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

一つのことに意識がとても集中していて、我を忘れるほどそのことに深く没頭している状態のことだ。

(スポーツ選手はこれを「ZONEに入る」という言い方をする)

好きなことに没頭していて気付いたら半日経っていたというような経験を、誰しも一度くらいは経験したことがあるのではないだろうか。

充足感を感じることができる「最良の瞬間」(フロー状態)は、困難ではあるが価値のある何かを達成しようとする自発的努力の過程で、身体と精神を限界まで働かせ切っている時に生じる。

 

おそらく彼は、偏差値40から慶應に現役合格した時や、ダンスで関東1位になる過程で、この「フロー体験」を経験したことがあったのだろう。

そして、彼は本能的に知っていたのかもしれない。

ダンスで自己最高記録を破ろうとする時、誰よりもうまく踊るために努力をし続け、自分自身を更なる高みへ押し上げる挑戦の機会が「最良の瞬間」であり「幸せ」であるということを。

これは必ずしも心地良いものではない。不断な努力は時として自分の体を苦しめる。疲労でぶっ倒れる可能性もある。しかし、時の流れを忘れ、ひたすらそのことに没頭することで、何ものにも代えがたい高揚感に包まれる。

彼はまた本能的に理解していたのかもしれない。一つのことに集中した方が充足感から生まれる「フロー体験」が起こりやすいということを。

自分の本当にやりたいこと一つに没頭するために、大好きな彼女と別れることにしたのだろう。


しかし、もう彼はチャラ男でも、ただのイケメンでもない。昔の面影もない、誰が見ても一人前のかっこいい大人の男になっていた。

おそらく彼は今が一番人生で楽しく、充実し、輝いている。

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彼と久しぶりに会った2週間後、一度も浮気をせずに1年以上付き合った彼女に泣く泣く別れを告げ、彼はインドネシアへと旅立った。

痛みを伴ってしまったが、期待と野望を胸に、最良の瞬間と充実した人生を追い求めて、さらにいい男となって帰国し、彼女を迎えに行くその日まで。

空港から飛んで行った彼の乗った飛行機はやけに気高く、いつまでも大きく見えた。

闘いは、始まった。 

 

 

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世界でひとつだけの幸せ―ポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生

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 幸せについて詳しく知りたい人は本書がオススメ。

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)

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 どうすればフロー状態になれるのか本書を読めばわかります。

美容院は、子どもを大人にする通過儀礼のようなものだ

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人はどのタイミングで精神的に大人になるのかなぁと考えていたら、

一番まともで面白味のない答えとして20歳の誕生日や社会人になったらとかが挙げられると思うけど、

そのうちの一つに「美容院で髪を切る」というタイミングがあると思う。

美容院が「少女を大人の女性に」「少年を男に」変える。

美容院は、子どもが大人になるための通過儀礼であり、大人になるための儀式みたいなものだ。
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中学3年の修学旅行前日。 

家から一番近いという理由だけで通っていたそのへんにある床屋を卒業し、初めて美容院に行った。

この前まで野球部で坊主だった僕が美容院だなんてと恥ずかしくて、誰にも会わないよう学校からちょっと遠い美容院へ行った。

初めての美容院は、透明の窓ガラスのため外から店内が丸見えで、学校から遠くのお店を選んで本当に良かったと思った。

 

そして何もかも床屋とは違う。
美容院では、ラジオから聞こえてくるよくわからない民謡は流れないし、理容師さんとお客のおじさんから最近の若者はこれだから論を聞かされることもない。

 

一番の違いは、髪を切られた後だった。

美容師さんに「wax付ける?」と聞かれた。

waxなんて一度も付けたことなかっただけに、ほんとは付けて欲しかったけど、なんだか少し恥ずかしくて断ってしまった。

だから「美容師さんよ、頼むから食い下がってくれ」と、心の中で強く願った。

 

心の声が伝わったのか、「えー、なんで?付けたほうがかっこいいやん」と言われ、

あたかも美容師さんがそこまで言うのならしょうがないなぁという感じで、初めてwaxを付けてもらった。

 

整えられた髪は、いつもより少し悪そうで、いつもより少しかっこよかった。

なんだか少しだけ大人に近づいた気がして、美容院からの帰り、堂々と自転車を立ち漕ぎをし、でも誰かに見られて「あいつwax付けて、調子乗っている!」なんて言われたら嫌だったので、急いで家に帰った。

 

「不良だ」

 

と家に帰って鏡の前でそう思った。

夏休み明けに茶髪になって登校してくるやつに実はちょっとだけ憧れていて、でもそんな勇気はなかっただけに嬉しかった。

その日、少年だった僕は、大人の男に一歩近づいた気がした。

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それから高校にあがり、大人への通過儀礼は激しさを増す。

クラスの仲良し3人組で、神戸のおしゃれな美容院に行った。
(修学旅行で東京へ行ったときに、東京にしかない有名な美容院に行こうとしたこともあった。さすがに自由行動で髪切ったら笑われると思ってやめたが)

「思春期に少年から大人に変わる~」なんて歌詞があるが、少年の自分を変えてくれる場所が美容院だった。

 

美容院には「こんな髪型にしてください!」と雑誌の切り抜きを持っていった。「かしこまりました」と美容師さんは答える。

髪を切り終わり、雑誌の切り抜きと全然似ていないことに絶望した。

美容師さんが「どうでしょう」と鏡を僕の頭に当てながら笑顔で言ってるところから、失敗したわけではなさそうだ。

その時、自分は切り抜きにうつっている読者モデルのようにイケメンではないことを悟った。

 

「あぁなんだ、あの切り抜きは髪型がかっこよかったわけではなくて、顔がいいだけなのか」

 

「大人の階段のぼる~」なんて歌詞があるが、大人への階段は痛みが伴うことをその時初めて知った。

その日の帰りの電車、背中に入った髪の毛が、ちくちくというよりヒリヒリと妙に痛んだのを覚えている。少し涙目になりながら帰路に着いた。

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大学から憧れの東京で一人暮らしを始めた。ついにずっと行きたかった東京のおしゃれな美容院に通うようになった。

そこで美容師・長崎さんという方と出会う。

大学3年の就職活動中だったとき、こんなことがあった。

僕が「来月の4月から面接なので、髪を短くフレッシュにしてください」と言ったら、こう言われた。

 

「本当にそれでいいんかな。森井くんの話や就活している姿を見ていて、フレッシュさを出すのは逆効果だと思う。何より森井くんが嫌っている周りと一緒になってしまう。

あえて重ためでいってはどうだろうか。そうすることによって安定感が生まれ、仕事ができる男という印象を作ることができる。そっちの髪型のほうがいいと思う」

 

自分以上に自分のことを考えてくれる人がどれだけいるか。

就職活動ではそれが成否を決める気がしていたのだが、まさか美容師さんにそんなことを言われると思っていなかったので感動した。

 

フレッシュさより、安定感のある仕事のできる男の髪型で臨んだ面接試験。そのおかげか無事に第一志望の企業から内定を貰うことができた。

信頼している美容師の長崎さんによって、最後の「大人への扉」を開いてもらった気がした。

少年から大人の男へ変わった瞬間だった。
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  • 付け方がわからず、髪がwaxで白くなっているwax初心者。
  • 高校の文化祭当日、いつもより2割増しでwaxを付けてくるリア充
  • アイロンを持ち歩くおしゃれに目覚めた男子。
  • 連休明け、失敗した髪型でくるやつ。
  • 天然パーマだった体育会系が、いきなりストパーになって現れたとき。
  • 彼女が髪を切ったのを気づかず、「もー、私、髪切ったんですけど!」と怒られたとき。
  • 切り抜きとは違った容姿になり、イケメンではないことを悟ったとき。


これらは全て子どもが大人になるための通過儀礼。いつもよりちょっと背伸びをした、大人になるための儀式みたいなものだ。

そういう経験を得て僕たちは大人になっていく。

世界は無数の大人になる前夜の子どもたちで溢れている。そこには期待と不安がひとつに入り交じっている。

美容院を通して「少女は大人の女性に」「少年は男に」変わっていくのである。

なんだか無性に美容院に行きたくなってきた。

 



ちなみに今、アンガールズの田中と同じ美容院に通っている。

 

 

 

 

■関連記事 

子どもの頃、人生終わったと思う瞬間がよくあったのですが、やっとその理由がわかりました。

 

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 今月から映画が上映開始した「聲の形

世間は「君の名は。」ムードだけど、こちらもめちゃめちゃいいですよ。大好きな漫画。映画も良かった。なぜこの記事で紹介したかは読んでからのお楽しみ。オススメです。

平和なキキまちがい

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小学4年生だった頃、学校で流行ったあだ名があった。

それは「名字+ぴー」というあだ名で、〝山ぴー〟の影響だろう。

僕も例外なく名字の語尾にぴーを付けられ、〝もりぴー〟と呼ばれるようになった。


当時、休み時間は毎回校庭でドッチボールをしていた。今思えば、あんなにもよく毎回飽きずにドッチボールできたなぁと思うのだが、問題はそこで起きた。

隣のコートでドッチボールをしていた6年生が、「もりぴーパス!」をポリンキーパス!」と聞き間違えたのである。

6年生の間で、小4に〝ポリンキー〟がいると噂になった。(その頃、確かポリンキーのCMが流行っていた)

 

これも今思えばなんでそんなことで話題になるのかも謎だが、噂が噂を呼び、ポリンキーって誰やねん。しかも小4のポリンキーはドッチボールがうまいらしい」と階の違う4年生のクラスにまで6年生が来たことがあった。

その後、〝もりぴー〟は〝ポリンキー〟と祭り上げられ、いつも一番大きなコートを陣取られていたのだが、それがきっかけで6年生と仲良くなり、ドッチボールを混ぜてもらえたり、広いコートを使わせてもらえるようになった。


それまで聞き間違い=やってはいけないミス、のようなものだと思っていたのだが、誰も傷つけない平和な聞き間違いというものがあるのだなぁとそのとき思った。

聞き間違いによって、今まで考えていなかったようなくすっとしたり、ほっこりするようなハプニングが起こる。

そのまんまだがこれを「平和なキキまちがい」と名付けることにした。

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大学1年生の時、同じクラスに吉弘(よしひろ)くんという友達がいた。

大学に入ったばかりのクラスには、通称クラコンと呼ばれるものがある。まぁ簡単に言うと、知り合ったばかりなので仲良くなるために飲み会をやりましょうというクラスコンパだ。

吉弘くんはクラコンの幹事をやってくれた。まだピチピチの大学生なので、安くて美味しいお店を電話で予約してくれた。

お店を予約するときに必要なことは、料理のコースと電話番号と名前だ。

ただ毎回「平和なキキまちがい」はここで起きる。

 

店員:「お名前伺ってもよろしいでしょうか?」

吉弘:「よしひろじゅんやです」

店員:「承知いたしました。それでは×月×日19時にお待ちしております」

 

何事もなかったかのように予約されるわけだが、こういう場合はほぼ名前を間違われている。

 

店員:「19時に予約された吉弘ジュニア様ですね、お待ちしておりました」

店員:「吉弘ジュニア様ぁ~、ご来店です!」

 

「元気良く、はきはきと」と、営業マニュアルに書かれているのだろうか。よく通る声で、〝吉弘じゅんや〟ではなく、〝吉弘ジュニア〟と間違われる。

「誰がジュニアや。俺はばりばり長男やからな」と吉弘くんはいつも小声で呟く。

 

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居酒屋での店員さんの聞き間違いはまだある。

同じサークルに、日置(ひおき)くんという一見チャラそうだが、長身のイケメン慶應ボーイがいた。

彼もまた居酒屋の店員によく名前を間違われると言っていた。

さて、日置くんはどんな間違われ方をするだろうか。

なんと日置(ひおき)ではなく〝ひろき〟と間違われるらしい。

…いや、店員さんからしたらHIROKIとでも思っているのだろうか。

「そんなEXILEのATSUSHIっす、みたいな予約の仕方しないからな!」

と彼はEXILEにいそうな風貌で否定する。


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電話というのが曲者なのかもしれない。

僕も高校生の頃、電話で忘れられない「平和なキキまちがい」をされたことがあった。

同じクラスだった仲良し3人組で、放課後にカラオケをしていたときのこと。

僕は部屋に付いている電話で、なっちゃんを頼んだ。

しかし、その数分後、店員さんが持ってきてくれたものは、〝なっちゃん〟ではなく、めちゃくちゃあつあつの〝お茶〟だったのである。

カラオケ部屋で、大音量の音楽に負けないくらいの声量で、

 

「大変お熱くなっておりますので、お気をつけください!」

 

と言われた。しかもウーロン茶とかでもなく、湯飲みに入れてあつあつのお茶持ってきたのだ。

聞き間違えによってまさかの裏メニューを引き当ててしまったのである。

ここまでくると聞き間違えもなんだかお茶目で楽しくなってきた。友達とその日一番笑ったのを覚えている。

似たような発音でも、まったく別の意味になってしまうのだなぁと、改めて言葉の難しさについて考えさせられた。

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ミスはミスでも、ほっこりするようなミスなら許せてしまうのは不思議だ。

今日もどこかで「平和なキキまちがい」が起こっているのだろうか。

 

 「お茶は大変お熱くなっておりますので、お気をつけください」

「カラオケ店員のその気遣いができるなら、仮にお茶と聞き間違えてもなっちゃん持ってこんかいっ!」と思いつつも、ぐっとこらえて、あつあつのお茶をすすった。


そのあと歌ったカラオケの点数は65点だった。これもDAMの聞き間違いなのだろうか。

僕は間違えて出されたあつあつのお茶を再びすすることにした。

もう生ぬるくなっていた。 

 

 

 

 

3年半前に「言葉」について書いた記事。今日のよりこっちの方が面白い気がする。笑

 

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幸せの閾値と、子どもの世界が終わるとき

「あぁ、人生終わった」

子どもの頃、そんな悪夢のような恐ろしい出来事がたびたび僕の身に降り注いだ。

確認したことがないからわからないが、もしかしたら周りの友達もそうだったのかもしれない。

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例えば、小学生2年生の頃。買ってもらったビーダマンのおもちゃを3日で壊してしまったとき。

人生終わった、と思った。ずっと欲しかったおもちゃが壊れてしまったというどうしようもない現実と、壊してしまったという罪悪感から、いてもたってもいられなくなった。

壊してしまったことが、買ってもらった相手に発覚するまでの1週間、壊れたおもちゃのことで頭がいっぱいで食事が喉を通らなかった。ばれないように外出するときは持ち歩いていた。壊してしまったなんて絶対に言えなかった。

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例えば、小学4年生の頃、算数のテストで15点をとったとき。

どちらかと言えば、成績優秀な方だった僕にとってありえない点数だった。

このときこそ本当に人生が終わったと思った。

15点の答案用紙をスパルタ教育ママに見せた暁には、とんでもない仕打ちが待っている。

「どうにかしてこの答案用紙を死ぬまで隠し通さなければならない」

僕は、その残酷で、過酷すぎる運命と向き合い続けなければならないのだと、まる一日考えた末至った結論がそれだった。

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心理学者ポール・ジャネが発案したジャネーの法則によると、人間は、「0歳から20歳」までと、「20歳から80歳」くらいまで年月とでは、体感時間が同じだそうだ。

現在20歳の人は体感時間としてすでに人生の半分を過ごしたことになる。

例えば、50歳の人にとって1年の長さは、今まで生きてきた人生の50分の1である。

一方で、5歳の人間にとって1年間は、人生の5分の1に相当する。

つまり50歳の人にとっての10年間は、5歳児にとっての1年間にあたるのだ。だんだん年を取っていくと、生きてきた年数によって1年の長さの比率が小さくなり、どんどん時間が早く感じるようになる。

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10年間しか生きていないとすると、子どもはその中で物事を判断するしかない。

「買ってもらったばかりのおもちゃを壊してしまったこと」や「テストで15点を取ってしまったこと」といった大人からしてみたらどうとでもないようなことでも、子どもからしたら「世界の終わり」のように感じることがあるのである。

初めての彼女。行きたかった大学に合格し、夢にまで見た東京での一人暮らし。親友と行った海外旅行。

まだまだ楽しいこと、嬉しかったこと、ワクワクすることはたくさんある。

あのとき人生終わらなくて本当に良かったと思う。

幼少期、あなたはどんな「世界の終わり」を経験したことがあるだろうか?

世界の終わりは意外と相対的なのかもしれない。

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少し話が変わるが、擦れていない女の子が好きだ。

おそらく男子はみんな好きなのが「純粋無垢で、ピュアな女の子」

女子が待ち望んでいる「白馬の王子様」が、男子にとっての「女子の処女性」だ。

男子からしたら白馬の王子様なんているかと思うように、女子からしたらそんな女いるかと言われそうだし、いないのはわかってはいるがやはり求めてしまう。

去年、後輩である大学3年生の女の子を、鳥貴族に連れていったことがある。

そのとき言われた言葉がこれだ。

「わたし、鳥貴族めっちゃ行きたかったんです!!!」

未だに門限のあるような子で、あまり居酒屋というものに行ったことがなかったのだろう。この言葉は、おそらく心の底から出た言葉であるが、この子の中では相対的に「鳥貴族」は相当なものだったのだろう。

お互い家が近所で、たまたま近くにあったという理由だけで選んだお店なのだが、おしゃれなお店などではなく、大衆居酒屋である鳥貴族でこんなに喜んでくれるなんてと、この子の擦れて無さに感動したことがあった。

幸せついて考えさせられる。

子どもの世界の終わりが相対的なように、みんな経験値の少なかった子どもの頃を思い出して、「幸せの閾値を下げることができれば、もっといろんなことに感動でき、毎日ハッピーに生きられるはずだ。

  

 


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もったいない主義―不景気だからアイデアが湧いてくる! (幻冬舎新書)

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一塁でヘッドスライディングしなかったことがファインプレー

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世の中には、なんとなく正しいとされていることがたくさんある。


先月行われていた夏の甲子園での話。

プロ野球選手ではまずありえない一塁へのヘッドスライディング。だが、高校球児はヘッドスライディングすることが当たり前となっている。

先月、栃木の作新学院が北海を7-1で破り、54年ぶり2度目の優勝を果たした。今年も白熱した試合が多く、見入ってしまっていたが、1試合だけ気になる実況があった。

 どの試合かは忘れたが、ある選手が内野安打で出塁した。その選手がホームに帰り、それが決勝点となり勝敗が期した。


内野安打が出た時の実況でこんなことを言っていた。

(セーフになったのは)「一塁までヘッドスライディングせずに、駆け抜けたことが良かったのでしょう」

どっちが早いかは諸説あるみたいだが、ヘッドスライディングするより、駆け抜けた方が良いみたいだ。

気合いや気迫のプレーなので、ケガのリスク高まるし指導者は嫌がる。

それなのに高校野球では一塁までヘッドスライディングすることが、なんとなく正しい(良い)とされている。

 

他にも奇妙なことがあった。

甲子園での公式練習で、「女子マネージャーがグラウンドから排除される」というニュースだ。

運営側は、「参加者は男子だけと規定している」と説明していたが、それではあまり腑に落ちなかった。

長年高校野球を見てきたが、「聖地・甲子園のグラウンドは、練習であっても、女人禁制である」ということを今回初めて知った。

なぜ「女人禁制なのか」ということはもちろん説明はなかった。 

万人が納得する理由はここにはない。

それはなんとなく禁制が正しいこととされているから、女人禁制なのだ。

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高校生の頃、電車内で電話していたらおじさんから怒られたことがあった。

〝マナーとして〟電車の中では電話しないことが良いとされている。

電車内で人と話すことはいいのに、電話だとなぜだめなのか。

気になったのでちょっと調べてみたら、相手が見えないのに一方的に話をしている人を見ると、人間は心理的に不快感を覚えるみたいだ。

(ただこれが理由で電話はマナー違反とされているわけではないだろう)

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では、車の運転中の電話ではどうだろう。

車の運転中に電話することはもちろん禁止されている。

しかし、最近流行りのBluetooth(ハンズフリー)で会話することは良いとされている。

「運転中の電話」は何がいけないのかを分解すると、片手で運転することと、電話することによって注意散漫になることになるが、Bluetoothで会話が良いのなら、前者の片手で運転することがいけないことになる。

もはや何が正しくて、何がだめなのかよくわからなくなってきた。


最近話題になったポケモンGOで散々注意するようニュース等で言われたが、言うまでもなく、歩きスマホや、運転中のスマホはとても危険だ。

運転中に電話をしながら運転すると、衝突のリスクは四倍になるという。

これは電話をしながら運転するのと、飲酒運転では事故を起こすリスクが同じだそうだ。

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夏の甲子園の見ながら、そんなことを思っていた。

「一塁でヘッドスライディングしなかったことがファインプレー」

世の中にはなんとなく正しいとされていることが、まだまだたくさんありそうだ。 

  

 


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錯覚の科学 (文春文庫)

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世界がもし連立方程式のようなものだったら

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世界は連立方程式のようなものだ。

一つ数字をいじるだけで、途端に全体がおかしくなる。

例えば、転校生。
小学生の頃、転校生はヒーローだった。

毎日決まった時間に登校し、決まった時間に下校する。そんな繰り返しの日々の中で、日常をカラフルにし、刺激ある非日常を与えてくれる存在が転校生だった。

どこからか漏れた情報で、男子がくるのか女子がくるのかを知る。どんな人がやってくるのかとココロを躍らせていた。

もし転校生が自分たちとは違う方言を話す人だったならば、瞬く間に渦中の人となる。

方言をいじられ、真似され、祭り上げられる。束の間の人気者の出来上がりだ。

そんな転校生効果も、1週間もすれば収束していく。転校生はクラスに同化し、また普段と変わらぬ日常へと戻っていく。

しかし、これは小学生の話であって高校生ともなると話が変わってくる。

一般的に思春期真っ只中な高校生は異物を嫌う。特に自分のテリトリーに入ってくる人を排除しようとする。

クラスにはヒエラルキーがあり、派閥がある。ここからは俺のテリトリーだと言わんばかりに不可視のボーダーが教室にひかれる。

途中からやってきた転校生は、一歩間違えば排除の対象になりかねない。

危険を顧みずクラスの秩序を壊すか(失敗すれば仲間はずれが待っている)、空気のような存在でゆっくりなじんでいくのを待つか。

それが転校生という突然やってきたものの宿命だ。

たった一人の転校生によって、全体のバランスが崩れる。良くも悪くも、複数の式が連動してひとつの答えを導いていく。

これは何も学校のクラスという小さな世界だけではない。

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生物の食物連鎖もそうだ。

食物ピラミッドの頂点に存在するトッププレデターと呼ばれる「捕食者」がいなくなると、生態系は途端におかしくなる。

あるとき、人間によって食物連鎖の頂点に君臨していたはずのオオカミが滅ぼされた。

被食者にとって捕食者のいない世界は、平穏でのんびりとした平和な世界……になるかと思われた。

いざ蓋を開けてみると、なんと生態系は土台から崩れ落ちてしまったのだ。

オオカミがいなくなったある森では、シカが急増した。その個体数は、森の維持できる数の40倍にもなっていた。

シカに緑を食い荒らされた森は、荒れ果て、何種類もの鳥や昆虫、植物まで絶滅した。

肉食動物というものは、被食者を食べる存在としてではなく、被食者の行動を抑制する存在としてより大きな働きをしていたのである。

たった1種類のオオカミを追い出すだけで、生態系は無茶苦茶になり、いくつもの種が消え、かつて生命に溢れていた景色が無惨な状態になってしまったのである。
(ちなみに、オオカミを再導入するという実験が行われ、その結果、昔の生態系に戻っていった)

「捕食するもの・食べられるもの」といった関係は、上から下へと繋がる単純な食物ピラミッドではないのである。

世界は、想像以上に複雑で、連なっている。

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この前「クレイジージャーニー」というTV番組を見ていたら、危険地区ジャーナリストの丸山ゴンザレスさんが、スラム街でこんなことを言っていた。

ケニアにある世界最大級のキベラスラムは、経済発展の代償だ。
都市が発展すればするほど、他のどこかで歪みが生まれ、暗部も大きくなる。
それが都市というものだ。

光が大きくなればそれに伴って闇も深くなるらしい。

光と闇と聞いて、芸能界が思い浮かんだ。

芸能界を裏で仕切っているのは〇ーニングという事務所だと聞いたことがある。

〇ーニングのバックは元山口組系の後藤組
また創価学会のバックでもある為、公明党もって密接に関係している事になる。
そこに敵対している組織は世の中にごまんとあるので、いつ敵対勢力から襲われてもおかしくない。

と、ここまではネットの記事に書かれていて、正直半信半疑だった。

ところが、その〇ーニングという事務所に入っていたという知り合いから聞いたのだが、

なんと実際に何度か、オフィスに〇〇組と呼ばれるようなところから銃弾が撃ち込まれることもあるらしい。これにはさすがに驚いた。

それだけ芸能界は光と闇が入り乱れている。

もしかしたら〇ーニング系列所属の、三浦翔平や小池徹平が、藤原紀香篠田麻里子が活躍すればするほど、闇は大きくなっていっているのかもしれない。
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最近、国民的アイドルのSMAPが解散した。

約100万人が会員のファンクラブだけで年間約40億円の収入がジャニーズにはあったみたいだ。

SMAPの解散によりこの40億円がきれいさっぱり無くなると考えたら、何か良くないことが起こりそうな気がする。

もちろん考え過ぎだろうし、何事もなくSMAP解散の話題も風化し、杞憂に終わるかもしれない。

しかし、もし世界が連立方程式のようなものだったら。一つどこかの数字をいじるだけで、途端に全体のバランスが崩れてしまう。

 

 


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