思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

三億円事件で〝ぐにゃっ〟と世界が歪む

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〝ぐにゃっ〟と世界が歪む音が聞こえるときがある。

 

去年、50年前に起きたあの有名な未解決事件である〝三億円事件〟の犯人(とおぼしき人)が名乗り出たそうだ。

理由は、自分はもういつ死んでもおかしくない年齢で、もしこのまま誰にも話さないまま死んでしまったら、この事件は本当に迷宮入りを果たしてしまう。

あれだけ世間を騒がせてしまった以上、事実は誰かに伝えなければ、と思い立ち、

事件の犯人が自分の子どもに真相を話し、それらを書き取らせた後、世の中に発表したらしい。

 

ほぉ。

 

僕は、犯人が誰でとか、どうやって三億円もの大金を持ち逃げすることができたのかとか、なぜ捕まることなく時効を迎えられたのかとか、そんなことよりも、

「私が三億円事件の犯人だ」と自分の親に言われたときの、息子の反応がとても気になる。

 

ぐにゃ。

 

きっとそのとき彼の世界は歪んだと思う。

 

 

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三億円事件の告白〟ほどではないにしても、僕たちが生きている世界でも、たまに「ぐにゃっ」と世界が歪むときがある。

 

先月、種子島出身の友達ができた。高校までずっと島暮らし。初めて東京に行ったときこう思ったらしい。

 

「なんだ、今日は祭りか」

 

痺れる。人の多さから連想してすぐに「今日は祭りだ」と変換するその想像力の純粋さに心をうたれる。

その後、祭りではないんだと気づいたとき、きっとその子の世界は歪んだと思う。

 

 

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同じゼミだった女の子が、大学3年の夏に大学生らしいことをしよう!と浴衣を着て納涼船に乗った。

東京湾をクルージングしながら飲み放題〟みたいなやつだ。

そこではナンパがすごかったらしく、特に印象に残っているのがトルコ人からのナンパだったと言う。

「カワイイネ」「イッショニノマナイ?」と片言で口説き文句をいろいろ言われたが、「結構です」と断って無視し続けていたら、

最後、去り際に、捨て台詞でこう言われたらしい。

 

ケバブあるのに」

 

痺れる。一緒にケバブを食べることが日本人女性への口説き文句になりうると勘違いしているその異文化交流の難しさに心をうたれる。

その男が「日本人の女性は、ケバブではつられない」と知ったとき、きっと世界が歪むことになるだろう。

 

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もう5、6年くらい前のバレンタインデーでの話。

授業終わり、大学で一番前の席に座って居眠りをしていそうな男が、女の子からチョコをもらっていた。

 

「◯◯ちゃんから本命チョコもらったー!よっしゃー!!!」

「あ、いや、ごめん…義理ね……」

「ぎり?頑張らなあかんやつやん!ギリ本命かぁ~!」

 

痺れる。もちろん、底抜けのポジティブさにだ。このずば抜けた前向きさはどのように形成されたのか、実験台としてぜひとも母校・慶應義塾大学の研究室で調べてほしい。素晴らしい素材をぜひ提供します。ポジティブ心理学のさらなる飛躍に貢献することとなるだろう。

 

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ところで、僕はというと、中学生の頃、

ある女の子が、本命の男子にチョコを渡したが受け取ってもらえず、どうしようか悩んだ末、せっかく作ったしとその繰り上がりで僕にチョコを渡したということがあった。

放課後になってある友達から真相を聞かされ、

 

「僕は二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男」

 

と意識が朦朧としながら帰ったことがあった。

 

それなのに義理チョコを〝ギリ本命チョコ〟と思えるそんなタフで屈強で逞しい精神力を持った人もいるんだなぁと、僕の世界が歪んだ。

足元がぐらぐらした。

 

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さて、ここまで書いてきて、僕はやっぱり〝三億円事件の告白〟がいいなぁと思う。

想像してみた。

 

「ちょっとゆうた、こっちに来なさい。今日は大事な話があるの」

「なに、母さん」

「心して聞いてね。実はお母さん三億円事件の犯人なの。

だから、あんたにも三億円事件の犯人の血が流れているのよ」

 

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ぐにゃっ。

世界が歪む音が聞こえた。

もう立っていられない。痺れる。

 

 

 

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■関連記事

この2つの記事は「世界からはみでる」ことについてのエッセイです。さくっと読めるので良かったらこちらもどうぞ!

 

こちらは僕が影響を受けた素晴らしいブロガーの方々を紹介しています!

ちぐはぐなギャップにくらくらする

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「シネ」と言われたことがある。

中学生になったばかりの頃だ。

くらくらした。

 

中学に入学したばかりの僕たちはすぐに「自己紹介カード」なるものを書いた。

-----------
名前
誕生日
趣味
特技
私の好きな◯◯
みんなに一言
-----------

など、書き上げた後、教室の後ろに貼り出され、おのおの休み時間に見て回った。

そこで同じクラスの斎藤さんが【みんなに一言】の欄で、こんなことを書いていた。

 

「よろシネ」

 

おおお、と思う。

おそらく斎藤さんは「よろしくネ」と書きたかったのだろう。

それを書き間違えて「よろシネ」としてしまったことにはすぐに気が付いた。

奇しくも「シネ」の部分だけがカタカナになっていて、とても恐ろしかった。

「よろ」まですごく好意的なのに、次の二文字で「シネ」といきなり崖から突き落とされる。

しかもまだ12歳のいつも大人しい女の子に。

 

「よろシネ」

 

そのちぐはぐなギャップにくらくらした。

教室に貼り出された自己紹介カードの中で、斎藤さんのその一言だけが異様に光って見えた。

 

 

サークルの卒業式で、先輩の熊沢さんが「くまって〝根は悪いやつ〟だからな」と代表から言われていたのを急に思い出した。

「根は」とつくと、たいてい「いいやつ」なのに。

たいてい、というか、それ以外聞いたことがない。

 

「根は、悪いやつ」

 

恐ろしい。

〝よろシネ〟とか使いそうだ。

一回あげてから突き落とすやつ。

ちぐはぐなギャップでまた頭がくらくらする。

 

 

そういえば、大学生の頃、あのとき相手をくらくらさせてしまったなぁということがあった。

友達から「今日の夜、渋谷で飲まない?」と連絡がきた。

僕は「明日の朝早いから無理やわ」と送ったつもりが、打ち間違えてこう送ってしまっていた。

 

「明日の朝ハワイやから無理やわ」

 

「えっ!まじか、明日ハワイなのね!!急すぎ!!!てか必修の出欠取っておこうか?これ以上休んで大丈夫?」

〝さっきまで会っていた貧乏大学生が平日の火曜日にいきなりハワイ〟

 

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この世界には、偶然生まれた、ちぐはぐなギャップでくらくらする繊細で美しい言葉であふれている。

 

T君、出欠の気遣いありがとう、ハワイのお土産買えなくてごめんね。

 

 

 

 

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■関連記事

過去にも何度か「言葉」について書いています。一つ目は懐かしのアメブロ……(笑) 日常で見逃されがちだけど、ちょっとでも「言葉」って面白いなぁということが伝わってもらえれば、すごくすごく嬉しいです。

僕の名前は〝もりい〟です

ずっと思い悩まされてきたことがある。

名字を間違えられることだ。

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僕の名字は「森井」と言うのだが、どう間違われるかと言うと「森」と間違われる。

悪夢は13歳から始まった。

中学生の頃から通い始めた塾に「森」がいたのである。

 

先生が「はい、じゃあ次、ここ読んで。森!」

鎌倉時代は…」

森くんがテキストを読み始める。

するとすぐに先生は僕の方をがっと振り向き、

「井~!!!!」

と叫ぶ。

当てられたのは、森くんではなく僕の方だったのである。

「森を当てたと見せかけて森井を当てる」という松浦先生からのいじりが始まった瞬間だった。

このときから「森」と呼ばれているのか「森井」と言われているのか、耳をすまさなければいけなくなったのである。

友達に「森の呪いやな!ははは」と言われた。

 

 

高校でもそうだ。

高校3年の12月に、週3回を2年間、授業で会い続けた日本史のイハラ先生から、休んでいたので僕だけあとで答案用紙と日本史のプリントを渡された。

点数が見えないよう半分に折られて渡された答案用紙の裏には、小さく「森くん」と書かれていた。

 

僕はこの2年間を疑った。

 

イハラ先生は僕のことをずっと隣のクラスにいる「森くん」だと思っていたのである。

 

そばにいた寺田と大西が爆笑していた。

ちなみにテストは98点だった気がする。

学年で一番の成績だったのに。

もちろん、最後の最後までイハラ先生に「僕の名前は森井です!」とは言えなかった。

 

それ以来、特に電話で自分の名前を言うときは「もり〝い〟!です」と〝い〟の部分を強調して言うようになった。

これは今でもそうである。そうでもしないと「もり」と間違われるからだ。

 

 

それから大学に入り、上京した。

東京には「森」がいなかった。

おかげでとても充実した大学生活を送ることができた。

 

社会人になって、名前を間違われるという宿命をすっかり忘れた頃、また後輩に「森くん」ができてしまった。

自分の避けられない運命を呪った。

 

しかし、僕にはもう「森」の免疫があった。

先輩から「森」か「森井」か定かではない呼び方をされても聞き間違えることは一度もなかった。

ところが、後輩の森くんは、度々、僕が呼ばれているのに「はい!……あっ、僕じゃないんですね、すみません」と聞き間違いをし、恥ずかしそうにしていた。

おそらく今までの人生で「森井」がいなかったのだろう。

聞き間違われる度に「すまない、来世は〝剛力〟とかに生まれてくるから」と心の中で小さく謝った。

 

 

そうゆえば、大学生の頃、ハーフの後輩にミドルネームが〝モリーホワイト〟という子がいた。

「あっ、この子と結婚したら〝モリーモリーホワイト〟になるのか。ワンピースに出てくる〝トニートニー・チョッパー〟みたいでかっけぇ!」

もうその子が好きになる。バカだ。

そんな話を女友達にしたら「わかる!!!!!」と言われた。

えっ、わかるの?ほんとに?

「私、下の名前が〝よしの〟だから、吉野くんと結婚したいの!だって吉野くんと結婚したら〝よしのよしの〟になるじゃない。すごく良いと思わない?」

思わない。そんな〝まえだまえだ〟みたいなお笑い芸人はいらない。

「……それか、染井さんと結婚したいかな。〝そめいよしの〟。ね、趣があっていい名前でしょ?」

バカだ。類は友を呼んでしまった。

 

 

そうこうしているうちに、先月、姉が結婚式を挙げた。

姉の名字が変わったのである。

「そうか、お姉ちゃんは〝森〟から避けられる運命だったのか」と気づかされた。

姉は〝森〟の呪縛から解放されたのである。

とても羨ましかった。

 

ところが、である。

初めて姉の旦那さんと顔を合わせることになったとき、僕はある異変に気づいた。

姉が旦那さんのことを「名字に君付け」で呼んでいたのである。

例えば、相手が〝磯野カツオ〟だとすると、「カツオ君」や「カツオ」とかではなく、ずっと「磯野くん」と呼んでいるのである。

付き合ったばかりならまだしも、もう知り合ってずいぶん経つ夫婦だ。

 

恐る恐る聞いてみると、姉の旦那さんは下の名前が「ゆう」と言うらしかった。

姉は僕のことを「ゆう君」と呼んでいる。

なので旦那さんのことを下の名前で呼ぶと、僕を思い出してしまって嫌だからと、

結婚した今でもずっと旦那さんのことを「名字に君付け」で呼んでいたのである。

ただただ申し訳なかった。

かぶることのないキラキラネームを初めて羨ましく思った。

これも「森の呪いか」と思った。




ということで、名字が〝森井〟になりたいという覚悟のある独り身の方、いつでもお待ちしておりますので、僕までどしどしご連絡ください。

 

 

 

 

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■関連記事

ここで関連記事を貼るときに気付きましたが、過去に二回も「聞き間違い」についてのエッセイを書いていました(笑) それだけネタになるってこと?

 

バルミューダはとっても怖い

バルミューダはとても怖い。

見る度にいつも〝戦力外通告〟を突きつけてくるからだ。

 

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 最近、我が家に「バルミューダ」がやってきた。

バルミューダの高級トースターはとてもスタイリッシュだ。

見た目は誰もが気に入るであろう白で、作りはとてもシンプル。

説明書なんて無くてもすぐに使いこなせる。

たぶん無印製品が好きな人は大好物だと思う。

 

そんなバルミューダが我が家にやってきてすぐに使ってみたのだが、今までのトースターとの違いが早速一つ見つかった。

パンを焼く前に「水」を入れるのである。

 

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小さなカップみたいなのが付いていて、それに水を入れ、焼く前にバルミューダに注ぎ込む。

 

さすがバルミューダだ。

パンは焼かれる前に水を浴びる。

 

いや、あのバルミューダのことだ、ただの「水」ではなく「高濃度酸素水O2」と言った方がいいのかもしれない。

 

それにしても、

「パンは焼かれる前に水を浴びる」

 

なんてスタイリッシュな言葉なんだ。

バルミューダの話となると「ローマは一日にして成らず」くらいオシャレな慣用句に聞こえてくる。

 

「パンは焼かれる前に水を浴びる」

 

深い……深すぎる。人生で大事なことは全てこの一文に含まれているではないか……

そう囁かれていてもおかしくない。

 

そのため、料理を一切しない料理オンチの僕にとって、バルミューダが味方についてくれれば、向かうところ敵無しだ。

天下無双、破竹の勢い、天上天下唯我独尊といったところか。

ちなみに「天上天下唯我独尊」の意味はよく知らない。

 

これが僕のバルミューダ観である。

 

ところが、だ。

ここで僕のバルミューダ観を揺るがすほどのある重大な出来事が起こった。

それは、「変わらない」のである。

何がって?

バルミューダで焼いたパンはとても美味しいと聞いていた。

変わらないのである。

そう、味が。

普通のトースターと比べて。

 

とても困った。

僕がバルミューダにふさわしくない男だということが明らかになってしまったからだ。

バルミューダ失格の烙印が押された瞬間だった。

僕の中のバルミューダは完全に崩れ去る。

あぁそうだ、はっきり言おう。僕は何を食べても美味しいと思ってしまう習性がある。 

 

 

以前、一人暮らしなのに電子レンジを持っていない友達に「レンジないから作ったら毎回一発勝負やねん。戦いやで」と言われた。

でもトースターはあるらしく、「パンは焼かれへんと一発も勝負できへんからな。試合放棄はあかん」と謎に力説され、今年一番の「お、おう……」となったのだが、

僕の場合は一度も勝負させてもらえなかったスポーツ選手のような気分だった。

まさかのプロ入り初日で戦力外通告を受けてしまったのである。

 

 

このとき、久しぶりに思い出した僕の幼稚園の頃の話がある。

僕の家族は毎朝、食パンを食べる。

なのに、急にお姉ちゃん(10才)が「このぶどうパン美味しいね」と言い出したのである。

 

ここで家族全員の頭の中に疑問が浮かぶ。

「ただの食パンのはずだが」と。

家族全員で姉のパンを覗き込んだ。

すると、なに大した話ではない。

姉がぶどうだと思ったのは、ただのカビで、食パン一面にレーズンサイズのカビがたくさんはえていたのである。

それをぶどうだと勘違いして、(いつもはただの食パンなのに今日は)「ぶどうパン美味しいね」と言ってしまったのであった。

 

これは正真正銘の実話である。

 

このときからすでに、僕たち家族はバルミューダではなかったのかもしれない。

 

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今ではバルミューダがとてもこわい。

見る度にいつも「戦力外通告」を突きつけてくるからだ。

 

  

 

 

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■関連記事

こういうふざけたテンションのエッセイもとても好きです。たまに書くと楽しいなぁ。

過去にも何度かふざけたテンションで書いているので、良かったら読んでやってください。

 

 

■オススメ書籍

君がいない夜のごはん

君がいない夜のごはん

 

 エッセイの文体はこの穂村弘さんから多大な影響を受けています。大好き!

乳がんが再発したお母さんのどうしても伝えておきたい話

僕はこれまでありがたいことに自分自身はもちろんのこと、僕の周りでもほとんど不幸にみまわれず、これまで元気に生きてこられました。

しかし、ちょうど1年前、僕の知る限り、最も絶望的状況を目にしてしまいました。

その話はぜひとも皆さんにも知っておいてほしい、いや、生きていく上で絶対に誰もが知っておかなければならない教訓が含まれていると思ったので、少し長くなるかもしれませんが、今日はその話をさせてください。

 

 

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1年半前、友人が自分の胸に〝しこりのようなもの〟があることに気が付きました。

ちょうどその頃、小林麻央さんが乳がんで亡くなったばかりで、世間的にも乳がんについての話題で持ちきりでした。

 

乳がんは遺伝性があると言われています。

そのことを知っていた僕の友人は、すぐに乳がん検査へ行くことにしました。

 

というのも友人のお母さんは、15年前に一度、乳がんになっていたからです。

自分が小学生の頃、乳がんで苦しんでいた母を見ていただけに、すぐに乳がん検査を受けに行くことに決め、でも一人で行くのは怖かったので、友人は母を連れて地元の病院へ行くことにしました。

 

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結果から言いますと、友人の胸のしこりのようなものはまったくの気のせいで、問題ありませんでした。

ところが、娘の乳がん検査の後、お母さんであるTさんも念の為に受けたら、あろうことか検査にひっかかってしまったのです。

 

来週、すぐに大きな病院で再度検査を受けることになり、お医者さんからは「詳しくはその検査結果がないとわからない」と言われました。

Tさんは、心配そうな顔をする娘に「大丈夫よ」と言いながらも「大丈夫と思ってて結果が悪ければ落ち込むから、結果は悪いと思っておくね」「髪の毛、抜けるの嫌だなぁ」とぽつりと笑いながら言いましたが、Tさんの目は笑っていませんでした。

 

 

「きっといつかは大切な人がいなくなる現実が必ず来る。その時、私は乗り越えていけるのだろうか。

今、母は元気で普通に生活してるけど、それでも、本当に、いつでも、いつ何があるかわからないから。私にとって、お母さんはたった一人の本当に心から繋がってる家族で。

いつか離れる時がくること、それが近い将来だろうと遠い未来であろうと、一人になることを想像すると、ものすごく怖くなる」

「とりあえず来週の月曜日!!!それまで何をどう考えたって仕方がない。何があったって、幸せな時も辛い時も、いつだって、大切な人のことは大切にすべきなんだ」

 

このどうしようもできない、もやもやしているだけの時間が、一刻も早く過ぎて欲しいと、娘は強く思っていたそうです。

 

そして、最初の検診から2週間後、やっとTさんの検査結果が出ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


結果は、陽性。

残念ながら、再発でした。

Tさんが乳がん治療を終えてから14年後のことでした。

 

 

Tさんは、大きな病院に「(治療を終えて)もう10年以上経っているので、自覚症状がない限りは、今後ここではなく市の定期検診に行ってください」と病院から断られていました。

 

「私が新しい病院で乳がん検査をしたから、お母さんはそのついでに受けてみただけ。私と一緒に検査していなかったら、乳がんの発見は、もっともっと先延ばしになって手遅れになっていたかもしれない。見つかって良かった、本当に……」

 

 

 

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その日の晩、Tさんは声をあげて泣きました。

手術が怖いからではありません。

大好きな人たちと大好きな仕事ができなくなるからです。

 

 

それからTさんは再度検査を受けることになりました。乳がんが悪性の時のことを考えて、癌が全身に転移していないかどうか調べることになったのです。

万が一、癌が全身に転移していたら、手術はできません。

その代わり、死ぬまで一生、治療が続くことになります。

なぜなら、目に見える状態で転移していることがわかれば、もう全身に癌が散らばっていることになります。胸を手術しても意味がなく(全部取れない、キリがない)、体に負担がかかるだけだからです。

 

 

「今は50%の確率。どうにか転移だけはしていないことを祈ってる。お母さんの髪の毛はもう生えてこないかもしれない。余命を言われる可能性だって。10年とか長く生きられる可能性もあるけど、どちらにしても転移していたら寿命が尽きるまで病気と闘うことになる。

もう実感がわかない。

心がついていってない。

でも好きな仕事(ベビーシッター)を手放すことになって、泣いている母を見て、すごく当たり前だけど、本当に全ての幸せって健康から始まるんだなって思った」

  

 

________

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僕は今までありがたいことに自分自身はもちろんのこと、僕の身内でもほとんど不幸という不幸に遭遇することなく、これまで生きてきました。

そんな中、最初この話を聞いたとき、僕の知る限り、最も「絶望に近い状況」だと思いました。

 

だって、そうですよね。次から市の定期検診に行ってくださいと病院から断られたくらいで。

乳がんは、10年経って再発しなければ、ほぼ完治」と言われています。

14年経って、やっと病気のことを忘れていられるようになったのに。

それに愛する娘が乳がんではないことがわかり、ほっと胸をなでおろし安堵したところ、まさか自分が再び癌になっていたとは。

 

ずっと健康に生きてこられた僕には想像を絶するくらいの状況でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところがです!

Tさんは乳ガンが再発していることを知って、その日は泣きはしたものの、「もうだめだ」「なんで私ばっかり……」と後ろ向きになるのではなく、

「仕事ができない代わりに時間はできたから、次の新たな仕事のために子育て関係の資格をとって勉強をする」と言い出したのです!

今まではずっと忙しくて、それを理由に先延ばしにしてきたから。子育てアドバイザーになり、子育てに悩むお母さんの力になりたいんだ、と夢を語り始めました。

 

そして、15年前、抗がん剤で髪の毛が抜けた時にかぶっていたカツラを、押入れからひっぱりだしてきて、

「ついにまたこれを使う時が来たか……!」

と、まるで〝最終兵器〟を出すみたいな言い方で病気を笑い飛ばしたのです!

 

 

 

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「せっかく仕事していないのだから、将来のことを考えると言っていたの。母はもう避けられない運命を受け入れていた。険しい運命に抗おうとするのではない。私より先に、前を向いていた。「母は偉大だ」と思った」

「お母さんね、こんな時でも、ちゃんと前を向いてる。こうならないと気づけない大切なことが絶対あるんだって。きっと人生の中で大きく変われる瞬間なんだって。本人がそう思うのなら、私もちゃんと同じ方向を向いて、しっかり母と生きる未来を描こうって誓うよ」

 


________

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それからしばらくして辛くて苦しい「抗ガン剤治療」が始まりました。

15年前はずっとバケツを抱えてないといけないくらい副作用がひどかったらしいのですが、Tさんはまだ一度も吐いてないと言っていました。

もちろんピークの時は、一日中寝込んでいたり、元気ではないみたいですが、医学の進歩が凄すぎると驚いていました。

「「しょろしょろ髪の毛抜けるぅ〜」ってお母さんが私に言うの。言い方軽すぎでしょ、やめて」

と娘はふっと笑いながら僕に話しました。

 

 

 

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Tさんの癌の悪性レベルは中間でした。

2年前に検査を受けたときは何ともなかったので、この2年間のどこかで再発。

しこりの大きさ的には3センチくらい。1センチ越えたらあっという間にすぐ大きくなっていくそうです。

あと半年遅かったら、確実に全身に転移してるようなレベルだったようで、本当に不幸中の幸いでした。

 


「お母さんね、抗ガン剤治療中、子育てアドバイザーの資格を取るために講座も受講して勉強し始めたの。

始めるのは何歳からでも遅くないってこと、やっぱり精神的に前向きでいることはすごく大事ってこと、今のお母さんの姿から学ぶことはとても多い。

病気を理由に落ち込む人もいれば、それをきっかけに前に進む人もいるから」

 

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「お母さん、ベビーシッターをやっていて、指名入りまくりで大人気みたいなの。それで辞めるってなった時、お客さんみんな泣いてたらしくてね。「あなたがいなければ、私たち家族の今はありません。いつでも、帰ってきて下さい」って。職場の社長さんや社員さんにも、「何年先でもいいから、ずっと待っています」って言ってもらえたみたいで。

それだけ母は、仕事先の子どもを大切にして、その家族の人たちにも愛されるような人だったんだなぁって。改めて、尊敬したよ。お仕事だけど、お仕事だと思ってない、ちゃんと愛があるんだと思う。

今日はサプライズで、お母さんに「ベビーシッターお疲れ様」のケーキを買って帰るんだぁ〜喜んでくれるかなぁ~~」

 

 

 

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数日後、Tさんから娘にLINEが届きました。

「私は今まで雇われることしか頭になかったけど、よく行く楽器屋さんが移転の時に、店探しから内装とか自分色になっていく過程を見てきていいなぁと思ってん。

遠い夢やと半分諦めていたけど、今回こういうことになって、あとどれぐらい生きられるかわからんと思ったら、夢は今実現せなあかんねやわと思った。

小さくてもいいから自分の仕事場を持って、あなたの絵を飾って癒しの空間を作りたい。二人の事務所として。そこであなたは絵を描いたらいいし。なーんてね。

私はあなたに救われた。だから今ある命を大切にして前を向いて生きていきたい」
(Tさんの娘はイラストレーター)

 

 

 

(やっぱりお母さんは病気と闘いながらも、夢に向かってがんばっているんだ)  

 

 

 

お母さんの口から「辛い、嫌や、しんどい」といったネガティブワードを一度も聞いたことがない。もちろん内心思っているのかもしれないけれど、私たちが元気にサポートできているのも、周りが明るくいられるのも、全部お母さんのおかげ。

ガン患者になってできないことは増えたけど、ガン患者になる前よりも、きっと「ありがとう」は増えた。身近な幸せに気付けるようになったから。それは本人だけじゃなく、周りの私たちも気付けた大事なこと」

 

「お母さん、〝子育てに悩むお母さんの心のケア〟をしたいんだって。どちらかというと子ども相手ではなく、親のサポートね。ベビーシッター先で、一人で悩んで苦しんでいるお母さんが多かったみたいで。

しっかり体を治して、新しいスタートをきってほしいなぁ。私、お母さんの夢、応援する!!!」

 

 

 

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「……、でね、乳がんだけだったから、片方の胸は摘出して無くすことになるの。髪の毛も全部無くなる。抗がん剤とかその他にもいろいろと治療に関しては〝フルコース〟。これから1~2年かけて治していく感じかな」

「ところで、〝フルコース〟って誰が言い出したと思う?」

「お医者さんやねん」

「いや、そんなフレンチのコース料理出てくるぅ、みたいな言い方せんとって。そんなええもんちゃう!」

と娘もまるで母のように病気を笑い飛ばした。

 

 



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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Tさんが乳がんの手術をしてから、先月でちょうど1年が経ちました。

辛くて苦しい抗がん剤治療も無事に終わり、現在は、分子標的薬(がん細胞だけをやっつける薬)を3週間ごとに18回点滴中で(来年の2月に全て終了予定)、それに並行してホルモン剤(ホルモンを抑える薬)を5年間毎日服用していくそうです。

不幸中の幸いではありますが、発見が早かったということもあり、今では治療を続けながら、夢に向かって毎日元気に過ごしていると言っていました。

 

 

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このTさんの話は、生きていく上で大切なことが本当にたくさん詰まっている気がします。

母と子の家族愛、待っていてくれる人がいるという幸せ、避けられない運命をいかに受け入れるか、ないものではなく恵まれているものを数えるなど、本当に様々なことが挙げられますが、その中でも特に僕はTさんの「逆境の乗り越え方」にいたく感動しました。

Tさんは、癌になったことを嘆き、自暴自棄になるのではなく、絶望的状況でさえもいいきっかけだと現実を捉え直し、今までできなかったことをやろうとする、この前向きな姿勢に、僕は震えるほど感動しました。

この絶望の乗り越え方は、絶対に誰もが身につけておくべきことだと強く強く思いました。

 

僕は今まで、片手で数えられるほどですが、人生のところどころで、人生観を揺さぶられるほどの極度の挫折を経験してきました。(このことを「トラウマ」と言ってもいいかもしれませんが、僕は〝圧倒的挫折〟と呼んでいます)

そして、しばらく後になって気付いたのですが、その〝圧倒的挫折〟を乗り越える度に、僕は大きな成長を遂げていたのです。

なので、この〝圧倒的挫折〟は大きく成長するために必要不可欠とさえ思うようになり、ある時から僕は、何かで挫折する度に「はぁ……もうだめだ……」と落ち込むのではなく、「よっしゃ!!!」と思うようになりました。

なぜなら、これを乗り越えれば、また一つ強くなれるとわかっているからです。

 

〝圧倒的挫折〟は、成長するための代償であり、大きな成功とは切っても切り離せません。

何かが人よりできるようになって天狗になり、でもその後、挫折して。

この天狗と挫折を繰り返すことで、人は強く逞しくなる。そして、挫折を味わい、乗り越える度に、その人の魅力はどんどん増していく。

 

そんな風に考えていました。

ただ、これはあくまで僕の経験則であり、他の人には当てはまるかどうかわかりませんでしたが、

つい最近知ったのですが、それがなんと科学的に証明されていたのです!

昨年、Tさんの乳がん発覚後からの対応が本当に素晴らしいと思っていて(友人にも熱く語ったことがあるくらいでしたが)、そのことは心理学的にしっかり説明できるもので、「逆境下成長」または「心的外傷後の成長」と言うらしいのです!

 

おそらく大学か何かで心理学をかじったことのある人なら「心的外傷後のストレス障害(PTSD)なら聞いたことがあるかもしれませんね。

戦争から帰ってきた兵士の中で、精神的に病んでしまった人が続出して深刻な問題となった心の病です。

本か授業でかは忘れましたが、僕自身、「心的外傷後のストレス障害」(PTSD)のことなら大学1年生くらいのときから知っていました。

 

しかし、その真逆の「心的外傷後の成長」(逆境下成長)のことはまったく聞いたこともありませんでした。

今まで戦場に向かう兵士たちは、「正常な状態」で戻ってくるか、または「PTSD(心的外傷後のストレス障害)」を伴って帰ってくるかのどちらかだと言われていました。

しかし、実際はその二つの道よりもさらにいい「第三の道」があることが明らかになったのです!

それが「心的外傷後の成長」(逆境下成長)という道でした。

 

ハーバード大学の心理学者ショーン・エイカー教授はこう言います。

「最初にこれらの研究を知ったとき、私は憤慨した。なぜもっと早く世の中に知らされなかったのだろう。多くの人の人生をよりよくできる驚くべき研究が、人々の目から隠されていたのだろうかとさえ思った」

この文章を読んだとき、本当に驚きました。そして、嬉しくもなりました。なぜなら、僕がこの記事を書こうと思ったときのテンションと熱量がまったく同じだったからです!

近年わかったこの研究のおかげで、「重大な苦しみやトラウマは、様々な面において、非常にポジティブな変化をもたらす」ということを、格言としてではなく、確信を持って言えるようになりました。

 

 

また、ショーン・エイカー教授こう続けます。

乳がんと診断された女性の大半にも同じようなポジティブな成長が見られた。精神性が向上し、他者への共感が増し、心がオープンになり、最終的に人生全体に対する満足度さえも増したという。また、トラウマ後、性格的強さと自信が増して、周囲の人々に対する感謝と親密度も増大したという報告もある」

 

もちろん、全ての人にこういう現象が起こるとは限りません。

それでは、辛い経験の中で成長していく人と、そうでない人とではどこが違うのでしょうか?

 

これに対して、一番重要なことは、「その人のマインドセット」「心の持ちよう」だと教授は言います。

上方に向かう道を見出す能力は、自分が引いたカードの「手」をどうとらえるかによります。

「逆境下成長」に続く道を見つけるには、状況や起きたことをポジティブに再解釈し、楽観性を失わず、現実を受け入れ、問題を避けたり否定したりすることなく、真正面から見つめることです。

 

ある研究グループによると、「心的外傷後の成長に影響するのは、その出来事がどういうものかではない。むしろその出来事の主観的経験である」と言います。

「言い換えると、挫折からうまく立ち上がることのできる人というのは、何が起こったかによって自分を定義せず、その経験から何を得るかによって自分を定義する人である。そういう人たちは逆境を利用してそこから進む道を見つける。逆境からただ「立ち直る」のではなく、「起き上がってさらに上に伸びる」のである」

 

 

もうTさんの乳がんの話をまんまされてる気しかしません。ほんとにこういうことがあるのか、と本当に驚きました。

多くのベンチャー投資家は、ビジネスの大失敗を経験したマネージャーしか雇わないと言われています。

それは傷一つない履歴書を提出する人は、失敗と成長の軌跡を示す履歴書の持ち主と比べて見込みがないからです。

だからこそ、「何かでうまくいかなかったから、なりたい職業に就けなかったから、癌になったから、私は幸せになれない」なんてことは一切ないのです!

 

 

こんな素晴らしい心理学の研究のことをもっと知りたいと、他の文献にも目を通したのですが、なんとカリフォルニア大学の心理学教授であるソニア・リュボミアスキーさんは、常にこの図を手元に置いていると言っていました。

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研究者として今まで何百もの様々なグラフを見てきた中、唯一いつも手元に置いているのが、この「心的外傷後の成長」(逆境下成長)のグラフだそうです。

この図は大きな問題に直面したときに選ぶことのできる3つの道を表したものです。

トラウマを経験した直後は、後遺症に苦しむかもしれませんが、ついにはもとに戻るばかりか、それ以上に成長することができるのです。

 

 

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また文筆家のナシーム・ニコラス・タレブはこういう表現をしています。

「風はろうそくの火を消すが、炎を燃え上がらせもする」

ここで風とは辛くしんどい出来事のこと。火が消えるとは絶望的になるということ。そして、炎を燃え上がらせるとは、辛い出来事は起きたものの、それを糧に成長するということと言い換えることができます。

風で火が消えてしまう人もいるが、一方で、それをきっかけに炎を燃え上がらせる人もいると。

 

 

これらの文献を読んだとき「やっぱりそうだったか……!!!」と思わず唸りました。

案の定と感動と衝撃が入り交じった感情で、震えました。

だからこそ、「これは絶対に多くの人に伝えなければいけない」と改めて強く思いました。

 

なぜなら、僕たちは苦境に立たされた時、その恐怖に圧倒され、前を向くことを諦め、可能性を閉じてしまいがちだからです。

多くの人が〝圧倒的挫折〟を一度、または何度も味わうことで、無力感に襲われ、二度と幸せになれないんじゃないだろうかと、生きる気力を無くしてしまうからです。

 

しかし、乳がんで今まさに苦しんでいる人もいるでしょうし、悲しいことに身近な人が癌で命を落としてしまったという方もいるかもしれません。

どう書いても、そんな人たちがこの記事を読んだら不快に思ってしまうんじゃないだろうか、不謹慎だと思われるんじゃないだろうかと、やっぱりUPするのをやめようとも考えました。

挫折の後、必ずしも全員がポジティブな成長ができるわけではないということも、もちろん知っているからです。

 

 

でも……それでも、僕は今まで「実用書」に書いてあることを実践することで、自分の人生を切り開いてきました。

二十歳の頃に実用書に出会い、それらを読むことで人生が変わりました。

借り物の人生から、自分の人生こそが24時間エンターテイメントだと言えるようになりました。

実用書に救われたのです。

だからこそ、今度は、より良く生きるための「実用知識」を伝える(書く)ことで、返していきたいと思っています。

「変わりたいという強い意志さえあれば、どんな状況からでも、努力で人は変われる」ということを、僕は実用書を書くことで証明したい。

それは僕の使命であり、僕の生きる意味みたいなものです。

なので、不謹慎だと思われようと、まずはしっかりとこの記事を書ききり、たくさんの人に読んでもらおうと思いました。

 





そこで、今この文章を読んでくださっている〝あなた〟にお願いがあります。

ぜひ周りに、特に今生きることに苦しんでいる人に、このTさんの話を、そして「逆境下成長」(心的外傷後の成長)の話をしてあげてほしいのです。

「逆境の後にこそ、幸せが待っている」というこのまごうことなき事実を知っているというだけで、気持ちが違ってくると思ったからです。

険しい困難という名の試練に直面した時、押しつぶされにくくなると思うのです。

「逆境こそ好機」なのだから。

この記事をシェアしてほしいと言っているわけではありません。

例えば、明日、学校や会社へ行ったとき、悩んでいる友人に一言、声をかけてあげるだけでいいのです。

だから、僕は書きました。

きっと救われる人がたくさんいると思ったからです。

 

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【最後に】

今回、Tさんのとても前向きな話を書かせてもらいましたが、Tさんは手術後、抗がん剤治療を3週間ごとに合計6回やってきました(無事終了)。この記事を書くにあたって改めて治療の話を伺ってそこで初めて知ったのですが、

当初、Tさんの趣味であるピアノが弾けなくなるかもしれない、お茶碗も持てなくなるかもしれないと言われていました。また、抗がん剤投与後、度々、白血球の数値が下がり、お医者さんに「治療継続が難しい」と告げられたこともあったそうです。

「治療の副作用はもちろん辛かったけど、それよりも白血球が下がり、治療継続が難しいと言われた時の方が辛かった」と話してくれました。

「その時に、治療が出来ることのありがたさを感じることができた」と。

 

自分がもし、そんな険しく困難な道にぶちあたったなら、こんな前向きでいられるだろうか……と思わず考えさせられました。

今回、「Tさんの逆境下成長」についての記事を書かせてもらい、本当に様々なことを学ばせてもらいましたが、何より〝生きる勇気〟をもらった気がします。

今後、もし僕が何か大きな壁にぶち当たることがあったとしても、このTさんの話をお守り代わりに頑張って乗り越えていきたいと思いました。

 

こんな最後の最後まで読んでくださりありがとうございました!

28年間生きてきて最も幸せだった日が教えてくれた、人生で必要な2つのこと

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今日は僕が28年間生きてきて人生で最も幸せだった日の話をしたいと思います。

 

僕はあまり涙腺が弱くないらしく、例えば映画を見て感動しても絶対に泣くことはないのですが、

(ここで言う〝泣く〟は、〝感動する〟ではなく、文字通り〝涙がこぼれる〟の泣くです)

 

そんな僕でも、今まで28年間生きてきて、「嬉し泣き」というものを二度したことがあります。

この二度の嬉し泣きから、「人生で必要なものはたったの2つだけ」ということがわかりました。

そのことを今回この記事でお伝えしたいと思います。

 

 

―――――
過去二度した嬉し泣きのうち一度目は、遡ること約8年半前、19歳のときでした。

この頃、僕は浪人生で、第一志望の「慶應義塾大学」に合格を目指して来る日も来る日も勉強をしていました。

 

昔から僕のことを知っている人は知っているかもしれませんが、僕は本当に勉強が苦手で、

例えば、高校受験では、兵庫県にある「白陵高校」という高校が第一志望だったのですが、その頃通っていた塾で白陵を受験したのは28人いて、合格したのはこのうち27人。

そう、落ちたのは僕だけ、でした。

白陵高校の募集人数が約40人で、うち27人が同じ塾から出たので、逆によく僕だけ落ちたなというレベルです。

 

他受けたところもほぼ全滅で、結局、入学する高校が決まったのは中学3年の3月20日くらいでした。

もう来週には高校の入学式がある、という近々のスケジュールで、何より親がひやひやしていたのを覚えています。

当時、まだほぼ無名校だった「須磨学園」という学校に「今伸びている高校だから」という理由だけで入学することにし、この高校の特進クラスに入ることが決まったのですが、

3月下旬の合格発表の日に、学年主任みたいな人に呼び出され何かと思ったら、

 

「君は特進クラスで最下位の合格だ。だから、来年、普通科に落ちないようにしっかり勉強しなさい」

 

と言われたくらいでした。

 

当時、反抗期真っ只中だったので、

「こいつまじでうるせぇえええええ」

となり、

「入試寝てたから点数悪かっただけだからな!もう勉強なんて二度とするか、ボケ!」

となりました。

 

 

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ちょうど前回の記事で、中学の頃通っていた塾の話を書きましたが、

通っていた塾は当時、日本一、偏差値の高い人たちが集まる塾で、かなりのスパルタ詰め込み教育でした。

そして、その中で中学3年間おそらく誰よりも勉強したと自信を持って言えるくらい勉強したのですが、それでもまるでだめで、

実際、もともと好きでやっていたわけではなかったので、これを機に高校に入ってから勉強することを完全にやめることにしました。

 

高校に入ってから「なんで勉強せなあかんの?」と聞いても、誰も「勉強する意味」を教えてくれる教師は一人もおらず、「そんなこといいから、早く宿題出しなさい」「出していないの君だけよ」の一辺倒でした。

 

「うっさいボケ!大学なんか行くか!」

と、あらためて勉強なんて二度とするかと固く誓うことになりました。

 

 

では、なぜ19歳の頃、再び勉強していたかと言うと、きっかけはひょんなことでした。

高校3年になるまで、僕は漠然と美容師になろうかなぁと思っていました。

 

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当時、高校生だった僕は趣味はもちろんのこと、やりたいことが一切なく、毎日くそつまらない生活を送っていました。(人生で一番鬱屈としていました)

そんな中、唯一興味があったことが髪の毛をいじることでした。

 

毎朝毎朝、鏡の前で髪の毛をwaxでしっかりセットしては、学校で生徒指導の先生に注意され、トイレで髪洗ってこい!とよく怒られていたのですが、

なのでいつも美容院には好きな読者モデルの切り抜きを持っていっていて、「この髪型にしてください!」と言っていました。

 

その頃、僕やその仲間うちで、一番憧れられていた読者モデルが「江口亮介」さんという方で、

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(この人。当時よく持って行っていた切り抜き)


ある日、家で髪の毛の雑誌を見ていたら、ある重大なことに気が付きました。

 

それは、

 

なんとこのイケメン読者モデル、慶應生だったのです!!!!

 

これがわかった後、すぐに学校で友達に、

「江口くんがいるこの慶應ってなんかかっこよくね?」

と話し、気づけばすぐに「俺も江口くんのいる慶應いくわ」と言っていました。

 

この頃、ほとんどDQNみたいなやつだったので、ほんとにこんな軽いノリで受験勉強をすることになりました。

慶應の受験教科を調べたら、英語、日本史、小論文の3教科しかなく、僕が特に苦手だった理系教科が一切必要ないことがわかり、「あ、これなら俺でもいけんじゃね?」となり、

高校生の頃、いつも一緒にいた北條と寺田という友達と、高校のそばにあるラーメン屋「赤無双」で「慶應入って、東京いったらまじ2年半は遊び倒すわ~」と話したら、「いや3年は遊ぶっしょ」と北條に言い返され、「せやな」と言ったのをすごくよく覚えています。

 

 

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そんなひょんなきっかけで、受験勉強をすることになったのですが、当然、私大トップの壁は厚く、現役では不合格でした。

それでも行きたい大学は慶應しかなかったので、河合塾大阪校で浪人することに決めました。

 

かなり長くなるのでここではもう詳しく書きませんが、浪人生の頃に恩師とも言える予備校講師に出会い、

(河合塾の現代文講師・宗慶二さんと、元東進の英語講師・横山雅彦さんです)、

 

生まれて初めて「勉強する意味」を教えてもらい、生まれ初めて「勉強の楽しさ」を知ることになります。

気付けば「東京行ったら2年半は遊び倒すわ」と言っていた僕が、「勉強するために大学へ行く!」と言うようになっていました。

一浪したおかげで、そんな志の変化もあり、人間として大きく成長した浪人の受験一週間前。

 

 

あろうことか僕は、盲腸になり、入院することになりました。

 

「あぁもう終わった」

そう思いました。

(神様はどれだけ俺の合格を遠ざける気なん……)

 

盲腸になりしばらく熱でうなされていたのですが、うまく薬でちらすことができ、幸運なことに手術せずにすみました。

当時、不幸中の幸いとはまさにこのことを言うのかと思ったのですが、手術をしなかったおかげで1週間ほどで退院でき、本当にギリギリ受験しに行くことができました。

 

そして、いろいろありましたが、ついに迎えた慶應義塾大学 文学部の合格発表の日。

慶應の合格発表は電話して合否を聞くスタイルなので、恐る恐る電話しました。

すると、








「受験番号10848、モリイユウタさんは……」

 

 

 

 

 

 












































「補欠Cです」

 

 











いやいやいやいやいやいやいやいやいや

補欠ってなんやねん!!!!

しかも補欠Cて!!!!!!!

補欠AでもBでもなく、補欠Cて!!!!!!!

高校受験は最下位やったのに、大学受験は最下位ですらないやん!!!!!!

めっちゃ勉強したのに、俺どんだけ勉強できんの!!!!!バカなの!?!?!?

 

 





(つまり、ほぼ不合格ってことか……)

すぐに不合格だと悟りました。

このとき初めて知ったのですが、補欠にもランクがあり、補欠Aが最も合格に近く、いわば不合格者の中のトップですね。そこからB→C→Dとランクが落ちていくわけです。

 

この頃、今では考えられないくらい尖っていて、僕は慶應しか受けたくなかったのですが、親に他の大学も強制的に受けさせられ、いくつか受けることになったのですが、

こんなことを言うと、人によっては気分を害される人もいるかもしれないですし、バカにされたと思ってしまう方もいらっしゃるかもしれないので、10年前の若気の至りだと本当に聞き流していただきたいのですが、

関学の合否通知が入っている封筒が家に届いた際は(関学は封筒が届き、その中を見るまで合否がわからない)、合否を見る前に、封筒をそのままゴミ箱にぶちこんだり、

同志社を受けた際は、どの教科かは忘れましたがあまりに入試問題が簡単に感じ、だんだんとこの簡単な問題を解いている自分に腹が立ってきて、「俺の行きたい大学はここじゃない」と、最後まで受けずに途中で帰ったりしていました。

 

今思うと、

 

「ただのドアホ」

 

以外なにものでもありませんが、

そんなこともあり、唯一行きたかった慶應が不合格という結果は、僕にとってほとんど「人生終わった」状態でした。

 

 

高校時代、目標や夢がなく、本当に毎日がつまらなく、張りのない生活を送っていました。

遊び以外にやることがなく、しかし、遊びにも飽きていました。

神戸にある三宮という都会でいくら遊んでも、手応えの無さのようなものしか掴めず、僕が望んでいた充実した日々は一切手に入りませんでした。

 

手に入ったのは、

 

三宮のゲーセンで取ったアニメのフィギュアと、ジャンカラでのレパートリーの曲数

 

だけでした。

いじめられていたというわけではありませんが、今まで生きてきて一番辛かった時期でもありました。

 

 

そんな中、やっと見つけた大きな目標。

慶應に入って東京へ行く!」という目標ができてから、僕の高校生活は毎日がカラフルに色づいて見えるようになったくらいでした。

つまらない毎日を、どうしようもない自分を変えたくて、「慶應に行きたい!」「東京に行けば、人生が変わるかもしれない!」

ずっとそう思って大変な受験勉強も頑張ってきました。

 

 

それなのに……

それなのに、だめだった。

やっぱりだめだった。

 

 

しばらく何も考えられず、気づいたら入学する大学が決まらないまま3月の中旬くらいになっていました。

そろそろどうするか決めないとなぁと、自分の部屋で一人思っていたら、ものすごい足音を立てて、母親が僕の部屋に入ってきました。

「なんやねん、うっさいなぁ」と思いながら、見ると、手にはある書類を持っていました。

 

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「これ……これ見て……合格……合格した……慶應合格したよ!!!!」

 

耳を疑いました。

 

そして何度も何度も見直しましたが、速達で送られてきたその封筒には慶應義塾大学の「入学手続書類在中」という文字がしっかりと刻まれていました。

 

母親が僕の部屋から出ていってから、初めて嬉し泣きをしました。

(嬉しくても涙って出るんだ……)

手を天まで高く振り上げ、今まで一度もしたことがなかったような力強いガッツポーズをしながら、声を潜めて泣きました。

 

補欠Cからの奇跡の補欠合格を果たし、僕にとって生まれて初めて自分の力で掴みとった大きな成功体験でした。

 

 

勉強が得意だった人や苦労せずにすんなり志望校に入れた人、そこまで受験勉強に思い入れがない人がこれを読んだら、「何をそんな受験勉強くらいで泣いてんねん」と思うかもしれません。

確かにそうかもしれません。

ただ、それでも僕にとって、中学の3年間と高校3年から浪人の2年間、計5年間という若干19歳にとってはとてつもなく長く膨大な積年の想いが、この月日に詰まっていました。

「何も持たざるものとして生まれてきた僕は、何をしても絶対にうまくいかない側の人間なんだ」とほとんど思いかけていたくらいで、

だからこそ、思わず嬉し泣きをしてしまったのでした。

 



________
このような形で僕の受験戦争は幕を閉じることになったのですが、

受験生の頃は大変なことばかりでしたが、良いこともありました。

 

(ここから人生二度目の嬉し泣きの話になっていきます)

 

それは生まれて初めて〝夢らしきもの〟が見つかったことでした。

 

その夢とは「本を出すこと」でした。

 

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今まで最も苦手なことのうちの一つが読書感想文であり、唯一受験教科で最後までできるようにならなかったのが国語であったのですが(なので早稲田には落ちています)、

浪人生の頃に、受験教科の小論文の勉強を始めてから、初めて「書くこと」に目覚めました。

 

そして、受験勉強そっちのけで読書にはまります。

模試の現代文の問題で使われていた文章の出典を調べては、買いに行き読むようになっていきました。

 

(ちなみにその甲斐あってか、僕が受けたときの慶應文学部の小論文で使われていた文章は水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』という本から出題されていたのですが、

偶然にもこの本を読んだことがあったので、どう考えても一度読んだことがあった文章だったおかげで僕は慶應に合格することができたのでした)

 

僕は受験勉強を通じて人生が変わり、もっと言うと、その頃、現代文や小論文の問題に使われていた文章を読むことで、人生が変わりました。

そういった理由から、浪人生の頃から「いつか将来、受験の入試問題で使われるような本を出せたらいいなぁ」と漠然ではありますが、思うようになっていきました。

 

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そんな想いを抱えながら、受験が無事に終わり、初めての一人暮らしと大学生活で、慌ただしく月日は流れ、

そして、大学1年の夏、ついに転機が訪れます。

 

同じクラスだったよしひろ君に「これ一緒に出してみない?」と一枚のリーフレットを渡されました。

 

そこには「出版甲子園」という文字が書かれていました。

 

 

ついに次の目標が決まった瞬間でした。

 

 

本を出してみたいと思っていましたが、それまでどうやって出したらいいのかなんてまったくわからず僕は途方に暮れていました。

そんなときよしひろ君から「出版甲子園」というものがあることを知らされ、聞くところによると、

出版甲子園では、自分で企画を考え書き、厳選なる複数回の審査を通過し、決勝戦まで勝ち進むことができれば、

集英社講談社小学館といった大手出版社から、ダイヤモンド社やDiscover21といったビジネス系の出版社まで、そうそうたる面々である編集者の前でプレゼンすることができ、そこで編集者の目にとまれば出版することができるという、

いわば、本を出したいと思っているがその出し方がまるでわからなかった二十歳の僕にとって、まさにうってつけの夢のような話でした。

しかも、ここで受賞された企画で映画化までされた本もあると言うではないですか!

 

出版甲子園の唯一の参加資格は「学生であること」であり、

なので、大学4年になったら必ず出版甲子園でグランプリを受賞し、本を出版するという目標がこのとき決まりました!

 

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出版甲子園の決勝戦は毎年11月に行われるのですが、大学生が編集者にプレゼンする勇姿を、まず観客として観に行きました。

 

圧巻でした。

 

プレゼンしていた人は10人ほどだったのですが、二十歳の僕とは比べ物にならないくらい本当に様々な経験をした人たちばかりで、魂が震えました。

特別審査員として来ていた元Amazonのカリスマバイヤーであり、ビジネス書業界では知らない人はいないビジネスブックマラソンの編集長・土井英司さんの辛口コメントも本当に素晴らしく、「絶対に最高学年になったらここでプレゼンするんだ!」という覚悟が決まりました。

 

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(2010年に行われた第6回出版甲子園から、2013年の第9回までの決勝大会は全て見に行き、研究しました) 

 

かなり長くなってきたので、出版甲子園までの道のりは大幅に割愛させてもらいますが、

 

結論から言いますと、大学5年目にして、第10回 出版甲子園の決勝戦に進むことができ、準グランプリを受賞することができました。

 

何をやってもだめだめだった日々、何もうまくいかない大学生活の話をはしょってしまったので、あまり共感していただけないかもしれませんが、ここに辿り着くまでには本当に様々な苦労と苦悩の連続でした。

受験勉強のことからもわかるように、人よりも不器用で、しかも一つのことしかできず、結果を出すまでに膨大な時間のかかる僕が出版甲子園で受賞を果たすために、まずしたことは、

 

「〝キラキラとした楽しい大学生活〟は全て捨てる」

 

でした。

 

そうしなければ絶対に無理だと僕の直感が言っていました。

冗談でもなんでもなく、僕の大学生活は、この出版甲子園のためだけにありました。

大学4年の就活が終わってから3ヶ月間だけ浮かれて遊びましたが、それ以外はほとんど遊ばず、大学生がしそうな楽しいことは、ほぼ全てしませんでした。

サークルや大学の飲み会にはほとんど行かず、誰とも会わずに家で本を読みふける日々。

 

しかし、これはとても不安でした。

 

 

ちょうど僕が大学1年生のときからTwitterがはやりだし、嫌でもキラキラしたリア充から、スーパー大学生の情報が僕の目に飛び込んできていたからです。

 

 

俺だってほんとはもっと遊んで、いわゆる楽しいキャンパスライフを送りたいし、

そもそもこんな家にいるだけの生活で本が出せるのか?

周りはみんなカンボジアでボランティアしたり、世界一周とか、有名な企業でインターンをしている。

ずっと憧れてきた読者モデル・江口亮介さんは、慶應のミスターコンで、大学1年生にしてミスター慶應グランプリに選ばれ、当時日本一有名な学生団体の代表をやっていた。

そんな中、俺は何をしてるかって?

BOOK・OFFで本を買っては、クーラーの効いていない暑い部屋で読んでいるだけ。

お金が無かったので、本が買えないときは何時間もBOOK・OFFで立ち読みしていた時期もあった。

本当にこんな地味な生活で本が出せるの?

 

 

自問自答の日々でした。

しかもこの生活は大学1年から大学5年までまったく変わらずで、5年生になっても1年生の頃とほとんど同じ生活を送っていました。

渋谷のジュンク堂か家の近所のBOOK・OFFで読みたい本を探しては、家に帰ってから読み、ときどき書く。

以上。これの繰り返し。ほんとにこれだけ。

 

1、2年生の頃、遊んでいた人でも学年が上がるに連れて、意識が変わり、やるべきことが大きく変わっていく人も周りにたくさんいただけに、二十歳の頃と何も変わらない自分にとても不安と焦りを感じていました。 

もともと今まで受験の小論文でしか文章を書いたことがなかったので、まともに普通の文章を書いたことが一切なく、

大学生になってサークルでフリーペーパーを年に2度だけ作っていたのですが、僕より文章がうまい人はいくらでもいて、

当然サークルの先輩からも「出版甲子園がどうとかって言ってるわりに、森井、文章下手やな」と思われているのは痛いほど伝わってきていました。

「俺の方が本読んでるから」
「森井よりあいつの方が文章うまいからな。それで作家目指してるってやばくね?」

バカにされたこともありました。

 

 

でも、そんな中、最後までやめなかったのは僕だけでした。

出版甲子園で準グランプリを取れたのは、僕に才能があったわけでも、人より文章がうまかったからではありません。

一人、また一人と〝舞台〟から降りていく中、僕は最後まで降りなかった。

気付けば、最後に舞台に残っていたのは僕だけで、

だから、選ばれたのでした。

 

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出版甲子園の決勝進出が決まったとき、「あなたの大学生活はこれで良かったんだよ」と言ってもらえた気がしました。

5年間、この道で合っているのかずっとずっとずっーーーと不安で、

いろんなものを犠牲にしながら、出口の見えない暗いトンネルの中をひたすら一人で走っている感じだったのですが、やっと「このままでいいんですよ」と肯定してもらえた気がしました。

だから、嬉しかった。だから、泣けたんです。

 

決勝進出が決まったとき、大学の「コミュニケーション学」という授業中だったのですが、大教室で人目をはばからず泣きました。

人生二度目の嬉し泣きでした――

 

 

 



________

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さて、ここからが本題なのですが、

今回この記事を書いたのは、別に僕のことを知ってほしいわけでも、僕のうまくいった話を自慢したいわけでも一切なく、伝えたいことはこれからです。

 

ここまでは前振りというかネタ振りみたいなもので、過去二度した嬉し泣きについて書いてきましたが、

では、僕はどちらの方が幸せだと感じたでしょうか?

 

慶應に合格したとき?それとも出版甲子園で決勝進出が決まったとき?

どちらだと思いますか?

そしてそれはなぜでしょう?

 

 

結論から言うと、28年間生きてきて最も幸せだと感じたのは、出版甲子園で決勝進出が決まった日の方でした。

それではなぜ、二度目の嬉し泣きをした方が幸せと感じたのか?

一度目と二度目には明確な違いが一つありました。

 

それは、

「僕の成功を自分のことのように喜んでくれる「友」の存在の有無」です。

 

もちろん慶應に合格したときはめちゃくちゃ嬉しくて、生まれ初めての成功体験だったので、

これから死ぬまでにいろいろと成していくかもしれませんが、

それでもおそらくもうこれ以上嬉しいことは今後ないと思います。

「初めて」という体験はそれほど大きいものなのです。

しかし、このときは自分のことのように喜んでくれる人が一人もいなかった。

仲良い友だちはいたので「おめでとう!」とはすぐに言ってくれはしたものの、周りもあまり受験にうまくいっておらず、やはりどこか上の空というか、ちょっときまずい感じだったのです。

 

一方で、二度目の嬉し泣きの日は違いました。

出版甲子園決勝進出が決まると知るや否や、いの一番に駆けつけてくれて祝ってくれた友達がいました。

 

親友の〝あおちん〟です。

 

この日のあおちんの行動は本当に素晴らしかったので、少しあおちんの話をさせてください。


―――――

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あおちんとは大学4年の春に、内定先だった「リクルート」の内定者飲み会で知り合いました。

同じ内定先で、同じ大学ということもあり、すぐに仲良くなり、毎週のように飲みに行くようになりました。

大学4年という知り合ったタイミングは遅かったものの、お互い大学での一番の親友になるまでに時間はかかりませんでした。

それなので、僕がどんな想いを抱え、この出版甲子園に挑んでいたのかを知っていました。

2014年10月16日に、出版甲子園の審査に残っている20名の中から決勝に進める10名が選ばれるということももちろん知っていました。

 

決勝進出が決まった直後、僕が真っ先にしたことは、あおちんに電話することでした。

あおちん聞いてくれと、ついに出版甲子園の決勝進出が決まったぞ!と。

 

しかし、あおちんは電話には出ませんでした。

「ごめん今カテキョのバイト中!」

とすぐにLINEが返ってきました。

あおちんには、LINEではなく直接伝えたかったので、何事もなかったかのように、

「おけ!バイト何時に終わる?今日飲みいけたりしない?」

とLINEすると、「17時からならいける!飲も!」と返ってきました。

 

このとき、あおちんはまだ何も気づいていないようでした。

しめしめ、驚かしてやろうと、早くあおちんに会いたいなぁーと思いながらも、平然を装い、17時に横浜へ向かいました。

「お疲れ!3日ぶりやな!」

と僕が言うと、「ゆうたまじ会いたかったわ~お店もう予約しといたからそこで語ろ」

と言われました。

 

ついさっきまでバイトしてたというのにもうお店の予約までしていて、あおちんさすがの仕事の早さやなぁ~と思いながら、

もういてもたってもいられなくなって、お店に着くまでの道のりで、

 

あおちん聞いてくれ、前に出版甲子園の話したやん?実はそれの決勝大会に進めるかどうかの発表がさっきあってさ、俺がその10人に選ばれることになった!!!!

 

と、あおちんを驚かせたい一心で話しました。

 

すると、あおちんは、まったく驚く様子はなく、ただただ本当におめでとう、本当に良かったと涙ながらに言ってくれました。

 

そう、あおちんは僕が電話した時点で全てを気づいていたのでした。

 

出版甲子園の決勝に進めるかどうかの日にちが今日であるということを。

そして、僕の性格上、もし準決勝で落ちていたらまず間違いなく電話なんてしてこずに、一人で落ち込むであろうということを。

 

なので、バイト中だったから出られなかったものの、僕から電話があった瞬間、ゆうたの出版甲子園の決勝進出が決まった!!!!!!と気づき、

すぐにその場で祝うためのお店とサプライズケーキを予約してくれて、

それでいて、平然と何事もなかったかのように振る舞ってくれていたのでした。

 

このあおちんの気遣いには本当に感動しました。

そこには嫉妬や妬み、羨望といったようなものは一切無く、純粋に僕のことを祝いたい一心で駆けつけてくれていたのでした。

 

その後、21時までゼミだったにも関わらず、リクルートの同期で早稲田の友達のりさも来てくれて、本当に最高で楽しく、幸せな一日を過ごすことができました。

 

生きてきて、この日が一番幸せでした。

 

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(その日のあおちんとりさ。もっと楽しそうなはしゃいでいる写真もありましたが、自重(笑)このとき僕の髪の毛があまりに明るいため3人で写っている写真も自重(笑))

 

慶應合格」や「出版甲子園でグランプリを受賞する」という目標(または夢と言っていいかもしれません)ができてからというもの、僕の人生は輝き出しました。

それまでは本当に毎日くそみたいな生活を送っていて、鬱屈とした日々でした。

それが「夢」のおかげで、急にカラフルに色づくようになったのです!

そして、そんなカラフルな日常を、より豊かなものにしてくれたのが「友」の存在でした。

 

(何年も何年も膨大な時間かけてきたことで、にも関わらず、ずっとうまくいかなかったことに対して、僕はちょうど5年おきに嬉し涙を流しているみたいで、

あと1年ちょっとで前回から5年が経つので、そろそろ三度目の嬉し涙を流したいと思っていて、そのために日々頑張っているわけですが)

 

よく夢を叶えた人が、いやもっと言うと、億万長者の経営者や全てを手に入れたかのようなTVスターが、

「お金も地位も名誉も何もなくて何者でもなかった頃が一番楽しかった」
「もしあなたと代われるなら、10億円払ってでも代わってほしい」

というようなことをインタビューで答えているのをたびたび耳にしていて、それに対して、

 

「いや、うそつけ」
「それ美人の女優がブスの女芸人を見て、かわいぃ~って言ってるようなもんだからな」

 

とずっと思ってきましたが、

やっと気づくことができました。

 

彼らの言うことはおそらく本当で、

何も大きな結果を出せず、仮に夢を叶えられなかった人生だったとしても、自分の人生を最も輝かせ、カラフルに、楽しく、幸せで、充実したものにしてくれるのは、

お金や地位や名誉なんてものではなく、

人生で必要なものは、

 

「夢と友」

 

この二つなんじゃないかなぁということにやっと気づくことができました――

 

 

 

 

 

 




______

僕がどうしても伝えたかった話はこれでおしまいなので、ここでこの記事を終わらせても良かったのですが、

最後にもう少しだけあおちんの話をさせてください。


――――

f:id:yuyu413:20180722144859j:plain(左が森井、右があおちん)

大学4年のその頃、僕とあおちんは本当に仲が良く、

19時から会うと話が盛り上がり過ぎていつもオールしてしまうことになってしまい、しかし毎回オールはしんどいということで、17時から会うことにしていました。

終電まで7時間喋りたおすと、さすがにちょっと疲れてきて終電で帰ろうか、となるからです。

ちなみに、19時ではなく17時から会うことをあおちんの名字である青野からとって、〝青野時間〟と呼んでいました(笑)

 

当然、決勝進出を祝ってもらった日は〝青野時間〟(17時)に集合していたわけですが、

りさも来てくれたこともあり、いつも以上に盛り上がり、

終電間際になったとき「今日は青野時間の集合だったけど、オールしちゃおうぜ!」と僕が言うと、

いつもなら絶対に断ることのないノリの良いあおちんが、急に真顔でこう言いました。

 

「ゆうた、今日は終電で帰った方がいいと思う」

 

え?

という顔をするとこう続けました。

 

「もうすぐで5年越しの夢が叶いそうなんだ。ワイワイ過ごすのも楽しいけど、今日という大切な一日の残りの時間は一人で噛み締めた方がいい気がするんだ」

 

言われてみれば、出版甲子園の運営者へのメールも返していなかったし、一ヶ月後に控える決勝大会に向けてこれからが本番であり、本当の勝負はこれからでした。

 

そのことをあおちんは思い出させてくれて、確かに一人の時間も必要かと思い、

「うん、わかった。今日は本当にありがとう」と言い、

酔っぱらいのりさを電車までしっかりと送り届けた後、解散することにしました。

 

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「なんて幸せな一日だったんだ」とあらためて噛み締めながら、帰りの電車でなんとなくTwitterを開いたら、たまたまあおちんのこんなツイートが目に飛び込んできました。



「友達の成功を心の底から祝福できるって、当たり前だけどとってもいいこと!

親友の5年越しの夢が叶いそうで、自分のことみたいに嬉しかった!本当におめでとう!おれももっと努力します!」



再び、涙がこぼれ落ちそうになり、僕は抱え込むように両手でぎゅっと携帯を握りしめました。 

 

 

 

 

 

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日大アメフト部・内田前監督、アラーキー、島田紳助の共通点とは

 

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「一時代を築いたほどの人や組織が時代に取り残され、その結果、業界から消える」というようなことが度々あり、前々からそれがすごく疑問でした。

人気長寿番組とかもそうですね。なぜ栄華を極めたような人でも淘汰されてしまうのか。

今回、日大アメフト部の内田前監督の一連のニュースを見ていて、一つ確信したことがあります。

それは「世界は変化しない者を嫌い、動き続けている」ということです。


______

そのことを理解していただくために、まずいくつかの話をします。

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僕が中学生の頃に通っていた塾は、少数精鋭の日本一偏差値が高い中学生が集まる塾でした。

僕の代で灘高校合格者数8年連続日本一。灘高トップ合格者も同じ塾の友達でした。

高校受験専門の英才進学塾として有名で、わざわざ兵庫県の西宮にあるこの塾に通うために、四国や北海道などはるばる県外から通っている人もいたくらいでした。

この塾が他の塾と違っていたことはざっくり三つあります。

一つは「終わらないほどの膨大な宿題が出る」こと。

やってもやっても終わらないので、中学生にして毎日深夜まで勉強することになります。いわゆる詰込み型のスパルタ教育でした。

二つ目は「成績にとてもシビア」ということ。

毎月、〝月例テスト〟というものがあり、そのテストの成績で教室での席順が決まります。成績が良い人から順番に前から座っていき、成績下位だと当然後ろに座ることになり、黒板が見えないこともありました。

そして、最後の三つ目は「体罰がある」ということでした。

ある先生は、小テストの成績が悪いと、自分の前に並ばせて、「歯を食いしばれ!」と言い、一人ずつ顔面を思いっきりぶっていきます。

僕は勉強がかなりできない方だったので、何度も何度もぶたれました。

毎年8月に行われる夏合宿では、先生がみんな竹刀を持っており、ちょっとでも悪さをすると(例えば、自習中騒いだり、花火にエイトフォーをかけたり(火力がめちゃくちゃ上がります))、その竹刀で一人ずつ生徒の頭を叩いていきます。

(僕はその時竹刀で叩かれはしなかったですが、その後高校の体育の剣道の授業で初めて竹刀を触り、防具をつけていても叩かれるとかなり痛いことを知りました)

 

もちろんこれは平成の話です。

「親父にもぶたれたことないのに!」というセリフがありますが、僕は後にも先にもあんなぶたれ方をしたことは一度もありません。

90年生まれの僕より下の世代にこのことを話すと、「体罰とか絶対ありえない!」という顔をされると思います。同世代やちょっと上の代でもなかなかない気がしますね。

僕の代(2006年卒)で、8年連続灘高校合格者数日本一(募集40人に対して約20人ほどが合格)でしたが、そういったスパルタ詰め込み教育が徐々に世間から受け入れられなくなっていったのでしょう。

その2年後に連続記録は潰えることになります。

そして、2018年現在、塾の実績はそのときの見る影もありません。

一時代、高校受験業界で栄華を誇っていましたが、昔ながらのやりかたを変えられず、気付いたら、ガラパゴスと化していたのでしょう。(塾大好きだったので、卒業生としてとても悲しい!)

僕が中学生だった頃は、「しっかりお勉強して、いい高校いい大学に入って、いい企業に就職できれば、幸せになれる」と親や教師からギリギリまだ信じられていた時代だったのかもしれません。

 

これを書くにあたり、今の灘合格者数日本一の塾のサイトを見てみましたが、いい意味でとても今風でした。僕が中学生なら(または親だとしても)、「昔ながらのスパルタ詰め込み教育」の塾よりも、絶対にこちらの塾に入りたいと思います。

このように時代が変わると、その時、良しとされる「価値観」は大きく変わります。そして、その変化に適応できなければ、淘汰されてしまうのです。 

 

_____

この「価値観」というものは、時代の節目で180度変わります。

少し時を遡ると、1945年がそれにあたります。

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例えば、戦前、子どもが「お母さん、ぼく大きくなったら陸軍大将になるね!」なんて言うものなら、「よくぞいった」とお母さんから涙ながらに背中を押され、お父さんからは「さすが俺の子だ」と言われたでしょう。

なにせその頃の陸軍大将は〝国の英雄〟ですからね。

 

しかし、時代は変わります。時代が変わると、価値観も変わることになります。

そうやって英雄となった子どもは、1945年8月15日から一ヶ月も経たないうちに、国に尽くしたために戦犯となり、歴史に残る極悪人とされてしまいます。

かつての〝英雄〟が、戦争の〝大犯罪者〟として処刑されることになるのです。

〝絶対的な正義〟だと思われた価値観が180度変わった瞬間です。

時代が変われば、価値観や常識、ルールそのものが変わってしまうのです。

 

 

こう言うと、「戦争なんて昔の話過ぎて参考にすらならない」「オレ、平成のゆとり世代だし」と思うかもしれませんが、これは実は身近に起こりうる話です。

例えば、〝フライデー襲撃事件〟って知っていますでしょうか?

フライデー側のいきすぎた取材に抗議するという名目で、ビートたけしたけし軍団が編集部に乗り込んだ騒動です。

(今は文春に押されていますが)それまではフライデーは、180万部売れている日本一の雑誌でした。なんと女子大生が電車で読むような雑誌だったのです。

しかし、この事件をきっかけに一晩で、フライデー編集部は日本一酷い人たちに変わってしまいました。

国の英雄だった人たちが、たった一日で極悪人となったようにーー

 

このように時代によって〝正義〟または〝悪〟とされる価値観が変わった例なんていくらでもあります。

ナイチンゲールが生きた時代は、看護師は知性や品性のかけらも感じられないような社会的身分の低い仕事だと見なされていたし、ほんの数十年前の吉本は刑務所のような場所で、どうしようもないやつらの集まりとされていました。

 

つまり、時代が変わると、突如として

・英雄が戦犯になる
・出世街道にいた人たちが、職を失う
・輝いていた職業が、軽蔑されるようになる

のです。 

 

______

一ヶ月ほど前に、問題となった写真家の〝アラーキー〟こと、荒木経惟もそのうちの一人でしょう。

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荒木専属として作品の被写体モデルとなったKaoRiさんがアラーキーから受けた性的虐待を告発し、それに触発された水原希子が自ら受けたセクハラやパワハラを自身のInstagramで公にし、話題となりました。

アラーキーはおそらく女性を下に見ていたのだと思います。男性の方が偉く、そして地位も名誉もある自分は女性に対して何をしても許される、くらいに思っていたのでしょうか。

昔はそれでも許されていたのかもしれませんが、今はそうはいきません。どう考えても時代錯誤なことをしてしまっていた。

その結果、専属の被写体モデルという仕事のパートナーであり、自分の最も身近にいた人から告発されることになります。

 

また、およそ7年前、島田紳助がヤクザとの関係が公になり、芸能界から引退を余儀なくされました。

このとき、たまたまヤクザとの関係が暴露され、引退することになりましたが、島田紳助のこの芸能界追放は遅かれ早かれ起こりうることであり、〝必然〟だったと僕は思います。

というのも芸能界で島田紳助ほど酒池肉林を地でいくよう人は他にいないからです。

今の世間様がそれを黙っているわけがありませんからね。

彼もまた過去の価値観を引きずり、変化できなかった者のうちの一人だったのではないでしょうか。

 

日大アメフト部の内田前監督の良くなかった点はいくつも挙げられると思いますが、その中での一番の大罪は「変化できなかったこと」だと僕は思います。

現に内田前監督は「俺は昔と何も変わっていない!」のようなことを最初述べていましたが、

「何も変わっていないから、俺(またはラフプレーをした宮川選手)は悪くない!」と思ったのかもしれませんが、「何も変わっていなかったこと」が問題だったのです。

______

それでは、なぜ一時代を築いたほどの者たちが変化できないのでしょうか?

 

それは「中心」にいるからです。

中心にいる人ほど変化に気づくことができません。

時代が変わる時、危機が迫っていても最後まで気づかず滅びるのは、中心にいる人たちです。

中心にいる人は、過去の成功体験を捨てられないと言ってもいいでしょう。

周縁にいる人たちからちょっとずつ変わり、中心にいた者が気づいた時にはすでに遅く、内田前監督みたいに、「淘汰されるか、変化を余儀なくされるか」、どちらか一つになります。

時代の節目は価値観がひっくり返るのです。

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それはまるでトランプゲームの「大富豪」で〝大富豪〟が負けると、いきなり〝大貧民〟まで落ちてしまうようにーー

〝革命〟でルールが変わり、カードの強さが真逆になり、今までほとんど最強だった数字の〝2〟が一番弱くなってしまうようにーー

 

〝中心にいる人たち〟にとって、旧来の価値観によって築かれたシステムを新しい価値観に基づくシステムに切り替えることは、そもそも組織が成立している収益基盤を失うことになります。

それは組織にとって自殺行為であり、そのため旧来の価値観と食い違う分子を徹底的に退けようとします。

しかし、いつの時代も革命を起こすのは、中心にいる人ではなく、周縁にいる人たちです。

時代の節目では、次世代に向かう新しい価値観を創れた者のみが存続を許されるというわけです。

先ほど書いた戦後の話みたいに、価値観がいきなり180度変わるということはあまりありませんが、だからこそ人は__特に中心にいる人は__〝気付けない〟のです。

「自分が一番偉い」と思った瞬間から〝淘汰のカウントダウン〟は動き始めることになります。

未来を切り開くためには、いま手にしているものを潔く捨て去らなければならないタイミングがあるのです。

その変化に対応できず、「変わらない」という選択をした者は、もれなく淘汰され、表舞台から消えることになります。

なぜなら、今までの時代の流れを見ても、世界の摂理は常に「変化」を望んでいるからです。

世界は「破壊と創造」を繰り返すことで成り立っているのです。

 

 

時代が動き、変化のタイミングがきたことに気づいて、自ら過去の価値観を手放せば、痛みは最小限にすることができます。

しかし、今回、それまでの価値観を手放せなかったゆえに、〝日大アメフト部の事件〟が社会問題とまでなり、その〝中心にいた人物〟の価値観は強制的にリセットされ、転換期を迎えることになりました。

人も組織も、TV番組だろうと、古い価値観のうち、引き継ぐべき価値観と捨てるべき価値観を見極め、その上で新しい価値観を作り上げること。

これができるものは生き残り、できないものは滅亡する。それだけです。

島田紳助はテレビに出続けていたということは、視聴者から求められていた存在であり、そのために変わる努力をしてきた人だと思います。

ただ、捨て去るべき価値観を捨てられなかった。だから淘汰され、表舞台から消すことになった、と言えます。

内田前監督もその取り巻きもまさかこんな大事件になるなんて思っていなかったでしょうが、今まさに真価が問われる時なのだと思います。

  

_______

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これらは地球の歴史を紐解いてみても明らかです。

地球上の生物は、何億年という歴史の中で、過去5回大量絶滅しており、これらを総称して「絶滅のビックファイブ」と呼ばれています。

一番最近の5回目は、6500万年前の白亜紀と呼ばれる時代で、いわゆる恐竜が絶滅した時代です。

そして、現在、その6回目となる大量絶滅の時代が来ていると言われています。

今こうしている間にも20分に1種、1日に150種、1年間に4万種という猛烈な速度で、様々な動植物が絶滅しつつあります。

そんな激動の時代に、その時その時の環境に適応し、進化できた生物だけが、次の時代を生きる権利を与えられるのです。

 

「今がめちゃくちゃ多くの生き物が絶滅の危機にある」なんて聞くと、「現代やべぇ」「資本主義社会のせいだ」となりますが、この世界の摂理が「変化」でできていることを考えると、絶滅の危機は自然なことだと思います。

仮にこの世界の創造主がいたとしたら、「そういえば、この地球って星、ここ6500万年くらい安定しちゃってたから、そろそろ滅ぼしとこか」くらいにしか思っていないかもしれません。

ここ数百年で見たら確かに地球の生物はかなりの数が絶滅しつつありますが、何億年という地球の歴史から見たら、そんなに珍しいことでもないのです。現代で6回目ってくらいですからね。

むしろ外来種によって生態系が崩れたり、環境が変わり適応できなくなって絶滅する方が世界の摂理からしたら自然なはずです。

 

我々、哺乳類だって、もともとは爬虫類の下だったわけですからね。

昔は爬虫類にめちゃくちゃ威張られてたわけです。そんな爬虫類が地球環境の大変化に適応できず、いなくなった。

そのおかげで、哺乳類がダーッと出てきて、その結果入れ替わってヒトが出てこられたわけです。

隕石がぶつかったり、地球が急に寒くなったりして、仮に人間がいなくても地球環境はどんどん変わっていきます。

環境が変化していく過程で、うまく適応できた生物だけが生き残り、その変化に失敗すると絶滅し、入れ替わることになるのです。

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そう考えると、これから何千年何万年先、人間が生物のヒエラルキーの一番上にいなくても何らおかしいことではない気がしてきますね。

たまたま今地球を支配しているのが人間なだけであって、何かの衝撃でまた爬虫類か何かに乗っ取られる可能性はあるわけですし。

6500万年前、いったいどの恐竜が哺乳類なんていうちっぽけで、弱っちぃ生き物にこの地球を支配されるようになるなんて思ったでしょうか?

今後、何かの突然変異で「テラフォーマーズ」や「進撃の巨人」みたいな世界になるかもしれません。

ちなみに人間とチンパンジーの遺伝子は98.4%同じ、ですからね。

たまたま、今、人間が一番上にいるだけであって、この世界は人間中心に作られているわけなんてないのです。

 

この世には〝絶対的な正義〟など存在せず、あるのは「変化し続けよ」というこの世界の創造主なるものからの至上命令だけです。

そして、この世界が安定を嫌うのは、おそらく「同一状態を保つと完全に滅ぶ」からだと思います。

だから、存在し続けるためには変化する必要があるのです。

この世界の本質が受け入れられず、変化できなければ、この世界からの「洗礼」を受けることになります。

つまり、「世界は変化しない者を嫌う」のであり、「変化」こそが自然の摂理なのです。

 

 

となると「変化し続けているのに、生き物はなぜ死なないように進化できないのか?」という質問にはこう答えることができるでしょう。

死は、ある意味、生への始まりであり、変化へのきっかけです。しかし、「死なない」とは、変化しないことであり、【変化せよ】というこの世界からの至上命令を無視していることになり、それは世界の摂理に反しているので、死なないように進化できない」

となります。

また、「じゃあ恐竜のいた時代から姿を変えていないと言われている古代魚・アロワナはどうなんだ!この1億年の間、姿を変えることなく生き残っているではないか。それこそ世界の摂理とやらから反しているじゃないか!」というツッコミが入るかもしれません。

確かにその通りだと思います。アロワナは〝生きた化石〟なんて言われますもんね。

正直、このへんの進化生物学の話は門外漢なのでよくわかりませんが(自分で生き物の話を出しといてすみません)、

ただ、一つ言えるのは、「変わらないために、変わり続けている」のだと思います。
 

 

______
少し話が広がり過ぎてしまったので、人間社会の話に戻しますが、

先ほど、「時代の節目には価値観が180度変わる」と言いましたが、この時代は〝振り子のようなもの〟でできています。

 

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例えば、3.11の震災を例に説明します。

日本人は、この震災をきっかけに、「絆」の大切さを再認識し、「人とのつながり」を声高に叫ぶようになりましたよね。

支援活動にもTwitterが大いに使われましたし、「やっぱりつながりって大事だ」「もっと血縁・地縁関係を大切にしよう!」と。

 

この頃、注目されたマンガは「ワンピース」でした。(僕の記憶が正しければ、白ヒゲと海軍との全面戦争のところだったと思います)

もちろん今でも大人気ですが、この時期は特にで、ワンピースを題材にした絆について書かれたビジネス書がとても増えました。

ワンピースは、主人公ルフィが仲間を集めながら、海賊王を目指し、冒険していく物語。

ルフィはなにより仲間を大切にし、その仲間に「家族愛」を求めています。

震災後、本当の家族だけでは不安な人々は、他人に「家族愛」を求め、つながりがないと生きていけないような人達が増えました。

だからこそ、他人と絆を結ぶ物語が共感され、ワンピースが社会現象となるくらい話題となったのです。

 

しかし、みんながつながり合った後、人々はどう思うようになったでしょうか?

 

 

 

それは

 

「人間関係ってしんどぉ」

 

でした。

 

「つながりのせいで、自由がなくなった」

となり、この時期から〝SNS疲れ〟という言葉も度々耳にするようになりました。

そして、最終的に、人々は「絆」とは真逆の「自由」を追い求めるようになります。

ノマドワーク〟という言葉が使われ出したのもこのあたりの時期です。

 

このように人々は、自由を得れば寂しくて絆を求め、絆を得ると息苦しくて自由が欲しくなるのです。

(ちなみに、その後、しばらくして、今度は〝ノマド〟とは真逆の〝社畜〟という言葉が生まれることになります)

 

小から大へ、大から小へ。
重から軽へ、軽から重へ。
混沌から秩序へ、秩序から混沌へ。

一つの価値観が飽和すると、対極にある価値観へと時代の振り子は揺れます。

貧しい人が豊かさを求めて必死に努力し、ようやくありあまる富を手に入れても、そこで満たされることはありません。

豊かになると今度は「貧しさこそ、清らかで美しい」と感じます。

だからといって本当に貧しくなってしまうと、「なんてことだ、また豊かになりたい」と渇望するのが人間の心理なのです。

戦後の日本人が貧しさからスタートし、豊かさを追い求めてきました。しかし、その豊かさが飽和しているのは、今の僕たちみんなが実感していることのはずです。

 

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19世紀に活躍した哲学者・キルケゴールはこんな名言を残しています。

「不安とは自由の眩暈(めまい)である」

これは、

「人間は自由であるがゆえに、来るべき未来に、自らがどのような状況に陥るかわからないという強烈な不安に駆られてしまう。人間が自由を手にしたがゆえに、不安は生まれた」

と言っています。

例えば、生まれた瞬間から身分が決まっていれば、自由はないかもしれませんが、その分、自分の将来のことで不安に陥ることはないのです。

人はあまりに自由だと、かえってその自由に不安になってしまうのですね。

 

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また20世紀の社会心理学者・エーリッヒ・フロムは、『自由からの逃走』の中でこんなことを言っています。

「自由は近代人に独立と合理性をあたえたが、一方、個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力のものにした」

フロムはユダヤ系の社会心理学者で、ヒトラーが支配するナチスドイツから亡命し、1941年にアメリカでこの本を出版しました。

『自由からの逃走』には、人々がなぜファシズム全体主義に囚われていくのかがわかりやすく書かれていますが、

全体主義から逃れ、やっとの思いで自由を手に入れたのに、再び、人々が支配されることを求めてしまったのは、やはり自由により不安になってしまったからなのです。

戦争や革命によって、独裁者が支配する全体主義個人主義となり、個人主義になれば、再び全体主義が良しとされる。

このように歴史は振り子のように刻まれていくのです。

(そう考えると、アメリカでオバマ大統領からトランプ政権に変わったのも、もしかしたら時代の必然だったのかもしれませんね) 

 

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少し小難しい話が続いたので、最近の話をしますが、ベッキーの不倫騒動以来、世間の不倫を絶対に許さないムードがすごくなりましたよね。

とにかく芸能人の不倫がスクープされる度に、極端なまでの不倫タレント叩きがワイドショーをにぎわせていました。(最近やっと不倫ブームも落ち着いてきた感はありますが)

 

これらの芸能ニュースを見て僕は、

「あぁこれからはもしかしたら〝不倫が許されてしまう〟時代が来るかもしれない……」

そう思ってしまいました。

なぜなら時代の振り子が片方に極端に振りきれると、その反動でもう片方の端に振り子は動くことになるからです。

 

ベッキーの不倫騒動が2016年の年始でしたが、その後どうなったかというと、2016年の末くらいだったでしょうか。

「ポリアモリー」という概念がネットで話題になりました。

勘の良い方は、もうポリアモリーがどんな意味を表すのかわかったかもしれませんね。

ポリアモリーとは「複数愛」という意味です。

恋愛は一対一でするもの、といった従来当たり前とされてきたそんな価値観に一石を投じる、新しい恋愛の形として注目されることになります。

複数愛はさすがに世間で流行るとまではいきませんでしたが、一時期ネットをにぎわせていました。

 

ちなみに、この話はこう言い換えることができます。

仮に「不倫しないことを善」、「不倫することを悪」とすると、「不倫してはいけない」という善の主張が強まれば強まるほど、「複数の人と付き合ってもいいじゃないか」という悪が強まる、となります。

光が輝けば輝くほど、闇は深まるのです

 

このように、世界は絶えず振り子のように、行ったり来たり、動き続けています。

「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、時代は振り子のように動いているので、歴史は繰り返されるのです。

歴史とは、ランダムな出来事の連続により創られているのではなく、同じパターンの物語の繰り返しにより創られています。

「時代を読む」とは、そういうことなのです。

(ちなみに先ほど、生物の進化の話になりましたが、生き延びるためにたえず「進化」していなければならないというわけではありません。

「変化」とは、「たえず新しい状態を作り出す」ことだけを意味しているわけではなく、単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも十分に変化と言えるからです)

 

______

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ところで、僕は定期的に新しいことを勉強するようにしているのですが、28歳にもなると「自分より年下の人から習う」ということが少しずつ増えてきました。

新しいことを勉強するということは「その分野で僕が一番知らない」という状況になるので、自分より年齢が下の人に教えてもらうことは当然のことで、

新しく勉強する限り、年を取るごとにこういうことは増えてくると思うのですが、「年下に頭を下げられなくなったら終わりだなぁ」と最近強く感じました。

特に、年下と言えど、仕事ぶりが一流ならば問題ないかもしれませんが、そうではなく、それでもその人から教えを請わなければならない場合。

頭を下げられなくなったら、そこで成長は止まると思いました。

特に本業で結果をだしていて、ばりばり後輩から慕われているような人ほど、なんで?となると思います。

偉くなれば偉くなるほど、年下に頭を下げにくくなるからです。

しかし、「年下に頭を下げられなくなった時」、人は成長がとまります。

ニーチェ「脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していくことを妨げられた精神も同じことである。それは精神であることをやめる」と言いましたが、

今まで書いてきた風に言うと、

成長がとまるとは、変化しなくなることであり、必然的にその人は「淘汰」される運命を辿る、です。

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以前、銀座の会員制のbarで働いていたことがあるのですが、

そこにはむちゃくちゃお金持ちの人達が来ていて、

超一流の人ほど一般人扱いされたがり、(僕がこんなこと言うのは本当におこがましいのですが)二流の人ほど偉そうに振る舞い、VIP扱いしないと怒っていました。

偉くなれば偉くなるほど、年下に頭を下げにくくなると先ほど書いたものの、

志が高く、本当に結果を出している人ほど、地位や肩書きに関係なく、僕みたいなものにも対等に接してくれます。なんだったら百戦錬磨の経営者が、僕からすら学ぼうとしていたくらいでした。

そのとき、ずっと第一線で活躍し続けるためには、やはり「自分が楽しみながら、いくつになっても若手に教えを乞うことができるかどうか」だと強く感じました。


_____

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ここまで「世界は変化しない者を嫌い、動き続けている」について書いてきてふと思いましたが、

一時代を築いた者、または組織が、時代に取り残され淘汰されるというのは、ある意味、著しく結果を出した者だけに与えられる〝宿命〟であり、〝試練〟なのかもしれませんね。

それもまた、世界が望んでいる「変化」なのですからーー 

 

 

(参考文献/オススメ書籍:『不安の概念』(キェルケゴール)『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム)『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド)『若い読者のための第三のチンパンジー』(ジャレド・ダイアモンド)『動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話』(ジュールズ・ハワード)『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)『土井英司の超ビジネス書講義』(土井英司) 『2022』(神田昌典))

 

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■関連記事

これを書くまで完全に忘れていましたが、約2年前にも似たようなことを書いていました。具体例に生き物や、テレビっ子なのでテレビの話をしていること、「世界が……」と言っているところなど、全然変わってないですね(笑)2年前よりうまく書けるようになっていますでしょうか?笑

ちょうど2年前に生物学にはまり、今でも時間を見つけては生き物の本を読んだりしています。もっと生き物に詳しくなりたい!

 

 

人はなぜ怒ってしまうのか?

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最近、テレビを見ていて心が震えたことがありました。

ある交通事故で愛する妻と娘を同時に亡くしてしまった遺族の旦那さんの発言にです。

この男性は、加害者の居眠り運転のせいで、妻とまだ幼い娘を亡くしてしまいました。当然、言い知れぬ悲しみと怒りでうちひしがれていてもおかしくないのに、取材陣に対してこんなことを言っていたのです。

 

「こんなに悲しいことは今まで経験したことがありません。しかし、加害者の人生もこの事故のせいでほとんど終わってしまったようなものです。この悲しみは僕か僕以上かもしれません。なんて言ってあげたらいいのかわかりません」

 

なんとこの遺族の男性は、最愛の妻と娘の命を奪った加害者に対して、怒りをぶちまけるのではなく、彼の人生を気遣っていたのです!

この配慮に非常に心が震えました。僕なら加害者に対して怒りがわいて、妻と娘を返せ!と叫んでいたかもしれません。

 

そのニュースの後、あるバラエティ番組を何の気なしに見ていたら、「恋人の嫌いなところランキング」が調査されていて、タバコを吸うことやギャンブルをするところ等をおさえて、1位が「些細なことでよく怒ること」でした。

先程のニュースを見た直後ということもあり、すごく驚きました。

些細なことで怒る人もいれば、故意ではないとはいえ自分の愛する妻と娘の命を奪った加害者に対して、怒るのではなく気遣うことができる人もいる。この違いはいったい何なのか、思わず考えさせられました。

その後、僕の中で「怒り」に対してある一つの結論が出ました。

それは「怒りとは傲慢である」ということです。


■感情には目的がある

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感情には目的があります。例えば、「怒り」という感情は、他人を自分の思い通りに動かすために使われることがほとんどです。

子どもが言うことを聞かなかったとき、旦那さんに急にご飯をいらないと言われたとき、レストランで頼んだメニューがなかなか来なかったとき。

そんなとき、人は相手に怒ることによって自分の言うことを聞かそうと思って怒ります。

怒りは、相手を支配することと深い関係があり、怒ることで人は相手を自分の思い通りにコントロールしようとしているのです。

 

例えば、新婚夫婦を例にとって考えてみましょう。夫が急に「今日ご飯いらないから」と連絡してきたことに対して腹を立てている妻がいるとします。 

 

夫:「急に飲みに行くことになって、今日はご飯いらないから」(18時過ぎ)
妻:「なんでこんなに急に連絡してくるのよ!信じられない、もうあなたの分までご飯の準備してるから!」
夫:「ごめん。明日の朝食べるから」
妻:「そういうことは前もって言ってよ!」
夫:「いきなり誘われたし、取引先の人だから断れないんだ」
妻:「妻がご飯を作って待っているのでこれからは事前に誘ってくださいと言えないの?」
夫:「そんなの言えないに決まってるだろ!」
妻・夫:怒りがヒートアップし、帰宅後も、喧嘩状態に

 

夫に急にご飯をいらないと言われた妻は、「もっと早く連絡しろ」と怒ります。それに対して夫は「ごめん。次から気を付ける」と謝ることになりますが、このとき妻の怒りの目的は何かと考えると、夫に「ご飯の有無を最低でも18時までに連絡させること」、これが目的です。

 

そして、妻が早く連絡してほしい理由は

・ご飯の用意を一回ですませたいから
・せっかく時間をかけて作ったのに、無駄になるのが嫌だから
・夫に出来立てを食べてほしいから

この3つくらいが挙げられます。これらは、結局、「夫に自分のことをもっと愛してほしいこと」を示しています。

なぜなら、妻のホンネは、作った料理を食べてもらえなかったことよりも、日頃、自分のしている家事への感謝が夫から無くなっていっていることに怒っていて、自分の努力が夫にとって、当たり前になってしまっていることが嫌だからです。

つまり、妻は夫にもっと愛してもらいたいのです。

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さて、妻が怒ることによって夫の反応はどうなるでしょうか?

ご飯がいらない日は妻に早めに連絡することになるでしょうが、当然、急に誘われたときは妻への連絡が遅くなります。「また急にご飯をいらないと言うと、怒るだろうなぁ……」と思うと気が引けてしまってなかなか妻に連絡することができなくなります。

そうしていくうちに時間はどんどん経っていき、連絡するのがさらに遅れてしまいます。それだけ妻の怒りも増してしまいます。

また、夫は取引先の人から誘われる度に、「あぁまた妻から怒られることになるなぁ……」と憂鬱な気持ちになってしまいます。

ここまでで、妻が怒ることによって、夫は妻のことをもっと愛そうと思うでしょうか?妻のことをさらに好きになるでしょうか?

おそらく、遅く帰ったときに怒られると、夫は妻のことが嫌いになると思います。

それならば、この怒りの感情は間違った使い方をしてしまっていることになります。仮に早く連絡するようになったとしても、それは妻のことを愛していて好きで好きでたまらないからではなく、妻のことが怖いからに過ぎません。

夫に早く連絡してほしいなら、「あなたに出来立てを食べてほしいから、今日は早く帰ってきてくれない?」「せっかく作った料理を一人で食べるのは寂しいから、一緒に食べたいの」と言えばいいのです。

 

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ところが、ほとんどの人が「こんなこと言えるわけない」と言います。「私が料理を作ってあげてるのに、なんでこっちから折れないといけないのよ」と。

なぜこれが言えないかというと、夫と妻の関係が、対等で協力的な関係になっていないからです。

妻は「わざわざ料理を〝作ってあげてる〟のに」と思っています。これは横の関係ではなく、もう完全に縦の関係です。

頑張って作った料理を、愛する旦那さんに美味しく食べてもらいたくて作っているはずなのに、こんな関係性で旦那さんと毎日楽しい食卓になるでしょうか?

このまま対等ではない縦の関係を続けていけば、必ずどこかでまたひずみが生じてしまうはずです。

夫婦の関係が、どちらかが勝ちでどちらかが負けといった競争的な関係だと、不健康極まりないのです。

 

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「恋人のことが好きなのにイライラする」も同じような理屈です。「友達とはまず喧嘩しないのに、恋人とはよく喧嘩してしまう」って人いますよね。

恋人の方が好きなのに喧嘩をしてしまう。パートナーを愛しているはずなのに憎いっておかしいですよね。

この「恋人を好きなはずなのに憎い」という状況になったら、まず思い出してほしいのは恋人との関係性です。

この愛憎の感情は、おそらく対等な横の関係ではなく、縦の関係になってしまっているがゆえに生まれます。

 

例えば、あなたと友達とは対等な関係なので、何かハプニングが起きても友達に対してイライラしたり、怒ったりすることはありません。

しかし、恋人となると違います。心のどこかで無意識に「相手は自分の所有物だ」と思ってしまっているから、自分の思い通りにいかないとイライラして、恋人と喧嘩してしまうのです。

浮気されたときに「他の男に寝取られた」とか「あいつは俺の女だ」と言ったりしますよね。これはどちらかがもう片方を所有しているという発言です。

仮に性的な関係にあったとしても、人は他人を所有することはできません。当たり前ですが、セックスしたからといって、自分のものになるわけではありません。夫婦だとしてもです。

所有意識は縦の関係であり、健康な関係ではありません。一種の奴隷制度のようなものです。

不健康な関係にならないためにも、信頼ある協力的な関係性に戻る必要があります。対等な関係なら、自然と相手の立場になって考えられるようになるので、イライラしたり怒ったりしなくなります。

愛は対等な関係があって初めて成り立つのです。 

 

 

■怒りとは傲慢である 

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このように、怒りという感情の目的は、自分が上になって、相手を下にすること、つまり縦の関係を強化することにあります。

言うことを聞かせたり、自分の方が相手より正しいと思ったり、何であれ対等でなくなること。怒るのは、相手に言うことを聞かせるためなのです。

だから、他人を自分の思いどおりに動かそうとすることをやめれば、怒らないですみます。

 

ではどういう時に人は怒ってしまうのでしょうか?

それは「自分が正しくて、相手が間違っている」と思う時、人は怒ります。

 

「彼女に正論を言っているだけなのになんでわかってくれないんだ」
「あの上司はなんて自分のことしか考えていないんだ、絶対に間違っている」

怒ってしまう人は「私は正しい」「私は完璧だ」という心理が根本にあるので、実際そうではない出来事に遭遇すると、その反動で怒ってしまいます。「自分にとっての正しさ」と現実とがずれているときに人は怒るのです。

この〝正しさ〟というものがとてもやっかいで、「自分の方が正しい」や「相手が間違っている」という考え方は喧嘩のもとになります。

なぜなら、正しさというのは、結局その人だけの正義であって、人類全体の正義でもなければ、まして宇宙全体の正義でもないからです。およそ人類の喧嘩というものは、夫婦喧嘩から戦争まで、この正しいか正しくないかに関係して起こっているのです。

「自分が絶対に正しい」という傲慢さに少しでも気づくことができれば、きっと相手の主張にも耳を貸すことができ、相手に対して怒ることもなくなると僕は思います。

つまり、「怒りとは傲慢」なのです。

 

ここで以前に自分が怒ってしまったときのことを思い出してみてください。

 

 

 

 

どうでしたか?絶対に自分が正しいと言い切れますでしょうか?

 

これは僕自身、非常に身につまされる話です。過去を振り返ってみると、大人になってからこの8年間で、2回怒っていました。およそ4年に一度のペースで怒っていたのですが、そのときのことを思い出すと、たいてい「自分は絶対に間違っていない」という前提のもと、相手から何度も何か不快なことをされ続けたときに怒っていました。

ただ、これは傲慢だったなと今になって思います。相手には相手の言い分があり、絶対に正しくないと言い切れなかったからです。 

 

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怒りについて書かれた古典『怒りについて』の著者である哲学者・セネカは言います。

 

「誰もが自分の中に王の心を宿している。専横が自分に与えられるのを欲し、自分がこうむるのは欲しない。だから、われわれを怒りっぽくしているのは、無知か傲慢である」

「自分が正しい」と思うからといって、それは怒る理由にはならない。むしろ、「自分が正しいと思ってしまう傲慢さを思い知れ!」と言うわけです。

また、セネカはこう続けます。

 

「怒りは贅沢より悪い。なぜなら、贅沢が堪能するのは自分の快楽であるのに対して、怒りが楽しむのは他人の苦しみだからだ。怒りは悪意と嫉妬を打ち負かす。それらは相手が不幸になるのを欲するのに対して、怒りは不幸にするのを欲するからだ」

怒りは相手を不幸にするのを欲する……非常に力のある恐ろしい言葉ですね。怒りは害悪以外のなにものでもない。それくらい誰かに対して怒ることは良くないことだとセネカは断言します。 

 

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人間関係がうまくいっているときは、自分と相手が対等な横の関係にあるときです。「あなたは間違っている」と言って怒り始めたら、相手との関係は必ず悪くなります。

よく母親が子どもを怒ったり、先生が生徒を怒ったりするのは、間違えている子どもや生徒を直すための「正しい怒り」だと言う人がいますが、それこそ誤りなのです。

間違えただけなら、単にそのことを指摘すればいいのに、わざわざ怒るということは、その根っこに「自分が正しい、自分の言葉も正しい、自分の考えは絶対に正しい」という考えがあるからなのです。

そして、「しつけ」が良くないのは、常に一方通行であり、縦の関係を強いることだからです。親は変わらないままで、子どもだけを変えようとするのがしつけ的発想です。

「親は正しい存在だから変わる必要はない。だけどあなた(子ども)は間違っているからどんどん変わらなくてはいけない」というわけです。

ここにはやはり親特有の傲慢さがあります。子どもの親なのだから、絶対に正しい、偉いと勘違いし、自分ではなく相手を変えようと怒るのです。この根底にはやはり「傲慢さ」があります。

いい親とは、自分が間違っていたときにはそれをすぐに認め、自分自身が変わろうとし、子どもと共に成長することのできる親のことです。

 

現代社会において、怒りはほぼ役割を失っており、重要度の低い感情です。「相手にイライラしたからといって、怒りによって相手を傷つけていい」という理由には絶対になりえません。

「正しい怒り」など存在しないのです。 

 

(ちなみに、不満には、「自分の現状に対する不満」と「他人に対する不満」がありますが、他人に対する不満は持たない方がいいです。

他人に対する不満を持ちやすい人は、何事においても「自分は悪くない」と勝手に思いがちです。「自分は絶対に悪くない」という傲慢さを捨てさえすれば、他人に対する不満は解消されます。なぜなら「自分にも悪い点がある」と気づくことができるからです。イライラし他人にあたるのでなく、いい方向に自分が変われば、きっと周囲の人たちも変わるはずです) 

 

 

嫉妬の力では、浮気は無くならない

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ここまでで「怒りのメカニズム」が少しずつわかってきました。この怒りと似た目的を持って使われる感情があります。

それは「嫉妬」です。

嫉妬や束縛というものは、怒りを使って相手の愛情を取り戻そうとすることです。

ここまで怒りの無用さについて書いてきたので、怒りを使って愛情を取り戻そうとする嫉妬や束縛が、いかに無意味なことかがわかると思います。

 

また新婚夫婦を例に考えてみましょう。先ほどの続きです。

始めは仲が良かった新婚夫婦でしたが、「ご飯いらない」と遅く帰る度に妻が怒るので夫はだんだんと妻への愛情が薄まっていきます。次第に、夫は前日に「明日はご飯いらないから」と言っておき、綺麗な女性のいるような場所で遊んで帰るようになります。

それに対し、夫の浮気を疑う妻は、これからは仕事が終わったらすぐに帰ってくるように言い、徐々に束縛もきつくなっていきました。

 

ここで、いき過ぎた束縛をすると起きるであろうことは二つあります。

一つ目は、妻の怖れをなして浮気をやめること。二つ目は、嫌気がさして、ますます浮気をするようになること。

一つ目は浮気が無くなるから、束縛してもいいじゃないかと思うかもしれませんが、これもあまりよろしくありません。

なぜなら、仮に浮気が無くなったとしても、それは妻への愛情からではなく、恐怖心からやめただけなので、根本的な問題解決にはなっていないからです。

たいていの人は、愛する相手から愛情を取り戻すために嫉妬をしてしまいますが、そうすることで相手はますます離れていくことになるのです。

 

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嫉妬される側になって考えてみてください。

「私との約束を守れないなら、もうご飯も作らないし、口も聞かないから」と夫に怒りをぶつけて、夫は妻のことを好きになってくれるでしょうか?嫉妬心から冷たくあたってしまうことで、愛してくれるようになるでしょうか?

おそらく嫌いになると思います。

妻は夫から愛されたいのでしょうか?それとも嫌われたいのでしょうか?

もちろん愛されたいですよね。

自分の怒りを相手にぶつけることで、自分だけすっきりして夫から嫌われるのと、怒りの矛先をおさめ、好きになってもらう工夫をすることで夫から愛してもらうのとでは、どちらを妻は選ぶべきでしょうか?

僕は後者だと思います。

 

もし、遊んで帰ってきたとき、妻が「毎日、遅くまでご苦労さま」といつも笑顔で優しく迎え入れてくれたら男性側はどう思うでしょうか?

どんなことがあっても信頼され続けると、人はその人のことを裏切れなくなります。きっと「この子だけは裏切れない」「一生、大事にしよう」と思うはずです。結果的に、浮気は無くなるのです。

こんなことを言うと、それは女性の気持ちがわからない男の発言だ!浮気を肯定しているのか!と非難されそうですが、もちろん浮気を肯定しているわけではありません。

考え方や価値観の違う男女が一緒に仲良く暮らそうと思ったら、嫉妬という間違った感情の使い方をするべきではないということです。

嫉妬と怒りで相手を自分の手中におさめようとすることで、相手が自分に再び振り向いてくれることは絶対にありえません。

愛情は「愛」を伝えることでしか取り戻すことができないのです。 

 

 

■怒りには「遅延」が効く

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「怒りとは傲慢であること」や「怒りを使ったコミュニケーションがいかに意味をなさないか」がわかったとしても、それでも相手から怒りをぶつけられるということがありますよね。そのときはどうすればいいでしょうか?

 

一つの対処法として、相手にも自分にも猶予を与えることです。怒りには「遅延」が効きます。

例えば、頻繁に喧嘩をするという恋人同士でも、結局仲直りしているということは、あとでどちらかが謝ったということですよね。

冷静になれば、謝れたり、自分の非を認められるということは、「わざわざ喧嘩してまで、その後で謝る」か、「怒りが沸いてきても、時間を置くことでその場で喧嘩せず、冷静になった後で解決する」(またはそもそも喧嘩するほどのことでもないとわかる場合がほとんどだったりもしますが)かになります。

それならわざわざしんどい思いをして喧嘩するのが馬鹿らしく思えてきませんか?

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先ほど、僕自身この8年間で2回怒ったことがあったと言いましたが、そのうちの一回は大学生の頃、隣に住んでいた男性に対してでした。

隣人は度が過ぎたクレーマーでした。僕が引っ越して数ヶ月してから、毎日のようにうちに怒鳴り込んでくるようになりました。

掃除機をかけたらぶちギレられます。もちろん夜ではなく、昼間にかけているのに。居留守を使うとピンポンを連打され、挙句の果てにドアをがちゃがちゃされ家の中へ入って来ようとします。

僕が大学から帰ってきたら、インターフォンが壊されていたこともありました。また僕を眠りから覚まそうと、朝4時過ぎくらいに壁ドンを何十回とするという嫌がらせも受けていました。

これはさすがにやばいと、大家さんを交えて、僕とクレーマーと3人で話し合いの場を設けましたが、それでも一向に事態は改善しませんでした。

30代前後の隣人はフリーターなので一日中家にいます。そのため僕は心休まるときがありませんでした(家賃が安いところに住むとそういうことが起こるので注意が必要ですね)。

「まじで早く引っ越そう」、そう思っていたら、ちょっとした物音でまた隣のクレーマーがうちにやってきました。

このときはもう怒りを通り越して、諦めと呆れてしまっていたので、こう冷静に言ってみました。

 

「じゃあもうわかりました。もし、また僕の出す音がうるさくてキレたくなったら、すぐに怒鳴り込んでくるのではなく、そこは申し訳ないですが、ぐっとこらえてください。次の日になってまだイライラしていたら、その時はうちに来てください。謝ります」

 

こう言ったのです。それに対してクレーマーも渋々「あぁ、わかった」とぶっきらぼうに言い、自分の家へと帰っていきました。

驚くべきことに、それ以来、クレーマーが怒鳴り込んでくることは一度もありませんでした。

僕とクレーマーとの数ヶ月に渡る一悶着は突然これにて終焉したのです。結局、この家には8年近く住むことになったのですが(笑)、本当にこれ以来、一度も隣人がうちにやってくることはありませんでした。

大学一年生だった僕は、こんな何気ない一言がうまくいくなんて微塵も思っていなかったので、当時はなぜこれで怒鳴り込んでこなくなったのか謎で仕方がなかったのですが、おそらくこれは「遅延」のおかげだったのかもしれないと今にして思います。

隣人は僕の家から出る物音にイライラして怒鳴り込みたくなっても、試しに一度ぐっとこらえてくれたのだと思います。そして、次の日になってみて、全然取るに足らないことだったと気付いたのかもしれません。

 

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このクレーマーとのやりとりから、「怒りに対して、怒りで応えてはいけない」ということを学びました。怒りに怒りで応対すると、お互いがヒートアップするだけで、不毛な水掛け論になり、必ずさんざんな結果になります。

なので怒りの最初の発作を言葉で鎮めようとしないことです。耳が聞こえず、正気ではないのですから。怒りに時の猶予を与えるのです。

緩和してきたとき、治療はよく効きます。目が腫れ上がってる時は手当てを控え、力が冷えて固まっている時、動かすことで刺激します。他の疾患でも、激しい時は同様です。病気の初期段階は安静が癒してくれるのです。

人が怒っているときは、そっとその場から立ち去るべきです。頭に血が上っているときは、誰も冷静な話はできないからです。時間が経ち、落ち着いてから再び話し合えばいいのです。

あの時あんなに怒っていた人がちょっと時間を置いただけで、けろっとしていて拍子抜けしたという経験をした人も少なくないのではないでしょうか。

怒りには「遅延」が効くのです。 

 

そして、もし、相手の怒りに対して自分も怒りを感じてしまったら、最初にすべきことは「怒りを感じること」です。

怒りは、怒りを観られた瞬間、落ち着いていくので、「まさに今、怒りの感情が沸いてきているなぁ」と感じることが大事なのです。

次に怒りが生まれたら、「これは怒りの感情だ」とすぐに自分を客観的に観察してみてください。そして、「自分の言い分は本当に正しいのだろうか」と自問自答してみるのです。

 

 

■正しい正しくないではなく、どう感情を取り扱うか

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だいぶ長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。最後に、心に沁みるニューギニアで起きたある交通事故の話をさせてください。

ニューギニアなどの伝統的な社会と、日本やアメリカといった先進国とでは「対立」への対処の仕方がまったく違います。

『銃・病原菌・鉄』が世界的ベストセラーとなった進化生物学者のジャレド・ダイアモンド氏の著書の中にこんな話が出てきます。

 

あるとき、ある会社の社員が10歳の男の子を車でひいてしまいました。物陰からその子が飛び出してきて、ブレーキを引きはしたものの、気づいたときには時すでに遅く、結局、男の子は亡くなってしまいました。

例えば、アメリカであれば、すぐにまず事業主として弁護士を雇い、「どうやって引いてしまった人を弁護するか」という考えに集中するでしょう。

ところが、この事故が起きたのは未開の地であるニューギニアです。

全く対応が違いました。まず事故の翌日に、亡くなった子どものお父さんが加害者の会社を訪ねてきたのだそうです。そのとき「殺される!」と思ったそうですが(ニューギニアでは復讐で殺害することは非常にありうることだけに)、そのお父さんがやってきた理由は、こういうことでした。

「おたくの社員が事故を起こし、うちの子どもが亡くなりました。わざとやったことでないのは、わかります。けれど現在、私たち家族は非常につらい気持ちの中で暮らしています。ですから4日後に子どものことを偲んで昼食会を開こうと思っています。そこへ、来ていただけないでしょうか。また、その昼食会の食べ物を出していただけないでしょうか」

そういう話だったのです。

それからは、あいだに経験豊かな人が入って、どんな食べ物を持っていくべきかといった話がなされ、なんと事故が起こってわずか5日後に、その事故を起こした人の会社の社長や、幹部の社員、それから亡くなったお子さんのご両親や親戚が同じ食卓を囲んで、お昼を共にしたそうなのです。

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これは日本だと考えられない話です。昼食会では、ひとりずつが弔辞のようにその子のことを想ってスピーチをしました。

例えば、その子のお父さんが亡くなった子の写真を持って「死んでしまって、本当につらい。さびしい。また会いたい」といった話をしたり、その場にいる人たちが亡くなった子どものことを想ってみんな、泣いているわけです。

そして、加害者にもスピーチの番がまわってきたそうです。彼はもう、あとで振り返ってもあんな辛いスピーチをしたことはなかったと言っていました。声を絞り出すように「……自分にも子どもがいます」と、始めたのだそうです。

そして、「だからこそ、突然に子どもを失う気持ちというのはほんの多少ですけれども、私にも察することができます。今日はこうして食べ物を持ってきましたが、こんなものはお子さんの命に比べたら、ほとんど価値のないものだと思います」と、そんなスピーチをしたそうなのです。

 

こんな風に、伝統的社会では「対立」が起こったときに「お互いの感情をどう処理し、どう落ち着かせるか」に重きをおきます。

「どのようにして関係を修復するか」といった感情の処理をとても重視した対立の解消方法であるわけです。

一方、日本などの先進国の社会で「対立」が起こったときに大切なのは、「どちらが正しいか」です。

警察や裁判所の考え方も「どちらが正しいか、間違ってるか」が何よりの争点で、それぞれの感情の処理にはまったく思いをめぐらせないのです。

もちろんこれが完全に良くないというわけでは決してありません。

それでも、ちょっとした人間関係のいざこざであるならば、「正しい正しくないではなく、生じてしまった負の感情をどう取り扱うか」を考えていく行動をする方がよっぽど関係が修復できるのじゃないかなぁと僕は強く思いました。  

 

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世のなかには理不尽なことが溢れています。ここまで怒りについて様々なことを書いてきましたが、「自分が圧倒的に被害者なのに、どうしても自分が傲慢だなんて思えない!」「あいつの方が悪いのに!」とやっぱり思ってしまうこともあるかもしれませんよね。

 

そのときは、相手のためではなく、自分のために、相手を許してみてはどうでしょうか。

相手に憎しみや怒りを感じると、自分自身がネガティブな感情に支配されてしまいます。その支配力は、僕たちの睡眠、食欲、血圧、健康、幸福にまで及んできます。憎悪は相手よりも、僕たち自身を苦しめることになるのです。

もし憎い相手がいたとしても決して仕返しを考えてはいけません。仕返しを考えると、相手ではなく、まず自分自身が傷ついてしまうからです。

ひどくを傷つけられて喧嘩別れした場合、「相手に罪の意識を背負って生きてほしいから、相手を絶対に許さない」と言う人がいますが、それはおそらく相手だけでなく、自分自身も傷ついてしまいます。負の感情に支配され続けてしまうからです。

怒りや憎悪はなかなか消えるものではありませんが、「絶対に許さないからな!」と憎しみを募らせたり、「どうやったら仕返しができるのか」を考えるのではなく、自分自身の健康と幸せのために、相手を許すのです。

 

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この記事の冒頭で書いた交通事故で最愛の妻と娘を亡くしてしまった遺族の男性も、きっと自分や被害者のためにも、加害者を理解しようとし、気遣い、許したのだと僕は思いました。

 

許すことはとても辛いことです。でも許さないことは、もっと辛いことだから。 

 

 

 

参考文献:『怒りについて』(セネカ)『怒らないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ)『昨日までの世界』(ジャレド・ダイアモンド)『道は開ける』(D・カーネギー)『性格は変えられる』(野田俊作)『劣等感と人間関係』(野田俊作)

 

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■関連記事

「怒り」についてまた別の切り口から書いています。 

 

 

■人気記事

初めて見た幽霊の記憶と、物語の発現性

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僕は、プリントに書かれた「おばけを見た」欄に、堂々とチェックをつけていた。

これは、確か幼稚園に通っていた頃の話である。

夏休みに家族でおばあちゃんちへ泊まりに行った。おばあちゃんちは、阪神淡路大震災で崩れてしまったのでそのあと新しく立て直したが、それまではけっこう古い木造で、いわゆる"おばあちゃんち"という感じの家だった。

泊まりにいった二日目の夜中、廊下からラップ音が聞こえて目を覚ました。

何かの気配がして、横になったまま部屋の入口を見ると、幽霊らしきものがゆっくりと階段から上がってくるのが見えた。すぐに隣を確認したが家族はみんな寝ていて、階段からあがってくるものはおばあちゃんでもなかった。

その頃の僕は、とにかくおばけが怖かったのだが、両隣には父と母、そして姉が寝ていたので、その日だけは不思議と怖くならなかった。

それにその当時、頭まで布団をかぶって隠れていれば、おばけに連れていかれないと思っていた。だから、もしこっちに近づいて来れば、すぐに布団をかぶれば大丈夫だとなぜか少し強気でいた。

何より、オバケというみんなの知らない世界の秘密を一つ知ってしまったかのようで、すごく嬉しかった。

次の日、目を覚ますと、すぐに鞄から夏休みの宿題を取り出した。

夏休みの宿題で「夏休みにできたことを確認するプリント」があったことを思い出したからだ。

そのプリントにはいろんな欄があった。

・ひまわりに水をやった
・一人で歯磨きをした
・おばあちゃんちに行った
・スイカを食べた

そのうちの一つに「おばけを見た」があった。

鞄からぐしゃぐしゃになって出てきた、夏休みにできたことを確認するシートを真っすぐに伸ばし、僕は「おばけを見た」に力強くチェックをした。

___________

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それからしばらくして学年が上がり、中学生になった。

この頃にはもうおばけなんていないと思うようになっていて、幽霊が怖くなくなっていた。

しかし、新しく怖くなったものができた。

〝人の目〟だ。

クラスの席替えでとにかく避けたかったことは、席が一番前になることだった。

なぜなら、自分の背後から、陰口を言われているような気がしていたからだ。

「隠れて勉強し過ぎじゃない?そういうやつないわー」
「かっこよくないくせして、なんかかっこつけてるよな。うざーい」
「よくどや顔で「俺、おもろいやろ!」みたいな話し方してるけど、全然見るに堪えないわ」

時には、雑木林の「森」のことを話しているだけなのに、僕の名字の「森井」と言われているようで、

たぶん陰口なんて言われてないんだろうけど、気にし過ぎてしまい、ほんとに陰口を言われたら嫌だと思ったことは口に出せなかった。


____________
なんで今となってこんな話をしたかと言うと、最近、フリッツ・ハイダーという心理学者のこんな実験を知ったからだ。

ハイダーは、2つの三角形と1つの円が画面を出たり入ったりするだけのシンプルで短いアニメーションを制作した。

この意味のない映像を被験者に見せた後、内容を聞くと、1人を除き全員が、図形の動きから恋愛やいじめを描いたドラマだと説明した。

円は小さな三角に恋をしているが、大きな三角が円をさらって行こうとする。だが小さな三角が奪い返し、小さな三角と円はめでたく結ばれる、といったように。

www.youtube.com

(その映像がこちらです。1分間で、音声はなく外にいても見られますので、良かったら見てみてください)

ハイダーは、この研究を通じて物語を作ることの重要性を明らかにした。人間はストーリーを欲する傾向があり、それがない場合には自ら作り出そうとすることがわかった。

____________
僕たちは無意識に「物語」を作り上げている。

女の子がディズニーランドで一人で写っている楽しそうな写真をSNSにあげているのを見て、同性の友達と行っただけかもしれないのに「あぁ、これは彼氏と行ったんだな」と解釈し、

合コンで知り合った金髪の大学生が、イベサーだと知ると「やれやれ、どうせ毎日飲み歩いているチャラ男だな。勉強とかしたことないんやろなー」と、勝手にその人の背景を作り上げる。

今になって思うと、初めて見たおばけは、自ら作り出してしまっていただけなのだろう。

たまたま家の壁の木材がきしむ音がした。掛けていた服が暗くて人影に見えた。窓から風が吹いていた。

一つ一つ見ればなんてことはない無意味な出来事である。

しかし、そこに物語性を付与してしまうことで、〝幽霊〟が生み出されてしまうのである。

世の中の心霊体験は、たいていそういうものなのかもしれない。僕たちの単純で、賢い脳の仕業なのである。


学校でもそうだ。悪口なんて言われていないのに、後ろから聞こえてきた断片的な情報を勝手に組み合わせて、自分の悪口を言われていると作り上げてしまっていたのだろう。

「夏休みに田舎のおばあちゃんに行ったんやけど、近くに森があって。そのせいで、虫がめっちゃいてほんま気持ち悪かった」

背後から聞こえてきた「森」と「気持ち悪かった」だけが耳に入り、「森井、気持ち悪い」となり、

「かっこよくないくせして、なんかかっこつけてるよな。うざーい」
「よくどや顔で「俺、おもろいやろ!」みたいな話し方してるけど、全然見るに堪えないわ」

というまた別の友達グループのお笑い芸人に対しての会話がつながり合い、さも自分の陰口を言われているかのような「ストーリー」を作り上げてしまっていたのである。

____________
中学生の頃におばけを克服し、人の目も高校にあがり、ウソみたいにあまり気にしなくなった。

さて、大人になった今、怖いものはなんだろう。

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先月、お盆に地元を歩いていたら、前から両手にぱんぱんに詰まったスーパーの袋を持った女性が歩いてきた。

昔、好きだった女の子だった。

「わぁ、久しぶり!」「成人式ぶりやんな!」なんて声をかけながら、ふとスーパーの袋に目を移すと「甘口のバーモンドカレー」が目に飛び込んできた。

僕は怖くて、はっきりと相手の指を確認できなかった。

「今日は甘口カレーなんや」「もしかしてもう結婚して、子どもおるん?」なんて絶対に聞けなかった。

その子のことは、別に今も好きというわけではない。でもどこか切なくて、音をたてて寂しさが込み上げてきた。

「あぁ、もうこの子とは一生付き合うことはできないのかもしれない」と思うと、

今回も、あの時に見たオバケのように「自分が作り出した虚構」であってくれと、僕はゆっくりと空を見上げた。

蝉の声がうるさいくらい鳴り響いていた。

 

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4月1日生まれの就活生が、エイプリルフールの影で苦しみながらも無事に内定した話

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「なんで私ってこんなに自己肯定感が低いんだろう。自分に自信が無さすぎて……」

各企業がサマーインターンを始める大学3年の夏、就活生の友達にこんな相談をされた。

彼女が志望している会社は、就活用語で「自己分析」と呼ばれるものが内定するためには必須で、面接ではひたすら「なんで?なんで?なんで?」と聞かれる。そのため原体験となる幼少期のエピソードを話さなければならない。

(人格が形成されるのは幼少期なので、大学時代に何をやっていたかも大事だが、面接官は幼少期の話を聞いてその人の人となりを知りたいのだ)

「ねぇ、聞いて聞いて!やっとわかったかもしれないの、自分に自信がない理由!」

彼女は、数ヵ月悩んだ末、なんとか答えらしきものに辿り着いたみたいだった。

自己分析がうまくできずここ最近かなり悩んでいたので、どうして?と優しく聞くと、こう言われた。

「4月1日生まれだからかもしれない」

僕は始め何を言っているのかわからなかった。

4月生まれがどうした。俺も4月生まれだぜ?4月13日生まれだから、413(シイサー)で覚えてくれよな!

なんてことを言ったら、うるさいと言わんばかりにすぐに遮られ、彼女は続けた。

「親に誉めてもらえなかったの……」

_____

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(『天才!』(マルコム・グラッドウェル)p.27)

上の画像を見ていただきたい。
日本ではなじみが薄いが、メディスン・ハット・タイガースというカナダのアイスホッケーの登録選手名簿である。

ここに今まで誰も気づかなかった、見逃してはならない箇所が一点ある。

それは、1月、2月、3月生まれの選手がとてつもなく多いということだ。カナダのアイスホッケーの選抜チームを調べると、全選手の40%が1~3月生まれ、30%が4~6月生まれ、20%が7~9月生まれ、10%が10~12月生まれだったのである。

なぜこのような偏りが見られるのか。
これはカナダでは同じ年齢の少年を集めてクラスを作る場合、年齢を区切る期日を「1月1日」に設定しているからだ。

つまり、ある少年は1月2日に10歳になり、別の少年はようやく同じ年の暮れに10歳になる。思春期前のこの年齢では、12ヶ月の差が身体の発達に大きな違いを生む。

世界でも特にアイスホッケー熱の高いカナダでは、9歳か10歳で代表チームを選び始める。成長する時間をより多く与えられた少年たちは、才能ありと見なされ選抜に選ばれる。

代表メンバーに選ばれると、よりよい指導が受けられ、より強いチームメイトに恵まれ、より多くの試合でプレーすることになる。

始めのうちは、生まれが少々早かっただけという少年の優位点は、13~14歳になる頃には、熱心な指導と人よりも多い練習量によって本当に優れた選手になっていくのである。

成功している人は、様々な素晴らしい機会を与えられる可能性が高く、さらに成功する。「成功するから成功する」である。つまり、大きく成功しようと思ったら、内部要因だけではなく「外部要因」が重要なのである。

本人の努力はもちろんだが、環境という外部要因に味方された運の良かった人は、後に、例えば羽生結弦のように、石川遼のように「天才」と崇められるようになる。天才は、本人の才能だけではなく、「才能を開花させるに至った経緯」も重要なのである。

______

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彼女が言いたいことはこういうことだった。

4月1日はエイプリルフールでもあるが、学年の最後の日だ。「小学校に入学するタイミングは6歳になって最初の4月1日を迎える時」で決まる。

つまり4月1日に生まれるか、4月2日に生まれるか。たった1日しか違わないのに、学年は1学年違ってくるのである。

4月1日生まれは、その学年で最後の日に生まれたことになる。ある程度年齢がいけばいつ生まれたかなんて関係ないが、子どもの頃の1年はかなり大きい。

そのため、4月1日生まれだった彼女は幼少時代、周りのみんなができているのに自分だけできていなかったことが多かったそうだ。周りと比べられ、母親から怒られることはあっても、誉められることはほとんどなかったという。

「誉められなくて、気づいたら自分に自信が無くなっていって。その名残か今でも自己肯定感がすごく低いのかもしれないの……!」

ある程度筋の通った自己分析に自分で自分に納得し、就活本を片手に幼少時代に苦労した話を、目を輝かせながら僕に聞かせてくれた。

そのミスマッチがどこかおかしくて、そして少し歯痒かった。

嘘をついて盛り上がるエイプリルフールという晴れやかな日の影で、苦しんでいる子どもがいるなんて想像もしたことがなかったからだ。

_____

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「自分に自信がない理由はわかったけど、どうしたら自信つくのよー!」

リクルートスーツ姿の学生が増えてくる大学3年の10月、大学のゼミ終わりにレジュメを鞄にしまい帰ろうとする僕を引き留め、いきなりそんなことを彼女は言うもんだから、

「一つずつ小さな成功体験を、積み上げていくしかないんじゃないかな」

とちょっぴり上からアドバイスしてしまった。

僕は人に助言できる立場になんてないんだけれども、それでも少しでも何かの足しになればと、気付いたらひたむきに頑張る彼女の姿に心を打たれ、応援したくなってしまっていた。

4月1日生まれの彼女は、先ほど例に挙げたアイスホッケーの選手のような外部要因という「才能」には決して恵まれてはいなかった。それに加え、体育会のテニス部で、夏の引退まで忙しく自分の将来について深く考えてこなかった。

しかし、それでも最後の終了のベルが鳴るまで泥臭く食らいついていっていた。

インターンの面接や早期選考の面接に落ち続けながらも、周りの先輩や人事の方に対し「来週まで言われたところを修正してくるのでまた見てください!」と次から次へとお願いしていった。採用人数がかなり少なく、OBのいない会社には、会社の前で社員さんらしき人を出待ちし、「OB訪問させてください!」とお願いしていた。

もちろん何度もお世話になった先輩には、地元名産の折り菓子を渡したりと、相手への最大限の感謝や気遣いを忘れてはいなかった。

すると、企業の人事や先輩は、嫌な顔ひとつせずに「〇〇ちゃんがそんなに努力しているなら、全面的に協力するよ」と言った。途中から「志望動機もっと固まってきたら、模擬面接してあげるから、またいつでも連絡しておいで」とちょくちょく言われるようになった。

少しずつ彼女を応援してくれる人が増えていっていたのである。「本気」が人を動かし、ひたむきに頑張る姿が応援したいと思わされるのだ。

仮に、就職活動がうまくいかなかったとしても、自分を応援してくれる人達がいる限り、彼女は幸せなんだろうなぁとそのとき強く感じた。
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きっと彼女は気づいてはいないだろうけど、相談に乗ったりアドバイスをしながら、学ばせてもらっていたのはおそらく僕の方だったのかもしれない。

正直に言うと、始め彼女の行動を傍目に見ながら、どこか少しかっこ悪いと思っていた。俺ならもっとスマートに、もっとスタイリッシュにやれると。

「何がOB訪問だ、何が出待ちだ、しゃらくさい」
「そもそもなんでわざわざ面接を受けにいかなければならないんだ。採用したかったら人事が俺のところに来いよ」

就職活動は周りを蹴落としてでも大企業に内定すべき。一流企業に内定できれば勝ち、できなかったら負け。判断基準は勝ち負け。変に勝ち負けにこだわり、悪い意味でスマートに生きようと斜に構えていた。いかに汗をかかずに勝てるか、いかに失敗せず成功するかばかり考えていた。しょうもないプライドばかりが先行し、結局は負ける(面接に落ちる)のが怖くて行動できなかっただけだった。

それは僕の「弱さ」であり「甘え」でもあった。

ひたむきさや本気が人を変え、自分を応援してくれる人を増やしていく。そういう人が外部要因という名の才能を手に入れ、成功していく。

彼女と話をしていて今後生きていく上で大切なことを教わった気がした。

「自分のことを自分以上に考えてくれる人がどれだけいるのか」ということを。そして、それぞれの「自分の弱さ」への立ち向かい方を、どこがホワイト企業でどこがブラック企業かなんてより知っておくべきなんだろうなぁと就活をしながら彼女から学んだ。
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黒いスーツに身を纏った彼女は僕に一つ、小さな嘘をついた。

「自分に自信がなく、私は何もできないとても弱い人間で、社会に出たらやっていけないかもしれない」と。

そんなことを言われた三ヶ月後の4年生の春。
第一志望の会社にこそ落ちてしまったが、幼い頃に背負ったハンデに正々堂々と立ち向かい、彼女は無事に納得する形で就職活動を終えることができた。

ボロボロになるまで着たリクルートスーツはタンスの奥にしまわれ、あのとき読んだ就活本はもうどこにいったかわからない。

しかし、自分の弱さや短所から逃げることなくしっかりと向き合うことのできる彼女は、社会に出てもきっと活躍するんだろうなぁと僕は強く思う。

 

 

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