彼と出会ったのは大学3年の夏。某ベンチャー企業のサマーインターンの面接の時だった。
会ったその時から異彩を放っていた。面接には不釣り合いな赤のTシャツにネックレス。明け方まで飲んでいたらしく、オール明けの眠そうな顔。ダンスサークルで、彼女は3人。いわゆるチャラ男だった。
「なんてやつだ」
これが僕が抱いた、そして誰もが感じるであろう最初の印象だった。
当時、僕はアルバイトで芸能事務所のスカウトマンをやっていて、サマーインターンの面接でもその話をした。半ばナンパみたいな仕事内容だったため、彼に終わってから興味津々で話しかけられた。
「今度、麻布十番のお祭りで一緒にナンパしない?」
「この前○○事務所所属の可愛い子引っかけてさ」
確かそんなことを言われた気がする。ナンパみたいなアルバイトをしておきながら、ナンパはしたことがなく、かつする気もなかったのだが、
その場のノリで「ナンパ?いや行くっしょ!一緒に一夏の思い出作ろうぜ!」と適当に話を合わせて連絡先を交換して駅のホームで別れた。
次の日、インターンの面接の合否よりも先に彼から電話がかかってきた。
彼「もう次の面接の連絡きた?」
森井「いやまだだけど」
彼「じゃあさ、今度飲み行こうよ」
何がじゃあなのかわからないが、このときすでに僕は彼に少し興味を持っていたのかもしれない。
就活経験者ならわかるかもしれないが、一緒に面接を受けると相手のやってきたこと、考えや価値観、幼少期の原体験などかなりのその人の情報を知ることができる。
彼は遊び人だが、根は悪いやつではないことはわかっていたので、二つ返事で飲みに行こうと返事をした。
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彼はやると決めたことは必ずやりきる男だった。
喧嘩で相手を病院送りにしてしまい退学になった高校。バカにされた教師を見返すために偏差値40から猛勉強し大検を取り、現役で慶應合格。
大学から始めたダンスでは関東1位になった実績があった。
ただ怪我をしてしまい、プロのダンサーになることは諦め、今は就職活動をしながらやりたいことを探しているとのことだった。また、数ヵ月後に開催される慶應の学園祭で、ミスターコンに出ることが決まっていた。
面接ぶりの彼との飲み会では相変わらずナンパの話になり、彼はこんなことを言っていた。
「学生の間で今が一番〝俺の市場価値〟高いんだよねー」
俺の市場価値?
つまりこういうことだった。ミスターコンの活動期間が終わってしまったら、もうミスター慶應ブランドは使えない。だからこそミスターコンのある学園祭が終わるまでの今の時期が一番女の子にミスター慶應ブランドを使ってモテることができる。市場価値の高い今だからこそナンパするんだ、と。
倫理的な観点は置いといて、多少むちゃくちゃなところはあるが、自分の市場価値を見極めた上で行動するという点は、ちょっと賢いなと思わされてしまった。
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夏が終わり肌寒くなってきた頃、就活が本格的に始まり、それからしばらく彼とは会わなかった。
風の噂で、第一志望だった某キー局のテレビ局から早々に内定をもらったと聞いた。
彼の建前ではない本音のテレビ局の志望理由は「アイドルを一番抱けそうな職業だから」であった。
それくらい彼はSEXの快楽主義者だった。ナンパや合コンで知り合った子とSEXするのがもはや日課みたいなものだった。
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大学3年の夏に出会ってから2年後。
たまたま僕のFacebookの投稿を見た彼から連絡があり、久しぶりに飲みに行くことになった。
テレビ局に入り、相変わらず遊んでいて彼女も何人もいるのかと思ったら、なんと1年以上付き合っている彼女がいて、しかも一度も浮気をしていないとのことだった。
さらに言うと、第一志望だったテレビ局も内定を辞退し、起業していたのである。
僕は心底驚いた。あの「自分の市場価値が高いうちにナンパすべきだろ」発言をしていた彼が、気づけば一途のただのイケメンになっていたのである。
そして彼はこう言い放った。
「今まで相当な数の女の子とヤッたけど、思い返してみてあぁあのときのSEXは良かったなぁとはなかなかならないんだよ」
「もちろんそのときは気持ちいいんだけどね。でもやっぱり、今の彼女一人と過ごす日々が大切で。京都で食べた八つ橋は美味しかったなぁとか、去年一緒に見たホタルは綺麗だったなぁとかはたくさん思い出せるんだ」
「そんなことを今の彼女が気付かさせてくれた」
久しぶりに会った彼は安易な快楽主義者ではなくなっていたである。
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人はどんなときに幸せだと感じるかと聞くと、それこそSEXをしたり、美味しい食事をしたりお酒を飲んだり、好きなアニメを見たりというものが挙げられたりする。
しかし、そういった「快楽」は生活の質を構成する重要な要素ではあるが、実はそれ自体は幸福をもたらさない。
幸せには、「快楽」と「充足感」というまったく異なる二つの状態を内包している。
「快楽」とは、感覚そのものと強烈な感情からなる喜びのことで、それには絶頂感やスリル、オーガズム、歓喜、心地よさなどがあり、「生の感情」と呼ばれたりもする。これら一過性のものであり、ほとんど思考が伴わない。
「充足感」とは、「生の感情」を必ずしも伴わないことが多い。人はそれに没頭し、浸り切り、我を忘れる。楽しい会話、夢中になれる本、ダンス、ダンクシュートの成功。このような活動の中で人は、時間を経つのを忘れ、自分の技能と挑戦の対象とがうまくマッチし、自分の力量を感じることができる。
充足感は快楽より持続するが、思考力などを駆使する必要があるので、たやすく身に付くものではなく、自分の力や価値の裏付けがあって初めて獲得できる。
大学生の頃、サークルの皆でよくカラオケオールをしていた。カラオケではしゃいでるときは楽しいのだが、終わった後の始発の電車を待っているとき、無性に虚しさを感じることがあった。
「お酒を飲みながらカラオケで騒いで楽しむ」という快楽は一過性のものだから、その感情は持続せず、終わった後「なんでこんな無意味なオールをしてしまったんだ」と虚しさだけが残ってしまったのだろう。
快楽は束の間のものでしかないので、外からの刺激がなくなると、急速に消え失せる。しかもこの手の快楽はすぐに慣れてしまい、初めて経験したときのような感動を得るには、より大きな刺激が必要になる。
おそらく薬物にはまる人にはこういった心理が働いており、また「遊びに飽きた」とは、この一過性の快楽に満足できなくなったということだ。
そこで、幸福を感じるためには「快楽」ではなく「充足感」を得る必要がある。
この充足感は、必ずしも心地良いというものではなく、痛みやストレスが伴う場合がある。
自分の体を痛めつけながら鍛え上げた登山家が、凍死寸前になり、疲労困憊し、クレバスの奈落に墜落する危険にさらされながら、それでも山に登り続けるのは、山頂に着いたときに感じる喜びやそれまでの過程の充足感が、他の何よりも比べ物にならないくらい最高のものだからだろう。
彼は、明らかに「快楽」ではなくこの「充足感」を求め始めていたのである。
セックスという「快楽」ではなく、お互いを高め合い、良い思い出も辛い思い出も共有できるパートナーとだからこそ生まれる「充足感」を。
痛みを伴いながら時間をかけて追い求めて得られる充足感がいかに幸せなものなのかを理解したのだろう。
そしてそれを気付かせてくれたのが今の彼女だったというわけだ。
(これが俗に言う〝一周回った〟というやつか。チャラ男が散々可愛い子と遊び回った末、真面目になり、辿り着くあの境地)
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ちなみにこの話にはまだ続きがある。
さらに彼はこう言った。
「そんな大好きな彼女と別れようと思っている」
なぜ?
単純にそう思った。あんなに一途に愛してきたのに。また浮気でもしたくなったのか。
否。聞くと、起業してインドネシアで仕事をすることになったらしい。そこに彼女を連れていけないし、連れていったとしても自分は仕事に集中できなくなるかもしれない。なので本当に悲しいが、別れることにしたと言っていた。
充足感には痛みが伴う。まさに彼の今の状況がそうな気がする。
「フロー体験」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
一つのことに意識がとても集中していて、我を忘れるほどそのことに深く没頭している状態のことだ。
(スポーツ選手はこれを「ZONEに入る」という言い方をする)
好きなことに没頭していて気付いたら半日経っていたというような経験を、誰しも一度くらいは経験したことがあるのではないだろうか。
充足感を感じることができる「最良の瞬間」(フロー状態)は、困難ではあるが価値のある何かを達成しようとする自発的努力の過程で、身体と精神を限界まで働かせ切っている時に生じる。
おそらく彼は、偏差値40から慶應に現役合格した時や、ダンスで関東1位になる過程で、この「フロー体験」を経験したことがあったのだろう。
そして、彼は本能的に知っていたのかもしれない。
ダンスで自己最高記録を破ろうとする時、誰よりもうまく踊るために努力をし続け、自分自身を更なる高みへ押し上げる挑戦の機会が「最良の瞬間」であり「幸せ」であるということを。
これは必ずしも心地良いものではない。不断な努力は時として自分の体を苦しめる。疲労でぶっ倒れる可能性もある。しかし、時の流れを忘れ、ひたすらそのことに没頭することで、何ものにも代えがたい高揚感に包まれる。
彼はまた本能的に理解していたのかもしれない。一つのことに集中した方が充足感から生まれる「フロー体験」が起こりやすいということを。
自分の本当にやりたいこと一つに没頭するために、大好きな彼女と別れることにしたのだろう。
しかし、もう彼はチャラ男でも、ただのイケメンでもない。昔の面影もない、誰が見ても一人前のかっこいい大人の男になっていた。
おそらく彼は今が一番人生で楽しく、充実し、輝いている。
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彼と久しぶりに会った2週間後、一度も浮気をせずに1年以上付き合った彼女に泣く泣く別れを告げ、彼はインドネシアへと旅立った。
痛みを伴ってしまったが、期待と野望を胸に、最良の瞬間と充実した人生を追い求めて、さらにいい男となって帰国し、彼女を迎えに行くその日まで。
空港から飛んで行った彼の乗った飛行機はやけに気高く、いつまでも大きく見えた。
闘いは、始まった。
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どうすればフロー状態になれるのか本書を読めばわかります。