思考の整頓

"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる

28年間生きてきて最も幸せだった日が教えてくれた、人生で必要な2つのこと

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今日は僕が28年間生きてきて人生で最も幸せだった日の話をしたいと思います。

 

僕はあまり涙腺が弱くないらしく、例えば映画を見て感動してもほとんど泣くことはないのですが、

(ここで言う〝泣く〟は、〝感動する〟ではなく、文字通り〝涙がこぼれる〟の泣くです)

 

そんな僕でも、今まで28年間生きてきて、「嬉し泣き」というものを二度したことがあります。

この二度の嬉し泣きから、「人生で必要なものはたったの2つだけ」ということがわかりました。

そのことを今回この記事でお伝えしたいと思います。

 

 

―――――
過去二度した嬉し泣きのうち一度目は、遡ること約8年半前、19歳のときでした。

この頃、僕は浪人生で、第一志望の「慶應義塾大学」に合格を目指して来る日も来る日も勉強をしていました。

 

昔から僕のことを知っている人は知っているかもしれませんが、僕は本当に勉強が苦手で、

例えば、高校受験では、兵庫県にある「白陵高校」という高校が第一志望だったのですが、その頃通っていた塾で白陵を受験したのは28人いて、合格したのはこのうち27人。

そう、落ちたのは僕だけ、でした。

白陵高校の募集人数が約40人で、うち27人が同じ塾から出たので、逆によく僕だけ落ちたなというレベルです。

 

他受けたところもほぼ全滅で、結局、入学する高校が決まったのは中学3年の3月20日くらいでした。

もう来週には高校の入学式がある、という近々のスケジュールで、何より親がひやひやしていたのを覚えています。

当時、まだほぼ無名校だった「須磨学園」という学校に「今伸びている高校だから」という理由だけで入学することにし、この高校の特進クラスに入ることが決まったのですが、

3月下旬の合格発表の日に、学年主任みたいな人に呼び出され何かと思ったら、

 

「君は特進クラスで最下位の合格だ。だから、来年、普通科に落ちないようにしっかり勉強しなさい」

 

と言われたくらいでした。

 

当時、反抗期真っ只中だったので、

「こいつまじでうるせぇえええええ」

となり、

「入試寝てたから点数悪かっただけだからな!もう勉強なんて二度とするか、ボケ!」

となりました。

 

 

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ちょうど前回の記事で、中学の頃通っていた塾の話を書きましたが、

通っていた塾は当時、日本一、偏差値の高い人たちが集まる塾で、かなりのスパルタ詰め込み教育でした。

そして、その中で中学3年間おそらく誰よりも勉強したと自信を持って言えるくらい勉強したのですが、それでもまるでだめで、

実際、もともと好きでやっていたわけではなかったので、これを機に高校に入ってから勉強することを完全にやめることにしました。

 

高校に入ってから「なんで勉強せなあかんの?」と聞いても、誰も「勉強する意味」を教えてくれる教師は一人もおらず、「そんなこといいから、早く宿題出しなさい」「出していないの君だけよ」の一辺倒でした。

 

「うっさいボケ!大学なんか行くか!」

と、あらためて勉強なんて二度とするかと固く誓うことになりました。

 

 

では、なぜ19歳の頃、再び勉強していたかと言うと、きっかけはひょんなことでした。

高校3年になるまで、僕は漠然と美容師になろうかなぁと思っていました。

 

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当時、高校生だった僕は趣味はもちろんのこと、やりたいことが一切なく、毎日くそつまらない生活を送っていました。(人生で一番鬱屈としていました)

そんな中、唯一興味があったことが髪の毛をいじることでした。

 

毎朝毎朝、鏡の前で髪の毛をwaxでしっかりセットしては、学校で生徒指導の先生に注意され、トイレで髪洗ってこい!とよく怒られていたのですが、

なのでいつも美容院には好きな読者モデルの切り抜きを持っていっていて、「この髪型にしてください!」と言っていました。

 

その頃、僕やその仲間うちで、一番憧れられていた読者モデルが「江口亮介」さんという方で、

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(この人。当時よく持って行っていた切り抜き)


ある日、家で髪の毛の雑誌を見ていたら、ある重大なことに気が付きました。

 

それは、

 

なんとこのイケメン読者モデル、慶應生だったのです!!!!

 

これがわかった後、すぐに学校で友達に、

「江口くんがいるこの慶應ってなんかかっこよくね?」

と話し、気づけばすぐに「俺も江口くんのいる慶應いくわ」と言っていました。

 

この頃、ほとんどDQNみたいなやつだったので、ほんとにこんな軽いノリで受験勉強をすることになりました。

慶應の受験教科を調べたら、英語、日本史、小論文の3教科しかなく、僕が特に苦手だった理系教科が一切必要ないことがわかり、「あ、これなら俺でもいけんじゃね?」となり、

高校生の頃、いつも一緒にいた北條と寺田という友達と、高校のそばにあるラーメン屋「赤無双」で「慶應入って、東京いったらまじ2年半は遊び倒すわ~」と話したら、「いや3年は遊ぶっしょ」と北條に言い返され、「せやな」と言ったのをすごくよく覚えています。

 

 

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そんなひょんなきっかけで、受験勉強をすることになったのですが、当然、私大トップの壁は厚く、現役では不合格でした。

それでも行きたい大学は慶應しかなかったので、河合塾大阪校で浪人することに決めました。

 

かなり長くなるのでここではもう詳しく書きませんが、浪人生の頃に恩師とも言える予備校講師に出会い、

(河合塾の現代文講師・宗慶二さんと、元東進の英語講師・横山雅彦さんです)、

 

生まれて初めて「勉強する意味」を教えてもらい、生まれ初めて「勉強の楽しさ」を知ることになります。

気付けば「東京行ったら2年半は遊び倒すわ」と言っていた僕が、「勉強するために大学へ行く!」と言うようになっていました。

一浪したおかげで、そんな志の変化もあり、人間として大きく成長した浪人の受験一週間前。

 

 

あろうことか僕は、盲腸になり、入院することになりました。

 

「あぁもう終わった」

そう思いました。

(神様はどれだけ俺の合格を遠ざける気なん……)

 

盲腸になりしばらく熱でうなされていたのですが、うまく薬でちらすことができ、幸運なことに手術せずにすみました。

当時、不幸中の幸いとはまさにこのことを言うのかと思ったのですが、手術をしなかったおかげで1週間ほどで退院でき、本当にギリギリ受験しに行くことができました。

 

そして、いろいろありましたが、ついに迎えた慶應義塾大学 文学部の合格発表の日。

慶應の合格発表は電話して合否を聞くスタイルなので、恐る恐る電話しました。

すると、








「受験番号10848、モリイユウタさんは……」

 

 

 

 

 

 












































「補欠Cです」

 

 











いやいやいやいやいやいやいやいやいや

補欠ってなんやねん!!!!

しかも補欠Cて!!!!!!!

補欠AでもBでもなく、補欠Cて!!!!!!!

高校受験は最下位やったのに、大学受験は最下位ですらないやん!!!!!!

めっちゃ勉強したのに、俺どんだけ勉強できんの!!!!!バカなの!?!?!?

 

 





(つまり、ほぼ不合格ってことか……)

すぐに不合格だと悟りました。

このとき初めて知ったのですが、補欠にもランクがあり、補欠Aが最も合格に近く、いわば不合格者の中のトップですね。そこからB→C→Dとランクが落ちていくわけです。

 

この頃、今では考えられないくらい尖っていて、僕は慶應しか受けたくなかったのですが、親に他の大学も強制的に受けさせられ、いくつか受けることになったのですが、

こんなことを言うと、人によっては気分を害される人もいるかもしれないですし、バカにされたと思ってしまう方もいらっしゃるかもしれないので、10年前の若気の至りだと本当に聞き流していただきたいのですが、

関学の合否通知が入っている封筒が家に届いた際は(関学は封筒が届き、その中を見るまで合否がわからない)、合否を見る前に、封筒をそのままゴミ箱にぶちこんだり、

同志社を受けた際は、どの教科かは忘れましたがあまりに入試問題が簡単に感じ、だんだんとこの簡単な問題を解いている自分に腹が立ってきて、「俺の行きたい大学はここじゃない」と、最後まで受けずに途中で帰ったりしていました。

 

今思うと、

 

「ただのドアホ」

 

以外なにものでもありませんが、

そんなこともあり、唯一行きたかった慶應が不合格という結果は、僕にとってほとんど「人生終わった」状態でした。

 

 

高校時代、目標や夢がなく、本当に毎日がつまらなく、張りのない生活を送っていました。

遊び以外にやることがなく、しかし、遊びにも飽きていました。

神戸にある三宮という都会でいくら遊んでも、手応えの無さのようなものしか掴めず、僕が望んでいた充実した日々は一切手に入りませんでした。

 

手に入ったのは、

 

三宮のゲーセンで取ったアニメのフィギュアと、ジャンカラでのレパートリーの曲数

 

だけでした。

いじめられていたというわけではありませんが、今まで生きてきて一番辛かった時期でもありました。

 

 

そんな中、やっと見つけた大きな目標。

慶應に入って東京へ行く!」という目標ができてから、僕の高校生活は毎日がカラフルに色づいて見えるようになったくらいでした。

つまらない毎日を、どうしようもない自分を変えたくて、「慶應に行きたい!」「東京に行けば、人生が変わるかもしれない!」

ずっとそう思って大変な受験勉強も頑張ってきました。

 

 

それなのに……

それなのに、だめだった。

やっぱりだめだった。

 

 

しばらく何も考えられず、気づいたら入学する大学が決まらないまま3月の中旬くらいになっていました。

そろそろどうするか決めないとなぁと、自分の部屋で一人思っていたら、ものすごい足音を立てて、母親が僕の部屋に入ってきました。

「なんやねん、うっさいなぁ」と思いながら、見ると、手にはある書類を持っていました。

 

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「これ……これ見て……合格……合格した……慶應合格したよ!!!!」

 

耳を疑いました。

 

そして何度も何度も見直しましたが、速達で送られてきたその封筒には慶應義塾大学の「入学手続書類在中」という文字がしっかりと刻まれていました。

 

母親が僕の部屋から出ていってから、初めて嬉し泣きをしました。

(嬉しくても涙って出るんだ……)

手を天まで高く振り上げ、今まで一度もしたことがなかったような力強いガッツポーズをしながら、声を潜めて泣きました。

 

補欠Cからの奇跡の補欠合格を果たし、僕にとって生まれて初めて自分の力で掴みとった大きな成功体験でした。

 

 

勉強が得意だった人や苦労せずにすんなり志望校に入れた人、そこまで受験勉強に思い入れがない人がこれを読んだら、「何をそんな受験勉強くらいで泣いてんねん」と思うかもしれません。

確かにそうかもしれません。

ただ、それでも僕にとって、中学の3年間と高校3年から浪人の2年間、計5年間という若干19歳にとってはとてつもなく長く膨大な積年の想いが、この月日に詰まっていました。

「何も持たざるものとして生まれてきた僕は、何をしても絶対にうまくいかない側の人間なんだ」とほとんど思いかけていたくらいで、

だからこそ、思わず嬉し泣きをしてしまったのでした。

 



________
このような形で僕の受験戦争は幕を閉じることになったのですが、

受験生の頃は大変なことばかりでしたが、良いこともありました。

 

(ここから人生二度目の嬉し泣きの話になっていきます)

 

それは生まれて初めて〝夢らしきもの〟が見つかったことでした。

 

その夢とは「本を出すこと」でした。

 

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今まで最も苦手なことのうちの一つが読書感想文であり、唯一受験教科で最後までできるようにならなかったのが国語であったのですが(なので早稲田には落ちています)、

浪人生の頃に、受験教科の小論文の勉強を始めてから、初めて「書くこと」に目覚めました。

 

そして、受験勉強そっちのけで読書にはまります。

模試の現代文の問題で使われていた文章の出典を調べては、買いに行き読むようになっていきました。

 

(ちなみにその甲斐あってか、僕が受けたときの慶應文学部の小論文で使われていた文章は水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』という本から出題されていたのですが、

偶然にもこの本を読んだことがあったので、どう考えても一度読んだことがあった文章だったおかげで僕は慶應に合格することができたのでした)

 

僕は受験勉強を通じて人生が変わり、もっと言うと、その頃、現代文や小論文の問題に使われていた文章を読むことで、人生が変わりました。

そういった理由から、浪人生の頃から「いつか将来、受験の入試問題で使われるような本を出せたらいいなぁ」と漠然ではありますが、思うようになっていきました。

 

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そんな想いを抱えながら、受験が無事に終わり、初めての一人暮らしと大学生活で、慌ただしく月日は流れ、

そして、大学1年の夏、ついに転機が訪れます。

 

同じクラスだったよしひろ君に「これ一緒に出してみない?」と一枚のリーフレットを渡されました。

 

そこには「出版甲子園」という文字が書かれていました。

 

 

ついに次の目標が決まった瞬間でした。

 

 

本を出してみたいと思っていましたが、それまでどうやって出したらいいのかなんてまったくわからず僕は途方に暮れていました。

そんなときよしひろ君から「出版甲子園」というものがあることを知らされ、聞くところによると、

出版甲子園では、自分で企画を考え書き、厳選なる複数回の審査を通過し、決勝戦まで勝ち進むことができれば、

集英社講談社小学館といった大手出版社から、ダイヤモンド社やDiscover21といったビジネス系の出版社まで、そうそうたる面々である編集者の前でプレゼンすることができ、そこで編集者の目にとまれば出版することができるという、

いわば、本を出したいと思っているがその出し方がまるでわからなかった二十歳の僕にとって、まさにうってつけの夢のような話でした。

しかも、ここで受賞された企画で映画化までされた本もあると言うではないですか!

 

出版甲子園の唯一の参加資格は「学生であること」であり、

なので、大学4年になったら必ず出版甲子園でグランプリを受賞し、本を出版するという目標がこのとき決まりました!

 

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出版甲子園の決勝戦は毎年11月に行われるのですが、大学生が編集者にプレゼンする勇姿を、まず観客として観に行きました。

 

圧巻でした。

 

プレゼンしていた人は10人ほどだったのですが、二十歳の僕とは比べ物にならないくらい本当に様々な経験をした人たちばかりで、魂が震えました。

特別審査員として来ていた元Amazonのカリスマバイヤーであり、ビジネス書業界では知らない人はいないビジネスブックマラソンの編集長・土井英司さんの辛口コメントも本当に素晴らしく、「絶対に最高学年になったらここでプレゼンするんだ!」という覚悟が決まりました。

 

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(2010年に行われた第6回出版甲子園から、2013年の第9回までの決勝大会は全て見に行き、研究しました) 

 

かなり長くなってきたので、出版甲子園までの道のりは大幅に割愛させてもらいますが、

 

結論から言いますと、大学5年目にして、第10回 出版甲子園の決勝戦に進むことができ、準グランプリを受賞することができました。

 

何をやってもだめだめだった日々、何もうまくいかない大学生活の話をはしょってしまったので、あまり共感していただけないかもしれませんが、ここに辿り着くまでには本当に様々な苦労と苦悩の連続でした。

受験勉強のことからもわかるように、人よりも不器用で、しかも一つのことしかできず、結果を出すまでに膨大な時間のかかる僕が出版甲子園で受賞を果たすために、まずしたことは、

 

「〝キラキラとした楽しい大学生活〟は全て捨てる」

 

でした。

 

そうしなければ絶対に無理だと僕の直感が言っていました。

冗談でもなんでもなく、僕の大学生活は、この出版甲子園のためだけにありました。

大学4年の就活が終わってから3ヶ月間だけ浮かれて遊びましたが、それ以外はほとんど遊ばず、大学生がしそうな楽しいことは、ほぼ全てしませんでした。

サークルや大学の飲み会にはほとんど行かず、誰とも会わずに家で本を読みふける日々。

 

しかし、これはとても不安でした。

 

 

ちょうど僕が大学1年生のときからTwitterがはやりだし、嫌でもキラキラしたリア充から、スーパー大学生の情報が僕の目に飛び込んできていたからです。

 

 

俺だってほんとはもっと遊んで、いわゆる楽しいキャンパスライフを送りたいし、

そもそもこんな家にいるだけの生活で本が出せるのか?

周りはみんなカンボジアでボランティアしたり、世界一周とか、有名な企業でインターンをしている。

ずっと憧れてきた読者モデル・江口亮介さんは、慶應のミスターコンで、大学1年生にしてミスター慶應グランプリに選ばれ、当時日本一有名な学生団体の代表をやっていた。

そんな中、俺は何をしてるかって?

BOOK・OFFで本を買っては、クーラーの効いていない暑い部屋で読んでいるだけ。

お金が無かったので、本が買えないときは何時間もBOOK・OFFで立ち読みしていた時期もあった。

本当にこんな地味な生活で本が出せるの?

 

 

自問自答の日々でした。

しかもこの生活は大学1年から大学5年までまったく変わらずで、5年生になっても1年生の頃とほとんど同じ生活を送っていました。

渋谷のジュンク堂か家の近所のBOOK・OFFで読みたい本を探しては、家に帰ってから読み、ときどき書く。

以上。これの繰り返し。ほんとにこれだけ。

 

1、2年生の頃、遊んでいた人でも学年が上がるに連れて、意識が変わり、やるべきことが大きく変わっていく人も周りにたくさんいただけに、二十歳の頃と何も変わらない自分にとても不安と焦りを感じていました。 

もともと今まで受験の小論文でしか文章を書いたことがなかったので、まともに普通の文章を書いたことが一切なく、

大学生になってサークルでフリーペーパーを年に2度だけ作っていたのですが、僕より文章がうまい人はいくらでもいて、

当然サークルの先輩からも「出版甲子園がどうとかって言ってるわりに、森井、文章下手やな」と思われているのは痛いほど伝わってきていました。

「俺の方が本読んでるから」
「森井よりあいつの方が文章うまいからな。それで作家目指してるってやばくね?」

バカにされたこともありました。

 

 

でも、そんな中、最後までやめなかったのは僕だけでした。

出版甲子園で準グランプリを取れたのは、僕に才能があったわけでも、人より文章がうまかったからではありません。

一人、また一人と〝舞台〟から降りていく中、僕は最後まで降りなかった。

気付けば、最後に舞台に残っていたのは僕だけで、

だから、選ばれたのでした。

 

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出版甲子園の決勝進出が決まったとき、「あなたの大学生活はこれで良かったんだよ」と言ってもらえた気がしました。

5年間、この道で合っているのかずっとずっとずっーーーと不安で、

いろんなものを犠牲にしながら、出口の見えない暗いトンネルの中をひたすら一人で走っている感じだったのですが、やっと「このままでいいんですよ」と肯定してもらえた気がしました。

だから、嬉しかった。だから、泣けたんです。

 

決勝進出が決まったとき、大学の「コミュニケーション学」という授業中だったのですが、大教室で人目をはばからず泣きました。

人生二度目の嬉し泣きでした――

 

 

 



________

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さて、ここからが本題なのですが、

今回この記事を書いたのは、別に僕のことを知ってほしいわけでも、僕のうまくいった話を自慢したいわけでも一切なく、伝えたいことはこれからです。

 

ここまでは前振りというかネタ振りみたいなもので、過去二度した嬉し泣きについて書いてきましたが、

では、僕はどちらの方が幸せだと感じたでしょうか?

 

慶應に合格したとき?それとも出版甲子園で決勝進出が決まったとき?

どちらだと思いますか?

そしてそれはなぜでしょう?

 

 

結論から言うと、28年間生きてきて最も幸せだと感じたのは、出版甲子園で決勝進出が決まった日の方でした。

それではなぜ、二度目の嬉し泣きをした方が幸せと感じたのか?

一度目と二度目には明確な違いが一つありました。

 

それは、

「僕の成功を自分のことのように喜んでくれる「友」の存在の有無」です。

 

もちろん慶應に合格したときはめちゃくちゃ嬉しくて、生まれ初めての成功体験だったので、

これから死ぬまでにいろいろと成していくかもしれませんが、

それでもおそらくもうこれ以上嬉しいことは今後ないと思います。

「初めて」という体験はそれほど大きいものなのです。

しかし、このときは自分のことのように喜んでくれる人が一人もいなかった。

仲良い友だちはいたので「おめでとう!」とはすぐに言ってくれはしたものの、周りもあまり受験にうまくいっておらず、やはりどこか上の空というか、ちょっときまずい感じだったのです。

 

一方で、二度目の嬉し泣きの日は違いました。

出版甲子園決勝進出が決まると知るや否や、いの一番に駆けつけてくれて祝ってくれた友達がいました。

 

親友の〝あおちん〟です。

 

この日のあおちんの行動は本当に素晴らしかったので、少しあおちんの話をさせてください。


―――――

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あおちんとは大学4年の春に、内定先だった「リクルート」の内定者飲み会で知り合いました。

同じ内定先で、同じ大学ということもあり、すぐに仲良くなり、毎週のように飲みに行くようになりました。

大学4年という知り合ったタイミングは遅かったものの、お互い大学での一番の親友になるまでに時間はかかりませんでした。

それなので、僕がどんな想いを抱え、この出版甲子園に挑んでいたのかを知っていました。

2014年10月16日に、出版甲子園の審査に残っている20名の中から決勝に進める10名が選ばれるということももちろん知っていました。

 

決勝進出が決まった直後、僕が真っ先にしたことは、あおちんに電話することでした。

あおちん聞いてくれと、ついに出版甲子園の決勝進出が決まったぞ!と。

 

しかし、あおちんは電話には出ませんでした。

「ごめん今カテキョのバイト中!」

とすぐにLINEが返ってきました。

あおちんには、LINEではなく直接伝えたかったので、何事もなかったかのように、

「おけ!バイト何時に終わる?今日飲みいけたりしない?」

とLINEすると、「17時からならいける!飲も!」と返ってきました。

 

このとき、あおちんはまだ何も気づいていないようでした。

しめしめ、驚かしてやろうと、早くあおちんに会いたいなぁーと思いながらも、平然を装い、17時に横浜へ向かいました。

「お疲れ!3日ぶりやな!」

と僕が言うと、「ゆうたまじ会いたかったわ~お店もう予約しといたからそこで語ろ」

と言われました。

 

ついさっきまでバイトしてたというのにもうお店の予約までしていて、あおちんさすがの仕事の早さやなぁ~と思いながら、

もういてもたってもいられなくなって、お店に着くまでの道のりで、

 

あおちん聞いてくれ、前に出版甲子園の話したやん?実はそれの決勝大会に進めるかどうかの発表がさっきあってさ、俺がその10人に選ばれることになった!!!!

 

と、あおちんを驚かせたい一心で話しました。

 

すると、あおちんは、まったく驚く様子はなく、ただただ本当におめでとう、本当に良かったと涙ながらに言ってくれました。

 

そう、あおちんは僕が電話した時点で全てを気づいていたのでした。

 

出版甲子園の決勝に進めるかどうかの日にちが今日であるということを。

そして、僕の性格上、もし準決勝で落ちていたらまず間違いなく電話なんてしてこずに、一人で落ち込むであろうということを。

 

なので、バイト中だったから出られなかったものの、僕から電話があった瞬間、ゆうたの出版甲子園の決勝進出が決まった!!!!!!と気づき、

すぐにその場で祝うためのお店とサプライズケーキを予約してくれて、

それでいて、平然と何事もなかったかのように振る舞ってくれていたのでした。

 

このあおちんの気遣いには本当に感動しました。

そこには嫉妬や妬み、羨望といったようなものは一切無く、純粋に僕のことを祝いたい一心で駆けつけてくれていたのでした。

 

その後、21時までゼミだったにも関わらず、リクルートの同期で早稲田の友達のりさも来てくれて、本当に最高で楽しく、幸せな一日を過ごすことができました。

 

生きてきて、この日が一番幸せでした。

 

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(その日のあおちんとりさ。もっと楽しそうなはしゃいでいる写真もありましたが、自重(笑)このとき僕の髪の毛があまりに明るいため3人で写っている写真も自重(笑))

 

慶應合格」や「出版甲子園でグランプリを受賞する」という目標(または夢と言っていいかもしれません)ができてからというもの、僕の人生は輝き出しました。

それまでは本当に毎日くそみたいな生活を送っていて、鬱屈とした日々でした。

それが「夢」のおかげで、急にカラフルに色づくようになったのです!

そして、そんなカラフルな日常を、より豊かなものにしてくれたのが「友」の存在でした。

 

(何年も何年も膨大な時間かけてきたことで、にも関わらず、ずっとうまくいかなかったことに対して、僕はちょうど5年おきに嬉し涙を流しているみたいで、

あと1年ちょっとで前回から5年が経つので、そろそろ三度目の嬉し涙を流したいと思っていて、そのために日々頑張っているわけですが)

 

よく夢を叶えた人が、いやもっと言うと、億万長者の経営者や全てを手に入れたかのようなTVスターが、

「お金も地位も名誉も何もなくて何者でもなかった頃が一番楽しかった」
「もしあなたと代われるなら、10億円払ってでも代わってほしい」

というようなことをインタビューで答えているのをたびたび耳にしていて、それに対して、

 

「いや、うそつけ」
「それ美人の女優がブスの女芸人を見て、かわいぃ~って言ってるようなもんだからな」

 

とずっと思ってきましたが、

やっと気づくことができました。

 

彼らの言うことはおそらく本当で、

何も大きな結果を出せず、仮に夢を叶えられなかった人生だったとしても、自分の人生を最も輝かせ、カラフルに、楽しく、幸せで、充実したものにしてくれるのは、

お金や地位や名誉なんてものではなく、

人生で必要なものは、

 

「夢と友」

 

この二つなんじゃないかなぁということにやっと気づくことができました――

 

 

 

 

 

 




______

僕がどうしても伝えたかった話はこれでおしまいなので、ここでこの記事を終わらせても良かったのですが、

最後にもう少しだけあおちんの話をさせてください。


――――

f:id:yuyu413:20180722144859j:plain(左が森井、右があおちん)

大学4年のその頃、僕とあおちんは本当に仲が良く、

19時から会うと話が盛り上がり過ぎていつもオールしてしまうことになってしまい、しかし毎回オールはしんどいということで、17時から会うことにしていました。

終電まで7時間喋りたおすと、さすがにちょっと疲れてきて終電で帰ろうか、となるからです。

ちなみに、19時ではなく17時から会うことをあおちんの名字である青野からとって、〝青野時間〟と呼んでいました(笑)

 

当然、決勝進出を祝ってもらった日は〝青野時間〟(17時)に集合していたわけですが、

りさも来てくれたこともあり、いつも以上に盛り上がり、

終電間際になったとき「今日は青野時間の集合だったけど、オールしちゃおうぜ!」と僕が言うと、

いつもなら絶対に断ることのないノリの良いあおちんが、急に真顔でこう言いました。

 

「ゆうた、今日は終電で帰った方がいいと思う」

 

え?

という顔をするとこう続けました。

 

「もうすぐで5年越しの夢が叶いそうなんだ。ワイワイ過ごすのも楽しいけど、今日という大切な一日の残りの時間は一人で噛み締めた方がいい気がするんだ」

 

言われてみれば、出版甲子園の運営者へのメールも返していなかったし、一ヶ月後に控える決勝大会に向けてこれからが本番であり、本当の勝負はこれからでした。

 

そのことをあおちんは思い出させてくれて、確かに一人の時間も必要かと思い、

「うん、わかった。今日は本当にありがとう」と言い、

酔っぱらいのりさを電車までしっかりと送り届けた後、解散することにしました。

 

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「なんて幸せな一日だったんだ」とあらためて噛み締めながら、帰りの電車でなんとなくTwitterを開いたら、たまたまあおちんのこんなツイートが目に飛び込んできました。



「友達の成功を心の底から祝福できるって、当たり前だけどとってもいいこと!

親友の5年越しの夢が叶いそうで、自分のことみたいに嬉しかった!本当におめでとう!おれももっと努力します!」



再び、涙がこぼれ落ちそうになり、僕は抱え込むように両手でぎゅっと携帯を握りしめました。 

 

 

 

 

 

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「一時代を築いたほどの人や組織が時代に取り残され、その結果、業界から消える」というようなことが度々あり、前々からそれがすごく疑問でした。

人気長寿番組とかもそうですね。なぜ栄華を極めたような人でも淘汰されてしまうのか。

今回、日大アメフト部の内田前監督の一連のニュースを見ていて、一つ確信したことがあります。

それは「世界は変化しない者を嫌い、動き続けている」ということです。


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そのことを理解していただくために、まずいくつかの話をします。

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僕が中学生の頃に通っていた塾は、少数精鋭の日本一偏差値が高い中学生が集まる塾でした。

僕の代で灘高校合格者数8年連続日本一。灘高トップ合格者も同じ塾の友達でした。

高校受験専門の英才進学塾として有名で、わざわざ兵庫県の西宮にあるこの塾に通うために、四国や北海道などはるばる県外から通っている人もいたくらいでした。

この塾が他の塾と違っていたことはざっくり三つあります。

一つは「終わらないほどの膨大な宿題が出る」こと。

やってもやっても終わらないので、中学生にして毎日深夜まで勉強することになります。いわゆる詰込み型のスパルタ教育でした。

二つ目は「成績にとてもシビア」ということ。

毎月、〝月例テスト〟というものがあり、そのテストの成績で教室での席順が決まります。成績が良い人から順番に前から座っていき、成績下位だと当然後ろに座ることになり、黒板が見えないこともありました。

そして、最後の三つ目は「体罰がある」ということでした。

ある先生は、小テストの成績が悪いと、自分の前に並ばせて、「歯を食いしばれ!」と言い、一人ずつ顔面を思いっきりぶっていきます。

僕は勉強がかなりできない方だったので、何度も何度もぶたれました。

毎年8月に行われる夏合宿では、先生がみんな竹刀を持っており、ちょっとでも悪さをすると(例えば、自習中騒いだり、花火にエイトフォーをかけたり(火力がめちゃくちゃ上がります))、その竹刀で一人ずつ生徒の頭を叩いていきます。

(僕はその時竹刀で叩かれはしなかったですが、その後高校の体育の剣道の授業で初めて竹刀を触り、防具をつけていても叩かれるとかなり痛いことを知りました)

 

もちろんこれは平成の話です。

「親父にもぶたれたことないのに!」というセリフがありますが、僕は後にも先にもあんなぶたれ方をしたことは一度もありません。

90年生まれの僕より下の世代にこのことを話すと、「体罰とか絶対ありえない!」という顔をされると思います。同世代やちょっと上の代でもなかなかない気がしますね。

僕の代(2006年卒)で、8年連続灘高校合格者数日本一(募集40人に対して約20人ほどが合格)でしたが、そういったスパルタ詰め込み教育が徐々に世間から受け入れられなくなっていったのでしょう。

その2年後に連続記録は潰えることになります。

そして、2018年現在、塾の実績はそのときの見る影もありません。

一時代、高校受験業界で栄華を誇っていましたが、昔ながらのやりかたを変えられず、気付いたら、ガラパゴスと化していたのでしょう。(塾大好きだったので、卒業生としてとても悲しい!)

僕が中学生だった頃は、「しっかりお勉強して、いい高校いい大学に入って、いい企業に就職できれば、幸せになれる」と親や教師からギリギリまだ信じられていた時代だったのかもしれません。

 

これを書くにあたり、今の灘合格者数日本一の塾のサイトを見てみましたが、いい意味でとても今風でした。僕が中学生なら(または親だとしても)、「昔ながらのスパルタ詰め込み教育」の塾よりも、絶対にこちらの塾に入りたいと思います。

このように時代が変わると、その時、良しとされる「価値観」は大きく変わります。そして、その変化に適応できなければ、淘汰されてしまうのです。 

 

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この「価値観」というものは、時代の節目で180度変わります。

少し時を遡ると、1945年がそれにあたります。

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例えば、戦前、子どもが「お母さん、ぼく大きくなったら陸軍大将になるね!」なんて言うものなら、「よくぞいった」とお母さんから涙ながらに背中を押され、お父さんからは「さすが俺の子だ」と言われたでしょう。

なにせその頃の陸軍大将は〝国の英雄〟ですからね。

 

しかし、時代は変わります。時代が変わると、価値観も変わることになります。

そうやって英雄となった子どもは、1945年8月15日から一ヶ月も経たないうちに、国に尽くしたために戦犯となり、歴史に残る極悪人とされてしまいます。

かつての〝英雄〟が、戦争の〝大犯罪者〟として処刑されることになるのです。

〝絶対的な正義〟だと思われた価値観が180度変わった瞬間です。

時代が変われば、価値観や常識、ルールそのものが変わってしまうのです。

 

 

こう言うと、「戦争なんて昔の話過ぎて参考にすらならない」「オレ、平成のゆとり世代だし」と思うかもしれませんが、これは実は身近に起こりうる話です。

例えば、〝フライデー襲撃事件〟って知っていますでしょうか?

フライデー側のいきすぎた取材に抗議するという名目で、ビートたけしたけし軍団が編集部に乗り込んだ騒動です。

(今は文春に押されていますが)それまではフライデーは、180万部売れている日本一の雑誌でした。なんと女子大生が電車で読むような雑誌だったのです。

しかし、この事件をきっかけに一晩で、フライデー編集部は日本一酷い人たちに変わってしまいました。

国の英雄だった人たちが、たった一日で極悪人となったようにーー

 

このように時代によって〝正義〟または〝悪〟とされる価値観が変わった例なんていくらでもあります。

ナイチンゲールが生きた時代は、看護師は知性や品性のかけらも感じられないような社会的身分の低い仕事だと見なされていたし、ほんの数十年前の吉本は刑務所のような場所で、どうしようもないやつらの集まりとされていました。

 

つまり、時代が変わると、突如として

・英雄が戦犯になる
・出世街道にいた人たちが、職を失う
・輝いていた職業が、軽蔑されるようになる

のです。 

 

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一ヶ月ほど前に、問題となった写真家の〝アラーキー〟こと、荒木経惟もそのうちの一人でしょう。

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荒木専属として作品の被写体モデルとなったKaoRiさんがアラーキーから受けた性的虐待を告発し、それに触発された水原希子が自ら受けたセクハラやパワハラを自身のInstagramで公にし、話題となりました。

アラーキーはおそらく女性を下に見ていたのだと思います。男性の方が偉く、そして地位も名誉もある自分は女性に対して何をしても許される、くらいに思っていたのでしょうか。

昔はそれでも許されていたのかもしれませんが、今はそうはいきません。どう考えても時代錯誤なことをしてしまっていた。

その結果、専属の被写体モデルという仕事のパートナーであり、自分の最も身近にいた人から告発されることになります。

 

また、およそ7年前、島田紳助がヤクザとの関係が公になり、芸能界から引退を余儀なくされました。

このとき、たまたまヤクザとの関係が暴露され、引退することになりましたが、島田紳助のこの芸能界追放は遅かれ早かれ起こりうることであり、〝必然〟だったと僕は思います。

というのも芸能界で島田紳助ほど酒池肉林を地でいくよう人は他にいないからです。

今の世間様がそれを黙っているわけがありませんからね。

彼もまた過去の価値観を引きずり、変化できなかった者のうちの一人だったのではないでしょうか。

 

日大アメフト部の内田前監督の良くなかった点はいくつも挙げられると思いますが、その中での一番の大罪は「変化できなかったこと」だと僕は思います。

現に内田前監督は「俺は昔と何も変わっていない!」のようなことを最初述べていましたが、

「何も変わっていないから、俺(またはラフプレーをした宮川選手)は悪くない!」と思ったのかもしれませんが、「何も変わっていなかったこと」が問題だったのです。

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それでは、なぜ一時代を築いたほどの者たちが変化できないのでしょうか?

 

それは「中心」にいるからです。

中心にいる人ほど変化に気づくことができません。

時代が変わる時、危機が迫っていても最後まで気づかず滅びるのは、中心にいる人たちです。

中心にいる人は、過去の成功体験を捨てられないと言ってもいいでしょう。

周縁にいる人たちからちょっとずつ変わり、中心にいた者が気づいた時にはすでに遅く、内田前監督みたいに、「淘汰されるか、変化を余儀なくされるか」、どちらか一つになります。

時代の節目は価値観がひっくり返るのです。

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それはまるでトランプゲームの「大富豪」で〝大富豪〟が負けると、いきなり〝大貧民〟まで落ちてしまうようにーー

〝革命〟でルールが変わり、カードの強さが真逆になり、今までほとんど最強だった数字の〝2〟が一番弱くなってしまうようにーー

 

〝中心にいる人たち〟にとって、旧来の価値観によって築かれたシステムを新しい価値観に基づくシステムに切り替えることは、そもそも組織が成立している収益基盤を失うことになります。

それは組織にとって自殺行為であり、そのため旧来の価値観と食い違う分子を徹底的に退けようとします。

しかし、いつの時代も革命を起こすのは、中心にいる人ではなく、周縁にいる人たちです。

時代の節目では、次世代に向かう新しい価値観を創れた者のみが存続を許されるというわけです。

先ほど書いた戦後の話みたいに、価値観がいきなり180度変わるということはあまりありませんが、だからこそ人は__特に中心にいる人は__〝気付けない〟のです。

「自分が一番偉い」と思った瞬間から〝淘汰のカウントダウン〟は動き始めることになります。

未来を切り開くためには、いま手にしているものを潔く捨て去らなければならないタイミングがあるのです。

その変化に対応できず、「変わらない」という選択をした者は、もれなく淘汰され、表舞台から消えることになります。

なぜなら、今までの時代の流れを見ても、世界の摂理は常に「変化」を望んでいるからです。

世界は「破壊と創造」を繰り返すことで成り立っているのです。

 

 

時代が動き、変化のタイミングがきたことに気づいて、自ら過去の価値観を手放せば、痛みは最小限にすることができます。

しかし、今回、それまでの価値観を手放せなかったゆえに、〝日大アメフト部の事件〟が社会問題とまでなり、その〝中心にいた人物〟の価値観は強制的にリセットされ、転換期を迎えることになりました。

人も組織も、TV番組だろうと、古い価値観のうち、引き継ぐべき価値観と捨てるべき価値観を見極め、その上で新しい価値観を作り上げること。

これができるものは生き残り、できないものは滅亡する。それだけです。

島田紳助はテレビに出続けていたということは、視聴者から求められていた存在であり、そのために変わる努力をしてきた人だと思います。

ただ、捨て去るべき価値観を捨てられなかった。だから淘汰され、表舞台から消すことになった、と言えます。

内田前監督もその取り巻きもまさかこんな大事件になるなんて思っていなかったでしょうが、今まさに真価が問われる時なのだと思います。

  

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これらは地球の歴史を紐解いてみても明らかです。

地球上の生物は、何億年という歴史の中で、過去5回大量絶滅しており、これらを総称して「絶滅のビックファイブ」と呼ばれています。

一番最近の5回目は、6500万年前の白亜紀と呼ばれる時代で、いわゆる恐竜が絶滅した時代です。

そして、現在、その6回目となる大量絶滅の時代が来ていると言われています。

今こうしている間にも20分に1種、1日に150種、1年間に4万種という猛烈な速度で、様々な動植物が絶滅しつつあります。

そんな激動の時代に、その時その時の環境に適応し、進化できた生物だけが、次の時代を生きる権利を与えられるのです。

 

「今がめちゃくちゃ多くの生き物が絶滅の危機にある」なんて聞くと、「現代やべぇ」「資本主義社会のせいだ」となりますが、この世界の摂理が「変化」でできていることを考えると、絶滅の危機は自然なことだと思います。

仮にこの世界の創造主がいたとしたら、「そういえば、この地球って星、ここ6500万年くらい安定しちゃってたから、そろそろ滅ぼしとこか」くらいにしか思っていないかもしれません。

ここ数百年で見たら確かに地球の生物はかなりの数が絶滅しつつありますが、何億年という地球の歴史から見たら、そんなに珍しいことでもないのです。現代で6回目ってくらいですからね。

むしろ外来種によって生態系が崩れたり、環境が変わり適応できなくなって絶滅する方が世界の摂理からしたら自然なはずです。

 

我々、哺乳類だって、もともとは爬虫類の下だったわけですからね。

昔は爬虫類にめちゃくちゃ威張られてたわけです。そんな爬虫類が地球環境の大変化に適応できず、いなくなった。

そのおかげで、哺乳類がダーッと出てきて、その結果入れ替わってヒトが出てこられたわけです。

隕石がぶつかったり、地球が急に寒くなったりして、仮に人間がいなくても地球環境はどんどん変わっていきます。

環境が変化していく過程で、うまく適応できた生物だけが生き残り、その変化に失敗すると絶滅し、入れ替わることになるのです。

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そう考えると、これから何千年何万年先、人間が生物のヒエラルキーの一番上にいなくても何らおかしいことではない気がしてきますね。

たまたま今地球を支配しているのが人間なだけであって、何かの衝撃でまた爬虫類か何かに乗っ取られる可能性はあるわけですし。

6500万年前、いったいどの恐竜が哺乳類なんていうちっぽけで、弱っちぃ生き物にこの地球を支配されるようになるなんて思ったでしょうか?

今後、何かの突然変異で「テラフォーマーズ」や「進撃の巨人」みたいな世界になるかもしれません。

ちなみに人間とチンパンジーの遺伝子は98.4%同じ、ですからね。

たまたま、今、人間が一番上にいるだけであって、この世界は人間中心に作られているわけなんてないのです。

 

この世には〝絶対的な正義〟など存在せず、あるのは「変化し続けよ」というこの世界の創造主なるものからの至上命令だけです。

そして、この世界が安定を嫌うのは、おそらく「同一状態を保つと完全に滅ぶ」からだと思います。

だから、存在し続けるためには変化する必要があるのです。

この世界の本質が受け入れられず、変化できなければ、この世界からの「洗礼」を受けることになります。

つまり、「世界は変化しない者を嫌う」のであり、「変化」こそが自然の摂理なのです。

 

 

となると「変化し続けているのに、生き物はなぜ死なないように進化できないのか?」という質問にはこう答えることができるでしょう。

死は、ある意味、生への始まりであり、変化へのきっかけです。しかし、「死なない」とは、変化しないことであり、【変化せよ】というこの世界からの至上命令を無視していることになり、それは世界の摂理に反しているので、死なないように進化できない」

となります。

また、「じゃあ恐竜のいた時代から姿を変えていないと言われている古代魚・アロワナはどうなんだ!この1億年の間、姿を変えることなく生き残っているではないか。それこそ世界の摂理とやらから反しているじゃないか!」というツッコミが入るかもしれません。

確かにその通りだと思います。アロワナは〝生きた化石〟なんて言われますもんね。

正直、このへんの進化生物学の話は門外漢なのでよくわかりませんが(自分で生き物の話を出しといてすみません)、

ただ、一つ言えるのは、「変わらないために、変わり続けている」のだと思います。
 

 

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少し話が広がり過ぎてしまったので、人間社会の話に戻しますが、

先ほど、「時代の節目には価値観が180度変わる」と言いましたが、この時代は〝振り子のようなもの〟でできています。

 

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例えば、3.11の震災を例に説明します。

日本人は、この震災をきっかけに、「絆」の大切さを再認識し、「人とのつながり」を声高に叫ぶようになりましたよね。

支援活動にもTwitterが大いに使われましたし、「やっぱりつながりって大事だ」「もっと血縁・地縁関係を大切にしよう!」と。

 

この頃、注目されたマンガは「ワンピース」でした。(僕の記憶が正しければ、白ヒゲと海軍との全面戦争のところだったと思います)

もちろん今でも大人気ですが、この時期は特にで、ワンピースを題材にした絆について書かれたビジネス書がとても増えました。

ワンピースは、主人公ルフィが仲間を集めながら、海賊王を目指し、冒険していく物語。

ルフィはなにより仲間を大切にし、その仲間に「家族愛」を求めています。

震災後、本当の家族だけでは不安な人々は、他人に「家族愛」を求め、つながりがないと生きていけないような人達が増えました。

だからこそ、他人と絆を結ぶ物語が共感され、ワンピースが社会現象となるくらい話題となったのです。

 

しかし、みんながつながり合った後、人々はどう思うようになったでしょうか?

 

 

 

それは

 

「人間関係ってしんどぉ」

 

でした。

 

「つながりのせいで、自由がなくなった」

となり、この時期から〝SNS疲れ〟という言葉も度々耳にするようになりました。

そして、最終的に、人々は「絆」とは真逆の「自由」を追い求めるようになります。

ノマドワーク〟という言葉が使われ出したのもこのあたりの時期です。

 

このように人々は、自由を得れば寂しくて絆を求め、絆を得ると息苦しくて自由が欲しくなるのです。

(ちなみに、その後、しばらくして、今度は〝ノマド〟とは真逆の〝社畜〟という言葉が生まれることになります)

 

小から大へ、大から小へ。
重から軽へ、軽から重へ。
混沌から秩序へ、秩序から混沌へ。

一つの価値観が飽和すると、対極にある価値観へと時代の振り子は揺れます。

貧しい人が豊かさを求めて必死に努力し、ようやくありあまる富を手に入れても、そこで満たされることはありません。

豊かになると今度は「貧しさこそ、清らかで美しい」と感じます。

だからといって本当に貧しくなってしまうと、「なんてことだ、また豊かになりたい」と渇望するのが人間の心理なのです。

戦後の日本人が貧しさからスタートし、豊かさを追い求めてきました。しかし、その豊かさが飽和しているのは、今の僕たちみんなが実感していることのはずです。

 

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19世紀に活躍した哲学者・キルケゴールはこんな名言を残しています。

「不安とは自由の眩暈(めまい)である」

これは、

「人間は自由であるがゆえに、来るべき未来に、自らがどのような状況に陥るかわからないという強烈な不安に駆られてしまう。人間が自由を手にしたがゆえに、不安は生まれた」

と言っています。

例えば、生まれた瞬間から身分が決まっていれば、自由はないかもしれませんが、その分、自分の将来のことで不安に陥ることはないのです。

人はあまりに自由だと、かえってその自由に不安になってしまうのですね。

 

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また20世紀の社会心理学者・エーリッヒ・フロムは、『自由からの逃走』の中でこんなことを言っています。

「自由は近代人に独立と合理性をあたえたが、一方、個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力のものにした」

フロムはユダヤ系の社会心理学者で、ヒトラーが支配するナチスドイツから亡命し、1941年にアメリカでこの本を出版しました。

『自由からの逃走』には、人々がなぜファシズム全体主義に囚われていくのかがわかりやすく書かれていますが、

全体主義から逃れ、やっとの思いで自由を手に入れたのに、再び、人々が支配されることを求めてしまったのは、やはり自由により不安になってしまったからなのです。

戦争や革命によって、独裁者が支配する全体主義個人主義となり、個人主義になれば、再び全体主義が良しとされる。

このように歴史は振り子のように刻まれていくのです。

(そう考えると、アメリカでオバマ大統領からトランプ政権に変わったのも、もしかしたら時代の必然だったのかもしれませんね) 

 

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少し小難しい話が続いたので、最近の話をしますが、ベッキーの不倫騒動以来、世間の不倫を絶対に許さないムードがすごくなりましたよね。

とにかく芸能人の不倫がスクープされる度に、極端なまでの不倫タレント叩きがワイドショーをにぎわせていました。(最近やっと不倫ブームも落ち着いてきた感はありますが)

 

これらの芸能ニュースを見て僕は、

「あぁこれからはもしかしたら〝不倫が許されてしまう〟時代が来るかもしれない……」

そう思ってしまいました。

なぜなら時代の振り子が片方に極端に振りきれると、その反動でもう片方の端に振り子は動くことになるからです。

 

ベッキーの不倫騒動が2016年の年始でしたが、その後どうなったかというと、2016年の末くらいだったでしょうか。

「ポリアモリー」という概念がネットで話題になりました。

勘の良い方は、もうポリアモリーがどんな意味を表すのかわかったかもしれませんね。

ポリアモリーとは「複数愛」という意味です。

恋愛は一対一でするもの、といった従来当たり前とされてきたそんな価値観に一石を投じる、新しい恋愛の形として注目されることになります。

複数愛はさすがに世間で流行るとまではいきませんでしたが、一時期ネットをにぎわせていました。

 

ちなみに、この話はこう言い換えることができます。

仮に「不倫しないことを善」、「不倫することを悪」とすると、「不倫してはいけない」という善の主張が強まれば強まるほど、「複数の人と付き合ってもいいじゃないか」という悪が強まる、となります。

光が輝けば輝くほど、闇は深まるのです

 

このように、世界は絶えず振り子のように、行ったり来たり、動き続けています。

「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、時代は振り子のように動いているので、歴史は繰り返されるのです。

歴史とは、ランダムな出来事の連続により創られているのではなく、同じパターンの物語の繰り返しにより創られています。

「時代を読む」とは、そういうことなのです。

(ちなみに先ほど、生物の進化の話になりましたが、生き延びるためにたえず「進化」していなければならないというわけではありません。

「変化」とは、「たえず新しい状態を作り出す」ことだけを意味しているわけではなく、単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも十分に変化と言えるからです)

 

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ところで、僕は定期的に新しいことを勉強するようにしているのですが、28歳にもなると「自分より年下の人から習う」ということが少しずつ増えてきました。

新しいことを勉強するということは「その分野で僕が一番知らない」という状況になるので、自分より年齢が下の人に教えてもらうことは当然のことで、

新しく勉強する限り、年を取るごとにこういうことは増えてくると思うのですが、「年下に頭を下げられなくなったら終わりだなぁ」と最近強く感じました。

特に、年下と言えど、仕事ぶりが一流ならば問題ないかもしれませんが、そうではなく、それでもその人から教えを請わなければならない場合。

頭を下げられなくなったら、そこで成長は止まると思いました。

特に本業で結果をだしていて、ばりばり後輩から慕われているような人ほど、なんで?となると思います。

偉くなれば偉くなるほど、年下に頭を下げにくくなるからです。

しかし、「年下に頭を下げられなくなった時」、人は成長がとまります。

ニーチェ「脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していくことを妨げられた精神も同じことである。それは精神であることをやめる」と言いましたが、

今まで書いてきた風に言うと、

成長がとまるとは、変化しなくなることであり、必然的にその人は「淘汰」される運命を辿る、です。

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以前、銀座の会員制のbarで働いていたことがあるのですが、

そこにはむちゃくちゃお金持ちの人達が来ていて、

超一流の人ほど一般人扱いされたがり、(僕がこんなこと言うのは本当におこがましいのですが)二流の人ほど偉そうに振る舞い、VIP扱いしないと怒っていました。

偉くなれば偉くなるほど、年下に頭を下げにくくなると先ほど書いたものの、

志が高く、本当に結果を出している人ほど、地位や肩書きに関係なく、僕みたいなものにも対等に接してくれます。なんだったら百戦錬磨の経営者が、僕からすら学ぼうとしていたくらいでした。

そのとき、ずっと第一線で活躍し続けるためには、やはり「自分が楽しみながら、いくつになっても若手に教えを乞うことができるかどうか」だと強く感じました。


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ここまで「世界は変化しない者を嫌い、動き続けている」について書いてきてふと思いましたが、

一時代を築いた者、または組織が、時代に取り残され淘汰されるというのは、ある意味、著しく結果を出した者だけに与えられる〝宿命〟であり、〝試練〟なのかもしれませんね。

それもまた、世界が望んでいる「変化」なのですからーー 

 

 

(参考文献/オススメ書籍:『不安の概念』(キェルケゴール)『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム)『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド)『若い読者のための第三のチンパンジー』(ジャレド・ダイアモンド)『動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話』(ジュールズ・ハワード)『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)『土井英司の超ビジネス書講義』(土井英司) 『2022』(神田昌典))

 

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■関連記事

これを書くまで完全に忘れていましたが、約2年前にも似たようなことを書いていました。具体例に生き物や、テレビっ子なのでテレビの話をしていること、「世界が……」と言っているところなど、全然変わってないですね(笑)2年前よりうまく書けるようになっていますでしょうか?笑

ちょうど2年前に生物学にはまり、今でも時間を見つけては生き物の本を読んだりしています。もっと生き物に詳しくなりたい!

 

 

人はなぜ怒ってしまうのか?

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最近、テレビを見ていて心が震えたことがありました。

ある交通事故で愛する妻と娘を同時に亡くしてしまった遺族の旦那さんの発言にです。

この男性は、加害者の居眠り運転のせいで、妻とまだ幼い娘を亡くしてしまいました。当然、言い知れぬ悲しみと怒りでうちひしがれていてもおかしくないのに、取材陣に対してこんなことを言っていたのです。

 

「こんなに悲しいことは今まで経験したことがありません。しかし、加害者の人生もこの事故のせいでほとんど終わってしまったようなものです。この悲しみは僕か僕以上かもしれません。なんて言ってあげたらいいのかわかりません」

 

なんとこの遺族の男性は、最愛の妻と娘の命を奪った加害者に対して、怒りをぶちまけるのではなく、彼の人生を気遣っていたのです!

この配慮に非常に心が震えました。僕なら加害者に対して怒りがわいて、妻と娘を返せ!と叫んでいたかもしれません。

 

そのニュースの後、あるバラエティ番組を何の気なしに見ていたら、「恋人の嫌いなところランキング」が調査されていて、タバコを吸うことやギャンブルをするところ等をおさえて、1位が「些細なことでよく怒ること」でした。

先程のニュースを見た直後ということもあり、すごく驚きました。

些細なことで怒る人もいれば、故意ではないとはいえ自分の愛する妻と娘の命を奪った加害者に対して、怒るのではなく気遣うことができる人もいる。この違いはいったい何なのか、思わず考えさせられました。

その後、僕の中で「怒り」に対してある一つの結論が出ました。

それは「怒りとは傲慢である」ということです。


■感情には目的がある

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感情には目的があります。例えば、「怒り」という感情は、他人を自分の思い通りに動かすために使われることがほとんどです。

子どもが言うことを聞かなかったとき、旦那さんに急にご飯をいらないと言われたとき、レストランで頼んだメニューがなかなか来なかったとき。

そんなとき、人は相手に怒ることによって自分の言うことを聞かそうと思って怒ります。

怒りは、相手を支配することと深い関係があり、怒ることで人は相手を自分の思い通りにコントロールしようとしているのです。

 

例えば、新婚夫婦を例にとって考えてみましょう。夫が急に「今日ご飯いらないから」と連絡してきたことに対して腹を立てている妻がいるとします。 

 

夫:「急に飲みに行くことになって、今日はご飯いらないから」(18時過ぎ)
妻:「なんでこんなに急に連絡してくるのよ!信じられない、もうあなたの分までご飯の準備してるから!」
夫:「ごめん。明日の朝食べるから」
妻:「そういうことは前もって言ってよ!」
夫:「いきなり誘われたし、取引先の人だから断れないんだ」
妻:「妻がご飯を作って待っているのでこれからは事前に誘ってくださいと言えないの?」
夫:「そんなの言えないに決まってるだろ!」
妻・夫:怒りがヒートアップし、帰宅後も、喧嘩状態に

 

夫に急にご飯をいらないと言われた妻は、「もっと早く連絡しろ」と怒ります。それに対して夫は「ごめん。次から気を付ける」と謝ることになりますが、このとき妻の怒りの目的は何かと考えると、夫に「ご飯の有無を最低でも18時までに連絡させること」、これが目的です。

 

そして、妻が早く連絡してほしい理由は

・ご飯の用意を一回ですませたいから
・せっかく時間をかけて作ったのに、無駄になるのが嫌だから
・夫に出来立てを食べてほしいから

この3つくらいが挙げられます。これらは、結局、「夫に自分のことをもっと愛してほしいこと」を示しています。

なぜなら、妻のホンネは、作った料理を食べてもらえなかったことよりも、日頃、自分のしている家事への感謝が夫から無くなっていっていることに怒っていて、自分の努力が夫にとって、当たり前になってしまっていることが嫌だからです。

つまり、妻は夫にもっと愛してもらいたいのです。

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さて、妻が怒ることによって夫の反応はどうなるでしょうか?

ご飯がいらない日は妻に早めに連絡することになるでしょうが、当然、急に誘われたときは妻への連絡が遅くなります。「また急にご飯をいらないと言うと、怒るだろうなぁ……」と思うと気が引けてしまってなかなか妻に連絡することができなくなります。

そうしていくうちに時間はどんどん経っていき、連絡するのがさらに遅れてしまいます。それだけ妻の怒りも増してしまいます。

また、夫は取引先の人から誘われる度に、「あぁまた妻から怒られることになるなぁ……」と憂鬱な気持ちになってしまいます。

ここまでで、妻が怒ることによって、夫は妻のことをもっと愛そうと思うでしょうか?妻のことをさらに好きになるでしょうか?

おそらく、遅く帰ったときに怒られると、夫は妻のことが嫌いになると思います。

それならば、この怒りの感情は間違った使い方をしてしまっていることになります。仮に早く連絡するようになったとしても、それは妻のことを愛していて好きで好きでたまらないからではなく、妻のことが怖いからに過ぎません。

夫に早く連絡してほしいなら、「あなたに出来立てを食べてほしいから、今日は早く帰ってきてくれない?」「せっかく作った料理を一人で食べるのは寂しいから、一緒に食べたいの」と言えばいいのです。

 

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ところが、ほとんどの人が「こんなこと言えるわけない」と言います。「私が料理を作ってあげてるのに、なんでこっちから折れないといけないのよ」と。

なぜこれが言えないかというと、夫と妻の関係が、対等で協力的な関係になっていないからです。

妻は「わざわざ料理を〝作ってあげてる〟のに」と思っています。これは横の関係ではなく、もう完全に縦の関係です。

頑張って作った料理を、愛する旦那さんに美味しく食べてもらいたくて作っているはずなのに、こんな関係性で旦那さんと毎日楽しい食卓になるでしょうか?

このまま対等ではない縦の関係を続けていけば、必ずどこかでまたひずみが生じてしまうはずです。

夫婦の関係が、どちらかが勝ちでどちらかが負けといった競争的な関係だと、不健康極まりないのです。

 

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「恋人のことが好きなのにイライラする」も同じような理屈です。「友達とはまず喧嘩しないのに、恋人とはよく喧嘩してしまう」って人いますよね。

恋人の方が好きなのに喧嘩をしてしまう。パートナーを愛しているはずなのに憎いっておかしいですよね。

この「恋人を好きなはずなのに憎い」という状況になったら、まず思い出してほしいのは恋人との関係性です。

この愛憎の感情は、おそらく対等な横の関係ではなく、縦の関係になってしまっているがゆえに生まれます。

 

例えば、あなたと友達とは対等な関係なので、何かハプニングが起きても友達に対してイライラしたり、怒ったりすることはありません。

しかし、恋人となると違います。心のどこかで無意識に「相手は自分の所有物だ」と思ってしまっているから、自分の思い通りにいかないとイライラして、恋人と喧嘩してしまうのです。

浮気されたときに「他の男に寝取られた」とか「あいつは俺の女だ」と言ったりしますよね。これはどちらかがもう片方を所有しているという発言です。

仮に性的な関係にあったとしても、人は他人を所有することはできません。当たり前ですが、セックスしたからといって、自分のものになるわけではありません。夫婦だとしてもです。

所有意識は縦の関係であり、健康な関係ではありません。一種の奴隷制度のようなものです。

不健康な関係にならないためにも、信頼ある協力的な関係性に戻る必要があります。対等な関係なら、自然と相手の立場になって考えられるようになるので、イライラしたり怒ったりしなくなります。

愛は対等な関係があって初めて成り立つのです。 

 

 

■怒りとは傲慢である 

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このように、怒りという感情の目的は、自分が上になって、相手を下にすること、つまり縦の関係を強化することにあります。

言うことを聞かせたり、自分の方が相手より正しいと思ったり、何であれ対等でなくなること。怒るのは、相手に言うことを聞かせるためなのです。

だから、他人を自分の思いどおりに動かそうとすることをやめれば、怒らないですみます。

 

ではどういう時に人は怒ってしまうのでしょうか?

それは「自分が正しくて、相手が間違っている」と思う時、人は怒ります。

 

「彼女に正論を言っているだけなのになんでわかってくれないんだ」
「あの上司はなんて自分のことしか考えていないんだ、絶対に間違っている」

怒ってしまう人は「私は正しい」「私は完璧だ」という心理が根本にあるので、実際そうではない出来事に遭遇すると、その反動で怒ってしまいます。「自分にとっての正しさ」と現実とがずれているときに人は怒るのです。

この〝正しさ〟というものがとてもやっかいで、「自分の方が正しい」や「相手が間違っている」という考え方は喧嘩のもとになります。

なぜなら、正しさというのは、結局その人だけの正義であって、人類全体の正義でもなければ、まして宇宙全体の正義でもないからです。およそ人類の喧嘩というものは、夫婦喧嘩から戦争まで、この正しいか正しくないかに関係して起こっているのです。

「自分が絶対に正しい」という傲慢さに少しでも気づくことができれば、きっと相手の主張にも耳を貸すことができ、相手に対して怒ることもなくなると僕は思います。

つまり、「怒りとは傲慢」なのです。

 

ここで以前に自分が怒ってしまったときのことを思い出してみてください。

 

 

 

 

どうでしたか?絶対に自分が正しいと言い切れますでしょうか?

 

これは僕自身、非常に身につまされる話です。過去を振り返ってみると、大人になってからこの8年間で、2回怒っていました。およそ4年に一度のペースで怒っていたのですが、そのときのことを思い出すと、たいてい「自分は絶対に間違っていない」という前提のもと、相手から何度も何か不快なことをされ続けたときに怒っていました。

ただ、これは傲慢だったなと今になって思います。相手には相手の言い分があり、絶対に正しくないと言い切れなかったからです。 

 

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怒りについて書かれた古典『怒りについて』の著者である哲学者・セネカは言います。

 

「誰もが自分の中に王の心を宿している。専横が自分に与えられるのを欲し、自分がこうむるのは欲しない。だから、われわれを怒りっぽくしているのは、無知か傲慢である」

「自分が正しい」と思うからといって、それは怒る理由にはならない。むしろ、「自分が正しいと思ってしまう傲慢さを思い知れ!」と言うわけです。

また、セネカはこう続けます。

 

「怒りは贅沢より悪い。なぜなら、贅沢が堪能するのは自分の快楽であるのに対して、怒りが楽しむのは他人の苦しみだからだ。怒りは悪意と嫉妬を打ち負かす。それらは相手が不幸になるのを欲するのに対して、怒りは不幸にするのを欲するからだ」

怒りは相手を不幸にするのを欲する……非常に力のある恐ろしい言葉ですね。怒りは害悪以外のなにものでもない。それくらい誰かに対して怒ることは良くないことだとセネカは断言します。 

 

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人間関係がうまくいっているときは、自分と相手が対等な横の関係にあるときです。「あなたは間違っている」と言って怒り始めたら、相手との関係は必ず悪くなります。

よく母親が子どもを怒ったり、先生が生徒を怒ったりするのは、間違えている子どもや生徒を直すための「正しい怒り」だと言う人がいますが、それこそ誤りなのです。

間違えただけなら、単にそのことを指摘すればいいのに、わざわざ怒るということは、その根っこに「自分が正しい、自分の言葉も正しい、自分の考えは絶対に正しい」という考えがあるからなのです。

そして、「しつけ」が良くないのは、常に一方通行であり、縦の関係を強いることだからです。親は変わらないままで、子どもだけを変えようとするのがしつけ的発想です。

「親は正しい存在だから変わる必要はない。だけどあなた(子ども)は間違っているからどんどん変わらなくてはいけない」というわけです。

ここにはやはり親特有の傲慢さがあります。子どもの親なのだから、絶対に正しい、偉いと勘違いし、自分ではなく相手を変えようと怒るのです。この根底にはやはり「傲慢さ」があります。

いい親とは、自分が間違っていたときにはそれをすぐに認め、自分自身が変わろうとし、子どもと共に成長することのできる親のことです。

 

現代社会において、怒りはほぼ役割を失っており、重要度の低い感情です。「相手にイライラしたからといって、怒りによって相手を傷つけていい」という理由には絶対になりえません。

「正しい怒り」など存在しないのです。 

 

(ちなみに、不満には、「自分の現状に対する不満」と「他人に対する不満」がありますが、他人に対する不満は持たない方がいいです。

他人に対する不満を持ちやすい人は、何事においても「自分は悪くない」と勝手に思いがちです。「自分は絶対に悪くない」という傲慢さを捨てさえすれば、他人に対する不満は解消されます。なぜなら「自分にも悪い点がある」と気づくことができるからです。イライラし他人にあたるのでなく、いい方向に自分が変われば、きっと周囲の人たちも変わるはずです) 

 

 

嫉妬の力では、浮気は無くならない

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ここまでで「怒りのメカニズム」が少しずつわかってきました。この怒りと似た目的を持って使われる感情があります。

それは「嫉妬」です。

嫉妬や束縛というものは、怒りを使って相手の愛情を取り戻そうとすることです。

ここまで怒りの無用さについて書いてきたので、怒りを使って愛情を取り戻そうとする嫉妬や束縛が、いかに無意味なことかがわかると思います。

 

また新婚夫婦を例に考えてみましょう。先ほどの続きです。

始めは仲が良かった新婚夫婦でしたが、「ご飯いらない」と遅く帰る度に妻が怒るので夫はだんだんと妻への愛情が薄まっていきます。次第に、夫は前日に「明日はご飯いらないから」と言っておき、綺麗な女性のいるような場所で遊んで帰るようになります。

それに対し、夫の浮気を疑う妻は、これからは仕事が終わったらすぐに帰ってくるように言い、徐々に束縛もきつくなっていきました。

 

ここで、いき過ぎた束縛をすると起きるであろうことは二つあります。

一つ目は、妻の怖れをなして浮気をやめること。二つ目は、嫌気がさして、ますます浮気をするようになること。

一つ目は浮気が無くなるから、束縛してもいいじゃないかと思うかもしれませんが、これもあまりよろしくありません。

なぜなら、仮に浮気が無くなったとしても、それは妻への愛情からではなく、恐怖心からやめただけなので、根本的な問題解決にはなっていないからです。

たいていの人は、愛する相手から愛情を取り戻すために嫉妬をしてしまいますが、そうすることで相手はますます離れていくことになるのです。

 

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嫉妬される側になって考えてみてください。

「私との約束を守れないなら、もうご飯も作らないし、口も聞かないから」と夫に怒りをぶつけて、夫は妻のことを好きになってくれるでしょうか?嫉妬心から冷たくあたってしまうことで、愛してくれるようになるでしょうか?

おそらく嫌いになると思います。

妻は夫から愛されたいのでしょうか?それとも嫌われたいのでしょうか?

もちろん愛されたいですよね。

自分の怒りを相手にぶつけることで、自分だけすっきりして夫から嫌われるのと、怒りの矛先をおさめ、好きになってもらう工夫をすることで夫から愛してもらうのとでは、どちらを妻は選ぶべきでしょうか?

僕は後者だと思います。

 

もし、遊んで帰ってきたとき、妻が「毎日、遅くまでご苦労さま」といつも笑顔で優しく迎え入れてくれたら男性側はどう思うでしょうか?

どんなことがあっても信頼され続けると、人はその人のことを裏切れなくなります。きっと「この子だけは裏切れない」「一生、大事にしよう」と思うはずです。結果的に、浮気は無くなるのです。

こんなことを言うと、それは女性の気持ちがわからない男の発言だ!浮気を肯定しているのか!と非難されそうですが、もちろん浮気を肯定しているわけではありません。

考え方や価値観の違う男女が一緒に仲良く暮らそうと思ったら、嫉妬という間違った感情の使い方をするべきではないということです。

嫉妬と怒りで相手を自分の手中におさめようとすることで、相手が自分に再び振り向いてくれることは絶対にありえません。

愛情は「愛」を伝えることでしか取り戻すことができないのです。 

 

 

■怒りには「遅延」が効く

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「怒りとは傲慢であること」や「怒りを使ったコミュニケーションがいかに意味をなさないか」がわかったとしても、それでも相手から怒りをぶつけられるということがありますよね。そのときはどうすればいいでしょうか?

 

一つの対処法として、相手にも自分にも猶予を与えることです。怒りには「遅延」が効きます。

例えば、頻繁に喧嘩をするという恋人同士でも、結局仲直りしているということは、あとでどちらかが謝ったということですよね。

冷静になれば、謝れたり、自分の非を認められるということは、「わざわざ喧嘩してまで、その後で謝る」か、「怒りが沸いてきても、時間を置くことでその場で喧嘩せず、冷静になった後で解決する」(またはそもそも喧嘩するほどのことでもないとわかる場合がほとんどだったりもしますが)かになります。

それならわざわざしんどい思いをして喧嘩するのが馬鹿らしく思えてきませんか?

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先ほど、僕自身この8年間で2回怒ったことがあったと言いましたが、そのうちの一回は大学生の頃、隣に住んでいた男性に対してでした。

隣人は度が過ぎたクレーマーでした。僕が引っ越して数ヶ月してから、毎日のようにうちに怒鳴り込んでくるようになりました。

掃除機をかけたらぶちギレられます。もちろん夜ではなく、昼間にかけているのに。居留守を使うとピンポンを連打され、挙句の果てにドアをがちゃがちゃされ家の中へ入って来ようとします。

僕が大学から帰ってきたら、インターフォンが壊されていたこともありました。また僕を眠りから覚まそうと、朝4時過ぎくらいに壁ドンを何十回とするという嫌がらせも受けていました。

これはさすがにやばいと、大家さんを交えて、僕とクレーマーと3人で話し合いの場を設けましたが、それでも一向に事態は改善しませんでした。

30代前後の隣人はフリーターなので一日中家にいます。そのため僕は心休まるときがありませんでした(家賃が安いところに住むとそういうことが起こるので注意が必要ですね)。

「まじで早く引っ越そう」、そう思っていたら、ちょっとした物音でまた隣のクレーマーがうちにやってきました。

このときはもう怒りを通り越して、諦めと呆れてしまっていたので、こう冷静に言ってみました。

 

「じゃあもうわかりました。もし、また僕の出す音がうるさくてキレたくなったら、すぐに怒鳴り込んでくるのではなく、そこは申し訳ないですが、ぐっとこらえてください。次の日になってまだイライラしていたら、その時はうちに来てください。謝ります」

 

こう言ったのです。それに対してクレーマーも渋々「あぁ、わかった」とぶっきらぼうに言い、自分の家へと帰っていきました。

驚くべきことに、それ以来、クレーマーが怒鳴り込んでくることは一度もありませんでした。

僕とクレーマーとの数ヶ月に渡る一悶着は突然これにて終焉したのです。結局、この家には8年近く住むことになったのですが(笑)、本当にこれ以来、一度も隣人がうちにやってくることはありませんでした。

大学一年生だった僕は、こんな何気ない一言がうまくいくなんて微塵も思っていなかったので、当時はなぜこれで怒鳴り込んでこなくなったのか謎で仕方がなかったのですが、おそらくこれは「遅延」のおかげだったのかもしれないと今にして思います。

隣人は僕の家から出る物音にイライラして怒鳴り込みたくなっても、試しに一度ぐっとこらえてくれたのだと思います。そして、次の日になってみて、全然取るに足らないことだったと気付いたのかもしれません。

 

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このクレーマーとのやりとりから、「怒りに対して、怒りで応えてはいけない」ということを学びました。怒りに怒りで応対すると、お互いがヒートアップするだけで、不毛な水掛け論になり、必ずさんざんな結果になります。

なので怒りの最初の発作を言葉で鎮めようとしないことです。耳が聞こえず、正気ではないのですから。怒りに時の猶予を与えるのです。

緩和してきたとき、治療はよく効きます。目が腫れ上がってる時は手当てを控え、力が冷えて固まっている時、動かすことで刺激します。他の疾患でも、激しい時は同様です。病気の初期段階は安静が癒してくれるのです。

人が怒っているときは、そっとその場から立ち去るべきです。頭に血が上っているときは、誰も冷静な話はできないからです。時間が経ち、落ち着いてから再び話し合えばいいのです。

あの時あんなに怒っていた人がちょっと時間を置いただけで、けろっとしていて拍子抜けしたという経験をした人も少なくないのではないでしょうか。

怒りには「遅延」が効くのです。 

 

そして、もし、相手の怒りに対して自分も怒りを感じてしまったら、最初にすべきことは「怒りを感じること」です。

怒りは、怒りを観られた瞬間、落ち着いていくので、「まさに今、怒りの感情が沸いてきているなぁ」と感じることが大事なのです。

次に怒りが生まれたら、「これは怒りの感情だ」とすぐに自分を客観的に観察してみてください。そして、「自分の言い分は本当に正しいのだろうか」と自問自答してみるのです。

 

 

■正しい正しくないではなく、どう感情を取り扱うか

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だいぶ長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。最後に、心に沁みるニューギニアで起きたある交通事故の話をさせてください。

ニューギニアなどの伝統的な社会と、日本やアメリカといった先進国とでは「対立」への対処の仕方がまったく違います。

『銃・病原菌・鉄』が世界的ベストセラーとなった進化生物学者のジャレド・ダイアモンド氏の著書の中にこんな話が出てきます。

 

あるとき、ある会社の社員が10歳の男の子を車でひいてしまいました。物陰からその子が飛び出してきて、ブレーキを引きはしたものの、気づいたときには時すでに遅く、結局、男の子は亡くなってしまいました。

例えば、アメリカであれば、すぐにまず事業主として弁護士を雇い、「どうやって引いてしまった人を弁護するか」という考えに集中するでしょう。

ところが、この事故が起きたのは未開の地であるニューギニアです。

全く対応が違いました。まず事故の翌日に、亡くなった子どものお父さんが加害者の会社を訪ねてきたのだそうです。そのとき「殺される!」と思ったそうですが(ニューギニアでは復讐で殺害することは非常にありうることだけに)、そのお父さんがやってきた理由は、こういうことでした。

「おたくの社員が事故を起こし、うちの子どもが亡くなりました。わざとやったことでないのは、わかります。けれど現在、私たち家族は非常につらい気持ちの中で暮らしています。ですから4日後に子どものことを偲んで昼食会を開こうと思っています。そこへ、来ていただけないでしょうか。また、その昼食会の食べ物を出していただけないでしょうか」

そういう話だったのです。

それからは、あいだに経験豊かな人が入って、どんな食べ物を持っていくべきかといった話がなされ、なんと事故が起こってわずか5日後に、その事故を起こした人の会社の社長や、幹部の社員、それから亡くなったお子さんのご両親や親戚が同じ食卓を囲んで、お昼を共にしたそうなのです。

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これは日本だと考えられない話です。昼食会では、ひとりずつが弔辞のようにその子のことを想ってスピーチをしました。

例えば、その子のお父さんが亡くなった子の写真を持って「死んでしまって、本当につらい。さびしい。また会いたい」といった話をしたり、その場にいる人たちが亡くなった子どものことを想ってみんな、泣いているわけです。

そして、加害者にもスピーチの番がまわってきたそうです。彼はもう、あとで振り返ってもあんな辛いスピーチをしたことはなかったと言っていました。声を絞り出すように「……自分にも子どもがいます」と、始めたのだそうです。

そして、「だからこそ、突然に子どもを失う気持ちというのはほんの多少ですけれども、私にも察することができます。今日はこうして食べ物を持ってきましたが、こんなものはお子さんの命に比べたら、ほとんど価値のないものだと思います」と、そんなスピーチをしたそうなのです。

 

こんな風に、伝統的社会では「対立」が起こったときに「お互いの感情をどう処理し、どう落ち着かせるか」に重きをおきます。

「どのようにして関係を修復するか」といった感情の処理をとても重視した対立の解消方法であるわけです。

一方、日本などの先進国の社会で「対立」が起こったときに大切なのは、「どちらが正しいか」です。

警察や裁判所の考え方も「どちらが正しいか、間違ってるか」が何よりの争点で、それぞれの感情の処理にはまったく思いをめぐらせないのです。

もちろんこれが完全に良くないというわけでは決してありません。

それでも、ちょっとした人間関係のいざこざであるならば、「正しい正しくないではなく、生じてしまった負の感情をどう取り扱うか」を考えていく行動をする方がよっぽど関係が修復できるのじゃないかなぁと僕は強く思いました。  

 

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世のなかには理不尽なことが溢れています。ここまで怒りについて様々なことを書いてきましたが、「自分が圧倒的に被害者なのに、どうしても自分が傲慢だなんて思えない!」「あいつの方が悪いのに!」とやっぱり思ってしまうこともあるかもしれませんよね。

 

そのときは、相手のためではなく、自分のために、相手を許してみてはどうでしょうか。

相手に憎しみや怒りを感じると、自分自身がネガティブな感情に支配されてしまいます。その支配力は、僕たちの睡眠、食欲、血圧、健康、幸福にまで及んできます。憎悪は相手よりも、僕たち自身を苦しめることになるのです。

もし憎い相手がいたとしても決して仕返しを考えてはいけません。仕返しを考えると、相手ではなく、まず自分自身が傷ついてしまうからです。

ひどくを傷つけられて喧嘩別れした場合、「相手に罪の意識を背負って生きてほしいから、相手を絶対に許さない」と言う人がいますが、それはおそらく相手だけでなく、自分自身も傷ついてしまいます。負の感情に支配され続けてしまうからです。

怒りや憎悪はなかなか消えるものではありませんが、「絶対に許さないからな!」と憎しみを募らせたり、「どうやったら仕返しができるのか」を考えるのではなく、自分自身の健康と幸せのために、相手を許すのです。

 

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この記事の冒頭で書いた交通事故で最愛の妻と娘を亡くしてしまった遺族の男性も、きっと自分や被害者のためにも、加害者を理解しようとし、気遣い、許したのだと僕は思いました。

 

許すことはとても辛いことです。でも許さないことは、もっと辛いことだから。 

 

 

 

参考文献:『怒りについて』(セネカ)『怒らないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ)『昨日までの世界』(ジャレド・ダイアモンド)『道は開ける』(D・カーネギー)『性格は変えられる』(野田俊作)『劣等感と人間関係』(野田俊作)

 

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■関連記事

「怒り」についてまた別の切り口から書いています。 

 

 

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初めて見た幽霊の記憶と、物語の発現性

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僕は、プリントに書かれた「おばけを見た」欄に、堂々とチェックをつけていた。

これは、確か幼稚園に通っていた頃の話である。

夏休みに家族でおばあちゃんちへ泊まりに行った。おばあちゃんちは、阪神淡路大震災で崩れてしまったのでそのあと新しく立て直したが、それまではけっこう古い木造で、いわゆる"おばあちゃんち"という感じの家だった。

泊まりにいった二日目の夜中、廊下からラップ音が聞こえて目を覚ました。

何かの気配がして、横になったまま部屋の入口を見ると、幽霊らしきものがゆっくりと階段から上がってくるのが見えた。すぐに隣を確認したが家族はみんな寝ていて、階段からあがってくるものはおばあちゃんでもなかった。

その頃の僕は、とにかくおばけが怖かったのだが、両隣には父と母、そして姉が寝ていたので、その日だけは不思議と怖くならなかった。

それにその当時、頭まで布団をかぶって隠れていれば、おばけに連れていかれないと思っていた。だから、もしこっちに近づいて来れば、すぐに布団をかぶれば大丈夫だとなぜか少し強気でいた。

何より、オバケというみんなの知らない世界の秘密を一つ知ってしまったかのようで、すごく嬉しかった。

次の日、目を覚ますと、すぐに鞄から夏休みの宿題を取り出した。

夏休みの宿題で「夏休みにできたことを確認するプリント」があったことを思い出したからだ。

そのプリントにはいろんな欄があった。

・ひまわりに水をやった
・一人で歯磨きをした
・おばあちゃんちに行った
・スイカを食べた

そのうちの一つに「おばけを見た」があった。

鞄からぐしゃぐしゃになって出てきた、夏休みにできたことを確認するシートを真っすぐに伸ばし、僕は「おばけを見た」に力強くチェックをした。

___________

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それからしばらくして学年が上がり、中学生になった。

この頃にはもうおばけなんていないと思うようになっていて、幽霊が怖くなくなっていた。

しかし、新しく怖くなったものができた。

〝人の目〟だ。

クラスの席替えでとにかく避けたかったことは、席が一番前になることだった。

なぜなら、自分の背後から、陰口を言われているような気がしていたからだ。

「隠れて勉強し過ぎじゃない?そういうやつないわー」
「かっこよくないくせして、なんかかっこつけてるよな。うざーい」
「よくどや顔で「俺、おもろいやろ!」みたいな話し方してるけど、全然見るに堪えないわ」

時には、雑木林の「森」のことを話しているだけなのに、僕の名字の「森井」と言われているようで、

たぶん陰口なんて言われてないんだろうけど、気にし過ぎてしまい、ほんとに陰口を言われたら嫌だと思ったことは口に出せなかった。


____________
なんで今となってこんな話をしたかと言うと、最近、フリッツ・ハイダーという心理学者のこんな実験を知ったからだ。

ハイダーは、2つの三角形と1つの円が画面を出たり入ったりするだけのシンプルで短いアニメーションを制作した。

この意味のない映像を被験者に見せた後、内容を聞くと、1人を除き全員が、図形の動きから恋愛やいじめを描いたドラマだと説明した。

円は小さな三角に恋をしているが、大きな三角が円をさらって行こうとする。だが小さな三角が奪い返し、小さな三角と円はめでたく結ばれる、といったように。

www.youtube.com

(その映像がこちらです。1分間で、音声はなく外にいても見られますので、良かったら見てみてください)

ハイダーは、この研究を通じて物語を作ることの重要性を明らかにした。人間はストーリーを欲する傾向があり、それがない場合には自ら作り出そうとすることがわかった。

____________
僕たちは無意識に「物語」を作り上げている。

女の子がディズニーランドで一人で写っている楽しそうな写真をSNSにあげているのを見て、同性の友達と行っただけかもしれないのに「あぁ、これは彼氏と行ったんだな」と解釈し、

合コンで知り合った金髪の大学生が、イベサーだと知ると「やれやれ、どうせ毎日飲み歩いているチャラ男だな。勉強とかしたことないんやろなー」と、勝手にその人の背景を作り上げる。

今になって思うと、初めて見たおばけは、自ら作り出してしまっていただけなのだろう。

たまたま家の壁の木材がきしむ音がした。掛けていた服が暗くて人影に見えた。窓から風が吹いていた。

一つ一つ見ればなんてことはない無意味な出来事である。

しかし、そこに物語性を付与してしまうことで、〝幽霊〟が生み出されてしまうのである。

世の中の心霊体験は、たいていそういうものなのかもしれない。僕たちの単純で、賢い脳の仕業なのである。


学校でもそうだ。悪口なんて言われていないのに、後ろから聞こえてきた断片的な情報を勝手に組み合わせて、自分の悪口を言われていると作り上げてしまっていたのだろう。

「夏休みに田舎のおばあちゃんに行ったんやけど、近くに森があって。そのせいで、虫がめっちゃいてほんま気持ち悪かった」

背後から聞こえてきた「森」と「気持ち悪かった」だけが耳に入り、「森井、気持ち悪い」となり、

「かっこよくないくせして、なんかかっこつけてるよな。うざーい」
「よくどや顔で「俺、おもろいやろ!」みたいな話し方してるけど、全然見るに堪えないわ」

というまた別の友達グループのお笑い芸人に対しての会話がつながり合い、さも自分の陰口を言われているかのような「ストーリー」を作り上げてしまっていたのである。

____________
中学生の頃におばけを克服し、人の目も高校にあがり、ウソみたいにあまり気にしなくなった。

さて、大人になった今、怖いものはなんだろう。

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先月、お盆に地元を歩いていたら、前から両手にぱんぱんに詰まったスーパーの袋を持った女性が歩いてきた。

昔、好きだった女の子だった。

「わぁ、久しぶり!」「成人式ぶりやんな!」なんて声をかけながら、ふとスーパーの袋に目を移すと「甘口のバーモンドカレー」が目に飛び込んできた。

僕は怖くて、はっきりと相手の指を確認できなかった。

「今日は甘口カレーなんや」「もしかしてもう結婚して、子どもおるん?」なんて絶対に聞けなかった。

その子のことは、別に今も好きというわけではない。でもどこか切なくて、音をたてて寂しさが込み上げてきた。

「あぁ、もうこの子とは一生付き合うことはできないのかもしれない」と思うと、

今回も、あの時に見たオバケのように「自分が作り出した虚構」であってくれと、僕はゆっくりと空を見上げた。

蝉の声がうるさいくらい鳴り響いていた。

 

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人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

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錯覚の科学 (文春文庫)

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4月1日生まれの就活生が、エイプリルフールの影で苦しみながらも無事に内定した話

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「なんで私ってこんなに自己肯定感が低いんだろう。自分に自信が無さすぎて……」

各企業がサマーインターンを始める大学3年の夏、就活生の友達にこんな相談をされた。

彼女が志望している会社は、就活用語で「自己分析」と呼ばれるものが内定するためには必須で、面接ではひたすら「なんで?なんで?なんで?」と聞かれる。そのため原体験となる幼少期のエピソードを話さなければならない。

(人格が形成されるのは幼少期なので、大学時代に何をやっていたかも大事だが、面接官は幼少期の話を聞いてその人の人となりを知りたいのだ)

「ねぇ、聞いて聞いて!やっとわかったかもしれないの、自分に自信がない理由!」

彼女は、数ヵ月悩んだ末、なんとか答えらしきものに辿り着いたみたいだった。

自己分析がうまくできずここ最近かなり悩んでいたので、どうして?と優しく聞くと、こう言われた。

「4月1日生まれだからかもしれない」

僕は始め何を言っているのかわからなかった。

4月生まれがどうした。俺も4月生まれだぜ?4月13日生まれだから、413(シイサー)で覚えてくれよな!

なんてことを言ったら、うるさいと言わんばかりにすぐに遮られ、彼女は続けた。

「親に誉めてもらえなかったの……」

_____

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(『天才!』(マルコム・グラッドウェル)p.27)

上の画像を見ていただきたい。
日本ではなじみが薄いが、メディスン・ハット・タイガースというカナダのアイスホッケーの登録選手名簿である。

ここに今まで誰も気づかなかった、見逃してはならない箇所が一点ある。

それは、1月、2月、3月生まれの選手がとてつもなく多いということだ。カナダのアイスホッケーの選抜チームを調べると、全選手の40%が1~3月生まれ、30%が4~6月生まれ、20%が7~9月生まれ、10%が10~12月生まれだったのである。

なぜこのような偏りが見られるのか。
これはカナダでは同じ年齢の少年を集めてクラスを作る場合、年齢を区切る期日を「1月1日」に設定しているからだ。

つまり、ある少年は1月2日に10歳になり、別の少年はようやく同じ年の暮れに10歳になる。思春期前のこの年齢では、12ヶ月の差が身体の発達に大きな違いを生む。

世界でも特にアイスホッケー熱の高いカナダでは、9歳か10歳で代表チームを選び始める。成長する時間をより多く与えられた少年たちは、才能ありと見なされ選抜に選ばれる。

代表メンバーに選ばれると、よりよい指導が受けられ、より強いチームメイトに恵まれ、より多くの試合でプレーすることになる。

始めのうちは、生まれが少々早かっただけという少年の優位点は、13~14歳になる頃には、熱心な指導と人よりも多い練習量によって本当に優れた選手になっていくのである。

成功している人は、様々な素晴らしい機会を与えられる可能性が高く、さらに成功する。「成功するから成功する」である。つまり、大きく成功しようと思ったら、内部要因だけではなく「外部要因」が重要なのである。

本人の努力はもちろんだが、環境という外部要因に味方された運の良かった人は、後に、例えば羽生結弦のように、石川遼のように「天才」と崇められるようになる。天才は、本人の才能だけではなく、「才能を開花させるに至った経緯」も重要なのである。

______

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彼女が言いたいことはこういうことだった。

4月1日はエイプリルフールでもあるが、学年の最後の日だ。「小学校に入学するタイミングは6歳になって最初の4月1日を迎える時」で決まる。

つまり4月1日に生まれるか、4月2日に生まれるか。たった1日しか違わないのに、学年は1学年違ってくるのである。

4月1日生まれは、その学年で最後の日に生まれたことになる。ある程度年齢がいけばいつ生まれたかなんて関係ないが、子どもの頃の1年はかなり大きい。

そのため、4月1日生まれだった彼女は幼少時代、周りのみんなができているのに自分だけできていなかったことが多かったそうだ。周りと比べられ、母親から怒られることはあっても、誉められることはほとんどなかったという。

「誉められなくて、気づいたら自分に自信が無くなっていって。その名残か今でも自己肯定感がすごく低いのかもしれないの……!」

ある程度筋の通った自己分析に自分で自分に納得し、就活本を片手に幼少時代に苦労した話を、目を輝かせながら僕に聞かせてくれた。

そのミスマッチがどこかおかしくて、そして少し歯痒かった。

嘘をついて盛り上がるエイプリルフールという晴れやかな日の影で、苦しんでいる子どもがいるなんて想像もしたことがなかったからだ。

_____

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「自分に自信がない理由はわかったけど、どうしたら自信つくのよー!」

リクルートスーツ姿の学生が増えてくる大学3年の10月、大学のゼミ終わりにレジュメを鞄にしまい帰ろうとする僕を引き留め、いきなりそんなことを彼女は言うもんだから、

「一つずつ小さな成功体験を、積み上げていくしかないんじゃないかな」

とちょっぴり上からアドバイスしてしまった。

僕は人に助言できる立場になんてないんだけれども、それでも少しでも何かの足しになればと、気付いたらひたむきに頑張る彼女の姿に心を打たれ、応援したくなってしまっていた。

4月1日生まれの彼女は、先ほど例に挙げたアイスホッケーの選手のような外部要因という「才能」には決して恵まれてはいなかった。それに加え、体育会のテニス部で、夏の引退まで忙しく自分の将来について深く考えてこなかった。

しかし、それでも最後の終了のベルが鳴るまで泥臭く食らいついていっていた。

インターンの面接や早期選考の面接に落ち続けながらも、周りの先輩や人事の方に対し「来週まで言われたところを修正してくるのでまた見てください!」と次から次へとお願いしていった。採用人数がかなり少なく、OBのいない会社には、会社の前で社員さんらしき人を出待ちし、「OB訪問させてください!」とお願いしていた。

もちろん何度もお世話になった先輩には、地元名産の折り菓子を渡したりと、相手への最大限の感謝や気遣いを忘れてはいなかった。

すると、企業の人事や先輩は、嫌な顔ひとつせずに「〇〇ちゃんがそんなに努力しているなら、全面的に協力するよ」と言った。途中から「志望動機もっと固まってきたら、模擬面接してあげるから、またいつでも連絡しておいで」とちょくちょく言われるようになった。

少しずつ彼女を応援してくれる人が増えていっていたのである。「本気」が人を動かし、ひたむきに頑張る姿が応援したいと思わされるのだ。

仮に、就職活動がうまくいかなかったとしても、自分を応援してくれる人達がいる限り、彼女は幸せなんだろうなぁとそのとき強く感じた。
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きっと彼女は気づいてはいないだろうけど、相談に乗ったりアドバイスをしながら、学ばせてもらっていたのはおそらく僕の方だったのかもしれない。

正直に言うと、始め彼女の行動を傍目に見ながら、どこか少しかっこ悪いと思っていた。俺ならもっとスマートに、もっとスタイリッシュにやれると。

「何がOB訪問だ、何が出待ちだ、しゃらくさい」
「そもそもなんでわざわざ面接を受けにいかなければならないんだ。採用したかったら人事が俺のところに来いよ」

就職活動は周りを蹴落としてでも大企業に内定すべき。一流企業に内定できれば勝ち、できなかったら負け。判断基準は勝ち負け。変に勝ち負けにこだわり、悪い意味でスマートに生きようと斜に構えていた。いかに汗をかかずに勝てるか、いかに失敗せず成功するかばかり考えていた。しょうもないプライドばかりが先行し、結局は負ける(面接に落ちる)のが怖くて行動できなかっただけだった。

それは僕の「弱さ」であり「甘え」でもあった。

ひたむきさや本気が人を変え、自分を応援してくれる人を増やしていく。そういう人が外部要因という名の才能を手に入れ、成功していく。

彼女と話をしていて今後生きていく上で大切なことを教わった気がした。

「自分のことを自分以上に考えてくれる人がどれだけいるのか」ということを。そして、それぞれの「自分の弱さ」への立ち向かい方を、どこがホワイト企業でどこがブラック企業かなんてより知っておくべきなんだろうなぁと就活をしながら彼女から学んだ。
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黒いスーツに身を纏った彼女は僕に一つ、小さな嘘をついた。

「自分に自信がなく、私は何もできないとても弱い人間で、社会に出たらやっていけないかもしれない」と。

そんなことを言われた三ヶ月後の4年生の春。
第一志望の会社にこそ落ちてしまったが、幼い頃に背負ったハンデに正々堂々と立ち向かい、彼女は無事に納得する形で就職活動を終えることができた。

ボロボロになるまで着たリクルートスーツはタンスの奥にしまわれ、あのとき読んだ就活本はもうどこにいったかわからない。

しかし、自分の弱さや短所から逃げることなくしっかりと向き合うことのできる彼女は、社会に出てもきっと活躍するんだろうなぁと僕は強く思う。

 

 

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就活生の頃に知っておきたかった「自分の中に眠っている強み」の見付けた方7ヶ条

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就活生の頃、すごく悩んでいました。

面接官に「あなたの長所は?」と聞かれても、自分の強みなんて何もないと。

 

面接官:長所を教えてください。
学生:コ、コ、コ、ココミュニケーション能力です……(震えながら)
面接官:……

 

そんな当時の僕みたいに「短所ならあるけど、強みってなんだし」と悩んでいる就活生はたくさんいる気がします。

もう何年も前の話になりますが、就職活動をやってみて思ったことは、20数年生きていれば誰でも人より秀でている部分は絶対にいくつかあるということでした。しかし、ほとんどの人がそれを自分の強みと把握できていないということも事実としてありました。

そこで今回、自分の中に眠っている「強みの見付け方・育て方」や「天職の選び方」といった僕が就活生の頃に知っておきたかったことを、16000字とかなり長くなりましたが、15個ほどの独自のノウハウも盛り込み、書きました。

どれか一つでも自分に合うのが見つかり面接での一助になることを願いながら、自分の強みが見付からなくて悩んでいる就活生に本記事を捧げます。

 


【目次】
1.ストレングスファインダーで自分の「強み」を把握する

2.自分の「才能の種」を見付ける
ベストセラーを読むべきポイントは「これくらいなら俺でもできそう」
OB訪問では「ルーチンワーク」を聞く
ロールモデルにはできない、自分ができることを探す
三度の飯より〇〇
自分の「才能の種」を30個書き出す

3.「才能の種」を組み合わせる
「ぽくない」と言われるところを探す
作家志望の僕が出版社を一切受けなかった理由
〝王道の学問〟を追わない
魔法の使える戦士を目指す

4.「強みらしきもの」を本番で試して検証する
面接官は山ピーを知らない
いつもの5倍長い記事を作ってみる

5.才能の種」を増やし、新しい市場を開拓し続ける

6.じっくり1万時間かけて「強み」を伸ばしていく
人は1年でできることを「過大評価」し、10年でできることを「過小評価」する

おわりに
◆作品によって救われたことがある人間かどうか

 


■1.ストレングスファインダーで自分の「強み」を把握する 

 先日この記事で「ストレングスファインダー」について16000字で熱く熱く語ったが、特に自己分析が問われる就活生はぜひやってみてほしい。

ストレングスファインダーとは、『さあ、才能に目覚めよう』という本を買うと、IDが付いてきて、WEB上で受けられる性格診断のこと。34ある資質の中から、自分の強みである5つがわかる。

この性格診断が本当に当たる。当たり前すぎて気付いていなかったような自分特有の資質を知ることができ、自分の強みはこれだったのかと膝を打つ。

こんなに自己分析が深まる本はなかなかないので、就活本を読んで自己分析をするなら、『さあ、才能に目覚めよう』をしっかり読み込んだ方が100倍いいと思う。これを書くにあたり、「強みの見付け方」みたいな本をいろいろと読んでみたけど、『さぁ才能に目覚めよう』が一番だった。

この本を読むことで、自分の強みを把握し、何の武器で闘うべきなのかを知る上ではもちろんのこと、サークルで周りを引っ張っていくリーダーの立場にある人は、周りのメンバーの強みを認識し、どう活かせば最大限の力を引き出すことができるのかも学ぶことができる。

プロブロガーのイケダハヤトさんもこの記事で言っていたが、オススメは、恋人や親友と一緒に受験することだ。さらに自分のことや大事な人のことを知るきっかけになるはずだ。

就活中に、中にはリクラブする人もいるが、そういう人こそ「リクラブするならストレングスファインダー」がオススメです。


■2.自分の「才能の種」を見付ける

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ベストセラーを読むべきポイントは「これくらいなら俺でもできそう」

「強み」とは、無意識に繰り返すことのできる思考や行動パターンのことである。

自分にとって当たり前で何がすごいかわからないことなのに、他人から「すごい」と言われることが「強み」なのである。

そんな強みを見つける方法の一つに、ビジネス書の「ベストセラーを読む」ということがある。

売れていて評判の良い本を読んで「これくらいでいいのか」と思うことができれば、それがあなたの強みである可能性が高い。

大学生1、2年生の頃、ずっとクリエイターに憧れていた。ファーストキャリアは絶対クリエイターだ!と思っていた。しかし、実際にクリエイティブスクールに通ってみたらアイデアを考えるのがすごく辛かった。

周りの友人は、もちろん苦しんではいたが、それでも楽しそうにやっていた。僕だけが苦しいだけで、これを本当に仕事にできるのか?と疑問に思うようになっていった。

そんなときにたまたま『かばんはハンカチの上に置きなさい~トップ営業がやっている小さなルール~』(川田修)という営業について書かれたビジネス書を読んだ。

プルデンシャルという外資系の生命保険会社のトップセールスマンが書き、ベストセラーとなった本だ。すごく評判の良い本でAmazonのレビューでも60件以上コメントされ評価は☆4.3とかなり好評価である。

そんな素晴らしい本を読んだ僕の最初の感想は「あれ、これくらいでいいんだ」だった。

しかし、ネットにあがっている感想を調べたら、「ここまでできない!」と言う人がたくさんいた。

一方、僕は「あ、これくらいならちょっと努力すればできそう」と思っていたのである。その時、僕に向いている職業は、クリエイターではなく営業マンなのかもしれないと悟った。

無意識にできていたからこそ、最初読んだ時になんでこんなことわざわざ書く必要があるんだと思ってしまっていたが、周りの人からしたら目から鱗な情報だったのである。

クリエイティブスクールの学生で成績の良い人達は、僕が辛いと思った作業を楽しんでやっていた。常に何か面白いことはできないかと頭の中で無意識に考えているタイプだったのだろう。どんなに頑張って努力しても、無意識で好きでやっている人には勝てないのである。

自分にとって当たり前で何がすごいことかわからないことなのに、他人からすごいと言われることが「強み」。

ビジネス書の評判に良い本を読んで「あ、これならちょっと頑張れば自分でもできそう!」と思うことができれば、その職業は自分にとって向いている可能性が高く、才能があるはずだ。


OB訪問では「ルーチンワーク」を聞く

OB訪問で「ルーチンワーク」を聞くべき理由はそこにある。

どんな職業にも「毎日これをやらなければならない」というルーチンワークが存在する。

例えば、人材会社の先輩が毎日学生6、7人と1人1時間程度の面談をしていると言っていた。

これをできないとかしんどいと思う人はおそらく向いていない。人材業界に興味はあったが、毎日学生と何時間も話すなんて無理だと思った。しかし、この仕事に就いて(向いて)いる人は「好き」で学生と話をすることができる。

「毎日やるルーチンワークができるかどうか」

天職かどうかを見付けるために、まずルーチンワークから判断する。決して憧れで選ぶのではなく、自分にとって苦痛ではない、無意識に好きでできることを探すべきなのである。

 

ロールモデルにはできない、自分ができることを探す

強みとは、自分が何気なく無意識にやっていることなので、自分ではなかなか気付きにくい。しっかりと把握するためには、誰かと比較する必要がある。

そこで、自分のロールモデルとなる人と比較することがオススメだ。何人かロールモデルを決めて、その人と自分を比較してみる。

ロールモデルになるくらいなので、自分より優れている部分がたくさんあるはずだ。

そんなロールモデルにできないが、自分にはできる」ことを探すのである。

個人的な話になるが、大学から上京してきて、こんな風な人になりたい!と思える憧れの人ができた。ミスター慶応のイケメンで、学生団体の代表。プレゼンは誰よりもうまく、説得力がある。

始めは、その人にあって自分にないものばかり目についていたが、ある時その人より優れているかもしれない部分を見付けた。それが僕にとって「文章を書く」ということだった。自分より全てにおいてはるかに勝っていると思っていたが、もしかしたらここなら勝てるんじゃないかなと気付いた。

それからその憧れの人になろうとすることをやめた。できないことを無理に努力するのではなく、好きなことに時間を投資しようと思うようになった。

どんなにすごいと思う憧れの人でも、自分の方が秀でている部分は存在する。そこが自分の強みになりうる箇所なのである。

 

三度の飯より〇〇

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そんなこと言っても「自分には才能なんて何もない」と思う人もいるかもしれない。ロールモデルと比較したら、余計むなしくなるだけだ」と言う人もいるかもしれない。

もう何年も前の話になるが、僕が就職活動をやってみて思ったことは、20数年生きていれば誰でも人より秀でている部分は絶対にいくつかあるということだった。

しかし、それに気付いていないというのも確かだった。

自分の中に眠っている強みになりうる「才能の種」を見付け、向いているであろう職種に就き、これから社会人になって強みを伸ばしていけばいいのである。

そこでそんな自分の中に眠っている「才能の種」の見つけるために、まず「三度の飯より〇〇」を探すことが大事である。

このブログも趣味で好きで書いているのだが、以前、夕方6時からブログを書き始めて気づいたらご飯も食べずに夜中の12持くらいになっていたことがあった。

「三度の飯より○○」という言葉があるが、本当にご飯を食べるのを忘れるくらい没頭できることが自分にとって向いていることであり、自分の強みになりうるものなのである。

「自分は何に夢中になれるのか」。それがわかれば、自ずと何に向いているのかぼんやりとでもわかってくるはずだ。

強みや才能と言うとどこか取っ付きにくいかもしれないが、「才能の種とは、「○○が好き!」と感じる心」なのである。


自分の「才能の種」を30個書き出す

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では、具体的に「才能の種」は、どんなものがいいかと言うと、「人が詳しく知りたいと思って聞いてくれること」がいい。

強みについて書かれている『パーソナル・マーケティング』本田直之さんが、「強み」とは「人に教えられることを持っていること」だと言っている。

「人に教えられること」とは「人が詳しく知りたいと思って聞いてくれること」

一方的にあなたが話したいことや伝えたいというだけではなく、それについて誰かが「詳しく知りたい」と興味を持ってもらえるかがポイントだ。

僕で言うと、社会人になったタイミングで、友人から「どうやって友達って作ったらいいん?」「友達の作り方教えて!」とすごくよく聞かれた。新しい環境で友達ができず悩んでいる人がたくさんいるのだろうなぁということと、今まで意識してこなかったが、自分はもしかしたら周りから見たら友達を作ることに長けているのかもしれないと気付いた。

自分では当たり前すぎて「取るに足らない話だ」と思ってしまっていたが、他人からしたらすごく面白い!と思ってもらえることもあるのである。

そのため「三度の飯〇〇」のような「好きなこと」や「得意なこと」「大事にしていること」だけでなく、「人に聞かれること」「面白いと言われること」を書き出していくことが、「才能の種」を見つける一歩だ。

最初はなんてことないことでもいい。

例えば、絵描きの友人が、周りの友人やお客さんから恋愛相談をよく受けると言っていた。

絵を描いているだけなのに、どこから聞いたのかお客さんから「恋愛相談乗っていただけるんですか?!」と連絡来ることがあると言っていた。

「幸せな絵を描いてる私でも、今でも過去の傷を思い出しては泣いてる。どんなに笑顔な人でも、幸せそうな人でも「幸せそうでいいね」と今だけの姿を見て、羨ましいだなんて言葉は伝えないようにしてる。 その人の背景や物語がきっとあるから」

と、ある時言われて話を聞いてほしくなる理由に納得した。おそらく自分でも気づいていないかもしれないが、その絵描きの友人は「とことん相手の立場になって考える」ことにすごく長けているのだろう。

例えば、「悩み相談に乗ること」と「絵を描くこと」を掛け合わせて、相談に乗った上で、相手の悩みを癒す絵を描くことができれば、彼女にしかできない大きな武器(強み)になる。

「才能の種」は、「恋愛相談をよく受ける」といったようなことでもいい。

仕事に即戦力として役立つ能力と言うと、なかなか難しいかもしれないが、おそらく20数年生きていれば、こだわっていることで自分の内面のことなら、誰にも負けないようなことがあるはずだ。スキルがないという学生は、人間性を掘り下げてアピールすればいいのである。

(「スキル」ではなく「人間性」アピールについて詳しく知りたい方は『凡人内定戦略』がオススメです)

 

ちなみに就活生だった当時の僕の「才能の種」はこちらです↓↓ 

・甘い物が好き
・カフェに詳しい
・本を1000冊以上持っている
・文章を書く(ブログを書くのが趣味)
・アニメ(漫画も1000冊以上)
・可愛い子の友達が多い(ミスコンの司会をしたり)
・お笑い好き(毎日ご飯を食べるときはお笑い番組を見ている)
・競い合う勝負事に燃える
・人間的心理に興味がある(心理学が専門)
・コミュニケーション力を上げたい
・気遣い
・芸能事務所のスカウトマン
・友達が多いと言われる
・新しく面白い人と出逢うとテンションが上がる(社交性)

ここに書かれたことが自分の持っている「才能の種」ということになる。

このように単語レベルの小さなことでいいので、どんどんどんどん書き出していく。自分の中に眠っている「才能の種」を「見える化」することがポイントだ。

僕は就活が終わった後、「出版甲子園」という学生向けの出版のビジネスコンテストで準グランプリを受賞したのだが、その時はこれらの要素を組み合わせたものだった。

・本を1000冊以上持っている
・文章を書く(ブログを書くのが趣味)
・人間的心理に興味がある
・コミュニケーション力を上げたい
・芸能事務所のスカウトマン 

⇒コミュニケーション本×芸能事務所No.1スカウトマン×数々の実用書の内容を実践の場で使えるか検証した大学生

コミュニケーションに詳しい人は世の中にごまんといる。その中から芸能事務所のスカウトマンとなるとかなり少なくなり、さらに数々の実用書の内容を実践の場で使えるか検証した大学生となると唯一無二の存在になれたのである。

「強み」はかけ算で生まれる。かけ算をすることで競争優位性が上がるのである。

出版甲子園受賞後、立ち上げたWEBメディア「本to美女」でも、

・本を1000冊以上持っている
・可愛い子の友達が多い(ミスコンの司会をしたり)

という自分の「才能の種」を掛け合わせて作ったものだ。

僕より本に詳しい人は腐るほどいるし、美女の友人が多い人もたくさんいると思う。しかし、当時学生で本に詳しく、かつ美女の友人が多い人となると、かなり数が絞られ、独自性が上がるのである。

①「ベストセラーから「これくらいなら俺でもできそう」なこと」
②「ルーチンワークでできること」
③「ロールモデルにはできない、自分ができること」
④「三度の飯より〇〇」

先ほど紹介したこの4つで見つかった「才能の種」に加え、

スキルや能力といったことだけでなく、自分の内面・人間性のことまで「好きなこと」「得意なこと」「大事にしていること」「人に聞かれること」「面白いと言われること」「変わっていると言われること」などをまず1530個書き出していく。そしてうまく組み合わせることができれば自分だけの強みになりうるのだ。

ではどういうものを組み合わせたらいいかは次の章で説明していく。


■3.「才能の種」を組み合わせる

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「ぽくない」と言われるところを探す

大学生の頃、金髪だった時期があった。僕が所属していた慶應の文学部は、経済学部や商学部と比べて圧倒的に眼鏡率が高く、暗い人が多い。

そのため文学部の教室では、金髪だとすごく目立ち、「文男(文学部の男子)ぽくないよねー」とよく言われていた。

数百人と入る大教室でも友達にすぐに見つけられ「あ、森井、今日は珍しく授業出てるじゃん」と言われる。

よく友達と集まるときも金髪の森井が目印にされていた。

あるとき渋谷のハチ公前で集まることになったことがあった。金曜夜のハチ公前は人がかなり多くなかなか見つけられないので、いつも通り「金髪が目印で!」となったのだが、ハチ公前ではざっと見渡しただけで、金髪の人が6、7人いて、「いや、金髪いっぱいいて見付からない!」とすぐには見つからなかったのである。

同じ金髪でも「どこにいるか」というだけで、こんなにも変わってくる。

ここからの教訓は、「金髪が面白い」のではなく、「文男〝ぽくない〟金髪」だから面白いのである。

だからこそ、まず「ぽくない」と言われるところを探すべきである。

「ぽくないと言われるところ」こそ、より自分の才能を最大限に発揮できる可能性を秘めている。

例えば、TOEIC800点は一般的に見たら高い方だ。しかし、満点が何人もいるであろう外資系志望の優秀な学生の中にまじると800点はむしろ低い方になってしまう。英語ができる集団の中だと、英語が強みだと思っていたはずが、むしろ英語ができないやつと弱みになってしまうのである。

この中で周りより目立とうとすると、他の強みが必要になってくる。これでは自分の強みをうまく活かしきれないことになる。

そこで「自分の何の武器を、どこで」扱うのかを考える必要があるのである。


作家志望の僕が出版社を一切受けなかった理由

就活生の頃、出版社を一切受けなかった。理由は「ぽかった」からだった。

「趣味が、読書とブログを書くこと。サークルではフリーペーパー制作をして、本屋さんでアルバイトをしています。将来は本を出したいです。だから出版社を志望しています」ではあまりにも芸がなく、〝出版社志望ぽい〟のである。

詳しい理由は割愛するが、当時僕はリクルート志望だった。リクルートの面接試験でも「作家になりたいです」と言っていたのだが、面白がってもらうことができ、内定をいただくことができた。(もちろんなぜ出版社ではなくリクルートなのかをしっかりと話せないとだめだが)

出版社の面接試験で「作家になりたいです」と言ってもその他大勢に括られ、覚えてもらえなかったかもしれない。

同じことを話すにしても、どこで話すかでウケがまるで変わってくるのである。


王道の学問を追わない

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大学3年生の頃、ゼミ代表として後輩に向けてゼミ説明会で話す機会があった。そこでゼミ選びで一つの考え方として知っておいてほしいことが一つあった。

それが「王道の学問を追わない」でほしいということだった。

有名な話だから知っている人もいるかもしれないが、スティージョブズは大学生の時、「カリグラフィー」というすごくマイナーな学問を学んでいた。

Appleと言えば、デザインが先鋭的で素晴らしいとイメージがあるかもしれないが、フォントも美しい。

Macは世界で初めて美しい活字を扱えるパソコンになった。カリグラフィーとは、文字を美しく魅せるための手法で、もし、スティージョブズが、大学でこのカリグラフィーというマイナーな学問を学んでいなかったら、おそらく今のMacは生まれてなかっただろう。

そんなスティージョブズ、20歳くらいの頃から、今のMaciPhoneを作ろうと考えていたかと言うとまったくそういうわけではない。たまたま大学で学んでいたことが将来につながったのである。

ティージョブズもそんな「点と点のつながり」は予想できてなくて、後で振り返って初めて「点のつながり」に気が付いたと述べていた。

冒頭の話に戻るが、なぜ「王道の学問を追わない」でほしいかというと、簡単に言うと競合というか、ライバルが多いからである。ライバルがいっぱいいるので、それを学んでも自分の強みに、自分だけの武器には、非常になりにくい。

例えば、高校野球。競技人口が多過ぎて、甲子園で優勝するのはめちゃくちゃ難しい。東大入るより難しいと言われている。

そして、さらにそこから一握りの人しかプロになれなくて、もっと言うと野球選手として野球を自分の武器にできる人はかなり数が限られているのである。

一方で、競技人口の少ないマイナースポーツなら、努力はもちろん野球部の人たちと同じくらいするとは思うが、語弊を恐れず言うと、例えば全国優勝しやすい。

みんながやっていないからこそ、すぐにそれが自分の強みに、武器になりうるのである。

これを、使い古されたマーケティング用語で言うと「ブルーオーシャン戦略」であり、秋元康風に言うと「みんなが行く野原には野イチゴはない」ということだ。

僕の専攻で一番人気のゼミは社会心理学。一方で一番不人気は計量社会学という学問だった。

社会心理学が良くなくて、計量社会学がいい、なんて言うつもりはもちろん一切ないし、計量社会学が、どうやって社会に出て役立つんですか?と言われたら答えられない。

それでも計量社会学という一見、キャッチーではない、「王道ではない学問」を学ぶことによって、それが将来、スティージョブズがそうだったように、自分の人生に大きな違いをもたらしてくれるかもしれないのである。

これはあくまで考え方の話で、自分の好きなことをやるのが一番だと思っているが、それでも王道ではない学問を学ぶことで、将来まったく違う分野で活きてきて、長い目で見るとそれが自分の強みとなっていることを信じて、今後ゼミ選びを考えてみてほしいと言っていた。


魔法の使える戦士を目指す

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ただ、それはあくまで将来的な話で、「今強みを見つけたいんだ!」「将来のことも考えたいけど、今まさに困っているの!」という就活生もいると思う。

そこでポイントはなのにを探して、自分の専門領域を組み合わせる」ことだ。

企業のESで「自分にキャッチコピーを付けてください」という欄がたまにある。そんな時、僕は「アクティブなヒキコモリ」と書いていた。

「アクティブなのにヒキコモリ」というところがポイントだ。「読書好きで内省的だけど、社交的で行動力がある」という両極端のことを伝えたかったのだ。

「才能の種」は、意外性のあるものを組み合わせることで初めて掛け算になり、自分だけの独自性のある「強み」が生まれる。そこでなのにを探すのである。

 

こんな話を聞いたことがある。ある企業に勤めているSさんは昔からクラシックが好きで、バイオリンが趣味だった。とはいえ演奏会が開けるほどの腕前ではなかった。バイオリンの演奏はあくまで趣味でたまに弾く程度だった。

そんなSさんの特技は、工作。子どもの頃から得意で、家の棚など一人で作り上げてしまうくらいだった。手でものを作ることが大好きだったのである。

Sさんが50歳を過ぎたある日、NHKで「バイオリンを手作りする人」という特集を見た。それまで「バイオリンが好き」と「工作が得意」という別々だった2つの要素が、「バイオリンを自分で作る」という組み合わせができることにそのとき気が付いたのである。

これはやるしかないと思ったSさんは、早速テレビで紹介されていた職人さんに会いに行き、無理やり頼み込み弟子入りした。

それからしばらくして、Sさんが作るバイオリンは、一流の音楽家も絶賛するほどの出来になった。なんといっても自分でバイオリンを弾けるのが強み。作りながら、自分の耳で判断することができるからだ。これはバイオリン職人でも珍しい存在である。

その後、自分の見込んだ人にだけバイオリンを作っていたら、テレビなどにも取り上げられ、ついには自分で楽団を作ってしまうほどになった。

Sさんは「バイオリンが好き」と「工作が得意」というそれぞれの自分の才能を組み合わせることで、自分にしかできない新しい価値を生み出したのである。

このように、一つの分野で飛び抜けるのは難しくても、自分の専門領域の要素をいくつか組み合わせることで深みが増し、独自性が上がるのだ。

 

世の中には掛け合わせのおかげで、独自のポジションを築き、ヒットした商品やブレイクした有名人がたくさんいる。

商品でわかりやすいのは、食べるラー油だ。「ラー油」なのに「食べられる」。昨年ヒットした曲だと、芸人オリエンタルラジオの「perfect human」が挙げられる。「芸人」なのに「歌って踊る」。また『えんとつ町のプペル』が絵本では異例のヒットとなったキングコング西野は、「芸人」なのに「絵本作家」である。

テレビで見ない日はないチュートリアルの徳井は「イケメン」なのに「変態」で、かなり独自のポジションを築いているし、関ジャニは「アイドル」なのに「お笑い」だ。こちらもジャニーズ内ではかなり異色で、不動の地位を築いている。(お笑いが好きだからか、お笑いの例えばっかりですね笑)

ドラクエに出てくる魔法使いと戦士を思い浮かべてほしい。もし、攻撃力が高く魔法も使える、そんな〝魔法の使える戦士〟がいたらどうだろう。

このようになのに〟を探し、自分の「才能の種」を掛け合わすことで、自分だけのマーケットを創出でき、競争優位性を上げることができるのである。


■4.「強みらしきもの」を本番で試して検証する

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面接官は山ピーを知らない

自分の「強みらしきもの」が見つかったら、次は、それらが市場でウケるのか、世の中の人に求められるのか、つまり本当に自分の強みになりうるのかを実践の場で検証する必要がある。

というのも自分が面白いと思っていることと、他人が聞いて面白いと思うことは違っていたりするからだ。逆も然りで、自分にとって当たり前で何が面白いのかわからないことでも、何も知らない他人からしたらすごく面白いと感じることもある。

特に面接官であるおじさんと学生である就活生の「面白い」と思う乖離が凄まじい。この乖離をいかに埋めるかが面接突破のカギとなる。

面接で「将来どうなりたいの?」と聞かれたら、僕は「モテたいです」とよく言っていた。僕の中の一番強い根源的な欲求が「モテたい」だったからだ。

ある面接で「モテたい」と言ったところ面接官のおじさんから「では、モテようとして失敗したことはある?」と聞かれた。

おそらく面接官が期待していたこの質問の答えは、

「モテようとして○○したが、失敗しました。しかし、その後、試行錯誤して再度××したら、モテるようになりました」

というように「最初はモテなかったが、努力や試行錯誤してモテるようになった」という話を期待していたのだろう。

この質問をされて僕はすぐに「そんな話ないわ」と思った。仮にあったとしても自分からモテるようになった話をしてウケるわけないやろ、いや何より恥ずかしいわと思ったので、ここは笑いに逃げることにした。

 

「高校生の頃、ジャニーズの山ピーの髪型を真似して似合わなかったことですかねー」

と茶化して話した。

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(これ。前髪で片目を隠すやつ)

すると面接官からこう一言ぼそっと言われた。

「まぁ俺、その人、知らないんだけどね」

これを言われて思わずハッとした。自分の中で「イケメン芸能人」で最初に思い浮かんだのがジャニーズの山ピーだった。にも関わらず、面接官は山ピーを知らなかったのである。

いかに自分と面接官の間に乖離があるのかを思い知った出来事だった。

そこで就活生がすべきなのが、この面接官のおじさんと自分との乖離を無くしていく作業である。(山ピーではなくキムタクと言えばわかってもらえたはずだ)

この乖離を無くすために必要なのが、OB訪問だ。もちろん、企業のことや仕事のことを聞くのは大事だが、面接官との乖離を埋めるためにOB訪問をするのである。

OB訪問や飲み会でおじさんととにかくいろんな話をしてみることが大事だ。そこで面白がってくれる話を探る。そして反応の良かった話は、お酒で忘れないようにすぐにトイレに行きメモをする。

このように〝面接官は山ピーを知らない〟と思って、乖離を埋めていくために、どんどんおじさんと話すべきなのである。


いつもの5倍長い記事を作ってみる

今まで数十冊と文章術の本を読んだが、その中でも1、2番目くらいに好きな『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)を書かれた古賀史健さんがこんなことを言っていた。

「日記を書いてておどろくのは、自分がいかにぼんやり生きてるか、ということ。そもそも日記なんて、ふだん考えてることをつらつら書いていけばいいものなんだけど、いざ書こうとすると手が止まる。なんだっけ? とあたまのなかが白くなる。ようするに、ろくすっぽ「考えていない」んですね。

電車にのる。町をあるく。ご飯をたべる。テレビをみながら、おならをする。これら日々の生活のなかで、きもちいいとわるいとか「感じる」ことはあります。「思う」くらいはしてるでしょう。でも「考える」については、ずいぶんさぼってることに気づくのです。

この「思う」と「考える」のあいだをつなぐ架け橋が、もしかしたらぼくにとっての「書く」なのかもしれません。「しゃべる」でそれができるひともたくさんいるけど、ぼくはしゃべりながら考えるのが苦手なんだよなあ。書く習慣は、考える習慣なり」

「思う」と「考える」をつなぐ架け橋が「書く」ということ。書く力とは、すなわち、考える力なのである。

書くことは考えることでもあるので、書けば書くほどその対象について理解も深まり、深く知ることができる。いってしまえば、書いたもん勝ち、なのである。

 

以前に16000字の超長文の記事を書いたことがあったのだが、これを書いたおかげで「文章」についてこの記事を書く前と比べてはるかに理解度が上がった。

 

また先週、ストレングスファインダーの強みについて16000字で書いたがこちらも、書く前よりも深く深く強みについて知ることができた。

そこでオススメするのが、「いつもの5倍長い記事を作ってみる」ことだ。

ここまで紹介してきた自分の強みの見付けた方で、ある程度これが自分にとって才能のあることなのかなと思ってもらえたなら、今度は自分の培ったスキルを体系化立てて言語化してみよう。

「強み」とは「人に教えられることを持っている」ということ。本当にそれが強みなのか、書いてまとめ、読者に読んでもらうことで把握するこができるのである。読者に楽しんでもらえたなら、それはもう立派なあなたの強みなのである。

そこで、体系化立てて言語化する際に役立つのが、本(特に目次)だ。

先程挙げた2つの記事も本の目次を参考にして一冊の本を編むつもりで書いた。

いい本は、1つのテーマを掘り下げるために、しっかりと構成が考えられている。「どうやって書いていけば読者により伝わるのか」を知ることができる。

ぜひ自分の経験を体系化立てて言語化してみてほしい。自分にはどんな才能があって、教えられることは何で、その情報を欲している人がどれくらいいるのかがわかる。

この記事も実際に書いてみて、強みについて理解が深まり、あらためて自分の強みは何なのかを考えるいいきっかけになった。

どんなに拙くたっていい。書き始めは拙くても、書いていくうちにその対象について発見が生まれ、書き上げたとき、書く前よりはるかにそれらについて詳しくなっていることを実感できるはずだ。


■5.「才能の種」を増やし、新しい市場を開拓し続ける

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普段文章を書いていなく、おぼつかない文章にも関わらず、読んでいて面白い!と思う記事に出会うことがある。それはたいていその人の体験がぶっちぎりに面白い場合だ。その人が体験したことが稀有な体験なので、仮に文章テクニックがなくても、それをそのまま文章にしただけで興味深くなる。

文章の面白さ=「体験」×「思考力」×「文章力」

だと思っているのだが、仮にはっとさせるような着眼点で切り込む「思考力」や、何気ない日常の話を最後まで読ませる「文章力」がなかったとしても、「体験」が今まで見たことも聞いたこともないようなことだったら、自然と文章は読みたくなる。つまり、人がしない体験をすることで、思考力を補えるのである。

そして、人がしない経験をし、「才能の種」を増やしていくことで、独自性が増し、「強み」の厚みがぐんっと上がる。

これから自分が歩みたいキャリアで、どう進んでいけばその「才能の種」をより大きく育てられるのか。

今持っているスキルだけに甘んじてはいけない。仮に何かがはまり有名になったとしても、それが求められなくなったり、飽きられると「一発屋」や「あの人は今?」として括られてしまうかもしれない。

そうならないためにも、人がしない新しいことを始めてみて、新たな市場を開拓する。新しくできた「才能の種」と、過去に培った「強み」を組み合わせて、発信し続ければ、読者(市場)から飽きられずに、常に自分の価値を求められる状態を保っておくことができるのである。


■6.1万時間かけてじっくり「強み」を伸ばしていく

人は1年でできることを「過大評価」し、10年でできることを「過小評価」する

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早稲田にあるForuCafeというカフェを経営している友人の平井幸奈さんがこちらの記事の最後で、今の自分は、「自分のカフェを立ち上げて、家族のようなチームと仕事がしたい」という3年前の21歳だった頃の夢を叶えていると言っていた。そして、今の自分が思い描いている「夢のように大きな夢」を実現するために、また走り続けたいと。

これを読んで、「人は1年でできることを「過大評価」し、10年でできることを「過小評価」する」という言葉を思い出した。

 

人は短期間で成し遂げられることを過大に考えがちである。

毎年、年の始めに「今年は〇〇と××をやる。▲▲もしたいな。あと△△も」と到底1年ではしきれないようなことまでできると勘違いして、抱負や計画を立てる。そしてその年の秋くらいになって、「あぁ、今年はこれくらいしかできなかった」と嘆く。時にはやる気を無くしてしまうかもしれない。しかし、これは決して自分に実行力がないというわけではなく、1年でできることを過大評価しているだけだ。

一方で、人は、「10年でできること」も過小評価する。

10年あればいろんなことができると頭でわかっていても、実際に継続しようとする人は少ない。どんなに才能のないことでも「1万時間」かけたらプロになれると言われているのにだ。(これは1日3時間やれば約9年で達成できる)

例えば、今これを読んでいて、就職活動ですごく悩んでいる慶應生がいるかもしれない。でも、3年前はきっと慶應に入りたくてしょうがなかったはずだ。3年前の自分からしたら、意外と3年後の自分は夢を叶えている。

これが5年後、10年後となると、もっと夢を叶えている可能性を秘めているのだ。

そう考えると、よく言われる言葉だが、就活は通過点に過ぎない気がしてこないだろうか。仮に今がすごくしんどい時期でも、ForuCafeの平井幸奈さんのように「夢のように大きな夢」を実現するために走り続ければきっと数年後、やりたいことが、夢が叶っているかもしれない。

ここまで様々なことを書いてきたが、それでもやっぱり「自分の強みが見付からない」という人がいるかもしれない。今はまだ「これが人には負けない私の強みです!」と言えることはないかもしれない。

それでも、「自分をよく見せよう」と表面的なことを追い求めるのではなく、市場とじっくり対話をし、「好きなこと」を夢中でやり続けているうちに、マーケットが自分の居場所を教えてくれる。「10年でできること」を過小評価せず、一つずつ積み上げていけば、大きな「強み」となる自分だけの資産を築き、きっと将来、〝魔法の使える戦士〟になっているはずだ。 

 

■おわりに

◆作品によって救われたことがある人間かどうか

f:id:yuyu413:20170322150555j:plain(イラスト:きしおかみさ子)

コルクの佐渡島庸平さんが「これからの編集者」(2013/05/29)というインタビュー記事で、面接で見極めるポイントの一つに「作家・作品によって救われたことがある人間かどうか」があると言っていた。

 

「その人が、これによって人生を揺さぶられてしまった、この本がなかったらいまの自分はいない、という一冊を持っているか。

作家は、自分が本に救ってもらったと思っているから、自分もそんな本を作りたいと思って、作家になる。

自分にとって本は自分の命よりも大切で、この本がなければ自分の命がなかったかもしれない、という共有できる経験があることがすごく重要なんです」

 

これを読んで、「まさに俺のことだ」と思った。実際に、何度も本に「救われた経験」が僕にはあって、だからこそ本作りに携わりたいと思っていたし、今もこうして言葉を紡いでいる。この話は、別に本に限った話ではなくて、僕がもし「音楽によって人生変わった、人生救われた」という経験をしていたら、たぶん僕はシンガーソングライターなりたい!と言っていたかもしれない。

大学生の頃、摂食障害で苦しんでいた友人がいた。その友人はどんな薬を飲んでも治らなかったのだが、ある日、ヨガを始めてみたら体調がどんどん良くなり、苦しかったときがウソのように回復していった。

「ヨガに人生を救われた。私もヨガで人生を救えるようになりたい」

そう強く思い、その友人はヨガインストラクターになり、今ではヨガのスタジオ経営までしている。 

 

f:id:yuyu413:20170322150716j:plain

学校に行くのが怖くて、小中6年間引きこもりで学校に行けなかった女の子がいた。

みんなが学校にいるとき、その子は家で一人、ずっーと音楽やラジオを聴いていた。当時、意識はしていなかったが、ポジティブな音楽を聴くようにしていたと言っていた。

前向きな歌詞の部分を全部ノートにメモをする。メモしては毎日寝る前に見なおしていた。

初めて買ったCDはダニエル・パウター「bad day」だった。この歌は、「今日はついていないだけ」としつこいくらい言ってくる。「ついていないのは今日だけ」「今日だけね」と。

FM802のDJマーキーがすごく好きだった。

DJマーキーがいつも言う言葉「we are 親戚」。ちょっと嫌な人がいたり、なんやこいつってなったとき、その人が自分の親戚だと思ったら、ほんの少し優しくなれる。みんな親戚やと思って過ごしてみてと言っていた。

引きこもりだった少女はその後、そんなラジオや音楽に勇気づけられ、高校から学校へ行くようになり、今ではほっこり癒すことのできる演奏家となった。

 

「最近、子供の頃の引きこもり真っ只中の時に書いていたノートを見つけて読んだら、ほとんどが「私なんて……」ではなく、

「学校にいける!大丈夫!今日がついていなかっただけ。嫌な人がいたらwe are 親戚と思えばいい。明日はできる!私なら大丈夫!」とスーパーポジティブだったの。

きっと無理にでも強くなろうとしての表現だったんだろうけど、自分を信じるのは大切だと昔の自分に教わった」

とぽつりと屈託のない笑顔でつぶやいていた。

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今回、就活生だった頃の自分が知りたかったことを思い出しながら、就活生に向けて、「自分の中に眠っている強みの見つけ方・育て方」について書かせてもらいましたが、「救われた経験」で仕事を選んでみるのもいいと思います。ヨガによって摂食障害を治すことのできたヨガインストラクターの女性のように、音楽で生きる希望を見出した少女のように、きっと救われたという経験が、より一層ぶれない働くという軸になるはずです。

 

あなたは今まで何によって人生を救われてきましたか?

 

f:id:yuyu413:20170322150821j:plain

 

 

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1万円課金して、ストレングスファインダーの資質34位まで開示してわかった7つのこと

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数年前、ストレングスファインダーの資質34位まで開示するために1万円を課金した。

お互いの性格をよく知っている親友と全資質を開示した上で、数ヶ月に渡り、自分たちの性格を徹底的に議論した。僕も親友も上位5つの資質に「個別化」があったこともあり、相手の才能を観察し、このフレームワークで人間理解を深めることにどはまりした。

この記事は、1万円課金して資質34位まで開示し、仲の良い友人・先輩・後輩30人に受験してもらいデータを取った後、親友と議論の過程で気付いたことを、資質や強みのことをもっと知りたいという方のために約20000字でまとめたものである。

(※2020年現在では4680円で課金できるようになりました。)

 

【目次】
1.ストレングスファインダ-とは
◆上位5つの資質は、自分が最初に活用するもの

2.1万円課金して34位まで開示してわかった7つのこと
①資質は、単独ではなく、組み合わせで考えるべき
②相反する資質を持ち合わせることはありうる
③1つの資質に複数の側面がある
④もう性格は変わらない
⑤資質には個人差がある
⑥特定の職種に向いている特定の資質はある
⑦弱み対策ができる
Ⅰ.強みと弱みは表裏一体
Ⅱ.弱みを克服するために強みを活かす
Ⅲ.弱みを補ってくれるパートナーを見付ける
Ⅳ.弱みを打ち明ける
Ⅴ.強みの種が弱みとして出てしまうことも
Ⅵ.それでも苦手なことを伸ばしたい方へ

3.大事な人とやると、お互いの理解が深まる
①リクラブするなら、ストレングスファインダー
②この一言で、強みはこの資質に決まり!?
③本当の意味で多様性を受け入れられるようになる

4.ありのままの姿を肯定して、受け入れる
◆自分のできないことばかりに目がいっていた大学時代。あるきっかけで幸せになる一番の近道を見つけた

 


■1.ストレングスファインダ-とは

ストレングスファインダ-を受験したことある人向けの記事なので、ここはさくっと。

『さぁ才能に目覚めよう』は「強み」について書かれた名著。

この本を買うと、自分の才能が何なのかがわかる「ストレングスファインダー」という性格診断テストを自宅で受けられる。そして34つある資質のうち、自分の強みのもとである上位5つがわかる。

さらに89ドル(約1万円)を課金すれば、残りの6~34位までの資質を開示することができる。→ここから課金できます

(※追記.現在は4680円で購入できるようになりました!)

自分の強みは意外とわからないものなので、おそらくストレングスファインダーを受験した人は、「当然みんなができることだと思ってたけど、これが自分の強みだったのか……!」と膝を打った人も多数いると思う。

これと同じくらい、34位まで開示すると「自分の弱みはこれか……!」と合点がいくはずだ。

受験生の偏差値みたいに露骨に周りと比較できるような資質なら、すぐに自分がその資質が優れているのか劣っているのかわかるが、こと性格に関してはなかなか比較しづらい。

それだけに、これが今まで知らなかった様々な自分の一面を知ることができる。

 

さて、ストレングスファインダーを受験してしばらく経つという人もたくさんいると思うので、「1万円課金して34位まで開示してわかった7つのこと」に入る前に、5つの資質に関してのおさらいからさせてください。

 

◆上位5つの資質は、自分が最初に活用するもの

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上位5つの資質は、何か問題にあたる際、自分が最初に活用するものである。どのような状況であれ、まずその5つの資質が判断を下し、その人特有の行動をその人に起こさせる。

一方、その他の資質はたまにしか反応しない。それも特別な状況のときだけだ。

 

たとえば、「内省」の資質を持つ人は、常に何かを考えている。困難にぶちあたった時はもちろんのこと、何もないときでさえ一人で物思いにふけっている。一方、この「内省」を強みとしていない人の場合には、課題か何かを解決したいときくらいしか反応しない。

また「成長促進」の資質を持つ人は、他の人を指導して、さらに成功に導く機会はないかと常に目を光らせている。指導育成する相手の成長が気になって仕方がない。一方、この「成長促進」が強みの資質にない場合、誰かが目の前にやってきて、仕事に関するアドバイスを求めたときぐらいにしか反応しない。

 

これらの強みの資質は、まさしく天賦の才であり、いかなるときもたくましさを失わない。

本書によると、成長の可能性を最も多く秘めているのは、一人ひとりが一番の強みとして持っている分野であると言う。

どのような業務が適していて、大勢の中で自分が秀でた才能を発揮できる分野とは何かがこの性格診断でわかるのである。

特に他人と比べることがないような資質は、これで初めて知ることができる。

 

例えば、僕は上位5つに「内省」が入っていたのだが、読書好きなのですごくすごく納得した。

前述した通り、「内省」の資質を持つ人は、常に何かを考えている。困難にぶちあたった時はもちろんのこと、何もないときでさえ一人で物思いにふけっている。

読書とは「自分との対話」である。本から「情報」を手にする以上に、「内省する時間」を得ている。本の内容を咀嚼することで、今までの自分を見つめ直し、これからありたい未来の自分に想いを馳せることができる。そのため、良書に出会うと途中で読めなくなってしまうことがある。考え込んでしまうからだ。

だから本を読むことが好きなのかと、「内省」が強みだと知り、すごく腑に落ちた。

このように他人となかなか比較しづらい資質が優れているのかどうかを知ることができるのでとても面白いし、自分を知る上で本当に役に立つ。

 

やっと次の章から本編がスタートします!!!!!


■2.1万円課金して34位まで開示してわかった7つのこと

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①資質は、単独ではなく、組み合わせで考えるべき

5つの資質の組み合わせは3300万通り以上ある。そのため5つとも同じ資質を持つ人はいないに等しい。

親友と34位まで開示してお互い最初に気付いたことは、「資質は、単独ではなく、組み合わせで考えるべき」ということだった。

というのも、同じ資質を持つ者同士でも組み合わせ次第でまったく性格が変わるからだ。

例えば、僕の持っているこの3つの資質を見てほしい。

「自我」6位
「社交性」8位
「コミュニケーション」24位

僕は「自我」が強いので、目立つのは好きで、「社交性」も高く人見知りしないので比較的誰とでもすぐに仲良くなることができる。しかし、「コミュニケーション」が24位と低いので、大勢の前で話すのは苦手だ。

一方で、「社交性」が28位とだいぶ低いのに、「自我」5位と「コミュニケーション」3位という友人がいる。

その人はどういう性格かと言うと、普段は人見知りをし、とても人前で話すようなタイプには見えないのだが、「自我」と「コミュニケーション」の資質により、人前に立つと急にアドレナリンが出てぞくぞくとすると言っていた。気分が高揚し、反対に気持ちが落ち着くのである。

人前で話すことが得意そうに見られる僕が実はすごく苦手で、人付き合いが苦手そうな人が大勢の前だととても流暢に話したりするのである。

これは資質一つだけを見ていてはとても判断できないことで、資質の組み合わせによって、こんなにも性格が違ってくるのだ。資質一つずつ入れ替えただけで、かなり性格が変化するのである。

上位を占める5つの資質は切り離して考えず、どう影響し合っているのかを見極め、それぞれが組み合わされるとどのような効力を生むのかを知ることが、自分の強み理解の第一歩である。


相反する資質を持ち合わせることはありうる

次に気付いたことは、「相反する資質を持ち合わせることもありうる」ということだった。

僕は「内省」が5位と強みである。

「内省」が高いと、とにかくフットワークが悪くなりがちだ。例えば、仕事終わりに飲み会に誘ってもたいてい断られ、直帰してしまう。同じコミュニティに何人かは必ずいると思うが、そういう人はみんなでわいわいするよりも、一人家で読書したり、アニメや映画を見ている方が落ち着くし好きなのである。

一方で、僕は「社交性」8位とそこそこ上位の資質である。

「内省」(5位)×「社交性」(8位)だとどうなるかと言うと、飲み会に行くまでは「あぁ早く家に帰って本を読みながらゆっくりしたい……」と思うのだが、いざ飲み会に行くと、「社交性」が高いので、さっきまで嫌々参加するはずだった飲み会をすごく楽しむことができる。初対面の人に積極的に話しかけに行き、「また今度飲もー!」と次の予定を誰よりも早く取りつけるのである。

このように「内省的なのに社交的」と一見矛盾していそうだが、相反する資質を持つことはありうるのである。

34位まで開示したおかげで「内省的なのに社交的」という自分の矛盾していそうな性格の説明をつけることができ、非常に納得がいった。

 

またこの記事を書くにあたって、ヨガインストラクターの友達にストレングスファインダーを受験してもらった。

結果は、「内省」4位、「活発性」5位だった。この結果を見て、この友達に抱いていたある違和感がやっと解消された。

というのもヨガのインストラクターという体の専門家であるアスリートなのに、将来は作家になりたいと言っていたからだ。アスリートなのに文才があって、どこか違和感を抱いていた。

しかし、両極端である相反する「活発性」と「内省」を上位5つの資質を持っている人であるとわかり非常に納得した。

このことから、人間の性格はそんなに単純ではなく、複雑にできているのだなぁと気付かされた。 

 

③1つの資質に複数の側面がある

この次に発見したことは「1つの資質に複数の側面がある」ということだった。

これは自分の「共感性」(16位)の順位に納得がいかなかったことから見つけた。

自分は、相手の感情を読み取るのが得意で、幼い頃からいわゆる〝空気を読む〟を地でやってきたタイプだっただけに、もっと共感性が高いはずなのに!なぜ!と思っていた。

実際に周りからも「森井さんもっと共感性高いと思っていました」「TOP5に入っていてもおかしくなさそうなのに」と言われていた。

そこで、TOP5に共感性を持つ人達にヒアリングしてみたところ、言われたのが「15秒のCMを見ただけで泣ける」だった。

僕はまず泣けない。そこで気づいた。

共感性という資質は、

1.周囲の人の感情を読み取れる
2.読み取った感情を自分事化できる

の2つの意味合いがあったのである。

そして、僕には2つ目の才能がなかったのだ。

 

1つの資質に複数の側面があるのは、他の資質も同様で、

例えば、「社交性」の資質だと、

1.知らない人と出会うことが好き
2.自分のことを好きにさせるのが好き

の2つがあり、社交性と聞くと1つ目が思い浮かぶが、1つ目しか理解していないと見誤ることになる。

 

「調和性」という資質だと、

1.対立したくない、大声を聞きたくない、喧嘩したくない

といった争いを避ける方向性と、

2.対立するのは時間の無駄なので、妥協点をみつけて次へ進みたい

と前に進ませるために合意点を見つける、という傾向性の両方を含んでいる。

 

なぜ1つの資質が複数の側面を持っているかと言うと、そもそも、ストレングスファインダーの開発は、200万人に対するインタビューからスタートした。

ある人が成果を出しているときに、無意識のうちにどんな才能が使われているのか。それを探るインタビューから、人の様々な才能が5000個以上挙がってきた。

それを似たもの同志でクラスター化し、最終的にお互いに重複を極力なくしていった結果、34個の資質になったのである。

いろんな業界の中で、5000以上の才能の中から優秀のものをぎゅっとしてできたのがストレングスファインダーであり、34資質がすべて成功のもとなのである。

 

ーーーーー 

ちなみに、就活生の頃、企業の人事の方や周りの友達から僕の長所は「素直さ」だと言われていた。

この記事を書くにあたって一緒に議論したストレングスファインダーの相棒に〝バカ素直〟とあだ名を付けられたこともあったほどだ。

それなのに「素直さ」という資質がないのはなんでだろうと考えていた。大事な資質じゃないか!僕のアイデンティティだぞ!と。

 

それに対して、日本におけるストレングスファインダーの第一人者である森川里美さんのセミナーに行った際、こんなことを言われた。

「何かで成功するためには物事を最後までやり通す〝粘り強さ〟がないといけません。それなのに、〝粘り強さ〟という資質がないのは、誰でも好きなことなら粘り強くできるからです。だから34資質にはありません。ある意味、全ての資質に入っているからです」

「粘り強さ」だけでなく「素直さ」も同じようなことなんだろうなぁと思った。


④もう性格は変わらない

この記事を書くにあたり、本を買い直し、3年ぶりに試しに2度目のストレングスファインダ-を受験してみた。

結果は、上位5つの資質のうち4/5が3年前と同じだった。そして、入れ替わった資質は、もともと上位にあったものだった。

もう一度受験したら一つ二つは変わるかもしれないが、資質は永続的なもので、本書によればどれほど自分を変えようとしても、資質は変わらないそうだ。

 

しかし、新たな資質は得ることはできないが、新たな「知識」や「技術」を身につけた結果、意欲的に取り組める新たな分野が見つかる可能性は大いにある。

本書にダニエル・Jという女性の例が出てくる。その話がわかりやすいので引用する。

ダニエル・Jは「共感性」と「指令性」の資質に恵まれ、自らの力で成功したジャーナリストだった。

インタビューの相手をくつろいだ気分させるのにはおそらく「共感性」がうまく機能し、ひるむことなく厳しい質問を相手にぶつけるのには「指令性」がプラスに働いていたのだろう。

この二つ以外に、文字情報を深く読み取る洞察力にも優れていたので、素晴らしい成果を上げ、彼女は特別記事が書ける地位まで昇進する。

ところが、ジャーナリズムの世界に身を置いて10年が経ったところで、突然辞表を出して人生の方向を変えた。セラピストになって、ホスピスに自らの新たな職場を求めたのだ。

長い入院生活を送っている母親を見舞い、何度となく病院に足を運ぶうち、自らの人生を見直すようになり、愛する人の死と向かい合わなければならない人達の役立つ仕事で、より一層世の中に貢献したいという思いが強くなったからだった。

興味深いのは、ジャーナリストとセラピストとでは、要求される「知識」も「技術」もまったく異なるにも関わらず、どちらの場合でも「共感性」と「指令性」が彼女を行動に駆り立て、すぐれた成果を生み出す原動力になったということだ。

「共感性」のおかげで、彼女には、患者の苦痛が肉体的なものか、精神的なものかを見分けられるだけでなく、患者の家族がうろたえているときに、適切な言葉を彼らにかけることができた。

「指令性」もまた大いに役立った。患者の死後が近いとき、患者の家族にどういう事態を覚悟すべきか、何を準備すべきか、そういうことをはっきりと誰かに言うことができた。家族が望むやり方でその場をうまく取りしきる能力があったのである。

このように活かされる資質は変わらなくても、この女性のように新たな技術と知識を身に付け、人生の方向を変えることは可能だ。

新たな資質を得ることはできないが、備わっている資質を活かして、新たな強みを築くことはできるのである。

 

⑤資質には個人差がある

本書を読めば、各資質の定義のようなものとその説明はある。

しかし、これらはあくまでそういう傾向があるというだけで、絶対に当てはまるというわけでは決してない。

例えば、僕は「未来志向」が4位とかなり上位だ。成功体験であっても過去には一切興味がなく、現在もそこまでで、常に未来に生きている。自分の未来にしか興味がない。

たいてい5~10年後を見据えて行動していて、10年後くらいまでであれば、自分の未来が見えるのである。

しかし、この未来がどのくらい見えるかはかなり個人差がある。

僕はMAX10~15年後くらいまでしか未来は見えないが、まだ30歳なのに老後のことや自分の死んだ後のこと(自分が死んだら○○しなさいと子どもに言ってしまったり)を考えてしまう人もいるみたいだ。

 

また、元旦に「目標志向」が上位の友達に「あけましておめでとう!今年の抱負決めた?今年もよろしくね」とLINEで送ったら、

「まだ60個しか決めてない!」

と返ってきて本当に驚いた。いや、笑った。

「多すぎだからwwww」と返したら、

「去年は100個決めて50個しか達成できなかったの!」

と言われた。

僕は目標志向が3位でかなり強みだと思っている。1、3、5、10年後の目標といった長期的に目標はもちろんのこと、今月の目標、今週の目標、今日の目標と、本当に常に目標のことを考えている。目標ができるとワクワクしてエネルギーがわいてくるほどだ。

そんな目標志向強めの僕でさえ、「まだ60個しか決めてない!」「去年は100個決めて50個しか達成できなかったの!」にはかなり驚いた。

このように資質には個人差があるのである。

『さあ、才能に目覚めよう』を読めば、「この資質の定義と説明は○○」と正解があるように思うが、書かれていることはあくまでそういった傾向がありますよ、といった傾向性に過ぎない。一人一人違っているのである。

だから人間は複雑で、奥が深く、面白い!!!

(追記:関心がないからか世界がこれからどうなっていくのかといった未来は一切わかりません。ただ、つい最近になって、本当によく知っている友達の未来ならだんだんと見えるようになってきて驚きました。また、自分にしか使えていなかった「目標志向」も、目標を立てるのが苦手な人の目標を一緒に考えてあげたりと、他人にも適用できるようになってきて進歩を感じています!) 

 

⑥特定の職種に向いている特定の資質はある

これは僕調べだが、起業家の人は、「最上志向」「自己確信」や「活発性」「ポジティブ」の資質を持っている人が多い。

起業家はいつどうなるかわからない。多額の借金を背負う可能性もある。そんな過酷な状況下でも自分を信じ、楽しみながらやり抜くためにはやはり「自己確信」や「ポジティブ」といった資質が必要になってくるのだろう。

本書によれば、ジャーナリストの大半が、優位に占める5つの資質の中に「適応性」を持っていると言う。

一般にジャーナリストというのは次の日にどこに行くのかもわからないような仕事。常に場所が変わると精神的に負担を感じる人もいるが、「適応性」に優れている人は、そういった状況下だからこそ、むしろ意欲がわくのである。予期せぬ出来事が生きる糧になってくる。

また医者の多くは専門分野がなんであれ「回復志向」に秀でているらしく、教師はだいたい「成長促進」と「共感性」と「個別化」に優れているみたいだ。

しかし、資質と職種に関連があると言っても、短絡的に結び付けてはいけない。資質がまったく異なる人たちが、同じ職務で成果を上げているからだ。

例えば、コーチングのコーチは理想型があるわけではなく、共感性が高いコーチングスタイルもあれば、最上志向で相手を向上させるコーチングスタイル、戦略性×未来志向でVisionを描く質問が得意なコーチングスタイルなど多種多様である。

特定の職種に向いている特定の資質はあるが、自分の主要な資質が常に活かせるような演じ方を考えれば、どんな職種であっても最高のパフォーマンスを発揮することができるのだ。


⑦弱み対策ができる

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.強みと弱みは表裏一体

強みと弱みは表裏一体である。僕の5つの強みに「未来志向」と「目標志向」がある。

何かをするとなったとき、僕はまずそれを成し遂げた時の輝かしい未来を想像したり、5~10年後という将来を見据える。そして、そのためにはどうすればいいか、中・長期的目標と短期的目標を細かく立てていく。

特急列車のようだと言われたりするが、その自分で立てた目標に沿って、ゴールまで最短ルートで行動したいし、実際に行動しようとする。

 

そのため、途中でハプニングが起きると対応するのがすごく苦手だ。

34ある資質のうち最下位だったのは「適応性」だった。これは非常に納得だった。

前々から突発的なハプニング対応が苦手な方かなぁとは思っていたけど、なかなか人と比較できる性格でもなかったので確信が持てなかったが、これで確信ができたのであった。

 

ここで「適応性」が最下位になったのは、やはり「未来志向×目標志向」が強すぎるからではないかと思う。

僕は「未来志向×目標志向」で「未来」しか見ていないので、自分にとって「過去」(原点思考・33位)はもちろん、「今」(適応性・34位)も重要ではない。

そのため、現在のことでイレギュラーなことが起きるとなかなか対応できない。未来しか見てなさすぎて、今を柔軟に対応できなくなってしまうのである。

回復志向(30位) ⇔ 最上志向(9位)
活発性(31位) ⇔ 内省(5位)
親密性(32位) ⇔ 社交性(8位)
原点思考(33位) ⇔ 未来志向(4位)
適応性(34位) ⇔ 未来志向(4位)

ワースト5の弱みの対となるような資質は、全てトップ10以内に入っている。このように強みも、裏返すと弱みになるのである。

(もちろん先ほども述べたが、相反する資質も強みに持ちうるが)

 

ーーーーー 

また表裏一体なのは、1つの資質内でも言える。

例えば、「目標志向」。

「目標志向」の人は、目標をまず設定し、そこから逆算して考える。その分、効率よく動くことができ、ゴールまで最短ルートで行くことができる。

一方で、それだけに「目標がなければ動けない」「考え方に遊びや副産物が生じない」「目標まで最短ルートではなくなるハプニングに弱い」という弱点がある。

このように、弱みは「資質を持たないことによる弱み」と「資質を持っていることによる弱み」の2種類あるのである。 


Ⅱ.弱みを克服するために強みを活かす

そんな強みと弱みが表裏一体である資質だが、34ある資質で補い合うようになっている。しっかりと自分の資質を理解しておくことで、強みで弱みを補うことができる。

例えば、34位中31位が「活発性」だとわかれば、対策は打てる。

「活発性」が弱みの人で、それでも外に出てばりばり行動しなければいけないときがある。僕にとって大学生の頃の就職活動時期がそれにあたった。

そういうときは、行動する期間に入る前にじっくり「内省」をした上で、「未来志向」と「目標志向」が強みなので、「次の1年間は、読書を減らし、外に出て行動する1年間にしよう」と目標を決める。

そう割り切ることで、「活発性」の無さをカバーし、無事に就職活動を終えることができたのであった。

 

また、アナウンサーの友達にヒアリングをしたところ、「適応性」が弱みであることがわかった。

これは勝手なイメージだが、アナウンサーというと生放送だったり中継やロケといった適応力がより求められる仕事かと思っていたので、「適応性が弱みだと大変じゃない?ハプニングとかよく起きそうだし……」と聞くと、こんなことを言われた。

「特にアドリブとか苦手だしすごい大変。ほんと当日ぶっつけ!みたいな人もいるけど、私にはできないからなぁ……そういう人はハプニングが楽しめて、中継とか得意だと思う。

ただ、(私は適応性がないのがわかっているから)いつもシミュレーションと準備はめちゃくちゃしてるよ。イベントとかでも台本に書き込み多いし、中継だととにかくイメトレをする。

自分の原稿とVTRは死ぬほどチェックするから、仕事遅いけど正確さはあって、あんまり内容的に直されることも少ないかも。

準備はめちゃくちゃ時間かかるし、準備してないと不安だから前日寝られなかったりするけど、ただ、だからこそ、他の人より生放送には強いと思ってる」

なんと下位の資質である適応性(27位)を、強みである「慎重さ」(1位)でカバーしていたのである!

弱みを克服するのにも、やはり強みである才能を活かすことを心掛けた方がいいのだ。

(※「慎重さ」の資質にすぐれた人は、決断や選択をする際に、細心の注意を払うことが特徴的です。この人は、常に障害に備えており、決して油断しません) 

 

余談だが、最後にこんなことを言われた。

「確かに生放送は本質的にはめちゃくちゃ苦手なことしてるわ。でも苦手なことをできるのが好きなの」

なるほど、さすが「回復志向」が3位なわけだ。


Ⅲ.弱みを補ってくれるパートナーを見付ける

佐渡島庸平さん率いるコルクでは、社員にストレングスファインダー受験を導入したみたいだ。

有能なリーダーは、常に自分の強みに投資しているだけでなく、フォロワーたちの強みを理解し欲求を満たしてくれる。

自分の強み弱みだけでなく、相手の強み弱みまで考える。

そして、相手の強みを知っておくことで、自分の弱みを補完してもらうことができるのである。

資質34位まで開示することで、正確に苦手なことがわかれば、前述した「弱みを自分の強みでカバーする」という方法だけでなく、「自分の弱みを補ってくれる相手を見付ける」という手段も取ることができる。

 

友人に、「最上志向」を強みに持つ経営者がいる。その経営者は、「最上志向」を持っていることもあり、自分の専門分野はずば抜けている。

しかし、自分がやりたいこと以外の能力は並以下で、完全に抜け落ちてしまっていた。

人より劣っていることに時間を投資しようとしない「回復志向」の無さが自分の弱みでもあることに気付いていたその経営者は、マネージャーに「回復志向」と「成長促進」を強みに持つ人を置いた。

「欠点の回復」をそのマネージャーに補完してもらうことで、自分の強みをさらに伸ばすことに成功したのであった。

「最上志向」の苦手なことを伸ばせないことと、「回復志向」の器用貧乏であることのお互いの短所を、補い合うことで危機を乗り越えたのである。

 

また、5つの強みに「コミュニケーション」「達成欲」「活発性」を持っている友人がいる。かなりの行動派である。「休みの日に家にいたら逆に疲れる」と言っているくらいだ。

しかし、この友人は「内省」が弱みで、じっくり一人で考えるのが苦手である。そんなとき「内省」を強みで、かつ「活発性」を弱みに持つ僕のようなタイプがパートナーだと、じっくり考えた結論をもとに、パートナーにはばりばり動いてもらうということができる。

このように良いパートナーが見つかれば、お互いの弱みを、強みでカバーし合えるのである。


Ⅳ.弱みを打ち明ける

始めから自分の弱みを明確にわかっていれば、対策を打つことが可能である。

「強みでカバーする」「弱みを補ってくれるパートナーを見つける」以外に、「自分の弱みを上司や同僚に打ち明けておく」ということが挙げられる。

これは誰かと一緒に働く上でとてもとても重要なことである。

 

「個別化」と「共感性」が弱みの後輩がいる。その後輩は、相手の感情や個性といったものを読み取ることがすごく苦手であると気付いていた。

この後輩がすごいのは、弱みをそのままに放置しておくのではなく、それらを周りのメンバーにしっかりと伝えることにしたことである。

自分は相手の気持ちを理解することが苦手である。そのせいか子どもの頃、仲間外れにされ、いじめられていたことがあったということまで洗いざらい全て話した。

「もし、今後自分と仲良くやっていこうと思ってもらえるなら、自分にやってほしいことや理解してほしいことがあれば、直接言ってほしい。日本人特有な以心伝心というやつは悲しいことに僕にはできないのです」

自分の弱みを打ち明け、さらけ出すことで、彼は周りから受け入れられ、協力してもらうことができたのであった。

 

Ⅴ.強みの種が弱みとして出てしまうことも

ストレングスファインダーは、〝才能の傾向性〟を測るツールであり、177問の質問に答えたあとに出てくる5つの資質は、実はまだ〝強み〟ではなく、〝強みや才能の種〟みたいなものである。

それらは効果的に活用すれば〝強み〟になるが、非生産的に使ってしまうと〝弱み〟にもなってしまう。

例えば、「最上志向」。自分を向上させ、より改善していきたい。より優秀になりたい。

その欲求が動機となって成果を出していくときには強みとなるが、「上司は部下より優秀でなければならない(のに、自分はなぜこんなにも無能なのか)」「自分はもっと出来るはずなのに、全然出来ていない」と自分をいじめてしまうと、せっかく持っている最上志向という素晴らしい資質を生産的には使えていないことになる。

 

また、「責任感」(3位)の元教師・現在大学院生に話を聞いてみたら、こんなエピソードを話してくれた。

「教員1年目終わりに、尼崎の荒れすぎて崩壊したクラスと部活指導の長時間労働が本当に苦しくて辞めたかった。でも、ここで辞めたら迷惑がかかるし(基本的に中1~中3は連続して同じ担任が持つから)、採用してくれた人や育ててくれた上司に申し訳なくて、今見てる学年を卒業させなければだめだと思って続けた。

3年目終わり、本当は冬の院試を受けて春から大学院生をしたかったけど、担任をしている中3の進路指導で調査書とか授業とか子どもの人生がかかってるから休めないと思って仕事をして、結局、大学院には1年間入学を遅らせた。

基本的に嘘つきたくない嫌われたくないから、頼まれたことは先に終わらせて言ったことは守る。書類提出は貰った瞬間すぐに出す、私が提出遅れることで相手が迷惑するから。それもあって全部自分のことは後回しになって疲れてしまっていた。

うまく使えば、「責任感」という資質は、他人に対しては誠実だから絶対的に信頼される強みになるだろうけど、私にとっては自分で自分を生きづらくしてる要因であって強みではないのかもしれない。

教員辞めたのも、非行犯罪、ネグレクト、不登校自死リストカット、いじめ、怪我、責任が重すぎて、もし私のせいで助けられなかったら一生後悔するし、そこまで全力でしたとして自分のプライベートがなくなる私には無理と思ったから辞めてしまったの」

 

最上志向や責任感そのものが強みなのではなく、この自分の資質を、どんな場面でどう使うか。効果的に使っている場面を発見し増やしていく。非生産的に使っている場面を認識し使い方を変えてみる。

そうすることで、きっと資質を最大限に活用する=強みになるはずだ。 

 

Ⅵ.それでも苦手なことを伸ばしたい方へ

本書によると、

「強み」=「才能」+「知識」+「技術」

「弱みと折り合いがついた状態」=「知識」+「技術」

である。

弱みは、時間をかければ「知識」と「技術」である程度のレベルまではカバーできる。

しかし、「才能」がない状態で「知識」と「技術」のみで頑張るのはとてもしんどいので、強みにはしないほうがいい。

 

例えば、「親密性」がない人は、人と親密になるのが苦手だ。それを克服するために「コーチング」や「コミュニケーションスキル」を学んだとする。

それらを学ぶと確かに人と親密になるための「知識」や「技術」は身につく。「親密性」を持つ人の特徴である「真っ白な気持ちで、相手の話を遮らずに最後まで聞く」ということがいかに大事かということもわかると思う。

しかし、「才能」(「親密性」の資質)を持つ人にはかなわない。

なぜなら、親密性を持つ人は「相手の話を遮らずに最後まで聞く事が苦にならない人」だからである。

強みの定義は「自分を強いと感じさせる活動」だ。

(逆に言うと、「自分を弱いと感じさせる活動」が弱みのもっとも明確な定義である。ある活動を従事しているときの気持ちが、その活動の得手不得手を決定する)

今から自分に話しかけてくる人全員の話を、手を止めて興味深そうに相づちをうちながら途中で一切遮らずにツッコミや確認も入れずに最後まで聞くということを毎日24時間続けられるか?

「親密性」の「才能」のない人は、それが必要だと分かっていても、3日と持たない。

しかし、「親密性」を持つ人は、必要ならばこういうことがずっとできる。というより、それが自然な状態なのである。

才能があるということはそれぐらいすごいことなのだ。

「才能」がない場合は、程々に「知識」と「技術」を身につけ、「折り合いをつける」ことを心掛けることが大事だ。

例えば、どうしても「親密性」を発揮したいなら、使う相手を限定すればいい。恋人、家族、大切な友人など、どうしても親密になりたい人にだけ「技術」を用いれば良い。そういう限定条件を用いれば、「弱みと折り合いをつける」ことも不可能ではないのだ。

 


3.大事な人とやると、お互いの理解が深まる

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①リクラブするなら、ストレングスファインダー

就活生だった頃、自己分析が必要だったということもあり、僕はその時付き合っていた彼女とずっとストレングスファインダーの話をして盛り上がっていた。

就活生でリクラブするなら「ストレングスファインダーやろう!」と言ったほうがいい。自己分析になるのはもちろん、相手のことを深く知るきっかけになるからだ。

ストレングスファインダーを受験して自分の強みを知りそこでおしまいという人と、僕みたいにはまる人の違いは、議論する相手がいるかどうかだと思う。

恋人と一緒にやると本当に盛り上がるのでオススメです!

ちなみにカップルがストレングスファインダーにはまるとこういう会話になります(笑)

以下、「活発性」と「達成欲」の強い彼女との実際にあったLINEでの会話です↓↓ 
________

彼女:「悠太のインドア派なとこは「内省」があるからなのね」

「私、昨日から今日までのスケジュールがハードすぎて、悠太に引かれるくらい「活発性」発揮してる。結局飲んで友達の家に行って2時間くらいしか寝てないwwからの今帰宅途中でそれからバイト行ってくるね!」

森井:「やばすぎ……家でゆっくりしようや笑」

彼女:「私、眠いけど外出たら元気になる。すっごい眠いけど映画見たいし、今日安いから映画行ってくる!「活発性と達成欲」強いから、忙しければ忙しいほど元気になるの!アドレナリンで今身体動かしてるもん」

森井:「さすが「活発性」の極み……「内省」強くて「活発性」弱みの俺には、その予定詰めまくりなとこまったく理解できないな」 

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彼女:「「収集心・内省・規律性」が弱みトップ3ですけど何か?」
「なんかさ、この3つ弱みって言われるだけで、どんな人か想像できるよね笑笑」

森井:「がさつで周りのことが見えない猪突猛進型タイプ」

彼女:「うるさいwwwでも当たってるwwww」

「ただ頭の悪さは「活発性×達成欲」で補ってるんで笑」

「それに本の「内省」の説明のところに書いてあったけど、「活発性」に優れた人と組ませると良いって書いてあったよ?」

森井:「わろた。やはり俺たち相性良かった笑」
「「内省」の強み持つ人同士だと、フットワーク重たいからなかなか予定合わないんだけど、「活発性」の人だとスピード感半端なくて、すぐ予定合うから居心地良いねん」 

_______

彼女:「悠太って、「目標志向」と「未来志向」が強みだからか、すごい夢みがちだよね!笑」

森井:「うーん、悪く言えばな!笑 ただ、「原点志向」低い俺にとって過去ってほんとどうでもよくて、なんだったら「適応性」が最も弱みなくらいだから、今・現在にもそこまで興味なくて、未来しか見てないのは確か。過去の成功体験が捨てられないってよく言うけど、過去のことだから成功体験であってもまったく興味ないんよ。余裕で捨てられる」

彼女:「なにそれ、未来のために生きてるの?」

森井:「そう。輝かしい(であろう)未来を想像すると、今がどんなに苦しくても頑張れるし、楽しくなれるかな!」

彼女:「……(理解できない様子)。「未来志向」強すぎて怖い笑」

森井:「俺は目標が高ければ高いほどテンション上がるんだけど、タスクは多ければ多いほど生産性落ちていく。目標志向強めだから、何か一つに絞りたい」

彼女:「私はタスク多い方がテンション上がる!!逆に目標は低く最初設定して、クリアしたら高くしてくって感じ!」

森井:「「目標志向×未来志向×適応性(弱み)と達成欲×活発性×アレンジ」の資質の違いだわ笑」

彼女:「悠太が私の忙しさを理解できないって思ってるのと、「未来志向」強すぎて怖いって思ってるの似てるってことかな!笑」

森井:「せやね。そう思うとなんか急に理解できた気がする!!!」

________
という風な会話でしばらく持ちきりになります(笑)

本書には、34ある資質の説明から、その資質をどうやったら活用できるのか、一人ひとり違う個々の資質をどう活かすかまで書いてあるので、大事にしたい人の強みを教えてもらい、その資質の説明を読むことで、さらに人間関係がうまくいくようになると思う。

そうしていくうちに34の資質に詳しくなっていき、自分の強みを伸ばすだけでなく、様々な相手のことも深く考えられるようになるはずだ。

 

②この一言で、強みはこの資質に決まり!?

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「この一言を言えばこの資質だ」という傾向性がある。あくまでそういう傾向があるというだけだが、頻繁にその言葉を使っていればその資質が高い可能性がある。

例えば、友人と最近の悩みについて語ったとき。「悩みは寝たら無くなるかなぁ」とたまに言う人がいる。「ポジティブ」17位の僕からしたらこれは考えられないのだが、これを言う人はほぼほぼ「ポジティブ」が上位の資質に入っている。

他には、「競争性」が上位の資質にある人の口癖は、「○○ができれば勝ちだな」「負けたくない」「一番になりたい」「日本一を獲る」で、勝ち負けで判断できないようなことでも、すぐに勝ち負けで判断してしまうのが特徴だ。とにかく競争し、人と比べ、白黒つけたがるのが好きなのである。

SNSを見ているだけでも、どんな資質が上位にあるのかわかったりもする。「今の自分があるのは、過去の自分があるから」「今があるのは、あの時の辛かった経験のおかげ」のようなことをつぶやいている人(特に女性に多い気がします)がたまにいるが、「原点思考」が強いのだろうと予想できる。

一方で、去年知り合った友人に、初対面でいきなり「夢は?」と聞かれた。その後、次に会ったときも、「今はまったく違う仕事をしているけど、将来、陶芸家なりたい」と言ってた。いつも未来をみていて「未来志向」が上位の資質にある人なんだろうなぁと気付いた。(実際にやってもらったらTOP5だった)

以前に後輩と話していたら、「ホワイトデーは全員違うものを返しますよ」と言っていて、あぁ「個別化」出てるなぁと。(実際に個別化9位)

テレビを見ていて神対応と呼ばれるアイドルを見ると、「この人は完全に社交性の人だ」などと思ってしまう。

 

社交性と言えば、ペットショップで働いてる先輩に「ペットショップで働いていて、何しているときが一番楽しいですか?」と聞いたら、「クレーム対応してるときかな。クレームを言ってきたお客さんが常連さんになってくれたとき、一番嬉しい!」と言っていた。

クレーム対応が得意な資質は「回復志向」。回復志向×社交性が出てる!

(生き物関係ないし、クレームなんて大嫌いなのですごく驚きました。笑)

僕は回復志向が30位なので、この資質のことが全然理解できず、本を読んでみると「3歳の娘が初めてセーターのボタンを留めようとしていて、それがずれていたりすると、飛んで行って直したい衝動にかられます」というエピソードが出てきて、さらにわからなくなりました(笑)

回復志向(3位)と成長促進(8位)の友達が「才能ある人よりダメ男が好き。ダメ男を良くしてあげたい」と言っていた。僕は才能ある人に惹かれる(最上志向)ので、真逆だなぁと。

また、ストレングスファインダーにはまる人は、「個別化」を強みに持っている人が多いような気がするのだが、「個別化」がない人は、相手の資質が何か見極めることが困難である。

ストレングスファインダーをやってもらった友達に「森井の強み何だった?」と聞かれて、「何だと思う?」と聞き返すと、一切当てようともせず「わからない」とだけ言う人は「個別化」ワーストのことが本当に多かった。

 

ストレングスファインダーのフレームワークで人を観察していたら、このように相手が話すちょっとした言葉や何気ない一言から、相手がどのような資質を持っているのか、性格が掴めるようになり、その人にどんな強みや弱みがあるのかがわかるようになってくるのである。

(※勝手にレッテルを貼るのは良くないので、もちろん注意が必要です) 

 

③本当の意味で多様性を受け入れられるようになる

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ストレングスファインダーの理解を深めていくと、

「決断は早く」
「メールは即レス」
「考える前に動き出せ」
「他人と比べたり、競争してはいけない」
キャリアプランなんていらない、今を生きろ」
「夢があるのに行動してないやつはくそ」
「5年後、どうなっていたいのかを考えなさい」

といった、いわゆるできるビジネスマン風なTipsがいかに嘘であるかがわかる。

全て一部の資質にしか当てはまらない内容だからだ。相反する資質を持つ人が上記のようなことをすると、真逆の悲惨な結果をもたらすことになる。

ネットで飛び交うこのような言葉に決して惑わされてはいけない。

 

他には、

「友達は、広く浅くより、狭く深くの方がいい」

「社交性」の資質を知っているあなたなら、もうこれがおかしいということがわかると思う。「親密性」の人にしか当てはまらない言葉だ。

「目標志向」の人にとって、やるべきことは一つに絞るべきだが、
(実際に、僕は一番目に成し遂げたいことのためなら優先順位の二番目以下は全て犠牲にする覚悟を決めている)

「アレンジ」がある人にとって、一つに絞ることはむしろ非効率であり、マルチタスクの方がいいのである。

 

ということは「回復志向」の人にとっては「弱みではなく強みに投資せよ」も嘘ということになる。

この資質を上位に持つ人は、弱みを改善することにワクワクし、輝くからだ。

(回復志向の人にとって「弱みを改善すること」が〝強み〟なので、そういう意味では、「弱みではなく強みに投資せよ」は真実でもある)

 

ーーーーー 

自分の話をさせてもらうと、最近僕は「目標」(目標志向)を否定された。

本作りの教科書としている本があるのだが、とても尊敬しているその本の担当編集者に「40歳までにその本を超える本を作ることが目標です!」と宣言したら、

「目標とベンチマークは違う。ベンチマークならいいけど、目標は違う」

とまさか僕の目標を否定されてしまったのである。

言いたいことはわかるが、目標が違うなんてことはない。尊敬している編集者に否定されたからといって、前言撤回するつもりはない。

なぜなら、これが僕の成長スタイルだからだ。

「目標志向」と「競争性」が強いので、ライバルと競争しながら、憧れな人を目指して精進する。そして、たゆまぬ努力の末、憧れの人に近づいてきたら、また新たな憧れ(目標)を見つけ、精進する。

一般的には人と比べるのは良くないとされているけれど、これが僕の成長スタイルだ。

ライバル(目標)がいなくなると途端にモチベーションが落ちてしまうし、競争は楽しいから競争している。

何より、ライバルと競争しながら切磋琢磨する過程こそが僕にとっての最良の瞬間(幸せ)なのである。

 

このように物事を一義的に捉えていたら、人間を理解し損なって、他人(または自分)を否定しかねない。

つまり、大事なのは、

「より自分に合った方法を見極めた上で、自分の強みが活きる方法でやる」

だ。

(ほんとはそんなことないが)世間一般に良いとされている価値観に惑わされてはいけないのである。

 

ストレングスファインダーによって才能に34個の名前が付けられたことで、今まで見えてこなかったことが見えてくるようになり、自分をコントロールしやすくなるだけでなく、多様性を受け入れられるようになるはずだ。

まずは自分に詳しくなること。

しっかりと自分の持つ資質を知ることで、自分にはない資質を持つ人たちをより深く理解できるようになる。

もちろん本当の意味で、自分の持っていない資質を理解することはできない。

しかし、自分の資質の価値がわからなければ、他の人の資質がわかるはずがないのである。自分の複雑な資質の仕組みを把握することで、他の人の資質も理解できるようになり、その価値を認めることができるようになるはずだ。

 

僕はストレングスファインダーを学ぶことで、他人だけでなく自分もとにかく否定しなくなった!

どんなにすごい〝あの人〟にだって、34番目の資質があることを知ったからだ。完全無敵の超人に見えるあの人にだって、何者でもない自分よりできないことがあるのである。そして、自分の方が優っていることは誰にでも絶対に一つはあるのだ。 

 


■4.ありのままの姿を肯定して、受け入れる

◆さいごに:自分のできないことばかりに目がいっていた大学時代。あるきっかけで幸せになる一番の近道を見つけた

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大学1、2年生の頃、自分のできないことばかりに目がいっていた。自分は何もできないろくでなし。時事、英語、プログラミング、数字……苦手なことばかりで、もっと弱みを克服しないと!とずっと思っていた。

でも弱みはたいてい好きじゃないことで、克服するのがとても苦痛だった。もちろんなかなか得意や好きに変わることはなかった。自分の弱みにばかり時間を使い、その度に何もできない自分に嫌気がさしていた。

そんな「できないことばかりの自分」が大学3年生のある日、たまたま手に取ったのが『さあ、才能に目覚めよう』だった。

自分の強みがわかるからと、友達に薦められた。自分に強みなんて何もないと思っていたから、半信半疑でストレングスファインダーを受験することにした。

30分後、パソコンの画面に5つの資質が表示された。すぐに本に書いてある資質の説明を読んだ。

「これが俺の強み……?」

衝撃だった。自分のなんでもない性格が強みだと言われ、初めて自分を認めてもらえた気がした。それから自分の持っている資質の箇所をむさぼり読んだ。気付いたら本は赤線と付箋でいっぱいになっていた。

本書では「弱みではなく、強みに投資せよ」と書かれている。『さあ、才能に目覚めよう』を読んで、「なんだ、弱みではなく、強みに投資すればいいのか!」とやっと気付くことができた。今思えばなんでもないことなのだが、当時の自分からしたら大発見だった。

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僕の強みの資質に「個別化」がある。「個別化」を強みに持つ人は、一人ひとりが持つユニークな個性に惹かれる。個人個人の違いに注目し、人の性格、動機、考え方、関係の築き方を観察している。

つまり、目の前の相手に合った、その人に対してだけの一番いい接し方がわかるのである。

大学生の頃、同期が200人くらいいるかなり大きなインカレサークルに所属していた。そんな大きなサークルだとなかなか輪に入れず辞めていく人が多数いた。

辞める理由の大半は人間関係だったりするのだが、何かやりたいことがあって前向きな理由で辞めるのならいいが、人間関係で辞めるのはもったいないと、サークルを辞めそうな人を見つけてはいつも声をかけていた。

なぜ辞めようとしているのか、またその人が何を求めてこのサークルに所属しているのか。この人の良いところはここで、それは今のサークルだとこうやってうまく活かすことができるんじゃないだろうか。

それらがわかって解決できれば、きっと辞めなくてすむと思っていたからだ。

そして、辞めそうな人に声をかけるなんて当たり前にみんなできることだと思っていた。

しかし、ストレングスファインダーを受験して初めて、これは自分だからできる「個別化」と「共感性」の資質のおかげなんだと認識することができた。僕はその人だけの想いに気づくことができたのだ。

衝撃だった。いや、正確には、すごく、嬉しかった。

こんな資質、比較できないから自分が秀でているなんて夢にも思わなかったからだ。

その後、強みや自分の好きなことに時間を使うようになり、一気に毎日が楽しくなった。苦手で好きでもない勉強をやめ、時間を忘れて好きな文章をひたすら書いた。

「個別化」と「内省」という資質的にも向いていたので、ぐんぐん伸びていった。

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本書では終始「弱みではなく、強みに投資すべき」と書かれている。これにはもちろん同意だが、それだけではない気がしている。

ストレングスファインダーのおかげで、自分ことをもっと知ることができる。自分に強みなんて何もないと思っている人にも、何が秀でているのかを教えてくれる。

自分はこれが優れているのだと、自分を肯定してあげられるかもしれない。今の自分でいいんだと、背中を押してもらえるかもしれない。

今のありのままの自分を受け入れることができたら、きっと相手にも優しくなれる。もっと相手のことを知ろうとするきっかけにもなる。相手のことを深く理解できれば、きっと相手も自分に優しくなるだろう。そうなれば、みんな自分らしくもっともっと生きやすくなるはずだ。

「自分も大事なあの人のことも、ありのままの姿を肯定して、受け入れることができるようになる

これがストレングスファインダーの隠された本当の良さなんじゃないかなぁと今では思う。

強がって必死に虚勢を張っていたあの時の僕に、「ありのままの自分でいいんだ」と言ってやりたい。

それまではすぐに他人を否定してしまっていた。他人を否定することでなんとか自分を保とうとしていたからだった。それは、今のありのままの自分を受け入れられていないだけだった。

もちろん自分を甘やかすことと、そのままの自分を受け入れることは違う。

それでも、一人でやろうとせずに、苦手なことは得意な人に任せればいい。決して弱みを無視しろというわけではない。弱みとうまく付き合い、自分の強みを最大限伸ばしていく。そうすれば、きっとありのままの自分を受け入れることができるはずだ。

そして、何よりそれが幸せになれる一番の近道なんじゃないかなぁと今の僕は確信している。 

 

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【※追記:2020/10/19】
3年半の時を経て、続編を書きました!!!!!

「ストレングスファインダーオタクの僕が診断結果を捨てて辿り着いたたった一つのこと」

です。

今読んでいただいた記事は、大きな枠組みとしての大事な考え方をまとめたストレングスファインダーの「決定版」の記事を作ろうと約20000字かけて書きました。

それだけに、もうこれ以上アマチュアの僕が書くことはないだろうなと思っていたのですが、僕の中で一つ大きな発見をしまして、これは書いておかなければ!!!と思い、再び筆をとることにしました。

良かったら御高覧ください!!!!!

ーーーーー
続編を書いていたときに気付きましたが、僕のブログのタイトルとコンセプトは「思考の整頓~"もやもやしたもの"に輪郭をあたえる~」です。考えることが好きという内省と分析思考の資質がもろに出てました(笑)

7年前に付けたブログ名ですが、今でもとても気に入っています。コアな資質はなかなか変わらないですね!

 

 

参考文献:『さあ、才能に目覚めよう』(マーカス・バッキンガム)『最高の成果を生み出す6つのステップ』(マーカス・バッキンガム)、ストレングスラボ基礎コース事前資料
 

 

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来月の4月13日に16年ぶりの新版『さあ、才能に目覚めよう2.0』 が出るみたいです!そうです、僕の誕生日でもあります!運命なの?笑

(4月13日だからシイサーで覚えてね!)

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人は簡単に「肩書き」に騙される

■居眠りをする学生がいなくなったほどの一言

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就活生だった頃、あるベンチャー企業のサマーインターンの説明会へ行った。

その説明会は土曜日の朝9時から始まり、大学の1限もまともに行けたことのない僕にとって辛い時間帯だった。そのため説明会の間、思わずうとうとしてしまい、居眠りをしそうになっていた。

それは周りの学生にとっても同じことで、思わず居眠りをしていた学生はかなりの人数いた。

しかも会社の説明をしていた代表取締役は、なんとサンダルにTシャツ短パンの髭面の男であった。うさんくさい風貌と説得力のない話し方で、眠さはさらにエスカレートし、「今日来たの間違いだったかなぁ」とまで思っていた。

しかし、その後である。その髭面の男が、さらっと「起業する前はGoogleにいまして……」と言った瞬間、無意識に気が引き締まって、急に目が覚めたのであった。

それはやはり僕だけではなく、周りの学生もそうで、Googleと聞いた瞬間、居眠りをする学生がいなくなったのである。

その時、サマーインターンの説明会で寝てしまったことに対してではなく、「Google」と聞いた瞬間、盲目的に話を聞き始めた自分がなんだか少し怖くなった。

 

■耳の薬を、肛門にさす

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この権威による盲目的反応は、医学界で特に起こりやすい。

こんな医療ミスがある。

ある医師が感染症で痛みを訴えている患者の右耳に、耳の薬を指すように指示した。その医師は処方箋に完全に「Right ear(右耳) 」と書かずに、 Rightを略して、「place in R ear」と書いた。この処方箋を受け取った担当の看護師は、正しく指定された滴数の耳の薬を、患者の肛門(rear)にさしたのであった。

耳痛のために直腸を治療することに意味がないのは明らかである。しかし、患者も看護師もそれを疑問に思わなかったのであった。

正当な権威者が発言する多くの状況では、たとえ権威者が間違っていても、それに対して疑問を差し挟もうとはしないのである。

 

■肩書きによる身長の歪み

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この権威による盲目的服従は、何も医者のような積み重ねられた努力をしてきた人にだけではなく、単に「肩書き」だけで起きてしまう。

試してみてほしいことがある。大学1年生に、サークルの先輩である4年生(特に代表)に身長を聞いてみてほしい。

おそらく本来の身長よりも高く見られている可能性が高いはずだ。

中学生の頃、僕は野球部だったのだが、1年生の時の3年生は実際よりもはるかに大きく見えていた。自分が3年生になっても越えられる気すらしなかったくらいだ。

肩書きによって、身長の知覚に歪みが生じることがある実験でも明らかになっている。地位が上がるごとに同じ人物の身長が平均約1.5センチずつ高く知覚され、「教授」の場合には「学生」の場合より6センチも高いと知覚されるそうだ。

他の研究では、選挙で勝利した政治家は、選挙前よりも選挙後の方が身長を高く見積もられることがわかっている。

つまり、物を大きく見せるのは、自分にとっての重要性が一役かっているのである。

 

■制服の学生は、大人の注意の的

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機械的な反応を引き起こすのは、「肩書き」だけではなく、「服装」もそうだ。

高校も大学も電車通学だったのだが、電車内で一つだけ変わったことがあった。それは「大人から注意されなくなった」ということである。

電車内での過ごし方はほとんど変わっていないにも関わらず、高校生の頃はよく知らないおじさんやおばさんに注意されてきた。

「ここで携帯使っちゃだめだぞ」「足を広げ過ぎないで」などなど。そんなことわざわざ言わなくてもと思うようなことまで言われた記憶がある。

しかし、これは私服なら言われないのである。おそらく「学校の制服という服装」が「大人からの注意されるべき的」として機能していたのであった。

 

■〝先輩マジック〟に騙されるな

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なぜ人々はこんなにも肩書きに弱いのか。

自分の頭で考えず、権威者に従うことは多くの利益をもたらしてきた。親や教師は僕たちよりも多くのことを早くから知っていて、彼らの忠告に従うことが自分のためになることを僕たちは知っているからだ。

しかし、上記で挙げたような例で、肩書きで簡単にだまされたくない人は「この権威者の言っていることは正しいことなのだろうか」と考える必要がある。権威からの要求に服従させるような強い圧力が存在しているのである。

「人は見た目が9割」と言うが、肩書きや服装には本当に注意が必要だ。

「先輩」という肩書きだけでモテる〝先輩ブランド〟や〝先輩マジック〟という名の権威で、今までどちらかと言えばそれらを享受してきた身として、このブログを書くことは大変はばかられたのだが。

 

 

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人は簡単に「まぐれ」に騙される

■「好きな子と誕生日が同じ」は運命か

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10代の頃、好きになる女の子がことごとく4月生まれだった。

自分と同じ4月生まれだと知る度に「あ、運命なのかも」と思っていた。

大学に入ってからも、元カノと次に好きなった子が二人続けて4月生まれで、かつ同じ誕生日だったので、あぁやっぱり運命、と思っていた。

ところで、経営者は占いにはまる人が多いらしい。

占星術を使わない億万長者はいない」と言われるほどで、なぜ自分の力で運命を切り開いてきたであろう経営者が、よりにもよって占星術といった自分の力の及ばない占いにはまるのか?

これには明確な理由がある。

それは、億万長者といった経営者は「他に頼るものがない」からだと言われている。

経営者は孤独で、一人でもがき苦しむ。その苦しみから逃れ、未来予測してもらい、少しでも不安を解消しようと、占いに走るのである。

僕の知り合いにも「いつも住まいは占いによって決めて、運気が良いところに定期的に引っ越すことにしている」と言っている外資系生命保険会社のエグゼクティブの方がいた。

占いでこれが良いと言われ、実際にやってみたらうまくいった。だから毎回大事なときは占いに行くようになった、と。

この占いにはまる経営者と、好きな子と誕生日が同じだから運命だと感じてしまう背景には、見逃されがちな一つの共通点がある気がする。

それは、物事の裏に「ありえなさそうだが、けっこうありうる」が潜んでいるということだ。


■「株価を確実に当てる」詐欺の手口とは

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昔、こんな株式情報詐欺があった。

詐欺のカモとなる相手に対して、10週連続で株価の上下を予想して当ててみせる。それで相手を信じさせて、11週目の予想に対して金銭を要求するというものだ。

10週連続で株価を当てるなんてことが可能なのか?

これがあることをすれば、案外容易くできてしまう。

詐欺師の手口はこうだ。まず銘柄を一つ選ぶ。次に、何も知らないカモ候補を1024人選び、翌週の株価の動きの予想を送りつける。

その際、半数には株価が上がるという予想を、もう半数には下がるという予想を送る。株価は必ず上がるか下がるので、カモ候補の半数の512人にははずれの予想が、もう半数には当たりが届く。翌週、はずれ予想が送られた人のことは忘れ、当たり予想が届いた人だけを相手にする。

という具合に、この方法を繰り返すだけ。10週経ったとき、詐欺師が相手をするのは一人だけになる。

その人から見れば、予想は10週連続当たったことになる。相手に株価のことを熟知しているかのような錯覚させることができるのである。

そうして詐欺師は翌週の予想に対して、金銭を要求し、大金を巻き上げたのであった。

詐欺師は株価の成り行きの可能なすべてのパターンを予想してそれぞれを異なる人に割り当てており、そのため予測したパターンのどれか一つは必ず当たる。

そして当たったパターンを自分が未来を予測する能力を持っている証拠として提示する。

このように「起こりうるすべての結果を一覧にしたなら、そのうちのどれかが必ず起こる」のである。

____
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少し前の話になるが、2010年に行われたサッカーワールドカップで、「タコのパウル君」が、ドイツ代表による7試合と決勝の結果を当てたという"奇跡"のニュースを覚えているだろうか。

このタコのパウル君に未来を予測できる能力があるわけでもなんでもない。

8試合を当てる確率は256分の1なので、256に近い数の動物を連れていけば、予想が当たる動物が見つかる可能性は高まるというだけの話なのである。

実際、取り上げられはしなかったものの、各国7試合までは当てたという動物は他にも多数存在していた。(8試合目で外したから当然そこまで取り上げられず知られていない)

最後まで残ったのがタコのパウル君であったというだけで、「何かが必ず起こる」という単純な話なのである。

確率的には起こってもおかしくない出来事を、多くの人が奇跡だと勘違いする背景にはこういったことが隠されている。

■国営ロト2回連続で「同じ当選番号」は当たり前?

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ただの偶然を奇跡や自分の実力だと勘違いする背景には、「十分に大きな数の機会があれば、どれほどとっぴな物事も起こっておかしくない」という法則も隠れている。

2009年のブルガリア国営ロトで当選番号が2回連続して同じということがあった。それに対しメディアが大騒ぎし、不正が行われたのではないかと大問題となった。

しかし、49個の整数から6個を選ぶロトが、週2回、年に104回行われるとすると、43年と少しで、どれか2回の当選番号が一致する確率は1/2を上回る。

当時、同ロトは始まって52年が経っていたので、そこまで驚くべきことではなかったのである。

そして、当選番号が2回連続して同じという結果だけが注目され、過去52年間ランダムに見えるパターンを出したほかの当選番号のことは忘れ去られるのだ。

____
好きな番組で毎週欠かさず見ている「ダウンタウンなう」というTV番組があるのだが、以前に高額の宝くじが連続して当たった人達の特集がされていた。

当選者達が宝くじを当てるコツ(西にこだわって購入する、午前中に買うと当たりやすい等)を話していたが、そのときはあぁそうなんだと思わされてしまったが、あんなのはたまたま当たっただけなのだろう。

自分に起こった偶然の一致は、他人に起こったものより驚きが大きい。それが起こる対象はほかにも大勢いるが、自分は一人しかいないので、誰かほかの人に起こった場合と比べて、大きな驚きになる。

そのため自分が選ばれし者だと勘違いし、偶然を自分の実力だと思い込んでしまうものなのである。

それに宝くじを当てるには○○した方がいい、というのは後からならいくらでも言える。

例えば、的の中心に矢を射るためには、射た後、的を書けばいいのだ。うさんくさい宝くじの当てる方法もそういうカラクリだ。

「事象が起こったあとに選べば確率はいくらでも高くできる」。当たってから方法を語ればいくらでも語れるのである。

そして、今まで説明してきたように、連続して宝くじに当たるといった幸運な出来事だろうと、落雷に当たるのような不運な出来事だろうと、「十分な数の機会さえあれば起こりうる」のである。

自分に起こる確率は低いかもしれないが、地球には70億人が生きていることを忘れてはならない。

■人は簡単に「まぐれ」に騙される

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ここまで確率マジックについて話をしてきたが、冒頭の「好きな子と誕生日が同じは運命か問題」について話を戻そう。

一つの部屋に誕生日の同じ二人がいる可能性が、いない可能性より高くなるためには、部屋に何人いなければならないのか?

答えはたった23人だ。23人以上が同じ部屋にいれば、誕生日の同じ二人がいる確率のほうがいない確率より高いのである。(詳しい計算式は『偶然の統計学』p.116)

さらに好きな子が、自分の誕生日である「4月13日生まれ」ではなく「4月生まれ」と範囲を緩めることで、いっきに確率が上がる。

つまり、好きな子が自分と同じ誕生月であっても運命でもなんでもないのである。

____
途方もなく起こりそうにない出来事がなぜ次々と起こるのか。その正体が少しずつわかってきた。

僕たちが、偶然の一致に驚くのは、今回紹介してきたような「ありえないと思う原理」を考え合わせていないからである。

確率的に見れば起こってもおかしくない出来事を「奇跡」と感じたり、「異常」だとみなしてありもしない因果関係やパターンを探し始めたりする。その結果生まれたのが、迷信や予言、神々と奇跡、超常現象といった類いである。

しかし、今まで「ありえない」と思っていたことは、実はけっこう「ありえる」のである。

人間は、確率をすぐに見誤る。偶然に騙され、それらを運命または自分の実力だと感じてしまうのである。

 

と、こういうことをわかっている確率リテラシーのある人でも、好きな子と誕生日が同じだと知ったときはやはり運命だ!と感じてしまうのかもしれない。

「恋は盲目」とはよく言ったもので、人間が確率を直感的に把握するのが苦手であること以上に、それはそれで人間の性なのかもしれない。

 

 

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「偶然」の統計学

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数字があまり出てこず、知的好奇心をそそられる話ばかりで、数学オンチでも楽しめる一冊。本文の例もいくつか本書から紹介させてもらった。

 

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

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 歴史、哲学、心理学、経済学、数学の世界を自由自在に駆けめぐり、人間の頭脳と思考の限界と、その根本的な欠陥を解き明かす超話題作。

 

 

誕生日を祝ってもらえる人と、祝ってもらえない人のたった一つの違いとは

昔々、ある遠い国に、どんなことでも「科学」で悩みを解決することのできる神様がいました。その神様のもとには、悩める老若男女が夜な夜な通い、人生相談をしに来ていました。

そして今宵も……。

コンッ、コンッ。ノックの音が聞こえた。

あなたがどんな悩みも科学で解決できる神様ですか?

あぁ、そうじゃ。わしが神じゃ。

ただの噂だと思っていましたが、ほんとにいるんですね……。早速ですが、私の悩みを聞いてくださいますか?

もちろんだとも。お前さんの納得がいくまで人生相談乗ってやろう。さぁ、部屋へお入り。

  

■悩み:友達から誕生日をあまり祝ってもらえないこと(相談者:女子大生・22歳)

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悩みの神様が長椅子に腰掛けると、ゆっくりと口を開いた。

深刻な顔をしとるが、どんな悩みを抱えておるのじゃ。見た感じ、今どきの女子大生って感じで、容姿も整っておる。何一つ不自由にしとらん気がするがなぁ。

そんなことはありません。

私は4年前に東京の大学に通うために上京してきました。つい先日、22歳の誕生日を迎えました。しかし、私はあることに気付いてしまったのです。周りの大学生よりも、あまり誕生日を祝ってもらえないことに……。

ほほぉ。友達から誕生日を祝ってもらえないことが悩みというわけじゃな。

はい、そうなんです。大学生最後の今年の誕生日こそは、盛大にやってみたくて、でも周りが計画してくれるわけもなく、自分で企画しようとしたんです。でも、それすら人数が集まりそうになくて、結局、「誕生日は家族と過ごすことになった」って嘘付いて、誕生日会を中止にしたくらいなんです。

それなのに、周りの友達たちがSNSで頻繁に「サプライズで誕生日祝ってもらいました(^O^)/」みたいな投稿をしているのを見て、すごく羨ましいし切なくって……。

本来なら楽しみであるはずの自分の誕生日なのに、祝われないで一人で過ごす自分の誕生日が来るのが怖いです。明るい性格ではないし、友達も多くないので、祝われないのは当然なんですかね。こんな悩みですが、解決できるでしょうか……。

うむ。もちろんじゃ。わしの言うことを聞いて実践すれば、必ずしっかりと祝われるようになるぞ。 

 

◆誕生日を祝ってもらえる人と、祝ってもらえない人のたった一つの違い

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ところで、お嬢ちゃん。最近いつ友達の誕生日を祝った?

友達の誕生日ですか?

うーん、そうですね……そういえば、もうしばらく祝ってないですねぇ。かれこれ2年前くらいですかね。

やはりな。祝ってもらえない原因はそれじゃ。

どういうことですか?

何か勘違いしとるかもしれないから言っておくが、誕生日を祝ってもらえる人はな、その人が周りから好かれるキャラだから、輪の中で中心にいる人気者だからとか思ってはおらんか?

え?違うんですか?

私はクラスの中心でも人気者でもないから祝ってもらえないんだと思っていたのですが……。

「誕生日を祝ってもらえない原因は、友達の誕生日を祝っていない」からなんじゃ。 

 

◆今の自分の環境は、自分の心を映す鏡

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お嬢ちゃんが「誕生日を祝ってもらえない」ということは、お嬢ちゃんが「誰か大切な人を祝わずに生きている」ということ。

現実の出来事は、一つの結果なんじゃ。その結果には必ず原因がある。その原因がどこにあるかと言うと、お嬢ちゃん、あんたの心の中にあるんじゃよ。

つまりだな、お嬢ちゃんの人生は、お嬢ちゃんの行動を映し出した鏡なんじゃ。相手は自分の鏡。これを鏡の法則というんじゃ。

鏡の法則

うむ。世の中に起こる出来事の結果には、必ず原因がある。原因をしっかりと見つめ直すことで、未来に起こる出来事、つまり結果を変えることができる。

お嬢ちゃんに起きている結果は、「大切な人から誕生日を祝ってもらえない」ということ。考えられる原因は、お嬢ちゃんが「大切な人を祝っていない」ということなんじゃ。

 

思い返してみたら、最近友達の誕生日を祝った記憶がなかった。正直、他人の誕生日に興味がなかった。自分にとって自分の誕生日はとても大切なかけがえのない日だが、自分にとって相手の誕生日はとるに足らない日。そんな風に思っていた。だから祝ってなかったのであった。

 

◆利他意識は伝染する

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鏡の法則以外に「好意の返報性」という法則も知っておくべきじゃな。

あ!それは大学の心理学の授業で聞いたことがあります!

うむ。好意の返報性とは、「他人がこちらに何らかの恩恵を与えたら、似たような形でそのお返しをしなくてはならない」と無意識で思ってしまう心理のこと。

そこでお嬢ちゃんの悩みの解決策の一つはこれじゃ。

「友達にひと月に1回「お誕生日おめでとう!」としっかり祝うこと」

まずは見返りを求めないで、祝い、与える。そして、してもらったことは覚えておいて、いつか必ず返す。

お嬢ちゃんが憧れる誕生日を祝ってもらっている人というのは、自分から祝ったり、とにかく人に何かを与え続けている人じゃ。いわゆるギブギブギブと言われるやつじゃな。それが、鏡の法則や返報性の原理などによって、回り回って返ってくるから、結果的にギブ&テイクになっているだけで、もとはギブし続けているだけなんじゃ。 

「どれだけ普段から人に与えているか」を肝に銘じておくことじゃな。仮にクラスの人気者であっても与えていなかったら、誕生日を祝ってもらえる確率は低くなる。

一方で、普段から利他行為をしている人は、利他意識が伝染し、周りにいる人達も利他行為をするようになる。その結果、回り回って自分の誕生日になったとき周囲からたくさん祝われるようになるだけじゃ。ギブギブギブが良いと言われるのはそういうことじゃな。

社会的ネットワークの性質上、そういった周囲から受ける恩恵というものは、クラスの人気者といったような「ネットワークの中心」にいる人の方が、「ネットワークの周縁」にいる人よりも享受できる。

そのためクラスの中心人物が頻繁に祝われているように見えるかもしれないが、元は普段から与え続けているだけの話なのじゃ。

普通の人は、人から、もらえるものにしか興味がない。一方で、誕生日を祝ってもらえる人は、与えることばかり考えている。

決して〝いい人〟が誕生日を祝ってもらえるわけではない。普段から「誕生日を祝う」という「与える」行為をしている人が、祝ってもらえるのじゃ。

ただ、こう言うと、「私は、誕生日を祝っているのに、祝ってもらえない」と言う人がたまにいる。確かに誕生日は多少祝っているのかもしれないが、一つ重大な考え違いをしている。

それは、「祝ったんだから、私は祝ってもらって当たり前」と思ってしまっていることじゃ。要するに、その人は、見返りを求めているんじゃな。そのため、祝ってあげた人に対して、「見返りが足りない」という不満を持つ。

「祝う」という利他的な行為のはずが、実は自分のためにしていたことになる。ある意味、物々交換の要求をしているかの如くな。つまり、それは、利他ではなく、利己であり、人に与えたことになっていないんじゃ。だから、祝った本人は、「祝ってもらえない」と思ってしまうんじゃ。誕生日は結果的に祝ってもらえるようになるのであって、等価交換ではない。

 

◆大事な仲間の人生を懸けた挑戦の時は、必ず立ち合い、応援する

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自分の誕生日会に友達を誘ったのに、誰も来てくれなかったと言っておったな。

はい、悲しいことに。

また思い返してみぃ。最近、友達の誘いに断ってばっかりではなかったか?

そういえば、確かに……。ついこないだもダンスサークルの仲の良い友達から引退イベントに誘われていたのですが、あんまり興味がなくて、本当は空いていたのに「バイトがあって行けない」と言って結局行かなかったんです。今までも何度か誘われたこともあったのですが、「行けたら行くね」と言って流してしまうことばかりで……。

そうじゃろうな。お嬢ちゃんに起きていることを見れば、お嬢ちゃんの心の中を覗くことができるわい。

いいか、よく聞きぃ。ただの飲み会や遊びの誘いなら断ってもそこまで支障はないかもしれない。しかし、本当にこれからも仲良くしていきたいと思っている相手の「ここぞ!という大事な誘い」だけは絶対に断ってはいけない。

今まで何か月も何年も、ずっと努力して積み上げてきた集大成の場。そんな誘いに来てくれないということは、「その友達のことなんてどうでもいい」と間接的に言っているようなもんじゃからな。

それなのに自分の誘いは来てほしい?

そんな人の誕生日会に誰が来るんじゃ。お門違いにもほどがあるわい。ここぞ!という時に来てくれない友達は、本当の友達ではないからな。

言われてみれば、おっしゃる通りです……。ということは私が今までしてきたことは、「もうあなたとは仲良くする気はないです」という合図にもなっていたのですか……。私はなんてことをしてしまっていたんでしょうか、うぅ。。

だからな、そんな時はどんなに忙しくても、ちょっとでもいいから顔だけでも出すんじゃ。どんなに忙しくたって5分くらいは行けるだろう?

仮に友達の出番がほとんど見られなくても、「わざわざ忙しい中、自分のために顔を出してくれた」ということが相手を喜ばせるのじゃよ。

「友達に会いに行く」ということは、自分の時間を相手に割くという素敵な贈り物。

こう言うとどこかテクニックのように聞こえてしまうかもしれないが、要は相手のことや状況、立場をどこまで気遣えるか、想像できるかだと思ってくれてええじゃろう。

自分にとってはたかだが1時間のイベントでも、相手にとっては何百時間の積み重ねの上にできた1時間なんじゃ。この相手の背景をどこまで想像できて行動できるかが、人付き合いがうまくいくかの分かれ道じゃ。

そんな自分の集大成の場に来てくれた人は一生忘れないし、ずっと感謝し、次何かあったら絶対に返そう!と思うもんじゃからのぉ。

確かに、そうですよね。先日、第一志望の会社から内定をもらうことができ、無事に就職活動を終えることができました。すごくお世話になった先輩がいたので、内定報告を電話でしたんです。そうしたら、「直接おめでとうを言いたいから、すぐに今日祝わせてくれ」と言われ、内定した日に内定祝いをしてくれたんです。

内定祝いを「来週やまた今度」ではなく「内定した今日」しようと言ってくださったことが、すごく嬉しくって、思わず泣いちゃうくらい感動しました。今でも思い返すと、嬉しいですし、きっとこれからも一生忘れないと思うんです。

そうじゃろう。大事な仲間の人生のターニングポイントや、人生を懸けた挑戦の時は、必ず立ち合い、応援すべき理由がわかったじゃろう。 

 

◆まずは身近な人から、150人

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お嬢ちゃん、ダンバー数という言葉を聞いたことはあるか?

いえ、まったく。何ですかその数?

ダンバー数と言って、一人の人間が関係を結べるのは約150人までと言われておるのじゃ。

お嬢ちゃん、大学でサークルか何か入っているか?

はい、茶道サークルに所属していました。

では、そんなサークルで、メンバー全員の顔がわかるレベルで仕事ができるのは、150人くらいまでと言われておるのじゃが、今までまったく周りの人達とうまく関係を築いてこなかったやつが、いきなり毎日いろんな人を祝うは少ししんどいかもしれない。

だから、まずは本当に仲良くしたいと思うこの大事な150人の中にいる人から、コミュニケーションの仕方を変えてみてはどうじゃろうか。誕生日を祝うだけでなく、それこそ後輩の内定を祝ってやるのもよし、自分の内定を祝ってくれた先輩を大事にするのもよし。

ただ、すぐに結果を期待するではないぞ。与えたことは、全て忘れることにするのじゃ。返してくれないからといって、関係を切ってはならんぞ。そして、与えてもらったことは、全て覚えておいて返すのじゃ。

一年から二年、意識を変えて接すれば、きっと自分の誕生日が楽しみになる日もそう遠くはないじゃろうな。幸せの連鎖が続くことを祈っておるぞ。 

 

_________

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今日はありがとうございました!

自分の誕生日を祝ってもらえない本当の理由がやっとわかりました。なんだがすっきりしたし、来年以降の誕生日が楽しみです。言われたことをやってみますね!

正直、始めは悩みの神様とかうさんくさいと思っていたけど、親身に相談を乗ってくださり、私の悩みに対して多くの気付きをもらった気がします!

ということで、来年の私の誕生日の時にまた顔を出しに来ます!誕生日プレゼント待っていますね!

与えてもらいたかったら、まずは与えることですよね?ねぇ、神様♡

 

 

■悩み:友達から誕生日をあまり祝ってもらえないこと(相談者:女子大生・22歳)

■解決策

1.友達にひと月に1回「お誕生日おめでとう!」としっかり祝う。

2.大事な仲間の人生を懸けた挑戦の時は、必ず立ち合い、貢献する。

■科学の法則

1.鏡の法則:現実に起きる出来事は、自分の内面を映し出した鏡であること。

これは、心理学用語で「投影」というメカニズムが働いていて、自分の心の状態を人やモノに映し出すことを言います。

例えば、夜に桜の木を見ていたとしましょう。ある人は「綺麗で、なんて良い日なんだ」と思うかもしれませんが、ある人は「不気味で、今にも枯れそうな寂れた木だ」と思うかもしれません。同じ木を見ていても、人によって感じ方が違います。自分の内面が幸せな時には、輝いているように見え、一方で寂しい時には寂しそうに見える。このように、自分の心をモノに映し出すことを「投影」と言います。

2.好意の返報性:人から好意を受けた場合、それを相手に返そうという感情が抱く心理。

3.ネットワーク理論:ネットワークを通じて、利他意識や幸福を始め、肥満、細菌、お金、暴力、ファッション等、様々なものが伝染する

4.ダンバー数:一人の人間が関係を結べる人数は約150人。

■理論の補足説明(実験結果)

1.募金をしてほしければ、まず先に花を渡すべき?

「好意の返報性」の心理を利用して、莫大な資金を集めた宗教団体がありました。信者達の主要な財源は、公共の場所での通行人から得る寄付金です。始めは、大した効果を上げることはできませんでした。そこで、彼らは、寄付金を募る前に、狙いをつけた人に花をプレゼントしました。勧誘者は「私達からの贈り物です」と無理やり何も知らない通行人のジャケットにピンで花を留めました。

このように好意の返報性の心理を、その場に持ち込んだ上で、寄付をするよう要求します。これが恐ろしいほどうまくいき、募金を募ることに成功をおさめたのでした。返報性の心理は、要請者への嫌悪感さえ凌駕して力を発揮するので、注意が必要でもあるのです。

 

2.肥満は、友人の友人の友人まで伝染する?

ネットワークを通じて、幸福や肥満を始め、細菌、お金、暴力、ファッション等、様々なものが伝染します。

ある研究によれば、直接つながっている人(一次の隔たりにある人)が幸福だと、本人も約15%幸福になるという。しかし、幸福の広がりはそこでは止まりません。
二次の隔たりのある人(友人の友人)に対する幸福の効果は約10%、三次の隔たりのある人(友人の友人の友人)に対する効果は約6%あるそうです。この幸福の影響は、四次の隔たりまでいくと消滅します。

例えば、もし自分が肥満になると、友人の友人の友人まで肥満になる可能性が上がるのです。なんとネットワークを通じて、三次の隔たりまで私たちに影響を及ぼします。

 

3.組織の規模は何人以上になると、さぼりや病欠が増える?

組織の規模が、150人くらいまでなら、全員の顔がしっかりとわかる状態で仕事ができますが、それ以上になったら、序列構造を導入しない限り、仕事の能率は落ちると言われています。150人を超えると、さぼりや病欠が一気に増えるのです。

これはビジネスの世界だけでなく、学問の世界でも同じです。サセックス大学教育学部のトニービーチャーが理系・文系の12分野を対象に調べたところ、研究者同士が注目し合えるのは、100~200人の規模であることがわかりました。研究者の数がそれより多くなると、その学問分野はいくつかの領域に分裂する傾向にあるという実験結果が出ています。

  

 

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なぜ与え続けたら回り回って自分に返ってくるのかをネットワーク理論で説明されています。 この本ほんと面白い。

 

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本文で紹介したダンバー数のダンバーさんの著書。 

 

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影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

 

 好意の返報性について詳しく書かれています。

 

鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール

鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール

 

 鏡の法則について。